表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/41

肆之余:藤十郎京畿を行く(中)〜雑賀の勇者〜

次話の投稿まで随分長く間が開いて申し訳ありません。実は1回盆前に投稿しようとしたのですが操作ミスで消えました。(笑)その後もう一度書き直した物です。宜しければ是非読んで頂ければ幸いです。因みに書いていたら4話と同時間だったので《肆之余》とカウントしてます。分かりにくくてすみません。

 冬の最中にも拘らず、北側に山脈を仰ぎ見ながら大河が滔々と流れている。

 大和と伊勢の国境に有り、有数の多雨地帯で或る《大台ヶ原》に源を発し、かつて後醍醐帝が京を逃れて南朝を置いた《吉野》を流れた川は、紀伊国に入ると国の名を冠して《紀ノ川》と呼ばれている。

 紀伊に入ると和泉山脈の南側を西進して和歌浦に注ぐ此の大河は、豊潤な平野を形作り人々に豊かな実りを与えて来た。

 しかし其の一方で、紀ノ川は暴れ川としても知られていた。有史以来幾度も氾濫を繰り返しており、河口の近い最下流部では農業に適さない湿地等に覆われていたのだ。

 其れ故に、人々は活動の軸を海に…太平洋の大海原へと漕ぎ出して行った。

 或る者は船団を組んで鯨を追い求める漁師になり、また或る者は大海原を越えて商いを繰り広げていく。

 そして何よりも、己の腕のみを頼りに他国の戦に乗り込んで足軽として雇われる者や海賊として海の戦場に向かう者を多く送り出していた。

 そして1つの武器…《種子島》との異名を持った火縄銃が、紀伊の人々の活動を活発化させる契機に為る。


 此処で、既に一度記しているが今一度、日本の鉄砲の歴史を簡単に説明しておきたい。

 天文12年(1543年)8月25日、此の時期特有の台風に流されて、大隅種子島の南端に船客100名余りを乗せた明国の大船が漂着した。

 其の船に同乗していたポルトガル商人のフランシスコ・ゼイモトとアントニオ・ダ・モタは、島の領主である種子島時尭に面会する。

 時尭は《稀世の珍宝》と称して2挺の鋼製の火縄銃を購入、刀鍛冶師の八板金兵衛清定に銃の複製を、家臣の篠川小四郎に火薬調合法の習得を命じた。

 清定は螺子ねじの作り方が分からなかったが、翌天文13年に再訪したポルトガル人に構造を聞き出し、数十挺の複製に成功した。

 因みに此の時点迄には、日本には《倭冦》を通して明国製の青銅製の小銃が伝わっていたらしい。しかし製造方法が鋳造式であり、弾薬も輸入品のみで高価だった為に、戦場にも使用されていなかった。

 つまり此の複製が日本初の鋼製の火縄銃生産となり、種子島は《鉄砲生産地》及び《硝石等の貿易中継地》として繁栄していく。

 清定が複製に成功した天文13年(1544年)、2人の男が清定を訪ねてきた。

 1人は堺の貿易商の橘屋又三郎。彼は清定に弟子入りして1年の修行で鉄砲の製作を覚え、堺初の火縄銃を作り上げた人物である。

 そしてもう1人が紀伊那賀郡の根来小倉荘領主を務める津田監物丞算長である。

 算長は種子島時尭と面会し、そのやり取りの中で最新兵器である火縄銃、それもポルトガル人から購入した2挺の内の1挺を紀伊に持ち帰る事に成功した。


 因みに時尭は余程寛容な人物だったのか、初期の種子島銃を将軍・足利義晴に献上した他、島に訪ねてきた鍛冶師達に鉄砲の製造法を公開していく。時尭の度量の大きさが鉄砲を日本中に広げたのだ。


 紀伊に鉄砲を持ち帰った算長は、其の複製を根来西坂本の刀鍛冶である芝辻清右衛門妙西に依頼した。

 前に居た堺に於いて明国製の鉄砲に触れていた妙西は、見事に期待に応えて種子島銃の複製に成功した。

 因みに此の妙西の銃が、本州で初めて生産された火縄銃第1号と為るのだ。


 後に妙西は堺の町に再移住して《芝辻鍛冶場》を開き鉄砲の製造を開始している。

 また橘屋又三郎も種子島から戻って、鉄砲生産に乗り出す。又三郎は《鉄砲又》の異名を呼ばれる程の鉄砲の生産を行い販路を拡大していった。そして《納屋》の新店主に収まった今井彦右衛門兼員(後の宗久)等も鉄砲や硝石の取引業に乗り出す。

 彼等の努力に因って、堺は日本最大の鉄砲生産地、そして其の取引地に成長していく。


 一方、妙西の協力も有って鉄砲の製作に成功した津田監物丞算長は、先ずは実弟で根来寺の子院《杉之坊》を率いる津田明算に命じて、根来寺の僧兵集団である《行人方》の鉄砲の武装化を進めた。

