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廿悉之余之壱:老虎無慚(前)~焦燥の信盛~

今回の話は、此の仮想戦記に於いて戦端を開いていない武田・織田両家が、全面戦争へと突入する契機となる《事変》の話になります。乱文長文ではございますが、読んで頂ければ嬉しく思います。

 闇夜には遮る物無き虚空が大地の熱を奪い去り、黎明の頃には春とは名ばかりの底冷えと、河川や湖沼から湧き起こった濃霧が周囲を支配為る。

 だが、日中は霧は全て消え失せて、僅かに春の接近を感じ取る事が適う。

 日溜まりの下では、新たな季節の到来を予感させる様に、樹木の芽が膨らみを帯び始めていく…。

 

 時は元亀4年(1573年)履新の頃…1月4日の事である。

 

 新たな年を迎えて幾許いくばくも経たず、高貴な人々が吐く息には未だ屠蘇白散の酒気が残る此の季節に、京師を中心とした畿内と其の周辺に於いて或る話題が口の端に上っていた。

 甲斐を中心に勢威を拡げる武田権中納言晴信…法性院信玄と大膳大夫勝頼の親子が率いる4万6千の大軍勢が、三河遠江の徳川三河侍従家康を、遠江三方ヶ原に於いて鎧袖一触で撃破した上に、徳川の本城たる浜松城を奪い、東海道西上の新たな拠点としたのだ。

 

 噂好きな京の町雀達は、今にも武田親子が上洛の壮途に就くと囃立て、武田親子及び京に強大な影響力を持つ織田弾正大弼信長、そして京師に居を構える征夷大将軍・足利権大納言義昭…等、有力者達の動向に注目が集まっていた。

 

 上洛を果した頃には蜜月だった信長と義昭の関係は、信長の権勢の拡大と反比例為る様に険悪化しており、今や表面上は兎に角として、水面下では御互いを失脚させるべく、暗闘を繰り広げていたのだ。

 双方の対立に巻き込まれた形の、畿内や其の周辺の戦国大名や有力な国衆達は、自らの生き残りの為に両者のいずれに従うべきか、脳漿を振り絞って思案していた。

 

 其の様な状況下に於いて、東国より伝わった《三方ヶ原の戦い》の詳報は、当事者の思惑は別にして多くの大名や国衆達に大きな衝撃を与える事に為った。

 そして新たな年を迎え、岐阜城の信長か京の武家御所の義昭か、何方の側に《新年御礼》の為に拝謁して賀詞を述べるか…が、《織田方》か《幕府方》か、何方の陣営に加わるかを見分ける為の《試金石》と見られていたのである。

 

 上京と下京の双方に睨みを利かせる事が適う、勘解由小路室町の武衛陣跡(斯波家屋敷跡地)に4年前に築かれた《二条城》は、将軍たる義昭の居城である。

 2町四方に及ぶ城域と、築城期間僅か70日余りとは思えぬ威容を誇る此の城は、義昭に因んで《武家御所》《武家御城》と呼ばれていた。

 其の武家御所の一角に在る《書院造》の居室に於いて、義昭の甲高い笑い声が響き渡っていた。

 

「目出度い、誠に目出度いのぅ!此れ程心地好い年明けを迎えるのも久方振りよな!只の朝餉あさげも、何時もより美味しく感じるのぅ!」

 己の居室に御膳を持ち込んで、火鉢に当りながら上機嫌で朝食を取っている義昭が、側にはべる僧体の老人に話し掛ける。

「特に、其の方の孫の活躍は誠に期待を越える物で在ったぞ!《甲斐の虎》の血脈を継ぐに相応しい若武者だのぅ…」

「はっ…、御褒めに預り恐悦至極に存じまする。勝頼に代わって御礼申し上げまする…」

 そう言い乍ら、僧体の老人が義昭に向かって深々と平伏為る。

 

 其の老僧は、剃り上げた頭部は異様に大きく、眉は吊り上がって眼や鼻、口の造りも常人よりも大きい。

 当人曰く此の年で80歳に為る筈だが、老体にも関わらず適度な筋肉を纏った背筋は、真直ぐに伸びて大きな頭蓋を支えている。

 其の所作の一つ一つは、緩やか乍らも高齢を全く感じさせない。

 そして何よりも、其の眼光は獲物を前にした肉食獣の如く爛々と輝きを放っており、僧体とは余りにも不釣合いな《覇気》を醸し出しているのだ。

 

 此の老僧は、《御相伴衆》として密かに義昭に仕え、自らを無人斎道有と名乗っていた。

 其の出家前の俗名は武田陸奥守信虎…東国に於いて《甲斐の虎》と恐れられた、甲斐武田家の先々代の国主だったのだ。

 

 武田家の第18代当主に当たる信虎は、嫡男の太郎晴信(後の法性院信玄)に因って甲斐から遂われた後は、諸国では《前甲斐守護》の立場で遇され、駿河今川家・伊勢北畠家・足利将軍家や公家の三条家(転法輪三条家)・今出川(菊亭)家…等と活発に交流していた。

