零[ゼロ]を超えた先。
金色に輝くグリムガルデ。何が起きたかを理解する間もなく、グリムガルデはリオンフェルーク目掛けて突進する。
「何故翼が戻ったかはわからんが、私の敵ではぁ――!?」
「撃爪よっ!」
振り下ろされたグリムガルデの爪が、リオンフェルークの錫杖を両断した。リオンフェルークは咄嗟に身を翻し、身体を回転させた勢いを利用してグリムガルデへ掌底を放つ。
掌底をグリムガルデは受け止めると、受け止めた左腕がまるでガラスのように砕け散った。
が。
驚愕と苦痛に表情を歪めるリオンフェルーク。
砕けたはずの左腕は砕けて折らず、その爪先がリオンフェルークの右肩を貫いたのだ。
「烈爪ッ!」
迫るグリムガルデの右爪を、リオンフェルークは膝を当てて弾く。
ガラスのように砕ける右腕――しかし右腕はいつの間にかそこに在り、リオンフェルークの膝を掴んだ。
「なんだ、何が起きている!?」
「これが、我が竜王様から頂いたもう一つの権能。脅威の見定めのために、死すら乗り越える肉体強化――かつて、竜王様がウロボロス様を討った力ァッ!」
「誇りを捨てたか、グリムガルデぇっ! ウロボロス様を討った力だと。そんなものを、貴様が使うのかっ!」
自己強化・零式。
アキトが残した手記にも記載されていた、アキトが作り上げた自己強化の魔法の最上位。その内容まではソラも知らなかった。
アキトの妻であるアイナも、妹であるコハクも教えてくれなかった、アキトの奥の手であるその魔法は、ソラの予想を超えるものだった。
「肉体の再生。違う、あれはもう再構築だ。でも、でもそんなことが――」
腕が飛ぼうとも、足が飛ぼうとも、頭が吹き飛ぼうとも、心臓を失おうとも。
それらはまるで傷を受けた形跡などなかったかのように、そこに在る。
一瞬のうちに復元される。
それも、壊される前よりも強化されて。
アキト・アカツキがたどり着いた人を超える領域は、確かに人のままだ。
壊れた場所を直す。より固く、より強く。人の身体は、都合良くそう出来ていた。
アキトはそれを、後押ししただけだ。
人は限界を超えれば、肉体が保たない。
だから、保たない肉体をとにかく修理する。癒すという領域の話ではない。
発動した際に定義される自らの肉体の情報を元に、完全に肉体を復元する。
それはもはや強化とは言えない。強化は肉体の自然な反応によってのみ行われる。
これは人の成長を利用している。その成長の限界を無視している。
その結果、何が起こる?
常人であれば、繰り返される激痛にのたうち回り、いつしか心を失うだろう。
アキト・アカツキは乗り越えた。死ではなく、己を失うことに恐怖した彼は、愛する人に支えられ、その恐怖を克服した。
では、グリムガルデは。
彼はもとより人を超えた半人半竜の存在だ。痛みよりも恐怖よりも、優先すべきことがある。
それは誇りだ。竜王の眷属として、脅威を見定める者としての、己が役目に従属する覚悟だ。彼は自身の役目に、崇高な使命感を抱いている。
そこに痛みや恐怖は感じない。その果てに死ぬことに、彼は躊躇わない。
だからこそアキトは、彼にその力を託したのかもしれない。
死をいとわない彼だからこそ、命を大事にして欲しくて。
「何故だ。何故だ。何故だ。何故貴様は竜王から与えられている! 私には言葉すらなかったというのに。何故だぁっ!?」
「貴様は待つことしかしなかったから、だろうが!」
「ぐっ……!」
十年前――アキトが竜王に『されてしまい』、旅の果てにたどり着いた『天を超えた領域』。
アキトはそこから十年もの間、移動していない。竜王としての務めなど、人で在りたい彼にとって背負うわけもなかった。
リオンフェルークは、それでも待ち続けた。いつかその崇高な責務の素晴らしさを理解し、竜王として生きてくれると。
グリムガルデは、そうではなかった。数ある眷属の中で彼はすぐにアキトに会いに行ったのだ。
『天を超えた領域』でアキトと語り合い、彼が、竜王に相応しくない人間で在ることを認めていた。アキトの選択をグリムガルデは肯定した。
アキトが竜王の座を退くまでの間も、自らは使命に忠実に生きるだけと告げた。
グリムガルデの強い決意を前に、アキトは謝罪の言葉と共に零式の力を託した。
「アキト様は――アキト・アカツキは所詮人間よ。あの御方には生きるべき世界がある。我らが世界に巻き込んではならない。だからこそ、だからこそだ。我々眷属は、真なる竜王様を待つためにも、この世界を守らねばならんのだ!」
圧倒的な力を得たリオンフェルークの攻撃も、自己強化・零式の前には無意味とかす。攻撃すればするだけグリムガルデの肉体は強化され、肉薄を許し、傷を負う結果に繋がるだけだ。
「アキト様を認めない気持ちなどわかっていたわ。だがな、見極めようとすらしない貴様にはほどほど愛想を尽かすわッ!」
「グリムガルデェェェェェェェ!」
「リオンフェルゥゥゥゥゥクッ!」
もし、リオンフェルークがアキトのことをきちんと理解して、なおも同じ答えにたどり着いたのであれば――グリムガルデは、ここまで彼へ憎悪を抱かなかっただろう。
だが――とグリムガルデは心の中で毒づいた。
(お前も出会ってしまえば、惹かれるだろう。あの御方は、そんな人だった)
砕ければ再構築される両爪が、リオンフェルークを貫く――
――はずだった。
「クロノス、ボクに二人を止めさせてください……!」
爪は砕けようとも、目的を果たす。その爪は確かに肉を貫いた。
どうして彼女が目の前にいるのか、グリムガルデは理解出来なかった。
どうして彼女が庇ったのか、リオンフェルークには理解出来なかった。
ソラは、時間を止めて二人の間に割り込んだ。
“どうして”
二人を、失いたくなかったから。ソラにとって最初から決めていたこと。
アキトにたどり着くために、二人に協力して貰いたいから。
だから身体は勝手に動いた。口は勝手にクロノスの名を紡いだ。
時間が静止した世界の中をソラは駆け抜け、リオンフェルークの前に立った。
時間を静止し、ソラにのみその世界での行動を許すクロノスは、ソラが生み出した魔法の中で最も強力だ。その力があれば、どんなことも可能であろう。
強い敵を倒すことも、膨大な時間が掛かる研究も、悪用すれば盗みも何もかも出来るだろう。
だからソラは、クロノスに制限を設けた。
一つは制限時間。クロノスは最大でも、一分も保たない。
そしてもう一つは、クロノスの中では魔法が使えない。
それはソラの創造魔法であっても。
二つの制約を持って、ソラはクロノスを完成させた。
だから。
クロノスが解除される。
眼前に迫るグリムガルデの爪。
『プロテクション』
そう呟くだけで間に合う。
いつも通りだ。いつもそうして、ソラは身を守ってきた。
だがそれは、常にソラに余裕があったからだ。
そう呟く時間の余裕があったからだ。
だから、そう。
呟く時間すらなければ、間に合わない。
「わ、ぅ――……」
グリムガルデの爪は、ソラを貫いた――。
急速に遠ざかっていく意識。生まれて初めて経験する、死を伴う激痛。
ヒールの言葉すら口に出せないまま、ソラは意識を手放してしまった。