 また、自ら鉄砲の射撃術・運用術・火薬調合法等を研究して此れを極めて《津田流火術》を創設する。

 其の後、根来寺泉識坊の門主を送り出していた雑賀荘本郷の土橋氏を通して、紀ノ川下流域の地域連合体《雑賀衆》に鉄砲が伝わり大量生産が開始される。

 此等の地に於いて昔から盛んだった鉄製品の加工技術を生かして、伝来した火縄銃に自ら改良を重ねた。更には其の技術力の高さにより、大型の鉄砲や《焙烙火矢》や《抱え大筒》といった兵器を製造していった。

 《雑賀衆》、及び後に《根来衆》と呼ばれる様に為った根来寺行人方は、其の大量に保有した鉄砲や兵器に因って、夫々(それぞれ)が日本有数の《火力傭兵集団》に成長していった。

 また、雑賀荘の海沿いに位置する雑賀本郷と其の北側の十ヶ郷の2郷は紀伊最強と噂された《雑賀海賊衆》を組織し、東は安房から西は土佐や薩摩、更には南の琉球に交易の足を伸ばしていったのだ。


 そんな雑賀荘を南北に分断するかの如く、紀ノ川は紀伊北部をほぼ真直ぐ西に向けて流れている。

 そんな紀ノ川の水面をゆっくりと下って行く1艘の川船が有った。


 時は永禄12年(1569年)11月初めの事である。


 船頭が慣れた手付でかいを漕ぐ中、船の真中に座る若い武士が同伴する2人の従者の内、年嵩の方に話し掛ける。

「段蔵殿、確か此の川を下り切ると雑賀荘だったな?」


 そう質問した武士は、此の一行を率いている甲斐武田家の家臣、土屋藤十郎長安である。

 彼は武田家陣代・武田左京大夫勝頼の密命を帯びて、此の6月から畿内方面に派遣されているのだ。

 彼等一行は京・堺で任務を遂行した後、堺の豪商《薩摩屋》の山上宗二のつてで買い付けた鉄砲・硝石・水銀等の品々と共に、父の配下の猿楽師や己の配下の者の大部分を甲斐に帰還させた。

 そして、主従3人のみと為って堺を出発した後は河内・大和と回り、紀ノ川を川船で下って河口付近に広がる雑賀荘を目指していた。

 宗二の取引先でもある雑賀衆が、大量に保有している鉄砲を買い付ける為である。


「うむ、しかしながら雑賀荘の城は、和歌浦の雑賀崎に築かれておる。或る程度河口に近付いたら、左岸…つまり南岸に揚がって歩く事に為るぞ」


 長安にそう応じた初老に見える男の名は加当段蔵。勝頼によって長安の護衛を兼ねて付けられた老忍者だ。

 しかし、実は当年67歳にも拘らず当代随一の技量を誇り《飛び加当》の異名で呼ばれる凄腕の忍者である。

 武田信玄や越後の上杉輝虎さえも一目置いていた《生ける伝説》とも言える存在であった。


「ふむ、ならば今少し掛かるか…。堺を出立致して1ヵ月、随分と時を費やしてしまったな」

「遠回り迄して高野山に登らねば、10月の内には雑賀に着いておっただろうに…」

 そう言って嘆息する段蔵に、長安は肩を竦めながら反論する。

「致し方有るまい。武田家の家臣が畿内に赴いたら必ず成慶院と持明院に立ち寄る仕来しきたりだからな」


 甲斐武田家と真言衆の総本山である高野山金剛峯寺とは父祖の代からの関係が続いていた。

 山中にある子院・成慶院及び小坂坊伝導院(持明院)の間とは、代々師檀関係や宿坊契約を結び、2院からは常時甲斐に使僧が派遣されていた。

 武田家は彼等に領国内通行の手形や過書等を発給していた他、祈祷の依頼や武田家臣達の参拝が行われていた。

(此の事は別に珍しい事では無い。特定の宗派のみを信奉している一部の大名を除く全国の大名達が、各宗派の本山格寺院との間に交流を持ち、其等の子院・末寺と師檀関係や宿坊契約を結んでいたのだ)


「其の様な物か…。武士の世も色々と難しい物なのだな。しかし藤十郎殿、此度の買い付けは誠に上手くいくのか?」

 段蔵が軽く溜め息を付きながらも、雑賀衆からの鉄砲の大量購入が可能なのか心配する。

 だが、生来からの自信家らしい長安は、段蔵に力強い口調で断言する。

「全く心配要らぬよ。其の為にこそ宗二殿に紹介状をしたためて貰うたのだからな」

 そう言いながら、雑賀衆の鈴木左太夫重意に渡す予定の宗二からの紹介状が有る己の懐を軽く叩くのだった。

 だが、2人の隣から年若の従者から苦しそうな呻き声が聞こえて来た。

「うぅ、ぐぇっ!…、ううぅ」

「おい段蔵殿、藤兵衛は本当に大丈夫なのか?随分と苦しんでおるが…」

「藤十郎殿、大丈夫だ。藤兵衛の奴は川船に揺られて酔うておるのよ。岸に上がれば半刻(約1時間)も有れば治るだろうよ」

「…はい、御二人共、申し訳御座いませぬ…」


 船酔いに苦しむ此の年若の従者は、甲斐の新鋭の飛脚である成田の藤兵衛。

 長安は藤兵衛の健脚と度胸に期待して、もう1人の従者として同行させていた。しかしながら、山国育ち故に船の揺れに耐え切れないのだ。


「別に構わぬ。船頭、済まぬが今少し揺れを抑えてくれぬか?」

 藤兵衛を案じた長安は、船頭に揺れを抑えるべく頼もうとした。だが、船頭からは返事が帰って来ない。代わりに笛を吹く様な音が聞こえて来た。

「ひゅっ、ひゅぅぅ…」

 船頭はまるで朽ち木の様に突っ立っている。そして其の喉元には1本の矢が刺さっていたのだ!

