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廿悉之余之弐:老虎無慚(後)~更なる戦乱の烽火~

今回の話は、前回の番外編の後編になります。甲斐を追放されていた武田信虎の最後の話です。史実と違い、此の仮想戦記では安寧な最後を迎える事が出来ません。相変わらずの長文ですが、是非とも読んで頂ければ幸いです。

 春とは名ばかりの雪化粧を纏った京の都を、柔らかく照らした日輪が、愛宕山へと連なる西の稜線へと姿を隠すと、瞬く間に夜の闇が周囲を侵食していく。

 人々は、自らの活動の保障を欲して自らの四囲の闇を炎で照らし、多くの灯火が連なって大きく南北に別れた《夜の都城》の輪郭を映し出す。

 ともされた明りの1つ1つは、人々が暗闇の中でも暮らしを営んでいる証なのだ。

 

 其の様な《夜の都》に於いて、特別に煌々と照らされた場所が2ヶ所存在していた。

 一方は、公家・武家の屋敷や寺社が集まる《上京》と、商工業者が力を持つ《下京》とを結ぶ、勘解由小路室町の地に築かれた、征夷大将軍たる足利権大納言義昭の居城…《武家御所》。

 他方は下京の東端、鴨川に近い三条京極の地に在る、織田家の京奉行の1人である村井吉兵衛貞勝の屋敷である。

 京に於ける二大勢力とも言える双方は、此の時点で緊張が高まっており、己達が半ば操られている事を自覚しない侭に、一触即発の状況に陥って居たのだった。

 

 時に元亀4年(1573年)1月5日の深更の頃である。

 

 義昭の将軍就任直後迄は蜜月を保っていた幕府と織田家の関係は、織田弾正大弼信長からの締付けが強まるに連れて、次第に義昭の大きな反発を招いていた。

 義昭は、密かに信長の討滅を企図して、亡兄義輝に仕えていた武田陸奥守信虎に接触を計った。

 

 義輝が暗殺された所謂いわゆる《永禄の変》以来、出家して無人斎道有と名乗って潜伏していた信虎は、義昭の要請に応じる形で、再び御相伴衆に名を連ねる事に為った。

 其の際に、自らの存在が露見為る事で謀略がとどこおる事を防ぐ為に、幕臣の殆どに対しても敢えて自らの正体を隠し、義昭の御前以外では顔迄も覆う頭巾を被っていた。

 そして、義昭の陰で密かに動く《謎の老僧》として、義昭が主導為る《織田包囲網》の構築に勤しんで居たのだ。

 

 其の様な折、信虎の実家である武田家が、遠江三方ヶ原に於いて織田陣営の一角たる徳川家を打破った頃に、1つの事件が発生した。

 近江永原の地に於いて、無人斎道有の名義で出された密書が奪われ、領主である織田家重臣の佐久間右衛門尉信盛の手中に落ちたのだ。

 信盛は、其の密書の宛先が、己と因縁が有る三河刈谷城主の水野下野守信元で在った事に狂喜乱舞し、信長に対して訴え出たのだ。

 

 新年に入って、畿内の大名や国衆の離反が相次ぎ、其等が武家御所へ新年の賀詞に参上した事、そして其の裏に義昭の命を受けた《無人斎道有》の跳梁が有る事を憂いていた信長は、此れを期に幕府勢力の伸張に釘を差す為に、自らの上洛を決意した。

 そして信盛と、幕府・織田家に両属して仕えながら近江坂本城主に任ぜられた明智十兵衛光秀の両名に対して、一足先に上洛して《無人斎の引渡し》を求めて幕府側との折衝を行う様に命じた。

 信盛と光秀は、自らの居城で合計3千の軍勢を調えて上洛を果すと、三条京極の村井屋敷に入り、光秀同様に両属の立場である細川兵部大輔藤孝と合流、貞勝を含めた4名で武家御所へ折衝に赴いたのだ。

 

 此の折衝で、将軍としての面目にこだわり決して妥協しない義昭に対して、信盛は恫喝紛いの発言で応酬したが、無人斎の身柄は確保出来ぬ侭に、織田側から観念した様に武家御所を退いた。

 だが、幕府側の対応に業を煮やしたとはいえ、織田家側から武家御所の義昭に攻撃を仕掛ける事は、織田家が《逆賊》の謗りを受ける事になる為に、是が非でも避けねば為らない。

 其処で信盛達は、村井屋敷の周囲に夫々(それぞれ)の手勢を含めて合計5千の軍勢を集め、無人斎に関わりを持つ屋敷を調べ上げると、其の片端から焼討ちにし始めたのである…。

 

(おのれ佐久間め…。上京を焼き払ってでも無人斎を捕えるとは、陪臣の分際で付け上がりよって…!信長を屈伏させた暁には、必ずや煮え湯を呑ませて呉れる…)

