0-幸せを望んだ人
「ソラよ。目が覚めたらお前はこの世界でのやり取りの全てを忘れる。だが――お前の胸に、刻んでおこう。アキト・アカツキの居場所への道筋を。
それが――かつてアキト・アカツキにヒントを与えてしまった私からの謝罪だ。
お前とアキトが離ればなれになってしまう運命に繋がってしまった、私のミスだ。
世界を司る神として、謝罪を。このような運命を創ってしまった神として、謝罪を。
――けれども許して欲しい。この世界は、お前を苦しませるための世界ではないのだから」
消えゆく少女――ソラを見届けて、アルスーンはふぅ、と一つため息を吐いた。
どこまでもソラが消えていった場所を眺め続けるアルスーンに、声を掛ける者がいた。
「どこまでも遠回りだな、アルスーン」
「……おぉ。これはこれは」
聞こえてきた声に驚きつつ振り返ったアルスーンは、声の主を一目見て頭を下げた。
この世界を創り上げたアルスーンが、頭を下げた。
「畏まるな。いいから頭を上げろ」
「いえいえ。あなた様には幾度となく救われた身です。私は未来永劫、この世界が終わり、朽ち、私が消えるまで――貴方に忠義を誓っております」
「堅苦しい。もっと気楽にしろと言っているだろ」
「私をこのように創り上げたのは貴方様です」
「まあ、そうだったな」
声の主は青年だった。アルスーンの態度に苦笑いを見せつつも、幼い少年のように笑う青年だ。
青年が腰掛けようとすると、何もない空間に突如として椅子が現れた。
まるで椅子は始めからそこにあったかのように青年を受け止める。
「すまないな。我が儘を聞いて貰って」
「大丈夫です。ソラ・アカツキはもう少しで父と再会できるでしょう」
「そうだよなぁ。やっぱ娘は親と一緒に暮らさないと」
「貴方様のように、ですか?」
「娘はいいぞ。いつかは離れてしまうかもしれんが愛しくて愛しくて堪らない」
朗らかに笑う青年に釣られてアルスーンも笑みを浮かべる。
どう見てもアルスーンのほうが年上に見える構図だというのに、アルスーンは決して青年を下の者として見ない。
一通り娘への愛を語り終わった青年は、息を吐きながら空を見上げた。
「ソラ・アカツキは幸福を約束されている」
「ええ。他ならぬ貴方様に」
「頼まれたからな。あの子の――前世の父親に」
青年はぽつりぽつりと呟き始める。
それはソラがこの世界に来る前の、前世の話。
父に暴力を振るわれ、そして――死んでしまった過去。
"それから"の話だ。
暗く月明かりだけが差し込む教会の中で、何かを抱き締めて泣きすがる男がいた。
青年は男性をじっと眺めていた。
それは青年にとって気まぐれ以外の何物でもなかった。
気まぐれで世界に降りて、気まぐれに教会を覗いて。
子供のように泣きじゃくる男性を見つけて物陰に隠れて様子をうかがってしまった。
「……神よ。神よ、どうか」
男性は泣きじゃくりながら、胸に抱える何かを強く抱き締め、懺悔の言葉を吐いていた。
「私は過ちを犯しました。妻を失い、自暴自棄になって、それでも私の傍にいてくれた娘を……ああ、私は、娘を殺してしまった!」
「……」
男性の告解は、青年にとって最も許せないモノだった。
男性の語る過去は、壮絶なものでもなにものでもなく――ただただ、自らの弱さを嘆くものだった。
「こんな私を愛してくれた妻。とても大切で、愛しくて、私のことを理解してくれた妻。ああ、なのに、なのに――妻はこの子を生んですぐに、事故に遭って死んでしまった!」
慟哭は静謐な教会に響く。誰に聞かせるつもりもない、ただ自分が吐き出したいから叫んでいる過去を、青年はじっと静かに聞いていた。
「私を支えてくれた。私を受け止めてくれた。こんな、こんな私を! どうして、どうして!」
「……」
「この子を守らなくてはならなかった。この子が立派な子に育つように、きっとそれが、妻の願いと信じて――。でも私には、それが出来なかった! 子供の考えることがわからない、子供を理解することが出来ない。どうすれば我が儘を止められるのか、どうすれば私の言うことを聞いてくれるのか。私はなにもわからなかった。だから、だから、私は暴力に頼ることをしてしまった!」
虐待の過去を語る男性の背中を、青年は忌々しげに睨んでいた。
こと娘――家族に対して強い感情を抱いている青年は、男性の所業を許すことなど出来なかった。
このまま背後から男性を襲い、殺してしまおうかとすら考えるほどに。
青年は男性を嫌悪する。
男性は、続ける。
「暴力を使えば簡単だった。娘は私を恐れ、従うようになった。私はそれが間違いであることを理解しつつも――どうしても、それに頼るしかなかった」
そんなことに微塵も同情はしない――。
青年は男性を睨みながら、男性の言葉を聞き続けた。
「高校に上がる直前に、娘は全寮制の学校に行く、と私に告げてきました。当然だろう。私から逃げるためだ。私もそれを聞いて、頭の隅で娘が幸せに生きる未来を想像した。――だが! だがそれでも、私の胸を支配したのは己の寂しさだけだった! 取っ組み合いになり、反抗する娘に私は、私はぁっ!」