「野伏り(山賊)だ!伏せて船の腹の影に身を隠せ!」

 長安達は段蔵の指示に従い、舷側の影に身を伏せた。川船は大きく揺れて矢を射された船頭は、派手な水飛沫を上げながら水面に落ちてしまう。

 身を隠したまま岸を覗くと、左手にあたる南岸に10人程の野伏りがたむろしている。

 彼等の方からは其の後も多くの矢が飛んで来るが、船を狙い澄ましたのは何本かに1本で、他は全て水面に吸い込まれていた。

「段蔵殿、どうやら野伏りの中に弓矢の得手は一人のみの様だ。上手く逃げ切れるだろうか?」

「いや、此のままでは向こう側も何処かで川船を使うて来よう。此処は《虎穴に入らずんば虎児を得ず》、敢えて切り込み敵の大将をくびに致すのだ!」

 そして、2人で軽く打ち合わせると、長安は藤兵衛に対して《宗二からの紹介状》を手渡しながら指示を与えた。

「藤兵衛良いか?お主は儂等に万一の事が有らば、川の右岸に上がって堺迄突っ走れ!そして薩摩屋の主人、山上宗二殿に危急を伝えよ。しかる後に京に上洛致し、今福浄閑斎殿を訪ねて事の顛末を御知らせ致せ!良いな!」

 藤兵衛は緊張と船酔いで顔を青くしながらも、油紙に包まれた紹介状を大事に預かった。

「藤十郎様、畏まりました。あくまでも一時の間のみ預らせて頂きまする。御武運を!」

「うむ。では段蔵殿、手筈通りに参るぞ!」


 長安は段蔵に呼び掛けると、荷物を抜いて空にした行李こうりを抱えて右舷側…敵の反対側に飛び込んだ。

 柳の枝を頑丈に編み込んだ行李は、十分に浮き袋の代わりとなって長安の身体を水面で支えてくれる。

 長安は流れを利用しながら徐々に南岸側に近付いていく。

 そして段蔵はと言えば、何と水面に浮いている流木に飛び乗ったのだ。

 そして流木を器用に操りながら、所謂いわゆる波乗りの要領で南側の岸辺に寄せていく。

「おのれ、弓矢であの者を射殺せ!」

 岸辺の野伏り達は段蔵に矢を撃ち込んだが、段蔵は刀身を短くして忍者刀にした愛用の刀で其の全てを叩き落とした。

(先ずは彼の弓の使い手を潰す!いざ、参ろうか!)

 段蔵は気合いを入れて無言のまま跳躍した。流木の動きさえも利用した跳躍で、段蔵は常人には想像さえ出来ない高さと距離を飛び上がる。正に《飛び加当》の面目躍如と言えた。

「なんだ!此奴は天狗か物の怪の類か!」

 野伏り達が驚愕して動きが止まった刹那、段蔵は懐から出して用意しておいた棒手裏剣を、弓遣いの野伏りの急所に向けて放つ。

 着地迄に2本の棒手裏剣を野伏りに放ち、喉元と心の臓を正確に貫いた。彼の者は弓を取り落として其の場に倒れ込んだ。

「きっ、貴様ぁ!」

 野伏り達が仲間の死にいきり立っていると、段蔵は瞬く間に着地点の野伏りを2人斬って捨てた。

 段蔵の業前に野伏りの1人が後退あとずさり川の方へ逃げようとしたが、其処には行李に掴まり川を泳ぎきった長安が上がっていた。だか、明らかに息が上がってしまっている。

「ははっ、運が悪かったな、死ねやぁ!」

 長安の姿を見て勝てると踏んだ野伏りは、長安に対して襲い掛かるが、長安は相手の剣撃を先程迄抱えていた行李で受けたのだ。

「な、なにぃ?」

 相手の刀が刺さったままの行李を、長安は捻りながら投げ落とす。逆手に為った野伏りは思わず刀を手放した。

(良し、今だ!)

 長安は此の瞬間を見逃さずに脇差を引き抜くと、相手の心の臓に突進して突き刺した。

「一度為らず二度迄も命を助けるとは、甲斐の行李は正に《天下一》よ!」

 そう言いながら長安は、己自身で初めて殺した相手を見つめる。一瞬竦んだが、気合いを入れ直して死体を踏んづけて刺さった刀を抜き取る。

「後は6人か。早く段蔵殿の援護に向かわねば…。ん?あれは何だ?まさか新手か!」

 長安の視界に偶然入ったのは、上流の方から此方側に向かって来る野伏りの仲間達だったのだ。

 しかも最初の人数より駆け付けて来る野伏りの方が明らかに人数が多いのだ!