 己の寝室に戻って床に着いていた義昭だったが、日中の信盛の発言が脳裏を渦巻き、未だに睡魔に捕われる事叶わず漫然と横に為って居た。

 其処に縁側の方から、御供衆の1人である一色式部少輔藤長の悲鳴の如き報知を受けると、身体に掛けていたふすまを跳ね飛ばし、縁側へと飛び出して来た。

 

「うっ、上様っ!火付けで御座いまする!織田の軍勢が、無人斎が上様より密かに賜った、御城脇の寓居に襲い掛かり、火を付けた由に御座いまする!」

「なっ、何だとっ!…藤長、其れは如何なる事なのだっ!何故に織田の奴輩共は、無人斎の屋敷の所在を承知致して居るのだっ!」

「其れが、皆目見当が付きませぬ!織田方に無人斎殿の正体が露見致さぬ様に、素姓や屋敷の所在を極力隠して参った筈で御座いまするが…」

 

 義昭は、亡兄義輝の御相伴衆でも在った信虎の素姓を、織田方に秘匿した侭にしておく必要性から、義輝時代の屋敷に代わって《武家御所》の近辺に新たな屋敷を秘密裏に与えていた。

 勿論、此の屋敷の所存も、無人斎の正体が《武田信虎》だと承知している、数名のみにしか教えておらず、特に織田家に出入りしている《両属》の者達に対しては、厳重に秘匿されていたのだ。

 とはいえ、信虎は在京中は殆ど武家御所の義昭の御前に詰めており、武家御所脇の屋敷には駿河から連れて来た妻妾や少人数の家臣が過ごすのみで在った。

 だが織田勢は、秘匿して在る筈の無人斎邸…信虎の屋敷を、正に狙い撃ちにして攻撃を仕掛けたのだ。

 

 また、信虎が既に手放していた義輝時代の旧屋敷に対しても、織田勢はほぼ同時刻に攻め寄せて焼き討ちを懸けていた。

 此等の屋敷の所在は、村井貞勝が在京の商人に命じて、取引先の所在を記した台帳を、半ば強制的に提出させて、急いで調べ上げた中から見付け出された。

 台帳を差し出した商家の1つ、三河出身の呉服商《茶屋》の主人である中島四郎次郎清延が提出した台帳には、無人斎名義の取引が記されており、其処から新旧2邸の屋敷の所在を突き止めたのだ。

 

 但し、信盛等は此の襲撃が織田家に取って《痛恨の事態》をもたらす事に未だに気が付いて居なかった。

 織田勢が襲った信虎の旧邸は、此の時点では信虎の実家…即ち甲斐武田家に下げ渡されて居り、此の時点では武田家の京での拠点として使われていた。

 屋敷には、信虎にも仕えていた公事奉行の今福浄閑斎(石見守友清)が《京留守居役》として駐在していたのだ。

 

「じ、浄閑斎様っ!既に屋敷の周囲を、織田方の軍勢に取り囲まれて居りまする!」

「塀の側の蔵屋敷にも火矢を射込まれ、既に火に包まれて居りまする!」

 武家御所脇の信虎邸の炎が城内から垣間見えた頃、《武田家京屋敷》も織田勢からの焼き討ちに遭って、風前の灯の事態に陥っていた。

 だが、邸内に火矢を射掛けられて居るにも関わらず、浄閑斎は全く動ずる色無く端然と応じて来た。

 

「慌てるな!貴奴等の動きは如何相成って居るかっ!」

「はっ!織田勢は塀の外側より火矢を射込んで気勢を上げるのみ、敷地の中には未だに足を踏み入れて居りませぬ!」

「ふむ…、為らば態々(わざわざ)足掻いてやって、貴奴等に我等を攻める大義名分を与えてやる必要は無いな…」

 

 配下からの報告を聞いた浄閑斎は、顎鬚あごひげを撫で乍ら老人らしからぬ冷たい笑みを浮かべる。

 公事奉行として甲斐に居た頃に、多くの罪人を相手に試し斬りを行い、軍働きを加えると《千人斬り》を果たした、という噂こそが似つかわしい冷笑に、周囲の者達は思わず恐れを為した。

 

「では、此の刻を以て此の京屋敷から退去致すぞ!御当家(武田家)の家臣のみ奥の座敷に集まれぃ!余の者は手筈通りに、女共を連れて直ちに此の屋敷から退出致せぃ!」

『はっ!』

 浄閑斎の《退去命令》を聞いた配下の者達は、一斉に答礼為るとあらかじめ定めてあった方針に従って動き始める。

 屋敷で働いていた下男や女中達が、慌てふためいて屋敷から逃げ惑い、屋敷を囲んでいた織田勢に僅かな混乱が生じた。

 

