幻想からの言伝
「ベルファストの名に誓う! 祖は汝を拒絶する!」
「――む?」
左腕を失ったアカツキを仕留めようと振り返ったグリムガルデの全身を廊下、壁、天井から伸びた光の帯が拘束する。それは強力な力でグリムガルデを封じ込める。
だが、グリムガルデに焦った様子は見られない。平然とした表情で、拘束を振り払わんと全身に力を込めている。
「っ……。歴代教皇が魔力を注ぎ続けた封鎖結界をものともしないとは、恐ろしいですね」
「教皇か」
アカツキとソラを守るように、グラシアが姿を現す。手にしたロッドを振うと、さらに光の帯が出現しグリムガルデを拘束する。
けれどもグラシアも額に汗を掻いていた。
封鎖結界・ベルファスト・ケージ。
聖堂教国を導いてきた教皇たちが心血を注ぎ込み、襲撃に備えて用意されていた極めて強力な結界である。並大抵の人間――少なくとも、Sランクの冒険者であろうと封じ込める結界だ。
だがその結界を前にしてもグリムガルデはアカツキを睨め付けている。
失った左腕を一瞥すると、アカツキもまたグリムガルデをにらみ返す。
奪うようにソラから借りたエクスカリバーを正面で構えるアカツキを、グラシアが手で制する。
「アカツキ、早く逃げなさい」
「な、なんで!」
「この男は……あまりにも強すぎるわ。このベルファスト・ケージが破られようとしているの!」
「だから、動けない今のうちに止めを!」
「……今のあなたじゃ、まだ無理よ」
「どうして!?」
アカツキの噛み付くような問いにグラシアは寂しそうに目を伏せた。
ゆっくりと開かれた双眸は、悲しげにグリムガルデを見据える。
「……グリムガルデ、と名乗りましたね?」
「それがどうした、教皇」
「竜王は、現れないのですか?」
「貴様には関係のないことだ」
静かな問いを、グリムガルデは否定する。だがその言葉で確信を持ったのか、グラシアは口角をつり上げる。その含みのある笑みに、グリムガルデに青筋が浮かぶ。
ベルファスト・ケージの拘束を破壊せんと全身に力を込める。だがそれでもまだベルファスト・ケージはかろうじてグリムガルデを抑え込む。
「本来、古龍が討たれればそこには竜王が現れる伝承があります。でも、あなたが現れた。竜王ではない、竜王の爪と名乗るあなたが。その真実が、私に確信を抱かせてくれます」
「なにを……!」
「アキト様は、何処にいますか」
その問いかけに、グリムガルデは口を閉ざした。まるで言うわけにはいかない、とばかりに苦々しい表情をして。フッ、とグラシアは微笑む。
だがそこで限界が訪れた。糸が切れたように片膝を突くグラシアと、力任せにベルファスト・ケージを引きちぎるグリムガルデ。
「お父さんの居場所を、知っているの……!?」
「ええ。グリムガルデならば知っているはずです。だからソラちゃん!」
「は、はい!」
「彼を逃がすわけにはいきません! 協力をしてください!」
「わかりました!」
「ママ、オレも!」
「……わかったわ。でも、絶対に無理はしないで!」
「うん!」
ぱあ、とアカツキの表情が明るくなる。ソラのエクスカリバーをまるで自分の一部だと言わんばかりに取り回し、体勢を低く構えたグリムガルデに切っ先を向ける。
「マジカル・コンダクター――バスターソード・デュオ!」
ソラが魔法名を叫ぶと同時に、ソラの両手に魔力で作られた剣が握られる。ソラは二振りの剣を中空に放り投げると同時に、グリムガルデを指差す。
「付与魔法・フレイム/サンダー、シュート!」
ソラの言葉と共に二振りの剣がグリムガルデを狙って宙を駆ける。グリムガルデは迫る剣を羽で薙ぎ払う。
するとそこには、アカツキが目と鼻の距離まで肉薄していた。
アカツキはエクスカリバーの切っ先を、胸目掛けて突き刺す。
「その程、度!?」
振り払おうとしたグリムガルデの全身を再びベルファスト・ケージが拘束する。
一瞬の攻防。刹那の隙を、アカツキは見逃さない。
エクスカリバーの切っ先が、グリムガルデの胸を穿つ。
はずだった。
「――え?」
アカツキの間の抜けた声が、聞こえた。
倒れ込むようにグリムガルデに突貫したアカツキの身体が、グリムガルデを通り抜け、転倒した。
同時にベルファスト・ケージが引き裂かれる。意識を切り替えたソラが振り払われたバスターソード・デュオを再びグリムガルデに向けて放つ、が。
「ガァァァァァァ!」
咆哮が大気を、大地を震わせる。発生した衝撃波が放たれたバスターソード・デュオを弾き飛ばし、グリムガルデはそのまま、ソラ目掛けて突進した。
「っ!?」
突き出される拳はソラを狙っている。間に合わない、とソラは気付いてしまう。
感じてしまった死の恐怖に目を閉じて頭を抱えしゃがみ込む。
だが、暗闇の視界の中でいくら待とうとも、グリムガルデの拳はソラを貫かなかった。
恐る恐る目を開くソラ。目の前にはグリムガルデの金の髪が見えるだけ。頬が重なるほどの距離で、グリムガルデは。
「――あなたのお父様は、天を超えた領域におります」
「え?」
「主からの、伝言です」
壁に埋もれた拳を引き抜いたグリムガルデが、手に付いた瓦礫を払う。
「時間が来た。覚えていろ、ベルファスト。そして、小僧。古龍を討つ者は、我らが討つ。それが主の意思にそぐわなくても、竜を討つ者を、我らは許さない」
グリムガルデの身体が薄れていく。さきほどどこかへと消えたリヴァイアサンの様に。
「逃げるのか!」と叫ぶアカツキの言葉を無視し、グリムガルデはグラシアを睨む。
言葉を発さずに、次にアカツキを睨む。そしてソラへと振り返り、優しげな笑みを浮かべた。
「さらばだ。英雄の模造品よ。貴様は英雄にはなれない。我に傷一つ付けられない貴様は、せいぜいまぐれで古龍を討つことが出来ただけだ――」
グリムガルデが消えていく。アカツキは彼の言葉を否定する為に立ち上がり、エクスカリバーを振り下ろそうとして。
だがそれも叶わず。アカツキがエクスカリバーを振り上げた刹那、グリムガルデは姿を消した。残されたのは、静寂だけ。
「……くそ、くそ、くそ、くそ!」
悔しそうに地団駄を踏むアカツキ。目に涙を溜めながら、鼻水を啜り何度も地面を踏む。
疲れた表情を浮かべるグラシアはすぐに表情を引き締めて号令を発する。脅威は去ったと。宮殿の修繕を急げと。声を張り上げたグラシアの一喝が宮殿に響き、逃げていた人々が怒濤の如く押し寄せてくる。
廊下が人でごった返す中、ソラは暗い表情のまま立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
思考に靄がかかったように、考えが纏まらない。消えたグリムガルデの言葉が、呪いのようにソラの中でぐるぐる渦を巻いていた。
「……わぅー」
ソラの小さな鳴き声は、人々の喧噪の中に消えていった。




