さようなら、英雄。
光に包まれながら、アキトとソラはオリンポス山の頂上に戻ってきた。
「竜王様!?」
「……アキト・アカツキ」
「久しぶりだな、グリムガルデ。ルクセリア」
ソラを横向きに抱きかかえながらアキトは神殿から一歩を踏み出す。
『天を超えた領域』内で時間にしておよそ二十時間弱。
外界の時間にしておよそ十年の時間が経過して。
アキト・アカツキは世界に戻ってきた。
「お、お父さん恥ずかしいよ~」
「駄目だ。ソラは俺が守るんだから、絶対に離さないぞ」
「う、うん……えへへっ」
恥ずかしそうにはにかむソラだが決して嫌なわけではないことは表情から窺える。
大好きな父との触れあいを見せつけられるような光景に、ルクセリアがまっさきに噛み付いた。
「竜王様! あなたは本当に――」
「ああ、すまないルクセリア。俺はもう竜王ではなくなった。新しい竜王は今、アダムのところでお前たちを待っている」
「っ……!」
わなわなと身体を震わせるルクセリアを諭すようにアキトは優しく告げる。
「俺はもう、お前たちの主ではない。俺は人間、アキト・アカツキだ」
「っ、わ、ワタシは! ワタシはそれでも――」
「やめろルクセリア。貴様とて眷属たる責務を放棄するような尻の軽い女ではないだろう」
「グリムガルデッ! だが――」
「アキト・アカツキには人としての人生がある。奴はもう竜王では無い。我らの敵でも味方でもないのだ」
「ワタシは、ワタシは……」
俯き膝を突いたルクセリアに、アキトは何も言葉を掛けない。掛けられる言葉が思い当たらないのだ。ソラも同様に、アキトの胸元の服をぎゅ、と握りしめながらルクセリアを見つめる。
アキトはゆっくりと歩き出す。その背中を、グリムガルデは寂しげに見つめていた。
「アキト・アカツキ」
「じゃあな、グリムガルデ。お前とルクセリアだけは俺を竜王としても、アキトとしても扱ってくれた。感謝している」
「……ふん。貴様にとってはほんの数十時間前の出来事だろう。わざわざ懐かしむのか?」
「そうじゃないさ。でも、俺はお前たちに感謝しているし、ソラをここまで連れてきてくれて、ありがとう」
「……知るか。貴様はもう我が忠誠を誓った竜王様ではないのだ。何処へでも生き、人の人生を謳歌するがいい」
「そうだな。じゃあ、グリムガルデ。最後に」
互いに背中を向けたまま、アキトはグリムガルデと約束を交わす。
「いつかお前が俺の前に現れたら、派手に喧嘩しよう。どちらが強いか、どちらが上か。人間の俺と、眷属のお前の、力比べだ」
「――ああ。面白い。いつか、やろう」
そしてアキトは歩き出す。長い階段を下り始め、振り返ることなく人の世界に戻っていく。残された眷属たちは、その背中を寂しく見つめることしか出来なかった。
「――さようなら、竜王様。貴方に忠誠を誓い、貴方の爪として生きるのも、我にとってかけがえのない時間でした」
+
「これで……終わりだっ!」
「おぉ……本当に一人で片付けちまうとは」
「……ふん、この、程度で……」
「今にも倒れそうじゃないか! ほら、部屋の一つはもう綺麗にしてるからそこで休んで来なよ」
「いや、まだ魔物が現れるかもしれない。私は私の務めを――」
ソラを抱きかかえたまま階段を駆け下りたアキトは、やがてオリンポスの麓に降り立った。そこには名だたる魔物たちが地面に倒れており、アキトとソラは魔物を倒した人物――『竜王の翼』であるリオンフェルークと対峙した。
「っ! アキト・アカツキ!」
「アキトじゃないか! 久しぶりだねえ!」
「ローラ、と――あれか。りおんふぇるーく、だっけか」
「――ええ、そうです。貴方が竜王であったころに、一度も指示を与えて貰えなかった眷属です」
リオンフェルークが睨むように目を細めると、ソラもアキトから飛び降りてアキトを守るように両手を広げる。
今のソラにはもうリオンフェルークに敵う力は存在しない。リオンフェルークはそうとは知らずに力を振るうだろう。身体を震わせながら、ソラはそれでもとばかりにアキトを守る。
「駄目です。お父さんは、お父さんはもう竜王じゃなくなりました」
「……それが? そうであっても私の中にいるファフニールの敵であることに変わりはない」
「駄目です。駄目、です……!」
疲労困憊であるはずのリオンフェルークはそれでもと錫杖を握りしめ一歩を踏み出す。
対するアキトはソラの肩を優しく掴み、愛娘に微笑みを見せる。
「ソラ、大丈夫だ」
「お父さん……で、でも」
「いいから」とだけ告げると、アキトはソラを背中に隠すように前に躍り出た。
リオンフェルークが目を見開き、錫杖を構える。だがアキトは一切構えることなく、ちらり、と奥のアルクォーツに視線を向けた。
「リオンフェルーク。俺はもう竜王ではない。新しい竜王への挨拶とかはいいのか?」
「……なるほど。新しい竜王様を作り、役目を交代したか。だが――今の私はファフニールの感情に従っている。だから」
「そうかいっ!」
「わわっ!?」
「ぬっ!」
問答の合間を縫って、アキトはソラの手を引いて一目散に駆け出した。アルクォーツ号はすでに海にまで戻されており、その甲板にすでに出航の準備を進めていたローラがアキトを見下ろしていた。
「じゃあなリオンフェルーク。ほったらかしにしていてすまなかった!」
「待て、アキト・アカツキ――」
「よーし、アルクォーツ出航するよー!」
リオンフェルークの言葉を遮るようにローラが叫び、アルクォーツ号が出航する。
そこまで来てソラはようやく、オリンポスを訪れて結構な時間が経過していたことに気が付いた。
アルクォーツ号は座礁していた。マストは折れ、いくらマルコやローラでも一時間二時間で修理が終わるとは思えない。
転がっている魔物たちの数もかなりのものだ。きっとその間、ずっとリオンフェルークがアルクォーツを守っていたのだろう。
下手すれば一日単位で時間が過ぎていたかもしれない。
だからだろうか、リオンフェルークはアルクォーツを追うことはしなかった。
疲れ切った身体でアキトを相手にするのは苦になるからか、それとも――。
「……これで借りは返したぞ、ソラ・アカツキ」
最大先速で離れていくアルクォーツ号を眺めながら、リオンフェルークは一人呟いた。