 織田勢の僅かな隙を衝いて、十数名の武田家の家臣及び今福家の直臣達は、屋敷の中に在る書状の類を1部屋に集めると、燈火用の荏胡麻えごま油を満遍なく撒いていく。

 更に周囲に、数日来屋敷に忍び込もうとして討ち取られた間者の屍が持ち込まれ、手早く直垂が着付けられ懐剣を握らせた上で、其処にも荏胡麻油を振り掛けられる。

 

「ふんっ、此れで自害を装えれば、多少為りとも刻を稼げよう…。よしっ、此処に火を点けたら、直ちに隧道から逃げると致そう。全員が通り抜けたら塩硝で隧道を潰せ。では、参るぞ!」

『はっ!』

 全員が首肯為ると、其処彼処そこかしこに火を点け乍ら、床下に用意された抜け穴に次々と潜り込む。

 《永禄の変》の折に、信虎の命を救った脱出路が、8年経って旧臣達の命を繋ぐ事に為ったのだ。

 程無くして、書状を焼き尽くした荏胡麻油が屋敷の火勢が強めて、隧道の破壊の為に仕掛けた硝石に引火為ると、隧道を支える柱はし折れ、轟音を立てて崩れ落ちるのだった。

 

 武家御所から離れた信虎の旧邸…武田家京屋敷が、織田勢の攻撃に乗じて退去炎上した、などとは知る由も無く、報せを齎した藤長は織田勢の動きに困惑していた。

 だが、そんな藤長を余所に、目と鼻の先を焼き討ちされた事で慄然たる思いに駆られた義昭は、城外の織田勢を迎撃為るべく檄を飛ばした。

 

「藤長っ!彼奴等あやつらは混乱に乗じて予をあやめる積りに相違無いっ!…此の城に居る奉公衆に対して、直ちに軍勢を調えて打って出る様に申し伝えよ!」

「上様、其れは罷り為りませぬっ!織田勢は無人斎の新旧2邸の屋敷のみに攻め寄せて居りまする!万が一此方から打って出ては、織田に攻める口実を与えるばかりか、其れこそ付入りの隙を見せる事に相成りまするぞ!」

「ふんっ!信長や其の家来共の心底は、疾うに見え透いて居るわ!…藤長、直ちに無人斎を召し出せ!織田の奴等を討ち果す為には、彼の者の才が必要じゃ!」

「……」

 

 義昭は信虎を呼び出して迎撃の采配を任せようとしたが、藤長は信虎を呼びに動こうとはしない。

 不審に思った義昭がいぶかしんで居ると、藤長は主君に対して意を決して訴え掛け始めた。

 

「…藤長?如何致したのだ?」

「…上様。万が一、此の侭織田の軍勢と戦端を開いては、亡き光源院(義輝)様と同様に儚く相成り兼ねませぬ。然れど、織田方と致しても《逆賊》の汚名を被らぬ様に、わざと無人斎殿のみに狙いを定めて居る由に御座いまする…。実は既に、上野中書(中務少輔清信)殿を始め、多くの者達が、上様に累が及ばぬ様に致すべく動いて御座いまする。上様は此処から動かれずに、是非とも某共に御任せ下さいませ…」

「予に累が及ばぬとは如何なる事か…。ま、真逆まさか、其の方等、無人斎を…!」

 

 義昭は、藤長の言い回しの中に《無人斎を犠牲にして義昭と自分達の安全を計る》考えを感じ取った。

 だが、無人斎…信虎を庇い立てした場合に生ずる我が身の危険に思いが至ると、縁側に立ち竦んだ侭に押し黙ってしまった。

 

「誠に恐れ多き事乍ら、上様の御身を御守り致す為にも、何卒なにとぞ御寛恕下さいませ!」

 藤長が縁側に平伏して許しを請うと、義昭は冷水を浴びた様に意気消沈して、おもむろに口を開く。

 

「…如何に致しても、無人斎を見捨てる他は無いと申すか…?」

 義昭が嘆息と共に漏らした質問には、先程迄帯びていた、弱気の虫に取り憑かれてしまった。

「上様の御身の安泰を計る為で御座いまする…」

 そう言い乍ら、更に深く平伏為る藤長を前にして、二の句も継げなく為った義昭は、篝火と城外の炎に照らされた縁側に於いて、呆然と立ち尽くすのだった。

 

「無人斎殿っ!観念致して出て参られよ!」

「御主が織田方へと差し出さねば、上様の御身に危害が及ぶのだ!神妙に出て参れ!」

 藤長が義昭に自制を訴え掛けている間、武家御所の中では義昭の寵臣である上野清信が中心となって、真木島玄蕃允昭光や柳沢新右衛門尉元政等の奉公衆を使嗾為る形で、武家御所の城内に於いて無人斎…信虎の捜索を始めていた。