「抜かった!あちら側が野伏りの主力で有ったか!兎も角、早う段蔵殿と合流せねば…」

 長安は残り6人の野伏りを相手していた段蔵に合流為るべく、直ぐに駆け始めた。

 一方、近付いて来る新たな野伏りに既に気付いていた段蔵も、戦いながら次第に長安がいる川岸に移動していた。

 2人は合流すると、背後を取られぬ様に敢えて紀ノ川を背にしながら野伏り達と対峙した。

「貴様等、たかが2人に手間取りやがって!取り囲んでなます斬りにしてやれ!」

 野伏りの首領らしき野武士が部下達に指示を送り、長安達を半円状に包囲する。

(よもや此処迄か…。為らば切り込んで一矢報いるのみ!)

 長安が覚悟を決めて刀を握り直した瞬間、眼前に居た野伏りが斬り掛かって来る。長安と段蔵が刀を構えて迎え撃とうとした其の時、

『パァァン!』

ぜる音が響き渡り、前の野伏りは長安達の方に翻筋斗もんどり打って倒れたのだ。

「段蔵殿!此の術はお主の業か!」

 長安の質問を段蔵は即座に否定する。

「いや、儂では無い!彼の音はむしろ鉄砲か何かを撃った音に相違無い!」

 そう言った矢先に再び爆ぜる音が響き渡り、右手に居た野伏りがまるでこめかみを大鎚で殴り付けた様に川中に吹き飛ばされた。

「何処だ?何処に居やがるんだ!隠れてないで出て来やがれ!」

 首領が叫び、野伏り達が周りを見渡すが、其れらしき人影を捕える事が出来ない。

 其の内に3回目の発砲音が響き渡り、長安の左手に居た野伏りが頭部を撃たれて川の中に吹っ飛ばされた。

「御頭っ!彼処あそこだ!彼処の丘の上に怪しい奴が3人居やがる!」

 野伏りの1人がそう言いながら、南側に有る少し小高い丘を指差した。

 丘の頂上には、確かに3人程の男が居る。そして恐らく鉄砲らしき物を構えている様だ。

 全員が丘上の男達を確認した刹那に4発目の銃声が響き、男達を見つけた野伏りが撃たれて吹っ飛んだ。

 その時野伏りの首領が或る事に気付いた。

 丘上には3人居るにも関わらず、銃弾は1発づつしか発射されていないのだ。そして、射程が明らかに通常よりも遠い地点から撃ってきていた。

「どうやら1人しか鉄砲撃ちは居ねえみたいだな!しかし、彼処迄は1町半以上は有りやがる!何であんなに遠いのに弾が当たりやがる!」


 口径や火薬量にも左右されるが、一般的な火縄銃は放物線を描いて飛ばすだけの飛距離為らば4〜5町(1町は約109メートル)は飛ばせる。

 しかし、相手を傷つける・殺傷するという《有効殺傷距離》というのは、裸の相手であれば大体2町弱位であろうか。

(勿論、大口径で火薬量が多ければ此の距離が伸びるのは言う迄も無い)

 鎧や具足等の防具を貫通させて相手を殺傷する場合、其の射程は更に短く30間(約54メートル)程度に為る。(因みに60間で1町なので、約半町とも言える)

 更に言えば命中率も距離が伸びるに従い低下していく。一般的な鉄砲撃ちが狙撃出来るのは大体1町弱迄である。

 しかも大型の鉄砲為らば、反動も大きく狙い通りに当てるは難しいのだ。(だからこそ数十挺、若しくは其れ以上の鉄砲で弾幕を張る様に使用されるのだ)


 しかしながら此の鉄砲撃ちは、威力から判断して通常よりも大型の鉄砲を使用しながらも、1町半以上という長距離を狙撃しているのだ。

 しかも全弾が野伏りの頭部を撃ち抜き、1発も仕損じていない。

 神業とも言える鉄砲撃ちの腕前に野伏りの間に動揺が走ったと同時に、5発目の銃弾が野伏りをまた1人撃ち殺した。

 丘の上を良く見ると、横の2人が鉄砲に弾込めを行い、真ん中の鉄砲撃ちが撃ち終わった鉄砲と交換していく。合計3挺の鉄砲を使い回しているのだ。

「御頭、全部でもう9人殺られちまった!此処は先ずは鉄砲撃ちを潰さないと皆撃たれちまうぞ!」

 野伏りの1人がそう提案すると、熱り立っている首領は残りの手勢を二手に分ける事にした。

「良し、貴様等7人は丘の奴をブッ殺して来い!他の7人は俺と一緒に此の2人を血達磨にしてやれ!」

 首領の命令が下ると、野伏り達は丘を駆け上がる者と長安達を包囲する者に分かれた。

 直ぐに丘を目指す先頭に居た野伏りが頭を吹き飛ばされた。しかし2町近くで残り6人は殺せないと判断した野伏り達は雄叫びを上げて突っ込んで行く。

(藤十郎殿、奴等の頭数が20人から8人に減り、更には鉄砲撃ちに気を取られて居る!次の音に合わせて此方から攻めに転じるが良いか?)