 義昭の兄で第13代将軍の足利義輝から《御相伴衆》にも任ぜられたが、永禄8年(1565年)の所謂《永禄の変》に於いて義輝が暗殺されてしまった。

 京を脱出した信虎は、出家して《無人斎道有》と名乗ると、諸国を渡り歩く潜伏生活に入った。

 そして義昭が信長の支援の下で上洛を果して、征夷大将軍に宣下されると、信虎は密かに義昭に接触を果し、再び《御相伴衆》として幕府に仕え始めたのだ。

 

 其の後、織田方への情報の漏洩を恐れた信虎は、表立った評定には殆ど出席せずに義昭の影に徹していた。

 更に《無人斎》として義昭の御前以外に出る事が増えて来ると、武家御所の城内でもわざと頭巾を被る様に為り、此れ迄以上に其の素顔を隠した。

 現在、其の正体を極力隠蔽した侭の信虎の氏素姓を正確に把握している者は、幕府の中には義昭を含めて10人程しか存在して居らず、昨今の義昭と信長が決裂しそうな状況下に於いて、其の立場が十二分に発揮されていた。

 義昭に対しては《信長への対抗策》を授けて陰で支える一方、《織田包囲網》構築の為の軍略を担っていた。

 他方、洛外に於いては素顔を覆う頭巾を外して、《前甲斐守護》の立場を最大限に利用していた。

 そして、畿内各地や近江・伊勢、更には遠く駿河に至る迄、義昭の内命を伝える為に遣わされて来たのだ。

 

 更には、信玄・勝頼親子が織田家とも幕府とも一定の距離を保ちつつ《武田家に因る天下取り》という独自路線を歩んでいる事に関しても、朝廷・公家工作等で陰乍ら支援を行っており、異なる思惑で動く足利・武田両家を結ぶかすがいの役目を果して居たのだ。

 

「道有、其の方が遣いを致した畿内の大名共も、今年の正月は打ち揃って賀詞を述べに参上致した。更には徳川を破った武田の軍勢も、間も無く上洛致そう。追い込まれた信長の青褪めた顔は、さぞかし小気味良い代物で在ろうな!」

 まるで勝負が決ったかの如き口振りで、上機嫌で話し掛ける義昭に対して、無人斎…信虎は全く楽観視出来ない事を忠告為る。

 

「上様(義昭の尊称)…。御油断召されますな。織田弾正(信長)殿は未だに降参致した訳では御座いませぬ。朝倉左衛門督(義景)殿も越前に退いた侭で、此の程度の優位は、直ぐにでも覆されましょう…」

「…道有は随分と慎重よな。…そうじゃ!予が信長討伐の檄を飛ばして、兵を挙げるのはどうじゃ?予が兵を挙げれば、賀詞を述べに参った大名共は、こぞって予の下に馳せ参じるで在ろう!」

 義昭は、まるで妙案が浮んだかの様に、眼を輝かせ乍ら主張したが、信虎はあっさりと全否定してしまった。

 

「…其れは罷り為りませぬ。京に居る幕臣は2千程、畿内各地から大名が馳せ参じても精々1万を越える程度で御座いましょう。朝倉勢が国許を動かず、武田の軍勢が未だに徳川家に塞がれて居る現状で兵を挙げては無謀のきわみ、弾正殿に《各個撃破》の隙を与えて遣る様な物で御座いまする…」

「…道有っ!予が挙兵致しても信長を斃す事はあたわぬと申すかっ!予は将軍ぞっ!予が檄を飛ばせば、全国の諸大名は信長討滅に馳せ参じる筈だろうがっ!」

 己の考えを否定されて義昭は機嫌を損ねて不満を爆発させるが、信虎は動じる事無く多少凄みを加え乍ら《現状での挙兵》の無謀さを説明為る。

 

「…一部の例外は有りまするが、全国の諸大名は春から夏に掛けて田畑を耕す為に、多くの兵達を村に返さねば為りませぬ。然れど織田の軍勢の中核を為しておるは、百姓と切り離された謂わば《銭で養った足軽》で御座いまする。今の時点で挙兵為さっても、多くの兵が国許に帰った隙に、織田家の大軍勢から押し潰されまするぞ…」

「…挙兵は能わぬと申すか。…為らば、予は如何致せば善いのだ?」

 信虎の脅しに意気消沈したとはいえ、未だに不機嫌な義昭は、不貞腐れ乍らも信虎にどう動くべきか尋ねて来た。

 

「はっ…。先ずは国許から動こうと致さぬ朝倉殿や、進撃が手間取って居る武田は勿論の事、弾正殿と盟を交して居りまする越後の上杉不識庵(謙信)殿や、本願寺を支援致して居ります毛利右衛門督(輝元)殿等にも御内書を遣わせて、参陣を促しまする。今の《織田包囲網》のみ為らず、新たなる大名を加えた上で、其の総力を結集させねば、決して弾正殿を打ち破る事は適いませぬ…」