 清信は、此の《織田側からの理不尽な要求》を利用して、義昭からの信任が厚い信虎に全ての責任を負わせて排除為る事で、幕府内の《政敵》を葬り去ろうと目論んでいた。

 

 とはいえ、奉公衆達も此の件に関しては、とても一枚岩と呼べる代物では無かった。

 細川藤孝の実兄である三渕大和守藤英を始め、幕府奉公衆の多くの者達は、京洛に展開せし織田の軍勢に備えつつも、城内に巻き起った事態から距離を保って静観して居た。

 更に《無人斎道有》の素姓を知る数少ない1人で、若狭武田家の出自である武田右衛門佐信景に至っては、同族の信虎を密かに匿って逃亡を幇助していたのだ。

 

 混乱の坩堝るつぼと為りつつある《武家御所》に於いて、己を売り渡そうと目論む者達を躱す様に、信虎は信景から借り受けた《若狭武田家》の家臣の手引で武家御所の城内を逃走していた。

 平城とはいえ2重の堀に周囲を囲まれた《武家御所》から、人知れず無事に抜け出す為に、人気が無い場所を選んで搦手へと進んで行く。

 

 一行が人目を避けて路地を暫く進むと、行く手を塞ぐ様に屋敷の影から1人の男が浮び上がる。

 暗闇に溶け込む様な柿色の鎧直垂を身に纏い、其の頭部も同じ柿色の萎烏帽子と特徴が無い面頬に覆われており、僅かに眼の部分だけが垣間見える。

 

「何奴かっ!」

 若狭武田の家臣が小声で誰何すいかの声を上げるが、其の武士は黙した侭に行き成り抜刀為ると、次の刹那には相手の頚動脈を断ち斬って、直ぐに次の相手に向かって走り出す。

 

「ぐあっ!」

 首筋から鮮血を噴き出し乍ら崩れ落ちる迄の僅かな時間に、信虎を守っていた若狭武田家の者達は、抵抗らしい抵抗も出来ぬ侭に、全員が討ち取られてしまった。

 己の身の危険を察した信虎は、斃れた者の手から抜き身の打刀を奪って、斬り付ける刃に咄嗟に反応した。

 キーンという鋭い金属音と共に、襲撃者の刃を受け止めると、御互いの刀の根元で鍔競り合いに持ち込む。

 

「御主、何処の手の者だ?此れ程の業前、只者では有るまい。此の儂を、幕府御相伴衆と知っての狼藉か?」

 頭巾越しの信虎の詰問に対して、男は面頬越しに含み笑いを漏らすと、しゃがれた声で信虎に応じる。

 

「くっくっくっ…、当り前だ。《前甲斐守護》武田奥州(陸奥守)よ、御主にはむざむざ逃げられる訳には行かぬからな…」

(ぬっ、此の声は!確か此奴は、先日に幕府の旧臣との触込みで仕官して参った奴だ!儂の素姓を承知致した上で儂を狙って参ったかっ!)

 襲撃者の手際に驚いた信虎は、直ぐに思い至った疑念を口にした。

 

「為らば、織田の奴輩に屋敷を襲わせたのも、御主の手の者の仕業かっ!」

「此れから織田の軍勢に首級を奪われる御主には、知る必要は有るまい…」

 そう言い乍ら、襲撃者は鍔競り合いから退いて懐の中から小さな巾着袋を取り出して、信虎の頭巾に正確に投げ付ける。

「効かぬわっ!目眩ましの積りかっ!」

 頭部に命中した巾着袋から飛び散った粉末が、信虎の頭巾にも多く付着したが、信虎は痛みも無い為に余り気にせず、襲撃者に刀を振るう。

 

 だが、十数合打ち合う内に、信虎の身体に僅かだが変化が生じ始める。

 心の臓の動悸が生じて、息苦しさと全身の怠さを自覚為ると同時に、軽い吐き気を催し始めたのだ。

 

「何じゃ…此の苦しさは…。そうかっ、此れは…烏頭うずの毒かっ!」

「左様、附子ぶす(鳥兜の事)の粉末を使わせて貰った。然れど、頭巾越し為らば、直ぐに死ぬ事は有るまい…」

 そう言うと、襲撃者は行き成り間合いを詰めて、信虎の鳩尾みぞおちに鋭い当て身を食らわせる。

「ぐあっ…!」

 附子の毒の効果も相俟って呼吸困難に陥った信虎は、残る力を振り絞って襲撃者の胸倉を掴むと、懐から黒漆の拵えに金箔をあしらった懐剣が零れ落ちる。

「…げっ、《源氏車に矢筈》の紋…」

 僅かな意識の中で、懐剣にあしらった家紋が目に入るが、其の刹那に腹に膝蹴りを食らって、意識が途切れてしまった。

 