 段蔵は長安にしか聞こえない小声で作戦を述べ、長安は無言のまま頷いた。

 そして丘に向かう野伏りがまた1人撃たれて銃声が響いた瞬間、段蔵は《奥の手》として残していた棒手裏剣を包囲する野伏り達に投げ付けた!

「うぐっ!貴様、やりやがったな!」

 首領には右手に1本刺さったのみだったが、その両側の2人は夫々(それぞれ)の眉間と喉元に深々と棒手裏剣が突き刺さっている。

 其の2人が地面に崩れ落ちる前に、長安と段蔵は動き出した。最も手近な相手に斬り懸かったのだ。

 たちまちの内に段蔵は1人の喉元に突きを入れて、更には長安が1人を相手する間に首領と残り3人を牽制する。

 長安の方も野伏り達を挑発しながら、少しづつ戦う場所を川縁から移動していく。

 そしてどうにか長安が段蔵の援護もあって1人を斬った時、首領と3人の生き残りが雄叫びを上げて突っ込んで来た。

「おのれぇ!丘の奴等も殺られたか!貴様等だけは必ず冥土に送ってくれる!」

 既に其の頃には丘上を攻めていた野伏りは7人共撃たれて転がっている。

 例の鉄砲撃ちに全員が1発づつで仕留められていたのだ。

「生き残りはお主達4人のみの様だ。大人しく縛に付くが良い」

 攻撃を避けながら生き残った野伏りに降伏を薦めたが、攻撃が止む気配は感じられない。

「…致し方無し!段蔵殿、征くぞ!」

「応っ!」

 長安と段蔵は再び刀を構えると、御互いに援護しながら4人からの攻撃を防いでいく。

 その内に丘上の鉄砲撃ちが、丘の中腹辺り迄近付いてから再び援護射撃を加え始めた。

「最早此れ迄か…こう為れば貴様だけでも冥土の道連れにしてくれようぞ!」

 首領が覚悟を決めて、長安に上段から斬り掛かって来た。しかし段蔵に負わされた手傷が痛んだ故か、長安でも十分に避ける事が出来る。

 そして長安が避けた拍子に首領の首筋に刀を切り付けると、血の華の様な鮮血が噴き出した。

 首領は暫く動かなかったが、グラリと揺れると其のまま仰向けに崩れたのだった。


 其の場で座り込んで肩で息をする、疲労困憊の長安に段蔵が声を掛けて来た。

「藤十郎殿、無事で御座るか!先程の刀捌きは甲斐を出た時分の腕前とは正に雲泥の差、誠に見事で御座ったぞ!」

「ははっ、儂は必死に食らい突いただけで御座るよ。褒めても何も出はせぬぞ…」

 そんな会話をする2人の元に、丘の上の鉄砲撃ち達が歩み寄って来た。

 後ろの先程弾込めをした2人を従えた其の鉄砲撃ちは、近くに来ると随分と大きく背丈は6尺は有りそうだ。

 2人の従者が普通よりも小柄故、鉄砲撃ちが一層大きく感じる。

 其の身形みなりは一見武芸者然としているが、羽織の裏地が鮮やかな猩々緋に染められており、髷も髪の毛を無造作に蓬髪に束ねていた。

 長安は段蔵へ藤兵衛を迎えに行く様に頼むと、立ち上がって其の武芸者に礼を述べる。

「誠にかたじけない。御貴殿の援助の御陰で命拾い致し申した。それがしは甲斐武田家の家臣、土屋藤十郎長安と申しまする」

「いやいや、礼を申される事では御座らぬ。拙者は自らの責務を果たしたのみで御座る。拙者は紀伊雑賀・十ヶ郷の国人の平井重秀と申す」

「平井殿、責務とは仰有おっしゃられても助かり申した。それにしても、御貴殿方の3挺の鉄砲は普通の物よりも一回り大きい。実に見事な出来栄えですな」

 長安は彼等が使っていた鉄砲に興味を示した。堺の町で散々鉄砲を探して見聞を重ねた為に、此の鉄砲の質の高さにも直ぐに気付いたのだ。

「此れで御座るか?此の鉄砲は《10匁筒》で御座る。6匁筒よりも嵩張りまするが其の分だけより大きな弾を撃てまする。そして此れに強薬つよぐすりを込めて撃っていたので御座る」