「うむぅ…。然れど、予はもう我慢の限度を疾うに越えて居るのだ!為らば、予は何時いつ迄の間、信長の慇懃無礼な振舞に耐えねば為らぬのだ?」

「先程申し上げました通り、秋の稲刈りが終り諸大名が再び軍勢を起す事が適う迄は、飽く迄も表立った動きを慎んで頂ければ、弾正殿を討ち果す事も適いましょう…」

「何とっ…!道有よ、予は未だ半年間も耐え続けねば為らぬと申すかっ!」

 唖然とした義昭に対して、信虎は畳み掛ける様に挙兵時に絶対に守るべき注意点を述べる。

 

「御意で御座いまする。其れと、一旦挙兵致した為らば、絶対に弾正殿と和議を交しては罷り為りませぬ。仮令たとえ弾正殿が再び《袞龍の袖》(天皇の仲介)に縋ろうとも、質を渡すと申して参っても、で御座いまする…」

「当り前だ!予は、信長の振舞に腹を据え兼ねて居るのだっ!和議なぞは致す筈が無いわ!」

「為らば善う御座いまする。も無くば、和議の隙に周りの御味方が次々と討ち取られた挙句に、最後には上様に害が及ぶ事に相成りましょうからな…」

 信虎のおどろおどろしい口振りに、義昭は生唾を飲み込み乍ら朝餉を運ぶ箸を膳の上に戻すと、機嫌を損ねて信虎へと当たり散らした。

 

「う、うぐっ…!其の様な事は、其の方から言われずとも疾うに判って居るわ!此れ以上其の方と話しては朝餉が不味う為るわ!控えの間に下がって居れっ!」

「はっ、申し訳御座いませぬ。其れでは失礼仕りまする…」

 信虎は義昭に平伏してから側に置いていた頭巾を被ると、義昭の居室を退出して控えの間へと続く縁側を歩き乍ら独りちた。

 

「さて…、上様は儂の申した事を本当に判って居られるかの。若しも判って居られれば、幕府の中興と相成るが…」

(然に非ずば、幕府は滅びの道を歩む。其の先に見えるは信長の天下か、若しくは武田の上洛を果して瀬田に《武田菱》が翻るか…。晴信、勝頼、御主等に残された刻は僅かやも知れぬぞ…)

 信虎は、旭日に雪冠を照らされて白銀に輝く比良の稜線を頭巾越しに仰ぎ見て、其の山々の遥か東へ…美濃に居る宿敵と遠江に居る己の息子と孫へと、思いを馳せるのだった。

 

 信虎が居る京からは、比良の峰と琵琶の湖を挟んで更に東側に位置している、美濃国に威容を誇る織田家の本城…岐阜城。

 美濃を東西に貫流為る長良川の南岸にそびえる独立峰…金華山(稲葉山)の全域を利用した山城で、かつて斎藤家が美濃を治めた頃は、城下町や山名から取って《井ノ口城》《金華山城》と呼ばれていた。

 だが、6年前の永禄10年(1567年)に織田信長が斎藤家を滅ぼして、尾張美濃の2国の主に就くと、彼は城下の《井ノ口》の町の名を、周の文王が拠って天下を制した《岐山》に因み《岐阜》と改めた上で、自らの居城も尾張小牧山から岐阜へと移している。

 

 其の後、信長の苛烈乍ながらも的確な政治姿勢と、《楽市令》を始めとした貨幣経済を念頭に置いた統治政策に因って、城下町たる岐阜や南隣の加納市では、嘗て無い程の活況がもたらされた。

 そして、信長は、其の翌年には上洛を果すと、武家の棟梁たる義昭さえも凌駕為る程の権勢を手中にしたのだ。

 しかし、武田家とは仮初かりそめの盟約を結んだ侭、未だに破棄されていないとはいえ、畿内から聞こえ伝わる《武田の上洛》の噂は、信長の判断にも確実に影響を与え始めていた。

 

「仙千代、如何相成って居るか?」

 金華山の麓に築かれた4層の御殿《天主》の大広間に、前線以外に配置されている織田家の重臣達が居並ぶ中、上座にて信長が脇に控える小姓の万見仙千代重元に対して、主語を付ける事もせずに唐突に質問を投げ掛ける。

 併し、重元は信長が問うている内容を的確に理解して、まるで紙に記した文書を読むが如く答を返して来る。

 

「はっ、河内若江の三好左京(義継)、大和信貴山の松永弾正(久秀)、多聞山の松永右衛門佐(久通)、摂津池田の池田左衛門尉(知正)、伊丹の伊丹兵庫頭(忠親)、高槻の和田伝右衛門(惟長)、伊勢三瀬谷の北畠大納言(権大納言具教)・左中将(具房)親子…等が岐阜に参上致さずに、本人若しくは名代が武家御所へと登城致し、公方(義昭)様に対して賀詞を述べた由で御座いまする」

 重元がそう報告為ると、京の警固の担当の1人である丹羽五郎左衛門尉長秀が、補足説明を加えていく。

 