「亡き萬松院(義昭の父で第12代将軍だった足利義晴)が、生前儂の為に拵えて下さった守り刀だ。御主如きに触らせる訳には行かぬな…」

 独り言ち乍ら襲撃者…三河服部家の隠居であり、《伊賀忍び》の上忍の出自である服部浄閑入道(半三保長)は、砂利の上に落ちた懐剣を懐中に戻した。

 若い時分、幾度も京から近江に落ちていた将軍義晴に仕えて、護衛として功が有った際に賜った刀で在り、武家御所に入る際には此の懐剣と感状を見せる事で堂々と潜入していたのだ。

 だが、保長の今の忠誠の対象は、義晴や足利将軍家では無かった。

 

(…上野中書(清信)に取り入って、焚き付けて騒がせた甲斐が有ったな。永原城に於いて《偽りの書状》が佐久間の手中に落ちる様に計らい、茶屋殿がわざと書き加えて差し出した台帳に食いつかせて、織田勢には武田の屋敷も襲わせる事も適った。後は中書等を使って此の男の首を織田方に引き渡せば、我等の計略が成就致す!竹千代様…、もう間も無くで御座いまするぞ…)

 

 保長は此の密命…織田家と武田家を断交させて、織田の大軍勢を全面参戦させる謀略…を命じた己の真の主君、徳川三河侍従家康に脳裏の中で呼び掛けると、《無人斎》の追跡者達が気付く様に、わざとらしく大声で呼び掛けるのだった。

「…皆様方っ!大変で御座る!何者かが此処に倒れて居りまするぞ!」

 

 清信を始めとした者達が、呼ぶ声が聞こえる方へと駆け寄ると、既に保長は姿を眩ましていた。

 其処には、近付く足音で意識を取り戻した信虎と、数体の遺骸…保長に殺された若狭武田家の者の屍が転がっている。

 

「誠じゃ!如何なる仕儀か相判らぬが、無人斎が路地に転がって居るぞ!」

「決して無人斎を逃がすなっ!道の両端を塞ぐのだ!」

松明たいまつでは足りぬ!篝火を持って参れ!」

 周囲は一気に騒がしくなり、駆け付けた郎党達が路地の両端を塞き、新たに焚かれた篝火に因って煌々と照らし出される。

 

「無人斎道有っ!恐れ多くも上様を惑わせた君側の奸臣めっ!上様に成り代わり御主を成敗致す!」

 郎党の背後から清信の口上が聞こえる中、信虎は近くの屍の腰から打刀を鞘ごと外すと、杖替わりにして立ち上がった。

 

(矢筈の家紋は…何処の家で在ったか…。確か…能勢、梶原、其れに服部辺りだったか…)

 刀で自らの身体を支え乍ら、信虎は襲撃者が持っていた懐剣の家紋を思い返していた。

 だが、突如として脳裏に閃きが走り、事の真相の一端に辿り着いた。

 

「そうか…!服部かよ!為らば…手際の良さにも、十分合点がいくわ…!」

 口角を歪めて薄ら笑いを浮かべる信虎に対して、優越感に浸っていた清信が不審がって声を掛ける。

「何が可笑しいのだ。漸く自らの立場が判って、己の所業を悔やんで居るのか?」

「いや…、貴奴等のはかりごとを褒めて居るのよ…。儂や貴殿等を、…いや、公儀や織田家の連中までも手玉に取るとは…、流石は雪斎殿の愛弟子だな…」

「何を訳の判らぬ事を吐かして居るかっ!」

 苛立ち始めた清信を横目に、信虎の脳裏には駿府での隠居生活の最中に、今川家の事実上の執政・大原雪斎嵩孚から紹介された1人の若武者を映し出していた。

 

(松平蔵人佐…、いや、今は徳川三河侍従と名乗っておったか。貴奴の思惑が《甲濃の断交》に在る為らば、儂のみ為らず浄閑斎の屋敷も既に襲われた筈だ…)

「ふんっ!黙り込むとは、漸く覚悟致した様だなっ!御主の首は、丁重に織田方に届けて呉れるから、安心致すが善いわ!者共、無人斎を討ち取れぃ!」

 焦れた清信の号令と共に、路地の両端を塞いでいた郎党達が、信虎との間合いをジリジリと詰め始める。

 

「…織田の歓心を買う為に、儂の首を欲しがるとは、揃いも揃って随分と愚かな輩よ。…まぁ善かろう。此の無人斎…武田陸奥守信虎の首、容易く取れる程には甘くないぞ…。冥府への露払を致したい奴は、懸かって参るが善い…!」