 強薬とは、射程を延ばしたり破壊力を増大させる為に、弾込めの際に敢えて通常よりも火薬量を多くする事を指す。

 勿論、通常とは火薬の調合率が変化するし、質の悪い鉄砲ならば暴発の危険性が付き纏う。

 つまりは強薬を操っている事自体が、鉄砲の腕前と品質が共に高い事の証明と言えた。


「成程、確かに見事な鉄砲で御座る。しかしながら御貴殿の鉄砲の腕前は正に神業、恐らくは彼の《雑賀衆》の中でも一廉ひとかどの御方と推察致しまする」

 長安は此の人物の腕前からして、恐らく雑賀衆の幹部級の人物では…と考えたのだ。

「御貴殿に是非とも、此の先の雑賀城に居られる鈴木左太夫様に、御取次を執り成して頂きたいので御座る」

 しかしながら重秀と名乗った武士は、長安の要請を聞いた途端に大声で笑い始めたのだ。

「あっはっはっ!、わはっはぁっはっ!」

「某が何かしら可笑しな事を申しましたかな?」

 長安の質問に重秀は謝りながらも、雑賀城へ向かう事を否定した。

「いやぁ、申し訳御座らぬ。しかし雑賀城に向かわれても目的の人物とは御会いには為れませぬぞ」

「何と!まさか鈴木様は御病気を患われておいでで御座るか?」

 長安の心配を、重秀は微笑みを浮かべながら否定した。

「いやいや、雑賀城は雑賀荘・本郷の棟梁で有る土橋若太夫(守重)殿の居城で御座る。親父殿は紀ノ川の北岸の十ヶ郷に在る平井政所ひらいのまんどころに居を置いておりますからな。何でしたら拙者達が平井政所に御同行致して、親父殿に取り次いで差し上げますぞ」

「そうして頂ければ此方側としては非常に助かり申す。平井殿の御言葉に甘えさせて頂きまする。しかし1つ聞きたい事が…」

 重秀の申し出に謝意を表した長安だったが、ふと疑問を感じた事を聞いてみた。

「平井殿は、鈴木様を《親父殿》と呼ばれておったり、鈴木様の御居城が《平井政所》と平井殿と同じ名であったり…。平井殿は鈴木様と如何なる御関係で御座るか?」

 質問を受けた重秀は軽く微笑みを浮かべながら応える。

「あぁ、単なる親子で御座る。拙者も本来の氏姓うじかばねは鈴木姓に為りまする。今は平井政所が在る平井郷の地名を取って《平井孫一重秀》と名乗っておりまする」

「成程、得心致し申した。雑賀の惣領の御一人の鈴木様の御子息為らばこその、鉄砲の神業で御座るな」

「御褒めに預かり恐縮で御座る。まぁ手前味噌ながら拙者の腕前は雑賀衆でも3本の指に入ると自負しておりまする」

 疑問が氷解した長安で有ったが、重秀の名乗りに有る《孫一》の仮名に興味を示した。

「其れでは平井殿の《孫一》の仮名は、某が畿内を回っておった時分に伝聞致した凄腕の鉄砲使い《雑賀孫市》にあやかって付けられたのですな」

「いやぁ、実は《雑賀孫市》は親父殿の昔の異名ふたつなで御座る。今は拙者の兄の孫市郎重兼が其の銘を継いでおりまするが、拙者も十ヶ郷の鉄砲頭として良く兄の名代に動く故に、孫市の《市》の字を数字の《一》に置き換えて名乗りとしておるので御座る。さて、川船も岸に着いた様ですし我等も其方へ参り申そう」


 2人は川船の処迄並んで歩き出した。重秀の2人の従者も後に続く。

「ところで土屋殿に御願いが御座るのだ。拙者は堅苦しいのが苦手で御座る。土屋殿が若太夫殿の客人ならばいざ知らず、親父殿の客人で同年代ならば話が早い。今後は御互い敬語の類は無しに致さぬか?」

 此の話は長安としても《渡りに船》であったので、二つ返事で了承した。

「えぇ、結構で御座る。為らば儂の事は藤十郎と御呼び下され」

「そうか、其れは助かる!儂の事は孫一と呼んでくれたら良い!」

 2人の会話を聞いて、後ろを付いて来る2人の従者もクスクスと笑っている。身形は確かに男の格好なのだが、其の笑い声は軽やかで小姓等よりも女性的な感じがする。

「…孫一殿、付かぬ事を聞くが後ろの2人は真逆まさか女子衆おなごしゅでは無いのか?」

「応よ。儂が鉄砲の弾込めから一連の武芸迄仕込んで、男の格好をさせた上で、儂の近習として連れておるのだ。そうで無ければ、戦場に連れて行って抱く事が出来ぬからのぅ!わっはっはっ…」

 長安は重秀の《戦場に自分の情婦を連れて行く程の女好き》さを聞いて、少し呆れてしまった。

「…おいおい、儂は嗜まぬが《衆道》(男色)の方が戦場に連れて行くのに良かろう。それに、そんな理由で2人も連れて行って如何致すのだ?」

「2人纏めて抱くに決まっておろう!折角儂が此の娘達を小さな時分より習練を積ませて参ったのだからな!何より儂は《女子衆》は好きだが《若衆》(小姓等の少年)の類は好かぬ故な!」

