再会、父よ
ずっと求めていた温もり。暖かい、大好きな人の体温。
ずっと探していた香り。忘れることの出来ない、大切な人の手掛かり。
深呼吸して、もう一度、自分をしっかりと、けれども優しく抱きとめてくれる青年――父・アキトの温もりを確認する。
「お父さん、お父、さん~~~っ!」
「……ソラ。ああ、ソラなんだな。こんなに、大きくなって」
抱きしめたソラごと立ち上がったアキトは身体を離すと、ソラの頬に手を当てて優しく微笑み、見つめ合う。ソラの目尻に浮かぶ涙を拭ってもう一度微笑むと、ソラは再び泣き出してアキトの胸に飛び込む。
アキトはそんなソラを優しく抱きとめ、ゆっくりとさらさらの空色の髪を撫でる。
過去にアキト自身が送ったリボンを指先でくすぐりながら、ソラを安心させるように優しい手つきで頭を撫でる。
「大きくなったなぁ。十年くらいか?」
「そうだよ。十年だよ、十年なんだよっ!」
「……こんなに可愛くなって」
「えへ、えへへ。嬉しいよ。嬉しいですよ。でも、でも」
「そうだな。ごめんな、戻れなくて」
「~~~~っ!」
もう一度、ソラはアキトの胸に顔を埋める。話したいことは沢山あると言うのに、言葉が何も浮かんでこない。
ソラの胸を暖かい気持ちが満たしていく。何かを話すことよりも、ただ、アキトとの再会を喜ぶ気持ちだ。
「十年、か。この世界ではまだ一日も経過していなかったのに――やれやれ。アルスーン様の嫌がらせは本当に空虚さを感じさせる」
その二人を眺める美丈夫がいた。
闇色の髪を掻き上げながら、純白のタキシードの男性は、深い紺色の瞳を二人に向ける。
「お父さん、この人は……」
「ああ、こいつはアダム。竜王やイブと並ぶ、この世界の神だ」
「わぅ……!」
「初めまして、ソラ・アカツキ。いやいやそんなに警戒しないでくれたまえ」
ソラは露骨にアダムを警戒している。それもそうだ。ソラにとってアダム――神とは、アキトの人生を狂わせ、母・アイナや叔母であるコハクを悲しませた存在なのだ。
ソラに創造魔法を与えたイブとて例外ではない。感謝はしているが、ソラは竜王と、神を信用していない。
十年という歳月は、ソラに神への拒絶心を植え込むのに十分すぎる時間だ。
「やれやれ。アキトー。君から説明してあげてくれよ。私が今なにをしているのか。創造魔法を持っているソラ・アカツキを待っていたことも。君を解き放つために尽力していたことをさー」
「わかってるさ」
「……お父さん?」
「ソラ、あれが見えるか?」
そう言ってアキトが空を指差すと、そこには漆黒の太陽が鎮座していた。まばゆさもなにも感じないが、確かにそれをソラは太陽だと知覚した。
太陽の中から感じる、異常なまでの魔力。グリムガルデやルクセリアとは比較にならないほどの魔力を感じ、思わずソラは鳥肌が立つ。
「あれは、新しい竜王だ」
「竜王? でも、お父さんが竜王なんじゃ?」
「アキトを竜王の役目から解き放つために、私が次の竜王を創っているんだよ」
アキトとアダムの説明を聞いて、ソラはようやくアキトが戻って来れなかった真相にたどり着いた。
かつてアキトは、先代の竜王・ウロボロスと相対し、勝利した。
本来ウロボロスとは世界を観測する神であり、古龍を倒せる存在を見極め、監視下に置くか排除しなければならない役目を背負っている。
それはグリムガルデやリオンフェルークたち眷属と同様の責務なのだろう。
だが竜王ウロボロスは、その責務を放棄した。
長い時を生きたウロボロスは、自らの死を選び、その果てにアキトを次の竜王として全てを押しつけた。
当然、アキトは人としての人生を望む。だからこそ竜王から人に戻るために旅に出た。
そこまでは、ソラも全部ではないが知っていることだ。
聖堂教国、クウカイなどの諸国を巡ったアキトはこの世界にたどり着き、アダムと邂逅した。
そこでアダムから告げられた真実が、アキトをこの世界に拘束していた。
アキトを竜王の責務から解放することは、可能である。
だがアキトを解放しても竜王たる存在が欠けてしまうと世界は不安定にある。
そのためにアキトを解放することは出来ない。
だから、次の竜王を創ることにした。新たな竜王が生誕すれば、晴れてアキトは人間として生きることが出来る。
新たな竜王の創生に必要な時間は、この世界で十日間。
その十日間が、ネックだったのだ。
「この世界は外の世界とは断絶されている。時間の感覚は全て違っているのさ」
「俺がこの世界に来てから、まだ一日も経っていない」
「……え?」
だからアキトは、十年前と何一つ変わっていなかったのだ。ソラたちにとっての十年の歳月は、アキトにとってまだ一日も経過していなかったのだ。
「それが十日間必要となる。どんなに短くても百年は掛かるだろうね」
「だ、駄目です! そんなに時間が掛かったら、お母さんもコハクお姉ちゃんも待てませんっ!」