「左様で御座る。更に、武家御所には浅井・朝倉・六角を始めとした織田家に逆らう畿内の大名共も、名代を御礼に参らせた由に御座いまする」

「然れど、貴奴等は所詮は烏合の衆に過ぎぬ!此処は《要》と為る輩が表れる前に、虱潰しに致す他は無かろう!殿っ、是非とも儂に先陣を御命じ下さいませ!」

 重臣の柴田権六勝家が、力強い口調で強硬な主張を行い、信長に対して出陣を直訴為るが、其処に佐久間右衛門尉信盛が反論を展開した。

 

「危急の折に、無闇矢鱈に動き回るのも如何な物で在ろうか?武田の奴輩も、遠江を奪って次は三河を窺う気配を見せておるし…」

 信盛が発言した刹那、上座の方から突如として衣擦れの音が聞こえた。

 諸将が上座を仰ぎ見ると、信長が其の細面の額に青筋を浮かべ乍ら立ち上がり、わざと抑制をした口調で叱責為る。

 

「信盛…、貴様が何かしら武田の足留めに役に立ったか?武田大膳(勝頼)は、昨年の暮に徳川に身を寄せて居った駿河(織田駿河守忠政・後の中川重政)に遣いさせて、討ち取った首を丁重に届けて参った。未だ戦端を開いて居らぬとはいえ、さぞかし勝ち誇って居るで在ろう…。貴様が三州(家康)と共に武田の軍勢を浜松に引き付けて居れば、此の様な気苦労を致さずに済んだのだ…」

「はっ、ははぁっ!」

 信長の逆鱗に触れて、其の怒りが爆発為る寸前で在る事を悟った信盛は、恐れを為して板張りの床に這いつくばう。

 居合わせた諸将も、怒りの矛先が己に向かぬ様に平伏して、主君が発する次なる言葉をじっと待ち続ける。

 

「…信玄坊主や息子の大膳とは、何時いつかは雌雄を決せねば為らぬが、今は其の刻に非ず。其れ迄に歯向かう者共を全て捩じ伏せ、叩き潰す!…先ずは、性懲りも無くうごめいておる公方(義昭)を黙らせる。…五郎左っ!」

 己の家臣のみしか居ない為に、将軍もぞんざいな呼び名で語る信長から、行き成り名前を呼ばれた長秀が、面を上げて澱み無い口調で話し始める。

 

「はっ!京に於いては、年の瀬辺りから公方様方がしきりに兵を集めて在りまする!恐らくは、何者かが公方様に策を授け、畿内や各地の大名共にも御内書を発して居る由と愚考致しまする!」

「ふっ…。で、在るか」

 謂わば《征夷大将軍》という公権力に因って、自らの権威が覆される現実に、自嘲気味に鼻を鳴らした信長に対して、先程迄小さく成っていた信盛が、面を上げて訴え掛けて来た。

 

「其の件に関して、申し伝えたき儀が御座いまする!昨年の末、我が所領たる近江永原に於いて、我が配下の者達が討ち取った不審なる者が、此の書状を携えて居り申した!しかと御改め下さいませ!」

 そう言い乍ら、信盛は懐の中から1通の書状を取り出すと、重元が其れを受け取ってうやうやしく主君に差し出した。

 信長は書状を開いて無言の侭に読み進めると、信盛に対して眼と顎で指図して、諸将に内容を説明させる。

 

「はっ!其の書状の差出しは、公方様の御相伴衆を名乗る無人斎道有なる者、宛先は三河刈屋の領主である水野下野(信元)で御座る!内容は『既に公儀(義昭)より内意が下っている。早急に武田大膳(勝頼)に合力致して、共に京へ上洛致すべし』との事!此れは、水野に対して幕府方の手入れ(調略)が行われた証左と心得まする!水野は、彼の三方ヶ原に於いて我が手勢と退き陣(退却)致した際も、殿軍を務めた我が手勢と共に繰り退き致す手筈が、水野の手勢のみを纏めた上で、早々に刈屋に引揚げ申した!恐らくは、既に水野は其の頃より変心致しておったに相違御座いませぬ!」

「…其の理屈為らば、汎秀を見捨ててむざむざ戻った御主も、武田や公方に内通致して居る事に成るな?」

 三方ヶ原に於いて、自らも損害を出したとはいえ、同輩である平手甚左衛門尉汎秀を半ば見殺しにしている信盛に対して、信長は額に青筋を浮かべて、唇の端を歪め乍ら皮肉を吐き捨てる。

 

「いっ…、いえっ!滅相も御座いませぬ!ひらに、平に御容赦を下さいませぇ!」

 一瞬にして血の気が引いた信盛は、其の青褪めた顔を隠す様に床に額を擦り付ける。

(此の痴れ者がっ!他者をあげつらう暇が有る為らば、戦場にて功を立てるべきだろうが!…其れにしても、相伴衆如きが巫山戯た真似を致しおって…!)