 そう言い乍ら、信虎は被っていた頭巾を外して放り投げると、刀を鞘から抜き放つ。

 

 其れと同時に、路地を塞ぐ清信の郎党の1人が、信虎に向かって上段に斬り掛かって来た。

「はあぁっ!」

「ふんっ!」

 信虎は事も無げに斬撃を躱すと、擦れ違い様に胴を薙ぎ払って、転倒した郎党の利き腕を踏み付ける。

「ぎゃぁぁっ!」

 余りの激痛に叫び声を上げる郎党を無視して、信虎は路地を塞ぐ郎党達に向けて斬り込みを掛けて来た。

 相手が唯独りのみの状況で油断していた郎党達は、信虎に心の隙を衝かれる形で奇襲を許してしまった。

 信虎も、刀に脂が付いて切れ味が無くなっている事を考慮して、首筋や上半身に刺突を繰り出して、数人の清信の郎党を斬り捨てる。

 其の姿は、正に《甲斐の虎》の異名に相応しい代物であったが、余りの高齢に加えて僅かに体内に入っている鳥兜の毒素も相俟って、直ぐに脚が止まってしまった。

 其の刹那、郎党達の中から1条の素槍が伸び、信虎の止まった右脚に突き刺さった。

 

「んぐっ…!」

 鳥兜の影響で多少痛覚が多少麻痺していたが、それでも激痛に襲われた信虎が思わず片膝をつくと、此処ぞとばかりに素槍を持つ郎党達が、前後から次々と穂先を突き入れた。

 まるで槍衾の如き連続攻撃を食らって、信虎の胴体には10条以上の素槍が突き刺さった。

 更には、其の多くが身体を貫通して穂先が反対側から飛び出し、信虎の全身を鮮血に染め抜いていく。

 

「ぐぁはぁっ!」

 内臓を穂先でえぐられて大量に吐血し乍らも、信虎は抜き身の刃を杖替わりに再び立ち上がり、襲撃者達を睨み付ける。

「ひっ!」

 槍を突き入れた郎党達は、余りにも鬼気迫る光景に思わず柄物から手を離して後退あとじさると、怯えた面持ちで信虎を遠巻きに囲んだ。

 

「何とっ!」

「此の老耄めっ、未だ生きて居るのかっ!」

 正に最後の力を振り絞る信虎に、怯んだ清信達は悲鳴染みた声を上げるが、既に致命傷を負っている信虎の耳には届いて居なかった。

 

(…此れが、儂の《覇道》の成れの果てか…。…だが、公儀と織田に儂が殺られた事で、当家を縛る軛は解かれたのだ…。…晴信、そして勝頼、…公儀でも織田でも無い《新たな道》を目指すが善かろう。…まぁ、見届けられぬのが…、…名残惜しいがな…)

 

 其の場に立ち尽くす信虎を、暫く遠巻きにしていた清信の郎党達が、恐る恐る近付いて確かめると、信虎は既に絶命していた。

 前後から刺され貫通していた槍が、偶然にも信虎の身体の突っ支いに成る形で《立往生》していたのだ。

 信虎に底知れぬ恐怖を抱いていた清信達は、反動の様に気勢を上げて信虎に群がると、其の遺骸を斬り刻んでいく。

 そして、信虎の首級が直ちに刎ねられ、《君側の奸たる無人斎》を討ち取った事を祝って勝鬨が上げられるのだった…。

 

「佐久間殿を始めと致した織田家の方々の御助力で、上様を誑かした奸物を討ち果たす事が適い申した。上様に代わって御礼申し上げる。無人斎の首級、どうか受け取られよ!」

「上野殿、此度の御働きは誠に見事で御座った。正に祝着至極で御座った。無人斎の首、確かに当方が御預り致す」

 清信達一部の幕臣に襲われて落命した信虎の首級は、武家御所の大手口に於いて、軍勢を率いて待機していた信盛へと引き渡された。

 

(はっはっはっ!公方め、幕府の犬共めっ!思い知ったか!織田の権勢に逆らう輩は、此の様なざまに為るのだ!…此れで不興の御様子だった殿(信長)も、重臣たる儂に対して、相応の扱いに戻して頂けるに相違有るまい!)