うな垂れる男性が抱えているモノが、何であるか。
青年はそれに気付くと、ゆっくりと、気付かれないように男性の背後に忍び寄った。
そして男性は、最初の言葉を続く言葉を吐き出した。
「もう手遅れなのはわかっている。でも、それでも……もしも、"もしも"、来世があるのなら!」
ピクリ、と手を伸ばした青年が動きを止める。
「この子に幸せを。こんな私に関わらない世界で、この子が幸福を与えてください。私は死ねば良い。地獄に落ちれば良い。消えれば良い。如何なる罰も拷問を受けても構わない。だから、だから! せめてこの子に、当たり前の幸せを与えてくれぇっ!」
顔を上げて神像に縋る男性に――青年はそっと、声を掛けた。
「その言葉に、偽りはないか?」
「っ!? だ、誰――」
男性が驚き周囲を見渡すが、そこにもう青年の姿はなかった。
男性が抱いていたモノを、青年が抱きかかえる。
「お前は、この子の幸福のためなら――どんな罰も受けると?」
「あ、ああ。ああ! 神よ、お願いだ。お願いします。この子に幸せを、お願いします。こんな愚かな私ではなく、立派な、高潔な親の元へ。この子に幸せをっ!」
突如として現れた青年を神と勘違いしたのか――あるいは、なんでもよかったのか。
男性は青年にしがみつき、身体を震わせながら懇願する。
「……わかった」
青年のその言葉に、男性は驚愕の表情を浮かべた。
「この子の来世に祝福を。この子の幸福を約束しよう」
――だが貴様は罪を償わなければならない。人を殺した、ましてや娘を殺した罪を
「ああ。ああ。よかった。よかった……! 神はいた。いてくれた。なんでもする。命だって捨てていい。この子の幸福を約束してくれるなら、なんでも!」
しがみつく男性に、青年はそっと手を差し伸べた。
「――これから貴様が生きる人生。その全てを捧げ、この子の幸福を祈れ。
罪を認め、罪を償い、貴様は貴様としての人生を歩め。
この子の幸せをただひたすら祈り続け――汚く足掻きながら生きろ。
貴様が死に逃げることは許されない。
もし貴様が自死を選んだら、この子の幸福は叶わない」
突き放すように言いつける。
生きろと言われ、男性の表情が絶望に染まる。
男性は、身勝手だ。
娘を傷つけ、勝手に悔やんだ。
娘を殺めるような男性が、死を選ぶことを、青年は許さない。
「我は世界の全てを見通す者。この少女の幸福を、我が保証する」
「……それが、それが、神の言葉なら」
男性は恐らく神を信じたことなどなかったはずだ。
だがそれでも誰かに全てを打ち明けたくて、誰もいない教会を選んだ。
そして生きろと、死ぬことを許されないと、突然現れた存在に突きつけられた。
「お願いします。どうか、どうか、この子に幸せを。この子を愛してくれる父を。この子を愛してくれる母を。この子を愛してくれる家族を、友を。人生を」
男性は祈るように手を組んだ。
青年は寂しげに教会を後にした男性の背中を見届けて。
「……はぁ。現世に関わっちゃ不味いってのに」
差し出がましいことをしてしまった自らの悪態を告げながらも、青年は抱きかかえたモノ――少女の亡骸を、揺らすように抱き上げた。
「君の来世に幸福を約束しよう。最後に君の父親は、父親として娘の幸福を祈ったのだから」
――そして、少女の魂は別の世界へと送られた。
その世界を司る神に導かれた少女は、父を求めた。
快諾した神は、少女が望む父を選び、少女を送り出した。
それが始まりだった。苦しみ苛まれ続けた少女のために、一つの世界の神が幸福を約束した。
それは、最後の瞬間まで娘の幸福を祈り続けた男性の、願いだから。
「ところでよろしいのですか?」
「なにがだ?」
「語り合うのもよろしいのですが、私の目には奥様がもの凄い形相で睨んでいるようにも――」
「……ゲ」
恐る恐る青年が振り返ると、そこには端正な顔立ちの女性が冷めた目で青年を睨んでいた。
「……こんなところで油を売ってたのね」
「落ち着け。サボってたわけじゃない。経過観察をだな――」
「……仕事、溜まってるわよ。転生希望の魂五千人分」
「いやいやそれは人事部の仕事だから―――」
「わかった?」
「はい」
女性に屈した青年はうな垂れながら歩き出す。
女性はふふっ、と微笑を浮かべ、その背中を追っていく。
そんな二人を、アルスーンは見送った。
ゆっくりと振り返り、自らの世界を観察する。
「……うむ。今日も世界は平和なようじゃ」
――そこには、満開の笑顔を浮かべる少女がある男性に抱きついている光景が映し出されている。
男性もまた優しい表情で少女を抱きとめ、愛しそうに頭を撫でている。
その周囲には、少女と青年を見守るように微笑む人たちがいて。
「ソラよ、幸せにな」
老人もまた、そんな光景を見て微笑んだ。
あ、どうも蛇足ですでもどうしても書きたかったんですーーーー!
多くは語りませんそれでは!