 信長は、宿老で在る筈の信盛の体たらくに激しい怒りを覚えたが、次第に其の怒りは自らの権威に盾突く《無人斎道有》なる相伴衆…強いては其の主君である義昭へと向かっていった。

 

「…儂は仮にも公方から《御父》と迄言われた身。父に賢しらにも盾突く不孝者は、性根を叩き治さねば為らぬな…」

 そう言って暫し瞑黙した信長を見ながら、信盛を始めとした諸将全員がいささか身を強張らせて、信長が要求為るで在ろう無理難題に備える。

 

「…儂が上洛致して公方に御灸を据える。儂を嘗めて蠢動致す為らば、儂自らが比叡同様に武家御所のみ為らず上京迄も灰燼に帰して呉れるわ!権六(勝家)と五郎左(長秀)も同道致せ!」

 そう言い乍ら信長が上座から降りて広間から出ようと為ると、1人の武将が信長の進路に進み出て進言して来た。

 

「殿、御待ち下さいませ!此の時期に殿が御自ら上洛為され、織田家と公儀(幕府)が仲を違えるは、漁夫の利を得る輩を喜ばせるのみで御座いまする!先ずは拙者が上洛致して、公方様の周りに蔓延はびこる《君側の奸》を排して御覧入れまする!」

「ふんっ、光秀か…」

 

 明智十兵衛光秀は、かつて美濃の守護だった土岐家の支流である明智家の出自で、美濃を統べていた斎藤道三(利政)に仕えていた。

 しかし、道三と嫡男の新九郎義龍の《親子間の相克》に端を発する、斎藤家中の争乱に巻き込まれた結果、浪人と為って諸国を放浪、其の間に鍛えた鉄砲の業前を以て、一旦は越前の朝倉家に仕官を果たした。

 だが、当主の左衛門督義景の器量の無さを見限り、同時期に越前に落ち延びていた足利左馬頭義秋(後の義昭)と接触、幕臣へと鞍替えした。

 其の後、叔母の小見の方(道三の正室)の娘・帰蝶が嫁いでいた織田信長の下に使者として赴き、義昭の上洛と征夷大将軍補任に尽力している。

 政軍両面に明るく、多方面に優れた才の片鱗を見せた光秀を、信長は織田家と幕府の両属の侭で、長秀等と共に京の奉行衆に抜擢した。

 更に、比叡焼き討ちの後には東麓の近江坂本を与えられる等、織田家中に於いてめきめきと頭角を現していた。

 

「…善かろう。公方が身の程をわきまえる為らば如くは無い。光秀、儂が上洛致す迄に京の吉兵衛、兵部と諮れ」

「御意っ!」

 信長は光秀が素早く平伏為るのを見下ろし乍ら、未だに額を床に擦り付けた侭の信盛に向かって、其方そちらを見る事無く言葉を投げ掛ける。

 

「…信盛、御主も光秀に同道して先乗り致せ。無人斎とやらの件、持ち込んだ御主が始末致せい。武家御所の公方に対して、其奴の引き渡しに応じる様に話を付けて参れ!」

「はっ…、ははぁっ!直ちに岐阜を発って、上洛致しまする!」

 平伏した侭の信盛を僅かに垣間見た信長は、其の侭大股歩きで大広間を退出して行き、重元を始めとした小姓達が、信長の後を走る寸前の早足で追い掛ける。

 諸将は、信長の気配が消える迄の間を平伏し続けていたが、其の気配が消え失せた途端に一斉に立ち上がると、己が果すべき職責をまっとう為るべく大広間から駆け出していくのだった。

 

 信長の突如とした《上洛宣言》に、岐阜城内のみ為らず周囲の武家屋敷迄もが、出陣の準備で灰神楽が立つが如く駆け摺り回る中、都への先乗りを命じられた佐久間信盛と明智光秀は、取る物も取敢えずに岐阜城を出立している。

 家臣と共に馬を乗り継ぎ、未だに雪化粧を纏った関ヶ原を駆け抜けると、此の日…4日の宵闇の頃には夫々(それぞれ)の居城…永原城と坂本城に入城を果した。

 そして夜通しで軍勢を調えると、翌5日の払暁には早くも居城を発して、日が中天に差し掛かる頃には合わせて3千余りの軍勢が洛外に布陣を完了している。

 信盛と光秀は、軍勢を鴨川の東岸に待機させて、三条京極の地に在る奉行衆の1人・村井吉兵衛貞勝の屋敷に入った。

 村井邸には、光秀同様に《両属》の立場である細川兵部大輔藤孝が、報せを受けて既に駆け付けていた。

 4人は手早く談合を済ませると、日輪が西の稜線に近付く頃には、早くも武家御所へと参上したのだった。

 

「上様(義昭の尊称)!何卒なにとぞ我等の言を御聞き届け下さいませ!」

「公儀と織田家が争っては、漸くもたらされた安寧が消え失せ、乱世へと逆戻り致しまする!何卒、此処は、弾正(信長)様が仰有る通りに《君側の奸》たる無人斎を御引き渡し下さいませ!」