「……ああ。だからソラ、お前を待っていたんだ」
「ボクを、ですか……?」
「……ソラが来てくれるかはわからなかった。だが、俺もこの世界を離れるわけには行かなかった。だからソラが悲しんでも、苦しんでも、喜びを分かち合おうとしても傍にいてやれなかった」
「いいんです。だって、だって会えたから!」
「そうだ。ソラは来てくれた。だから、消えていた可能性が蘇った」
アキトが漆黒の太陽――未だ生誕しない竜王を見上げる。ソラも竜王を見上げ、アダムも手を伸ばしてアキトの言葉に続く。
「ソラ・アカツキ。君がイブから譲り受けた創造魔法。その力があれば、竜王の生誕を早められる。アキトを人間に戻すことが出来る」
「っ! 本当ですか!?」
「ああ、だが――その代わり、君は創造魔法を失う。その余りある魔力を失う。言葉一つで魔法は使えなくなり、他の人間と同じ、魔方陣と詠唱を必要とするただの人間に戻る」
「……え?」
アダムの言葉に、アキトが表情を曇らせた。ソラは黙ってアダムの言葉を聞いている。
「創造魔法は私やイブでなければ完璧には使いこなせない。だからソラ・アカツキ。君の全ての異能力――転生者であることを、捨てて貰わなければならない。そうしなければ、生誕を早めることは出来ない」
「話が違うぞアダム! そんなこと、俺は聞いてない!」
「言ったら君は娘の助力を断り世界を放浪するだろう? 娘の幸せを優先して、娘の栄光を優先してさぁ!」
「っ……!」
アダムはわずかの間にアキト・アカツキという人間を完全に把握していた。それも彼が人間を生み出した神だからこそ出来る所業であろう。
確かにそうだ。アキトは人間に戻り、人としての人生を過ごしたい。
だがその代償にソラから力を取り上げることなど、アキトには出来ない。
本当の娘のように可愛がり、愛情を注いでいる娘の晴れやかな未来を奪うことなど、アキトには、出来ない。出来るわけがないのだ。
だからアダムはソラが来る時まで告げなかった。アキトではなく、ソラに選ばせるために。
ソラの答えは決まっていた。その答えはすでに、生死を彷徨った時にアルスーンに答えている。
「ボクの幸せは、お父さんがいる世界です。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも。――友達も、仲間も、みんながいる世界です」
「では問おう。その世界で君は何がしたい。その世界で君は、何を成し遂げる!」
「幸福を。お父さんがいる世界で、幸せになることです。ボクの幸せに、この力は必要ありません!」
「ソラ……!」
「いいんです。だって、この力があったから――ボクだから、お父さんを取り戻せる。やっと、やっとお父さんの役に立てるんです!」
「……ソラっ!」
「わぅ」
アキトが急にソラを抱き寄せ、力一杯抱きしめる。触れ合った箇所から感じ取れるアキトの悲しみを、温もりを。優しさを、決意を。複雑に混ざり合った感情を受けながら、ソラはゆっくりとアキトの背中に手を回す。
「ボクはお父さんが大好きです」
「……幸せにする。ソラは俺が守る。ソラが望む限り、ずっと、ずっと……。だからソラ、俺を、人間に戻してくれ……っ!」
「はいっ!」
それはアキトが初めて、ソラに頼ったこととなる。父としてソラを守り続けたアキトが、初めてソラに助けを求めた。だからソラは、満面の笑みを浮かべる。
抱きしめ合い見つめ合う親子を眺めながら、アダムが両手を広げる。
その手に集うのは白と黒の光。ソラはゆっくりと、アダムと同じように両手を広げ、その手に白と黒の光を集わせた。
その光こそ、ソラに与えられた力。
白き魔力。イブから与えられた、圧倒的なまでの魔力。
黒き魔力。イブから託された、言葉一つで世界を変革する創造魔法。
二つの光が、アダムへと飛んでいく。アダムの二つの光と混ざり合うと、アダムはその光を全て――生誕を待つ竜王へ向けた。
「今此処に――新たな創生を行おう。我が名はアダム。我らが神アルスーン様に創られた原初の神が、欠けた竜王の生誕を望む!」
世界が揺れる。漆黒の太陽が揺れる。白と黒の光が太陽へと注ぎ込まれていく。
アキトの身体から魔力が膨れ上がり、飛び出していく。魔力は全て太陽へと注ぎ込まれていく。
パキ、――と。
太陽に亀裂が走る。光が零れだし、やがて――破裂する。
崩壊する太陽の中から、金色の少女が現れる。金髪金眼の少女がゆっくりと世界に足を付ける。
まだ幼さを残す少女は、感情の籠らぬ瞳でアキトとソラを見つめ、微笑んだ。
降り立った少女に上着を被せながら、アダムはアキトに微笑みを向けた。
「さあアキト。人の世界に帰るといい。これで君は人へと戻った。――さらばだアキト。僅かの間、私の友となってくれて嬉しかったよ」