 信虎の新旧2邸の屋敷を焼き払い、其の首級を遂に手中に収めた信盛は、《三方ヶ原での敵前逃亡》という失態の挽回が適った為に、室町通を意気揚々と闊歩していく。

 京の各所に散っていた織田勢は、上機嫌な信盛からの報知を受けると、次々と三条京極の村井屋敷へと引き揚げて行った。

 

 此の1月5日の騒乱に於いて、信虎と武田家のみが被害を蒙った形で、両者がほこを納めた結果、京の都を舞台にした戦闘は差し当たって回避された。

 だが、幕府と織田家…義昭と信長の間に横たわる潜在的な対立は、何等なんら解消されてはいない。

 結果として、京畿は程無く戦乱の渦中に巻き込まれ、僅か3ヶ月後には上京が灰燼に帰する事に為るのである…。

 

 信盛は光秀達と共に村井屋敷に入ると、無人斎の首級を幕府から差し出させた旨を伝える書状をしたため、岐阜にて上洛の支度を急ぐ主君信長へと早馬を遣わせた。

 其の一方で、京に於ける警察権の掌握と、幕府方に対する見せしめを兼ねて、無人斎の首級は村井屋敷の東側に当たる鴨川《三条河原》に梟首(晒し首)に処された。

 

 首級の側に掲げられた落札おちふだには、《天下に仇を為した咎》に因って、《織田の要請に従って公儀が処断した》旨が記されていた。

 此れは即ち、織田家の方針に幕府が屈伏した証であり、織田家が将軍家よりも上位に在る事を、高らかに宣言為る代物だったのだ。

 一度は《無人斎の首級》を差し出す事で融和を計ろうとした幕府も、此の後も更に増していく織田方の圧力に、自分達の目論見が外れた事を悟り、再び対立へと舵を切っていく。

 

 一方の当事者である織田家も、今回の《無人斎の誅殺》、そして屋敷の焼き討ちが、正に《虎の尾を踏む行為》で在った事を、程無く理解させられた。

 先々代当主の信虎の謀殺を使嗾し、京屋敷を奇襲して全焼させた事で、《甲濃の盟約》…武田・織田両家の盟約が、遂に破れてしまったのだ。

 

 三河野田城に出陣中の甲斐武田家当主・武田大膳大夫勝頼と、遠江浜松に腰を据える前当主・武田法性院信玄(権中納言晴信)は、《信虎の殺害》と《京屋敷の奇襲炎上》の報知を受けると、連名で書状を遣わせて織田家の所業を激しく糾弾した。

 そして、其の書状の末尾に《甲濃の断交》と織田家への正式な宣戦がうたわれた。

 更には、此の事実を握り潰されぬ様に、諸大名に書状を遣わせて報せる他に、高札を各所に掲げて自らの《大義名分》を天下に知らしめたのだ。

 

 上洛の軍勢を調えて、既に先陣は岐阜城から出陣して関ヶ原に入っていたが、信長は武田家からの《宣戦布告》の書状を受け取ると、軍勢を急遽呼び戻して上洛を中止している。

 そして、現時点で三河表で武田の矢面に立っている盟友…というより傘下の大名である徳川家に、後巻の軍勢を送る手筈を調え始めた。

 此の時点から、織田家は意識して避け続けていた《多正面作戦》に乗り出さざるを得ない状況に、追い込まれる事に為ったのである…。

 

 三河岡崎城。

 松平家が三河の小大名だった頃からの本城であり、9代当主の三河侍従家康が遠江浜松城へと進出を果す迄は、三河統一の拠点とした城である。

 しかし此の時点に於いて、徳川家は武田家との抗争に因って、浜名湖の西岸の一部を除く遠江の全域と、東三河の北半を既に喪失していた。

 徳川の領地は8年前…永禄8年(1565年)に吉田城を攻略した頃とほぼ同水準に縮小していたのだ。

 

 岡崎城の本丸に築かれた御殿は、つい先日迄は嫡男・信康に譲られていたが、《三方ヶ原の戦い》と浜松落城に伴って、再び家康が入って采配を揮っている。

 昨年末に岡崎城に戻って以来、鬱々たる日々を過ごして居たが、保長の嫡男である服部半蔵正成が、京の保長からの報知をもたらすと、家康は会心の笑みを浮かべる。

 

「ふっ…、左様か。御主の父には、相応の褒美を授ける。次のはかりごとも成就致した暁には、約定通り伊賀者を登用致す故に、今以上に励むが善い!」

「はっ!有り難き幸せに存じ奉りまする!京の父に成り代り御礼申し上げまする!」

 正成が平伏して、礼を述べてから居室を退出した途端、家康は口角を釣り上げ乍ら、唯独り脇に控える《西三河衆旗頭》の石川与七郎数正に話し掛ける。

 

「此れで信長殿も、高みの見物なぞ出来まい…。精々織田の軍勢には、信玄坊主と《諏訪の小倅》の成敗に、骨の髄迄しっかり役立って貰おうではないか…」

「御意で御座いまする。此度の武田奥州(信虎)の生害、御慶び申し上げまする…」

「数正…、間違っては為らぬ。武田の老耄が害されたのは、所詮は己が所業の報いに過ぎぬ。儂は、貴奴には何も致しては居らぬ。強いて言えば、周りの連中の背中を少しだけ押して遣っただけよ!」