 義昭の近臣たる奉公衆達も数多く居並んだ武家御所の《謁見の間》に於いて、諌言を続ける光秀と藤孝に対して、上座に座する義昭は怒りを含んだ金切り声を上げていた。

 

「黙れ黙れっ!光秀っ!藤孝っ!其の方等は誰の家来の積りじゃ!予をないがしろに致しておる信長の代弁を致すとは、如何なる料簡じゃっ!」

 行灯あんどんや外の篝火で照らされた謁見の間で、光秀と藤孝は日没を挟んで既に半時(約1時間)に渡って、無人斎の引き渡しと義昭の自制を求め続けていた。

 だが昨年9月に、17ヶ条の異見を書き連ねた《条目》を突き付けられて以来、《反信長》の姿勢を鮮明にしていた義昭に取っては、2人の諌言は火に油を注ぐが如く、益々怒りを募らせるだけであった。

 

 一方の光秀や藤孝も、内心では義昭や《幕府》を半ば見限って居るとはいえ、《朝廷から認められた公権力》を敵に回す様な愚は出来得る限り避ける為に、必死に説得を重ねて居たのだ。

 また、織田家の奉行である貞勝も、織田家と幕府の此れ以上の関係悪化を防ぐ為に、光秀達と共に義昭や幕臣達の説得を行って居たが、双方の意見は全くの平行線を辿たどっていた。

 

 其の様な中で、義昭への有利な発言の機会を窺う信盛は、ジッと座した侭に義昭や居並ぶ幕臣達をつぶさに観察を続け、唯独りだけ沈黙を保っていた。

 だが、其の視線を定めぬ態度を《己を軽侮している》と受け取った義昭は、逆撫でされた感情の赴く侭に、罵倒の矛先を沈黙を保つ信盛へと向けて来る。

 

「其処に居るのは、確か佐久間の何某なにがしよな!田舎侍が、此の様な場違いな処に出向いて、木偶でくの如く座した侭とはな!其の方の主君の信長もそうだが、儀礼をわきまえぬ田舎侍とは、誠に無様なものよな!」

(何をっ!殿の袖に縋って漸く《公方》に為れた坊主上がりの分際が、此の織田家重臣たる儂に恥を掻かせるとは…。此方が下手に出て居れば頭に乗りおって!為らば、脅し付けて肝を冷やして呉れるわ!)

 義昭からの面罵に《織田の重臣》という自負を傷付けられて、激しい怒りを覚えた信盛は、改めて上座の義昭に向かって正対為ると、努めて慇懃無礼な口振りで挑発し始めた。

 

「左様。織田弾正大弼が家臣、佐久間右衛門尉信盛で御座る。我等一同、此度は我が主君たる弾正大弼の名代として、此の二条城に罷り越して御座る。かつて、我が主君を『御父織田弾正忠、武勇天下第一』と褒め讃えて頂いた事は、誠に織田家臣の誉れで御座いまする。改めて此の場を借りて、御礼申し上げまする!」

「なっ…、何を無礼なっ!予を誰と心得て居るかっ!主上(天皇)より任ぜられた征夷大将軍ぞっ!」

 

 自尊心が強い義昭に取って、己が将軍に就く為とはいえ信長に媚びていた過去は、忘れ難き瑕疵かしとも言える代物で在った。

 信盛がわざと発言した古疵に塩を擦り込むが如き挑発は、言った当人の予想以上に覿面てきめんな反応を齎した。

 

「承知致して居りまする。其れ故に我が主君弾正大弼以下、織田家の総力を以て上様を支えて参ったので御座いまする。然れど、無人斎なる奸物に因って、我等一同の赤心は妨げられて居りまする…」

「だっ…、黙り居れぃ!其の方の無礼な振舞の何処が赤心じゃっ!」

 激昂して熟柿の様な面持に為った義昭を尻目に、信盛は義昭に向かって無人斎…信虎の引き渡しを要求していく。

 

「因って、上様の御身の安全と此の京の安寧を保つ為に、無人斎を此方へ引き渡して頂きとう御座いまする。此度、無人斎を受け取る為に、我等が上洛に率いた兵に京の治安を預かる織田の軍勢を合わせて、総勢で5千程用意致し申した。万々が一、侫臣が上様の御手を逃れて京洛を舞台にあらがわれては、上京が戦火で焼け野原に為り兼ねませぬからな…」

「なっ…!」

 信盛の発言は《無人斎を引き渡さねば上京を焼き討ち為る》と言外に脅迫しており、聞いた瞬間に唖然とした義昭の顔色から、急速に血の気が引いていく。

 

「佐久間殿っ、其は何たる言種いいぐさぞっ!此の京で戦を仕掛けられる御積りかっ!」

「与一郎っ!明智殿っ!無人斎殿は咎人に非ず、上様に御仕え致す御相伴衆の一員で御座るぞ!其れを、無人斎殿が抗ったら上京を焼き討ち致すとは如何なる料簡かっ!両名共が奉公衆に名を連ねて置きながら、上様に対して不義を行うは、拙者が断じて赦さぬぞっ!」