「…やれやれ。儂も女子は好きだが、孫一殿にはかなわぬ。さて、段蔵と藤兵衛を紹介するとしようか」

 長安は半分本気で呆れながら、段蔵達へ近付いて行くのだった。


 川船の処に着くと、岸に上がった2人が待っていた。藤兵衛は船酔いから解放された所為せいか、清々しい笑顔で長安を迎えた。

「善くぞ御無事で御座いました!正に重畳で御座います!いざ南に向けて雑賀城へ参りましょうか!」

 しかしながら、長安が重秀達を紹介した後に雑賀城には行かない事を告げていくに従って、藤兵衛は青菜に塩をかけた様に見る見る元気を失っていく。

 そして目的地が川向こうの平井政所だと教えられて、藤兵衛は既に船酔いを起こした様な顔をしてポツポツと呟いた。

「つまりは再び川船に揺られ無ければ為らぬという訳で御座いますなぁ…」

 溜め息を吐きながら落ち込む藤兵衛を見て、長安達は苦笑したのだった。


「藤十郎殿は如何なる目的で親父殿を訪ねるのじゃ?」

 平井政所に近い渡し場迄川をさかのぼる川船の船上で、重秀は長安に質問する。

 楷を操る段蔵や重秀の従者達も2人の会話を無言で聞いている。但し藤兵衛だけは船酔いで寝込んでしまったが。

「儂は武田家陣代に就かれた四郎様…武田左京大夫勝頼様の御下命によって、鉄砲の買い付けに参るのじゃ」

「ほう、雑賀の鉄砲をか。で、何挺位入り用なのじゃ?」

「多ければ多い程良い。何百挺でも千挺以上でもな。その為に堺・薩摩屋の主人、山上宗二殿から紹介の書付を預かっておるのだ」

 ふむふむ、と無言のまま頷く重秀に対して、逆に長安が質問をする。

「為らば、孫一殿は何故に彼の地に居られたのじゃ?まぁ其の御陰で我等は命冥加を繋いで居るのだがな」

 重秀は長安に対して、身振り手振り交えながら質問に応じていく。

「応よ、儂等は逆に雑賀城の土橋若太夫殿を訪ねて参った帰り道じゃったのだ。一寸ちょっとばかし商いの方針で本郷と十ヶ郷が噛み合わぬ故にな」

「商いの方針?もしも孫一殿が良ければ聞かせてくれぬか?参考になるかも知れんしな」

 長安は、雑賀荘内にも有る内部対立の一端に触れる為に、重秀に対して話の先を促す。

「ふむ、堺や伊勢山田に於いてな、締め付けがきつく為った所為で雑賀の者が商いをやりにくく為ってしもうたのだ」

「成程…。しかしながら何故急にそんなに厳しく為っておるのだ?」

「織田じゃ!織田弾正(信長)が己に靡く商人だけを優遇致しておる故に、雑賀の者が商いから締め出されつつ有る!」

(恐らくは織田に取り入っておるのは《納屋》の今井宗久殿や《天王寺屋》の津田宗及殿で在ろうか…)

 其の様な事を考えながら、長安は重秀の話の先を聞き続ける。

「まぁ、其れ故に新たな販路を拓くべきだ、と十ヶ郷の者は考えておるのだ。其処で儂が若太夫殿に存念を聞きに雑賀城に赴いた訳じゃな」

「では、若太夫殿は鈴木様や孫一殿の考えに同意致したのか?」

 長安の質問に、重秀は極めて残念な口振りで返答する。

「其れがじゃな、若太夫殿はまだまだ石山やら播磨の英賀あがに販路が残ってる故に動かぬと言われたのだ!若太夫殿は何も判っておらぬ!」

「石山も英賀も、確か一向宗(浄土真宗本願寺派)の門前町だったな。まぁ殆ど城の如き普請をした寺だが…」

 雑賀荘と一向宗の繋がりを感じた長安に、重秀が補足の説明を加えてくれた。

「雑賀の本郷と十ヶ郷の地侍には一向宗の信徒が多い。唯でさえ、真宗の寺が2郷だけで100近く(実際は96ヵ寺)有るからな。で、其の一向信徒の地侍達が今年に入って熱り立っておるのだ」

「ほう、其れはまた何故なのだ?」

「今年(永禄12年)に入って、やはり織田弾正が石山の御門主殿(本願寺法主顕如)に対して矢銭5千貫を課して来たのだ。其の事を非礼だと、石山の坊官や此処の地侍は熱り立ち、土橋殿や親父殿が抑えておる状況じゃ」

「成程、其れ故に石山等の販路を優遇致して他の販路を考えぬ訳か…。しかしながら孫一殿は其の考え方に与せぬのだな?」

 長安の確認に、重秀は我が意を得たりと言わんばかりに首肯した。

「うむ、儂は本願寺のみに販路を頼るのは危ういと思う。堺に代わる新たな販路を考え出さねばな。其れに儂は織田弾正は余り好かぬ故、貴奴に膝を曲げて迄商いをやりたく無いのだ!」

「其れはやはり孫一殿も一向宗の信徒である故で御座るか?」

 話の流れから予想して重秀も一向宗徒だと長安は考えたが、重秀は高笑いしながら否定した。

「いやいや、儂自身は一応一向宗徒だが、其れ程真剣には信仰しておらぬ。儂が織田が好かぬのは強過ぎる故よ!所謂《判官贔屓》じゃな!わっはっはっ…」

 長安は重秀の笑い声を聞きながら、

(ふむ、孫一殿が言う新たな販路に武田領を加える事が叶わば、鉄砲の恒常的な買い付けが果たせるやも知れぬな…)

