激昂、リオンフェルーク
不可思議な空間だった。重力の感覚はなく、中空にソラもグリムガルデも浮かんでいる。
上下の感覚すら忘れてしまいそうな空間で、ファフニール――リオンフェルークは、ソラを睨むように見つめていた。
「な、なんですか」
「貴様は……」
「退け、ソラ・アカツキ」
「わぅ!?」
力任せにグリムガルデがソラを引っ張り後ろへ投げ捨てる。空中でくるくると上下に回転したソラは、手足を振り回して必死に体勢を整える。
「アカツキ……だと?」
「その通り。あのガキは――竜王様のご息女よ」
「アカツキ。ああ、そうか。竜王の命で私を討ちに来たか!? 娘であれば私を殺せるとでも!?」
「ぬかせ。あのガキは関係ない。竜王様の命もない。我が我の意志で、貴様を殺しにきた。――それだけよ」
力を込めて翼を広げ、グリムガルデは両手に二振りの刃を握って飛翔する。
描く軌跡は生物の動きではない。多角的な軌道はグリムガルデの全身に多大な負荷を掛けながら、針を縫うように空を駆ける。
一瞬の刹那の際にグリムガルデはリオンフェルークに肉薄する。其処はファフニールの頭部にして弱点である。二つの刃を振り下ろすと同時に、せり上がったファフニールの頭皮が刃を受け止めた。
「っぐ……」
「無駄だ。今の私はファフニールと一心同体。いや――ファフニールは我が手足も同然よ!」
ファフニールの眼光に光が灯り、大口を開けて頭を振り回す。どこからともなく錫杖を取り出したリオンフェルークは、錫杖を振るい繰り出されるグリムガルデの攻撃を全て弾いてみせる。
「見える。見える。見えるぞグリムガルデ! 貴様の行動が、貴様の狙いが、私の勝利が見えるぞ!」
「ふざけたことを言う。ファフニールの尊厳を奪い、眷属としての誇りを捨てた貴様に我が負けるかぁっ!」
刃を放り投げたグリムガルデは錫杖に拳をぶつける。錫杖に罅が入ると同時に、リオンフェルークは錫杖を投げ捨て身を反らした。ファフニールが大口を開けてグリムガルデへ火炎を吐き出し、グリムガルデは翼を翻して火炎の全てを振り払った。
「っく……!」
「どうした? 私を殺すのではなかったのか!?」
ファフニールを自由自在に操るリオンフェルークは、身動きが取れなくてもグリムガルデを圧倒していた。錫杖が壊れてもファフニールの身体から新たな錫杖を造り出し、グリムガルデの猛攻をいとも容易く受け流す。
「素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい! 世界を見通す『翼』の権能と、世界を支える柱たる古龍の力! その二つの力が合わさった私こそ、次の竜王に相応しい!」
「戯れ言をやめろ。貴様が竜王を語るなッ!」
グリムガルデが放つ五つの炎の弾を、ファフニールが食らい尽くす。舌打ちと共にグリムガルデは再び宙を駆け抜け、ファフニールの死角に潜り込もうと高速で移動する。
両者の戦いを、ソラは見ていることしか出来なかった。ソラを圧倒する実力者であるグリムガルデで崩せないリオンフェルーク・ファフニールを前にして、思わず立ちすくんでしまう。
そんな中でソラの思考を占めるのはリオンフェルークの言葉だった。
『次の竜王』――リオンフェルークは確かにそう言った。竜王、という存在がどういった形で次世代に継がれていくかはわからないが、それがアキトに害となることだけは理解出来ている。
グリムガルデの目線が、ソラとぶつかった。だが言葉を交わす間もなく、グリムガルデは空間を飛翔する。
その瞳に何の意味が込められているのかは、わからない。
でも、いつまでもそこに立ちすくんでいるな、と叱咤されているような感覚だった。
「エアロウイング、ボクに空を駆ける力を」
