アカツキの真実
外から見た宮殿は、ソラの想像以上に破壊されていた。朝夕を問わず修繕作業に勤しむ人たちに声を掛けながら、ソラは宮殿の奥にあるグラシアの私室を目指した。
廊下の天井に吊されていたリヴァイアサンの遺骸はもう、ない。
グリムガルデの手によってどこかに消えてしまった。
廊下で作業をしている者たちから、リヴァイアサンの呪いだ、という声もちらほら聞こえてくる。ソラはその時聖堂教国にいなかったから知る由もないのだが、リヴァイアサンが運ばれてきた当時の騒ぎはそれほどだったのだ。
津波を引き起こすと言われている古龍が討たれたのだ。何かしらの災いが起こるのではないかと思われても仕方がない。
グリムガルデと戦った廊下がやはり一番被害が激しい。陥没した廊下、破壊された壁。夕焼けが見えてしまう天井。あらゆる破壊の痕跡が残された廊下を一直線に進む。
グラシアの私室はすぐに見えた。昼間、アカツキに連れてこられた時となんら変わっていない。ここが被害を免れたのは幸いだろう。
「失礼します」
ノックをすると中から「どうぞ」と返事が来る。恐る恐るソラはドアを開けると、部屋の中にはベッドに寝かされたアカツキとその隣で見守るグラシアの姿があった。
「ごめんなさいねソラちゃん。アカツキ、今ようやく眠ったところなの」
「アカツキは……大丈夫なんですか?」
「……それを話さなくちゃいけないと、思いまして」
優しい微笑みでアカツキの頭を撫でると、グラシアは椅子に座り、対面するようにソラにも促した。促されるままに椅子に座ったソラを見て、グラシアは何を言うまでもなく頭を下げた。
ふと視界の端に見えたアカツキの腕は、繋がっていた。
「あの子は……アカツキは、アキト様の血を元に作った人形です」
「お父さんの……」
何かしら繋がりはあるとは考えていた。
だがアカツキが人形だったこと。
そして父・アキトが母・アイナを裏切るわけがないと信じているソラにとって、その答えは予想外だった。
「十年近く前、この国が滅亡の危機に陥り、アキト様に救われたことは知ってますよね?」
「はい。ユーグレナさんに聞きました」
グラシアの語る過去は、すでにソラが聞き知った過去だ。十年前、先代教皇・ベルファスト三世が何を考え、血迷って行った邪神降臨の儀式。
そのために犠牲にされた人々。降臨した邪神によって滅びそうになった教国。
誰もが絶望し、邪神に挑んだ冒険者たちはことごとく散っていった。
そんな中ふらりと教国を訪れたアキト。冒険者たちよりも優れた力を持つとされる教皇ならば、なにかの手掛かりを掴めるのではないかと訪れた。
苦しむ人々を、アキトは救った。暴れようとする邪神を一撃で切り伏せ、その脅威を排除した。
「私はアキト様を見て、一目で心を奪われました。そして同時に――この国を守ってくれる、英雄を求めました」
復興作業に追われる中で、アキトは英雄として歓迎された。グラシアはすでにベルファスト四世として戴冠しており、彼女が代表として宮殿にアキトを招いたのだ。
邪神によって擦り切れた心に、アキトの存在はあまりにも眩しかった。
この人が欲しいと、生涯を独り身で過ごすと決めていたグラシアの決意を揺るがしたほどだった。
この力があれば、この国は永遠に栄えることが出来ると。この国のために全てを捧げてきたグラシアを惑わせるほどだった。
酒を浴びるほど飲ませ、意識を低迷させ、既成事実を済ませて追い詰めてしまおうとすら考えたほどだ。
だがそれら全ての考えは、アキトの言葉によって消えてしまった。
『俺は愛する人のために、この呪いを解く旅をしている』
『決して普通の方法では解呪出来ないこれは、俺を人ではない存在にしてしまった』
『だから俺は、人に戻りたい』
人ではない、というアキトの言葉にグラシアは気付いてしまったのだ。
邪神を一撃で滅ぼした力。その時に感じた、これまでに感じたのことのない恐怖。
アキトは自分自身を、竜王だと語った。
竜王。
それは古龍たちの王である。
この世界を創った神によって生まれ落ちた、三体の神の一柱である。
世界を観測し、脅威を排除するための監視者である。
『皮肉だよな。人に戻ることを望んだ俺が、竜王の力で国を救ったんだから』
寂しげに、苦しげに呟くアキトの姿をグラシアは忘れることが出来ない。
同時に、自分ではアキトを支えることなど出来やしないと痛感してしまった。それほどまでに、アキトが背負っているモノは大きすぎた。
家族の話をした。大切な妻と、大事な娘の話を。その話をする時だけ、アキトは少年のように笑顔で語るのだ。
ほどなくしてアキトは聖堂教国を離れる。この国で己の目的を達成できない以上、長居をする理由がないからだ。
去り際にグラシアはアキトに頼み込んだのだ。
アキトに英雄としてこの国を頼むのは無理だとわかっている。
だから、せめて思い出として――アキトの血が欲しいと。
教皇が持つことを許されている祭礼用の短剣に、アキトは自分の血を残した。
苦しんでいる人たちを見捨てるのが堪えたのだろう。グラシアは返却された短剣を抱きしめたまま、アキトを見送った。
英雄を、この国を未来永劫守る力を欲したグラシアは歪んだ形でその望みを叶えてしまう。
それは、残されたアキトの血を使って、その力を宿した新たな英雄を作ること。
子を作ることは叶わなかった。だからせめてとばかりに、子供の人形を作ることにした。
年齢や体躯は関係なかった。英雄となる力があればそれで十分だと。
人形を作る工程の中でアキトの血液を混ぜ、研究を重ね開発した魔法によって人形は完成する。
都合九年を掛けて完成された魔法。ミミのような精巧に作られた人形よりもさらに人に近い、踏み込んではならないと言われている領域。
練り込まれた血はアキトの血であるが、アキトの血ではない。それは神の血なのだ。竜王の血なのだ。
その影響によって、作られた人形の髪と瞳は完全を主張する金へと変化した。
英雄の名をもらい、アカツキと名付けた。
「そうして、アカツキは生まれました。英雄の力を宿した存在として。新しい英雄として」
己の罪を懺悔するようなグラシアの言葉に、ソラはどう声を掛ければいいかわからなかった。沈黙が二人を支配する。考えて、考えて、ソラは頭に浮かんだ言葉を口にする。
「じゃあボクは、アカツキのお姉ちゃんみたいなものですね!」
その言葉にグラシアは思わず笑い出す。寝ているアカツキに配慮して声は抑えているが、暗い雰囲気くらいは吹き飛ばせたようだ。
「ありがとう、ソラちゃん」
頭を撫でてくるグラシアの優しさは、ソラを気遣ってのものだろう。寂しそうに目を伏せたソラに、グラシアが口を開いた。
「じゃあ次は、ソラちゃんの話をしましょう。アキト様の、手掛かりを」