 青褪めた義昭を庇う様に、御供衆の1人である一色式部少輔藤長が信盛を咎め、同じく奉公衆の三淵大和守藤英が、実弟である藤孝や同輩の光秀を激しくなじる。

 だが、信盛の挑発に唖然としているのは義昭のみ為らず、味方の藤孝や光秀、そして貞勝も同様で在った。

 

「あ…、兄上っ!一色殿っ!暫く御待ち下され!姿を見せずに裏からそそのかして居る、無人斎さえ引き渡して頂ければ、其れで善いので御座る!」

「左様、兵部殿が申される通りで御座る!幕府を栄えさせるには、弾正様の御力は不可欠ですぞ!」

如何様いかさま、我等も何も咎無く、無人斎を捕えようと致して居るのでは御座いませぬ。此度、無人斎が織田配下の三河刈屋城主、水野下野(信元)殿に書状を遣わして使嗾致そうとした事、既に書状も掴んで其の罪が明らかと為った故で御座いまする…」

 

 だが、貞勝から水野信元への調略の話が出た途端、奉公衆達は面食らってしまい、思わず御互いに顔を見合わせた。

 確かに、信長に反感を持つ大名や国衆には、叛旗をひるがえす様に御内書を発給して、夫々(それぞれ)の者が密かに遣いを行っていた。

 だが、徳川家康の母方の伯父で当たる信元へは、織田方へ挙兵の計画が漏れる事を恐れて密使を放ってはいない筈で在ったのだ。

(此奴は何を申して居るのだ?上様や無人斎が、其の様な者に密使を放つ筈が有るまいに…)

 硬直した侭の義昭は兎に角として、幕臣達も貞勝の発言の真意を掴みかねて困惑していたが、其の様子を《核心を衝かれて狼狽している》と感じた信盛は、此処ぞとばかりに責め立てる。

 

「幕府の輔翼たる織田弾正大弼に仇を為した、無人斎の罪は既に重々明白で御座る!無人斎を庇い立て致す輩が居る為らば、其の者も同罪にて処罰致しまするぞっ!」

「何とっ!」

「上様や幕府に仕える我等に対して、何たる無礼なっ!」

 幕臣達は信盛に抗議の声を発したが、自分達も信虎と同様に《織田包囲網》構築の為に使者として各地へと赴いており、其の点を糾弾される事を恐れて舌鋒は鈍く為らざるを得なかった。

 

「上様、我が主君たる織田弾正大弼は《此度の書状の差出人は無人斎である故に、無人斎さえ此方へ引き渡して頂ければ、此の件に関して他の者への詮議は致さぬ》と申して居りまする。是非とも、無人斎を奉公衆の手で捕縛の上、織田家へ御引き渡し下さいませ!」

 信盛は上座を向き直すと、少しでも早急に交渉を進展させる為に《信長の意志》を多少脚色して引き渡しを求めるが、青褪めた侭の義昭は顔を引きった侭で返事が出来ない。

 此の時、義昭の脳裏には兄弟の暗殺後に3年近くに渡って命を狙われ続けた《逃亡》の恐怖が蘇っていた。

 

「奉公衆の皆様方に改めて御願い致す。上様や皆様方に累を及ぼさぬ為にも是非、幕府の手で奸臣を捕らえて織田家に引き渡して頂きとう御座る。我等は一旦、三条京極に在る村井屋敷に戻って、其方からの遣いを御待ち致しまする。では此れにて失礼仕りまする…」

 信盛は、差し当たって此の場での交渉停止を伝えると、上座の義昭へと一礼して他の3人に退出を促す。

 互いに顔を見回して交渉の不調を悟った光秀達は、義昭に礼を施して謁見の間を退くと、重い足取りで信盛の後に続くのだった。

 

「佐久間殿、如何致される所存で御座るか?此の侭では、我等全員が弾正様より御叱りを受けてしまいまするぞ…」

 武家御所の大手口を出て室町通から三条京極の村井邸に向かう道すがら、藤孝が信盛に馬を寄せ乍ら弱音を口に為ると、光秀が首肯して補足を加えた。

「其ればかりでは御座らぬ。此の侭で弾正様が上洛を為さっては、必ずや洛外や上京を焼き払われる筈で御座る。上京が焼けて仕舞わば、織田家と幕府方は完全に手切れと為ってしまいまするぞ…」

「如何様で御座る。既に浅井・朝倉や本願寺と相対して、武田も徳川を圧倒致しておる昨今、公方様迄も敵に回してははなはだ拙う御座る。いやはや如何致すべきか…」

 困り果てた貞勝も思わず嘆息を漏らしたが、焦りを浮かべている信盛は他の3人を急かす様に弁を振るう。

 

「…御主等、何を申して居るのだ?既に公方様や奉公衆には、多少の威しを込めて此方側の意向を伝えたのだ。…とはいえ、此の侭素直に無人斎とらやを差し出す事は有るまい。其処で、武家御所には危害は加える事無く、別の場所に焼き討ち致す様子を見せ付ける事で、貴奴等の尻に火が点いて居る事を判らせるのよ!」