言葉を紡ぎ、魔法を発動させる。ソラの背に浮かび上がる一対の羽。羽毛のような羽は、まるで天使を彷彿とさせる魔法の羽だ。
グリムガルデを追うように、ソラも空間を飛翔する。グリムガルデのように直線的な動きは出来ないものの、暴れ狂う両者の激闘を躱すように舞うくらいはソラにも出来る。
「グリムガルデ、さん!」
「邪魔をしにきたか!」
「違います! リオンフェルークさんの、次の竜王ってのはどういうことですか!?」
ソラが一番初めに知りたがったのは、そこだった。リオンフェルークの目的はわかっても、手段がわからなければソラはどう動けばいいかも判断出来ない。だからこそ、ソラが頼めば教えてくれるグリムガルデに問いかける。
苛立ちを隠すことなく、怒気の混じった声でグリムガルデが叫ぶ。
「竜王の世代交代はそのままの意味よ。今の竜王を討った者が次の竜王となる。かつてのウロボロス様を討った、今の竜王様のように!」
「そうとも! 故に私は、この力で今の竜王――我らが主君ウロボロス様を殺した大罪人、アキト・アカツキを殺す!」
リオンフェルークが二人の会話に割り込み、目的を語る。
「十年前、ウロボロス様はアキト・アカツキに殺された。世界を観測するだけであった我らが主が、何故、殺されなければならなかった!? アキト・アカツキは、己が力を見せつけるためだけのウロボロス様を利用し、殺したのだ!」
「ちが、う! 違います! お父さんは決して、自分の名声のために誰かを犠牲になんてしません!」
繰り出されるファフニールの火炎をかわしながらソラは叫ぶ。リオンフェルークは血の涙を流しながら、ソラの言葉を否定するように吼える。
「何が違う!!! ウロボロス様は死んだ。アキト・アカツキはその地位を継いだというのに、竜王たる責務を放棄している! 竜王の意志を、神の意志を全て無視している! 十年だ。十年もの間、我ら眷属は主がいない時を過ごしているのだぞ!」
「う、うぅ……!」
おそらくリオンフェルークも、先代の竜王・ウロボロスが討たれ、アキトが竜王となった際には受け入れようとしたのだろう。自分は竜王の眷属だから、竜王が変わろうとその誇りある責務を全うしようと。
けれど十年間、アキトからの使命はなにも来なかった。世界で目覚める古龍と、戦いに駆り出される冒険者たち。観測者たる竜王を失った世界は、次第にバランスを見失っていく。
「世界の脅威を観測し、見定めることこそ竜王様率いる我らが使命! 世界を守護することこそ我らが本懐! だというのに、アキト・アカツキはなにもしなかった!」
リオンフェルークの激昂が空間に木霊する。
「だからこそ、私がなる。アキト・アカツキが竜王たる責務を放棄するのであれば、私が竜王となりウロボロス様の意志を継ぐ。世界を観測し、守護する砦となる! それのどこに間違いがある!」
「――貴様如きでは、竜王に相応しくない、我はそう言っているだけよ」
静かに、グリムガルデが告げた。だがその言葉は文字通りリオンフェルークの逆鱗に触れることとなる。
「――融生・古龍」
ファフニールの身体が萎んでいく。ファフニールの全てがリオンフェルークに取り込まれていく。小さな人間の体躯に、巨大な古龍の身体が飲み込まれていく。その全てが溶け込んでいく。
ファフニールの全てを飲み込んで、リオンフェルークは空間に降り立った。
その背には巨大な翼を広げ、その手には漆黒の錫杖を握りしめて。
「相応しくないだと? ならばグリムガルデ、ソラ・アカツキ。貴様らを殺してその首をアキト・アカツキへの宣戦布告として使わせて貰おう。力だ。力こそ全てなのだ。竜王とは、何よりも圧倒的な力を持つ者が到達する神の座よ!」
リオンフェルークの咆哮が、空間を震わせた――。