「はっ!此れは、口が滑り申した。申し訳御座いませぬ…」

 

 駿府での人質時代に、雪斎を通して信虎と見知っていた2人は、軽口を叩いて信虎の死を心底から喜ぶ。

 彼等にしてみれば、故国を追われたとはいえ、今川家の縁戚で勝頼の祖父である信虎は、二重の意味で赦されざる存在であり、今回の暗殺で溜飲を下げたのは、紛れも無い事実で在ったのだ。

 

「さて、此れで織田の軍勢を、三河表に引き摺り出せまするな…。殿(家康)、次は武田と織田の両勢を、何処いずこに呼び出して、潰し合いを演じて貰うか、で御座いまするが…」

 一頻ひとしきりして感情が落ち着くと、数正が今後の方針に基づいて《織田・徳川対武田》の戦闘を行う地域に就いて尋ねて来る。

 家康は、側に置いてある文筥ふばこから、三河一円を簡略に書き記した地図を取り出すと、2人の間に広げて見せる。

 

「ふむ…、武田の奴輩が、奥三河にも入り込み過ぎて居るからな。此の侭では、三河奪還も容易では有るまい。然れど既に、半蔵の配下を繋ぎとして、布石は打って在る…」

 そう言い乍ら、地図の上を指先でなぞると、或る城の名前を書き記した処で指が止まった。

「此処じゃ…、武田の山猿共の裏を掻き、織田勢の《後詰》を呼び込んで、一旦掠め盗られた三遠の地を奪い返す、其の烽火と致す城じゃ!」

 数正は、家康が指し示した城の名前を呟き、僅かな危惧を覚えて家康に訴え掛ける。

 

「長篠城…。《山家三方衆》が武田に寝返って、我等が手を離れた城ですな。然れど今では、武田家の奥三河に於ける《根城》で御座いまする。何よりも、徳川の今の持城からは遠い上に、攻め寄せるには難攻不落、如何に織田の後詰が有れども直ぐには落とせますまい…」

「そうで在ろうな。然れど、其の《難攻不落》の城が、戦わずに旗をひるがえしたら如何致す?」

「何とっ!…武田に手入れ(調略)を致すのですな。そして、城に籠った者が武田を引き付け…」

「左様。武田の城攻めの後背を、織田勢と我等が襲い掛かるのよ!」

「成程、感服仕りました…」

 

 漸く主君の軍略に納得して、首肯為る数正から視線を逸すと、壁に1幅の掛軸に目を遣った。

 半月前の屈辱の敗戦を忘れぬ為に描かせた《徳川家康三方原戦役画像》である。

 後世、《しかみ像》と呼ばれる事に為る恥辱の象徴を眺めて、家康の胸中には勝頼と信玄に対する憎悪が、更に激しく燃え盛る。

 

(諏訪の小倅、そして信玄坊主…。精々今暫くの間だけ、糠喜びを致しておるが善いわ!織田の大軍勢を引き連れて、貴様等の素っ首を刎ねて、先に死んだ老耄の横に並べて呉れようぞ!)

 戦国大名として、自らの生き残りを賭けた執念の謀略に因って、遂に反撃の糸口を掴んだ家康は、此の成功を新たな勝利に繋げる為に、再び策動を始めるのだった。

 

 此の元亀4年(1573年)1月5日に起きた政変に因って、此れ迄表立った衝突を避けていた甲斐武田家と織田家は、遂に全面戦争へと突入した。

 

 更には、幕府に於いて奉公していた信虎を、同じ幕府奉公衆が殺害に及んだ事で、武田家は幕府の権威から、今迄以上に距離を置く事に為ってしまった。

 だが結果として、此の事が武田家の自主独立…幕府にも織田家にも与さぬ《第3の道》を歩む切っ掛けと為った。

 其れが皮肉にも、武田家が滅びた足利幕府に代って、《織田政権の対抗軸》として、諸国を束ねていく端緒と為っていくのである。


今回の話で、武田家を京から密かに支援していた信虎が、徳川家康の謀略の餌食となって、壮絶な最後を迎えました。史実では、六角家支援に甲賀に入りますが、幕府滅亡後に逃亡して、孫の勝頼を頼って落ち延びます。最後は息子信玄の1年後に、故郷甲斐に入る事適わず信濃高遠にて亡くなりました。ですが此の仮想戦記では、未だに戦端を開いて居なかった信長と勝頼を戦わせ、尚且つ足利幕府から武田家を独立させる為に、此の様な最後を遂げて貰いました。さて、次回は勝頼が出陣中の野田城攻めの話になります。相変わらずの遅筆の上に乱文ですが、次回も読んで頂ければ嬉しく思います。有り難う御座いました。


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