と考えつつ、宗二からの紹介状が入った内懐を押さえるのだった。


 しかし長安の希望的な考えは、其の日の内に簡単に打ち砕かれた。

 平井政所に着いた長安一行は、重秀のはからいによって直ちに鈴木左太夫に伝えられて、夜には広間での面会が叶えられた。


 重秀の父である十ヶ郷の棟梁・鈴木左太夫重意は当年57歳。先代《雑賀孫市》の異名に相応しい豪傑である。

 其の眼光は鋭く、口髭を生やして表情を読ませない。第一線を退いたとはいえ、未だに威圧感を漂わせている。


 重意は下座に座る長安に対して語り始めた。

「土屋殿、遠国である甲斐より良く訪ねて来られた。早速だがお主の要件に就いてだが、鉄砲に関しては新品の6匁筒を全部で50挺御売り致そう」

 此の言葉を聞いた長安は思わず息を飲んだ。高々数十挺を買い付ける為に、野伏りを蹴散らして迄して雑賀を訪ねた訳では無いのだ。

「お、御待ち下され!某は此度、堺・薩摩屋の主人の山上宗二殿より、紹介の書付けをしたためて頂いており申す。其れを見ては頂いたので御座いましょうか?」

「勿論拝見させて貰った。しかしながら京畿の情勢がきな臭く為っておるのだ。雑賀衆としても自前の鉄砲を最優先させねば為らぬ。此の50挺というのは我等十ヶ郷で調達出来得る最大数と考えて貰いたい」

 重意の発言は長安の心胆を寒からしめるには十分だった。しかし長安は《十ヶ郷で調達出来得る最大数》という文脈に注目して質問する。

「では、他の4郷は如何で御座いましょうや?」

「確かに、十ヶ郷以外でも鉄砲は作っておるが、他の郷には口出し出来ぬからのぅ。まぁ5郷全ての年寄衆を集めて合議を致す為らば話は変わるがな」

 つまりは未だに雑賀衆全体の意思統一が為されていないという事である。長安は一筋の光明を見出した心地で改めて重意に他の郷との調整を懇願した。

「為らば、是非とも年寄衆の方々に此の事を諮って頂けませぬか?伏して御願い致しまする!是非とも、此の通りで御座る!」

 長安から年寄衆の招集を依頼されて、逆に重意の方が困惑の表情を浮かべた。

「うむ…土屋殿、しかしだな。儂の一存だけでは決められぬ。飽く迄も年寄衆全体で決める事だ」

 重意がそう言うと、

『ドンッ!』

と床を鳴らす音が広間中に響いた。全員が其の方向を向くと、広間の末座に座していた重秀が上座の実父・重意に反論する。

「親父殿!艱難辛苦を乗り越えて、わざわざ我等を頼って来たのだ!別に年寄衆に諮ってやる位良いでは無いか!」

「孫一殿、誠に忝い…」

 思わぬ援軍に、長安は重秀に礼を述べる。

「ええぃ、お前は何も判っておらぬ!我儘を吐かすも大概に致せ!」

 重意は重秀を叱り付けたが、其処に横に座る男達の1人、一番上座に近い場所に座する男が話し掛けてきた。

 年齢は30歳前後、身体は幾分は細く、顔の造りが柔和だが重秀と良く似ている。

 重意の嫡男である《当代の孫市》鈴木孫市郎重兼である。

「父上、東国の武田家と少しでも繋がりを持つ事は、雑賀にとって益と為りましょう。若太夫殿に依頼して年寄衆を招集しては如何で御座いますか?」

「ふむ、孫市郎も孫一と同様の考えか…」

 そう言って、重意は暫く無言で瞑目したまま考えを纏める。

 暫しの沈黙の後、眼を開けた重意は長安に対して許諾の意思を告げた。

「…良かろう。土屋殿、ならば此れより各郷に遣いを発して、年寄衆を集めて貰う事に致そう。但し、土屋殿が望まれる結論が出るとは限らぬ事は気に留めて頂きたい。其れで宜しいかな?」

「鈴木様、及び皆様方の御厚情、深く感謝致しまする」

 長安は一縷の望みが繋がった事に礼を述べた。此れで交渉次第で活路が拓けるやも知れぬのだ。

 其処に重秀が声を掛けてくれた。

「藤十郎殿、返事を聞く迄の間は何処ぞの宿に泊まらねば為るまい!お主が良ければ、段蔵殿や藤兵衛殿と共に儂の屋敷に来ぬか?お主から旅の話を聞きながらさかずきを傾けるのも一興よ!如何致すのだ?」

「其れは有り難い!孫一殿の御言葉に甘えて御世話に為り申す!」

 長安は重秀に感謝の言葉を口にしながら、

(孫一殿と友に為っただけでも、雑賀を訪ねた甲斐が有った。此の事を武田の御家に生かせれば良いのだが…)

と、思案するのだった。


 時は永禄12年(1569年)11月上旬。土屋藤十郎長安一行は、雑賀十ヶ郷・平井村の鈴木孫一重秀の屋敷に滞在する事に為った。

 だが、長安が目指す《鉄砲の確保》という目標は、未だに其の道筋さえも見えなかった。

読んで頂いてありがとうございます。此の話の続きも消えてますので、早く書き直して次話を投稿出来る様にしたいと思います。遅筆乱文の上に機械オンチ(笑)ですがまた読んで頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