ソラの回想と家族像
そこに「死」が待っていた。
一撃で振り払われた濃霧と殺意の籠った瞳を向けられて、エフィントウルフはようやく今までアキトに情けを掛けられていたことに気が付いた。
アキトは普段から自己強化のギアをセーブして戦う理由の一つとして、相手の力を見極めて、それと同等か、少しだけ上回るように調整している。
そうすれば、常に相手と対等な条件で戦える。そしてそれを越えることで己の強さを認められる。
身体への負担などで出力を変えるほどアキトは器用ではない。
ただ自身が定めた限界で戦い勝利することに固執する、ただの戦闘狂だ――。
そのアキトが今、激高した感情に身を任せてギアを跳ね上げる。
古龍ファフニール。天災とすら言われる超・強大な魔物を前にしたアキトがかつて使った自己強化・三式。
高ぶった怒りを理性で抑え込む。抑え込んで制御する。三式によって高められたアキトのステータスは単純に五式の二倍以上にまで上昇する。
「アイナ。すぐに終わらせる」
「……わかったわ」
冷静であろうとするアキトが真っ先に声をかけたのはソラではなくアイナであった。振り向きざまにソラに向かって微笑みを向けるアキトだが、ソラはアキトにとって誰が最も優先されるか――大切であるかを見せつけられる。
思ったよりショックは少なくて、アイナだったらしょうがないとまで思ってしまう。
「だー(うー)」
でもやっぱり悔しかったりもする。娘として可愛がって貰えるのは嬉しいが、娘である自分が一番であってほしいから。
ソラの胸中は計り知れない。でも同時にソラは、アイナが母親となる未来を考えて、それが嬉しいとも考えていることに気が付いた。
「だ(お母さん、か)」
ソラが抱く家族像に母親という存在はいなかった。それはソラの前世においても、母親という存在が関わってこなかったことに起因している。
ソラは父子家庭で育った。兄弟姉妹はおらず、父とソラの二人だけの家族だった。
そんな父は――とてもじゃないが、まともな人間とは言えなかった。酒に溺れ、ろくな仕事にも就かず、幼いソラに当たり散らすのが当然だとばかりに毎日暴力を振るっていた。
いくら泣き叫んでも、こじんまりとした一軒家では隣人からの助けもこなかった。
顔や制服を着て見える場所以外に出来た痣の数だけソラは苦しんだ。
生きながらにしてこの世の地獄を味わいながらもソラは懸命に生きていた。
いっそ殺してくれれば楽になるのに、とも思いながら。
小学校で、中学校で、級友たちと話す優しい父親の像に憧れた。
そんな人が自分の父親であれば、どれほど楽しくて輝ける人生であったか。
いつしかその思いは色褪せつつも、父からどう逃げればいいかを考えるようになった。
中学生では働けもしない。では毎日振るわれる暴力に耐えればいいのか?
否、もう限界なのだ。骨が折れたこともある。
心配してくる級友を誤魔化すことに何度心が痛んだが。
でも、誤魔化さなければより激しい折檻を受けてしまうから。
そんな人生に転機が訪れる。
ひたすら勉学に励んだソラが手に入れた、進学校の特待生権利――無償で高校に通える。
そしてその学校は非常に遠方にあるために、必然的に学校側が用意した寮に無償で住むことが出来る。
父から離れて暮らすことが出来る。それがどんなに喜ばしいことだったか。
でも、父はそれを認めなかった。娘の優秀さも認めず、「俺を捨てるのか」と罵詈雑言を浴びせながら――ソラを殺してしまった。
そんなソラに伸ばされた神様の手。だからソラは願った。
”別に不思議な力とかはいらないから、優しくしてくれる素敵な父親が欲しい”と。
それだけの願いを、神は叶えた。求めるモノがあまりにも小さすぎるソラへ、おまけとして溢れる力をサービスして。
だからソラは、概ね満足していたのだ。アキトは理想の父親であるし、神様がくれた余計とさえ感じる力もきちんと正してくれる。
優しくて、自分を守ってくれる存在だからこそ――アキトの幸せを願うようになる。
だからソラは、アキトがアイナを選んでも受け入れる。
だって、自分の願いはもう叶っているのだから――。
「だー!(おとーさん、がんばれぇっ!)」
ソラの言葉に応えるようにアキトは地面を蹴る。三式によって高められた身体能力は恐ろしい速度でエフィントウルフに接近する。
霧を奪われたエフィントウルフが再び霧を吐こうと大口を開ける。
「おせぇっ!」
「ガッ!?」
だがそれをアキトが許すはずがなく。アキトは咄嗟にエクスカリバーを投擲した。
放たれたエクスカリバーがエフィントウルフの左目を貫き、激痛に悶えるエフィントウルフは霧を吐くことが出来ない。
エクスカリバーをどうにか引き抜こうと顔を左右に振るエフィントウルフだが、エクスカリバーはあっさりと引き抜かれた。
飛び込んだ、アキトの手によって。
跳躍しながらエクスカリバーを引き抜いたアキトは空中で振り上げて。
エフィントウルフが気付き、逃げようとした時にはもう遅い。
今まで以上の力を込めて、怒りの感情を乗せて。
アキトはエクスカリバーを振り下ろし。
エフィントウルフの首は両断された。
鋼の体毛も極太の首骨も綺麗に断ち、エフィントウルフは絶命した。
「……アイナを狙ったことを後悔しながら、逝け」
着地したアキトは片膝を突く。自己強化・三式の反動だ。
エクスカリバーを支えにして辛くも立ち上がると、左目からまだ流れる血を拭った。
「アキトっ!」
「だー!(おとーさん!)」
エフィントウルフの死を確認したアイナが慌てて駆け寄ってくる。ソラはすぐさまアキトの傷を《ヒール》の魔法で治療する。
アキトの表情はすっかり元の柔らかさを取り戻していた。アイナとソラの無事を確認すると、大きく息を吐いた。
「あぁ。無事だった。……よかった」
「よかったじゃないわよアンタすぐ無茶して!」
「だぁー!(すっごく怖かったんですよ!)」
「わ、悪い。頭に血が昇っちまって……」
それが「アイナが狙われたこと」がトリガーとなっているからこそアイナはこれ以上強く怒ることが出来ない。むしろ足手まといになってしまった自分が悔しくてむず痒くてどうしようもない。
「ああもう! 助けてくれてありがと!」
アイナ自身エフィントウルフの攻撃を回避できたかどうかを考えると、ギリギリだった。ソラの安否について考えるとアキトが助けた判断は間違いなかったのだが、それによってアキトが負傷してしまったことが問題なのだ。
「さ。エフィントウルフも討伐できたことだし頭部でも持ち帰ればクエストクリアだ」
気落ちするアイナを励ましながらアキトは小屋にロープがあったことを思い出す。エフィントウルフの首を持って帰るには丁度いいとばかりにかつての我が家に足を踏み入れる。
そしてアキトは、どうしてエフィントウルフが異様に殺気立っていたかの原因を見つけた。
天井が抜けた小屋から出てきたのは、真っ白な毛並みの……狼の子供。まだ生まれたばかりなのだろう。成長が早い魔物とは言え体毛が生えそろった程度で、まだ親が必要なくらいだろう。
「……まじかよ」
察するべきだったのかもしれない。野生の魔物が普段よりも神経質になり周囲を警戒するのであれば、それは子供に関わることがある。
でもそれは、冒険者が気にすることではない。ないのだが――ソラを育てると決めたアキトにとっては、重い現実だった。