「…別の場所で御座るか?佐久間殿、其れは一体何処の事で御座るか?…其れに、此れ以上責め立てては上様の御機嫌を損ねてしまうのでは…」

「明智殿、我等も悠長に構えておる暇なぞ無いのだ!殿(信長)が上洛致される迄にけりをつけねば、我等の方が殿から御咎めをこうむる羽目に陥るのだぞ!…兎に角、京極の屋敷に着いたら直ちに、儂と共に軍勢を集められるだけ集めて呉れ!」

「う、うむっ!」

 信盛の焦燥に後押しされる形で頷く光秀を余所に、信盛は同じく騎乗した藤孝と貞勝の方へと指示を出した。

「細川殿、其れに村井殿。御主等には、焼き討ち致す場所…即ち無人斎が宛行あてがわれておる屋敷の間取りを、直ちに調べて貰いたい!」

「佐久間殿…、そう致したいのは山々為れど、無人斎の邸宅が何処に在るかは、それがしも明智殿も承知致して居りませぬ。実の所、某の前では常に頭巾で顔を隠して姿形を見せぬ故に、其の氏素姓も確とは判らぬので御座る…」

「何を迂遠なっ!御主が顔を知らずとも、無人斎を知る者は必ずや存在致す筈だ!織田家中の者のみ為らず、必要為らば公家の方々や寺社のつてを使ってでも構わぬ!一刻も早く目星を付けて貰わねば為らぬっ!」

「成程…、承知致した!早速、各所に遣いを放って無人斎の屋敷を見つけまする!」

「佐久間殿。為らば某も、京に居を構える商家に配下の者を遣わせましょう。恐らくは取引先の何処かに無人斎の屋敷が在るやも知れませぬからな!」

 信長の命を直接受けて焦燥に駆られた信盛に当てられたのか、藤孝と貞勝も神妙な面持ちで同意した。

 

(…如何なる手段を用いてでも無人斎を捕らえて、坊主上がりの公方の鼻を明かして呉れるわ!そして、一刻も早く三方ヶ原の失態をあがなって殿の御寛恕を得なければ、儂の命取りに為ってしまう…)

 焦燥感にさいなまれた信盛の脳裏には、比叡山の焼き討ちに於いて垣間見た主君の面持ち…残忍酷薄な虐殺を命じ乍らも薄笑いを浮かべる、信長の表情が鮮明に映し出されていた。

 

 信盛は、一刻も早く信長の不興を払拭して己の身の安泰を計るべく、京に駐留中の織田勢を総動員して無人斎…信虎への手掛りを捜し始める。

 だが、織田の軍勢を利用しようと謀略を巡らす者達に取っては、信盛が抱える強迫観念は、在り在りと把握されていたのである…。

 

 武家御所の中の一角でも、奉公衆の1人で義昭の側近である、上野中務少輔清信が宛行われている曲輪に、殺気だった一団が集まりつつあった。

 清信の檄に応じる形で、織田家に眼を付けられた無人斎を捕縛若しくは殺害為るべく、密かに動き始めて居たのだ。

 

 其の一団の最後方に、柿色の鎧直垂と同色の萎烏帽子を着け、白い顎髭あごひげを生やした老武者が、他の者達に紛れる様に立って居る。

 其の老武者は、仲間内では目立たぬ様に振る舞い乍らも、篝火かがりびの灯火が当らぬ影に入ると、同志である筈の一団を眺めて冷笑を浮かべる。

 

(さて…、愚かな幕臣共を密かに焚き付けて、漸く内輪揉めに持ち込んだ。後は《上意討ち》を恐れる佐久間が笛に乗って踊って呉れれば、我等がはかりごとは完遂致す。無人斎…、いや、武田信虎。我が主君の御為に今宵無惨に死んで貰うぞ!)

 内命を受けて武家御所に入って居る老武者は、自分達が紡ぐ謀略の成功を確信して、密かに口角を釣り上げるのだった。

 

 彼等…信虎暗殺を目論む一団に半ば踊らされる形で、信盛が齎された情報に藁をも縋る思いで飛び付き、清信が幕府内での内紛を起し始める。

 此等の事が、当事者達も知らぬ侭に、更なる戦乱への烽火と成っていくのである。

甲斐追放後、娘婿の今川義元の世話に為りながら、幾度か上洛して足利将軍に仕えていた武田信虎は、《在京守護》の一人として多くの人物と交流を深めて居ました。末娘を菊亭家に嫁がせた際には、自ら居候として乗り込んだ等の余話も在ります。史実に於いては、上洛を志した信玄にも密かに連絡を取って上洛を催促していて、彼はいわば《武田家の特別大使》の様な立場でした。今回の後編に当る次回の話では、其の信虎が謀略の標的となって殺害され、開戦を引き伸ばして居た武田・織田両家が全面戦争に入っていく事になります。相変わらずの遅さの上に乱文長文ですが、次回も是非とも読んで頂ければ幸いです。

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