オリンポスを目指して
「……ハッキリ言おう。私は竜王――アキト・アカツキに会うことを望んでいない」
「逃げるのか?」
「逃げてなどいない。アキト・アカツキを見れば私は自らを抑え切れないだけよ」
「それが逃げているというのだ。アキト様に負けるのを畏れているからだろう?」
「貴様……っ!」
「あーもう、喧嘩しないでください!」
口を開けばすぐに口論に発展してしまう二人を諫めながらソラはベッドから立ち上がる。先ほどまで感じていた鈍い痛みはすでに消えており、治癒魔法がしっかり効いた証明だろう。
医師の言いつけ通り、あと一日は病院に留まるつもりだ。退院したらすぐに、グリムガルデとリオンフェルークに案内して貰ってアキトの元へ向かう計画だ。
「お父さんは、オリンポス、ってところにいるんですよね?」
胸に刻まれた言葉は、誰かがソラにアキトの居場所を教えてくれたプレゼントだ。そうでなければ、ソラはその単語に納得することが出来なかった。
オリンポス、ソラはその名前に聞き覚えがなかった。あるにはあるのだが、きっと小さい頃に聞いた言葉なのだろう。何を示すかはまったく理解していない。
その単語を聞いた二人の表情が固まった。ソラは不思議に首を傾げる。
「……どうして知っている?」
「え、なんとなく胸に浮かんできたんですけど」
「その貧相な胸にか?」
「大きさは関係ないと思います!!!」
「そうだぞグリムガルデ。貴様は『小は大を兼ねる』という言葉を知らないのか?」
「『大は小を兼ねる』だ。それは女の胸においても例外ではない」
「そうとも言う。だが少なくとも私は、ソラ・アカツキは魅力的な体躯であると断言出来る」
「やだこの二人気持ち悪い……」
思わず始まった二人の男の性癖語りにソラもドン引きである。ソラを眼中にないグリムガルデはともかく、リオンフェルークの言葉に身の危険を感じて胸を抱きながら後退ってしまうくらいだ。
「大丈夫だ。ソラ・アカツキ」
「え……」
「私からしてみれば君はすでに熟女だ」
「うわ」
身の危険どころではなかった。リオンフェルークの漏れる言葉はソラには毒でしかない。
ほんのりと頬を染め自らの嗜好を語り出そうとするリオンフェルークをグリムガルデが咳払いして遮る。
そういう話をしているのではない、と言いたげな視線に、ソラも意識を切り替えた。
「オリンポス山。そうだ。確かに竜王様はそこにいる」
「正確にはその山頂から次元を超えた領域であるがな」
「じゃあそこが、『天を超えた領域』なんですね?」
頷くグリムガルデに、ソラはいよいよアキトの背中を捉えることが出来た。
アキトの足跡こそは少ないけれど、もうすぐアキトと再会できる。湧き上がる感情に表情が崩れるのを止めることが出来ない。
「だがその地は、一年に一回しか入ることを許されない」
「……え?」
「聞いたことはないか。冒険者がSランクになる条件を」
「あ……」
グリムガルデに言われてソラはようやく記憶の隅からその情報を引っ張り出すことが出来た。神々が住むと言われている、この世界で最も神聖な領域。
それがオリンポス山であり、Aランクの冒険者がSランクに昇格するためのクエストが行われる場所でもある。
ソラはその場面に立ち会ったことはないが、アキトはそのクエストをクリアしてSランクになった。
なるほど、とソラは理解した。その場所を知っていたアキトだからこそ、オリンポス山を目指し、そこから『天を超えた領域』に至った。ソラでは思い当たらないのも無理はない。
「一年に一回って、ギルドの審査が厳しいんですか?」
ソラは別にSランクになるつもりはない。ゆくゆくは成れればいい――とは考えているが、焦ってはいない。それよりもアキトが圧倒的に優先である。
だがグリムガルデもリオンフェルークも首を横に振る。
ギルドの審査が厳しいわけではないようだ。
「オリンポス山の海域は、一年のある一週間を除いて非常に大きな渦潮に阻まれている。上空の天候は常に荒れていて、我たちですら近づくのは難しい」
「だからこそ私もその時期を待っていたのだが――」
「……どうしても、無理なんですか?」
「あの海域は、竜王様だけではなくアダムとイブの世界に繋がる場所でもある。故に世界そのものが侵攻を阻んでいる」
「わぅ……」
リオンフェルークの口ぶりから、その時期はまだまだ時間が掛かることが窺える。
それでは駄目なのだ。それではアキトに会えない。目の前にまで来たというのに、ここまで来て諦めるしかないのだろうか。
いや、諦めてはいけない。こうして二人に協力して貰えるのに、ソラが諦めてしまってはそれこそ失礼だ。
なにか手はないか。例えば、創造魔法で強引に海を裂くとか――。
「話は聞かせて貰ったよ!」
「ローラ、さん?」
廊下で話を聞いていたのだろうか、ローラが扉を叩きつけるように開ける。ズカズカとグリムガルデとリオンフェルークの間に割り込んだローラは、ニカ、と歯を見せながら笑った。
「オリンポス山への道中は、アタシたちアルクォーツに任せな! しっかりとソラをオリンポス山――アキトのところに連れてってやるよ!」
無茶苦茶な言葉であることは、ソラでもわかる。でもローラの言葉に嘘は何一つない。
心の底から、まだ荒れ狂う海を越えて、オリンポス山へ向けて船を出すと。
ローラは確かに、そう言った。
ならばソラは、返す言葉は決まっている。
「お願いします。迫り来る障害は全部、ボクが守りますから!」




