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拾肆之余:黄梅の芽吹き〜国母への一歩〜

私事ですが、お盆過ぎに携帯電話が壊れてしまい、此の話のデータが入ったままで修理に出して中々戻って来ませんでした。現代社会に不可欠とはいえ、携帯に頼り過ぎるのも考えもの…と、考えさせられました。さて、今回は史実に逆らって帰国を果たした黄梅院の話です。相変わらずの乱文ですが、読んで頂ければ嬉しく思います。

 相模国小田原。


 相模国の南西端にあたる此の街は、《関東》の南側の入口に位置し、西側にそびえる箱根の山々が関東と駿河以西とを隔てている。

 謂わば《東国の境目》を扼し、東西の政治・文化の境界線とも言える地である。


 また元来、相模国は温暖かつ湿潤な気候であるが、年間を通して吹く海風と箱根や北側の足柄の山々が雨雲をもたらす為、小田原は東郡・中郡とも呼称される東相模よりも雨量が多い。

 更に冬には、此の地特有の冷たい海風が、遠く大海原の向こう側から吹き込んで来る為に東相模よりも寒さが増しているのだ。

 勿論、更に北に住む者達にすれば何れ程の事は無いのだが、普段慣れていない分だけに、多くの者達が冷たい南風が齎す寒さに身体を竦めながら歩いている。


 だが、翌月に陰暦特有の《閏月》が入り込む此の時点は、当時の太陽歴(ユリウス歴)に換えると2月中旬に相当する。

 街中を闊歩する人々は、直ぐ其処に来ているで在ろう春の息吹を感じ取って明るい表情を見せていた。


 ただ、人々の明るい表情には他にも原因が存在する。

 此の小田原に本城を置く北条家と、数年来争っていた西隣りの武田家の間で和睦が成立した事が、彼等に安心感を齎していたのである。


 時に元亀3年(1572年)1月27日の事である。世に言う《甲相一和》の締結から丁度1ヶ月が経過していた。


 未だに寒空に覆われている小田原の街の中心に在り、半ば以上の面積を占めている小田原城は、北条家の始祖たる伊勢早雲庵宗瑞が攻略し、相模進出の拠点を担ってきた。

 早雲の死後、嫡男で第2代の氏綱が己の居城であった小田原城を本城と定めて以来、第3代氏康、第4代で現当主の氏政、と改修を重ねて城域を拡大して関東随一の巨城と成った。

 其の堅城ぶりは有名であり、事実、永禄4年(1561年)には長尾平三景虎(上杉弾正少弼輝虎・不識庵謙信)率いる関東諸将10万以上の大軍勢を退けている。

 また永禄12年(1569)には武田家陣代の左京大夫勝頼率いる2万の軍勢も退け、堅城ぶりを改めて披露していた。

 但し堅城たる小田原城に比して、城下町が被害を被るのが弱点と言えた。

 実際、長尾景虎勢が討ち入った時には小田原城下町は略奪の対象となり、人狩りも行われて奴隷市が開かれた。

 武田勝頼勢は、人狩り迄は行わなかったものの、城内への威嚇として小田原城下町を焼き討ちして灰燼に帰していたのだ。

(但し、此の時は町人を城内等に避難させた為に、人的損失を抑える事が出来ている)


 ちなみに、氏政や北条家の重臣達は、此の2度の籠城戦での戦訓を盛り込んで、城外の城下町を外郭で囲んでしまう《総構え》と言われる大城郭に改修する計画を考えていた。

 だが軍事面や財政面の制約も有り、未だに外郭の築城工事は端緒に就いてはいなかったのだ。


 其の小田原城本丸に設けられた居館の大広間では、小田原や其の近郊に在する多くの北条一族や重臣達が居並ぶ中、廊下の方から3名の武将と1人の尼僧が入って来た。

 武田方の使者として小田原を訪れた春日源五郎昌澄と、今回の和睦で小田原への帰還が叶った、氏政の正室で武田勝頼の異母姉(武田信玄の長女)の黄梅院、そして元蒲原城主の北条新三郎氏信と箱根少将長順の兄弟である。


 一時は死亡の風聞もたちながらも無事に生還した彼等の姿を見て、一族重臣の中から安堵や喜びの声が上がった。

 其の時、大広間の隅々に迄、明朗な声が響き渡る。

「御本城様の御成りで御座いまする!」

 近習の声が響くと大広間に居る全員が平伏し、其の中を近習を引き連れた男が上座にドカリと座る。

 前年10月の父・氏康の死去で名実共に北条を統べる事になり、《御本城様》と尊称される《従五位上左京大夫・相模守》北条新九郎氏政である。


「皆の者、足労大儀であった。面を上げよ。此度は我が北条家と武田家の間に於いて和睦が成った証に、武田家の預りの身であった氏信と長順、そして我が妻である於梅(黄梅院の俗名)が戻って参った。此の慶事を以て、武田家の誠意と断じよう。遣いの者、信玄公や陣代の武田左京(勝頼)殿の意も那辺なへんに在る、と考えて善いか?」


 氏政が質問すると、昌澄が居住いを正して武田家からの正式な使者としての口上を述べる。


「はっ!それがしは武田家陣代、武田左京大夫の家臣にて、春日弾正忠虎綱が嫡男、源五郎昌澄と申しまする。此度は武田左京大夫の遣いとして、北条相模守様へ《甲相一和》の御礼を申すべく参上仕りまして御座いまする!」

「ほぅ…。お主が彼の《逃げ弾正》の御子息か…。弾正殿の采配の見事さは、身共等が昨年に身を以て十二分な程に味わった。其の攻めは鬼神の如く、守らせれば正に鉄壁。彼の者こそ良将と呼ぶに相応しかろう…」


 春日虎綱は昨元亀2年(1571年)、穴山左衛門大夫信君と共に北伊豆方面に進撃、田方・那賀両郡の奥深く迄侵入していた。

 其の後締結された《甲相一和》では此の点が評価された。

 黄瀬川に在った駿豆(駿河・伊豆)の国境は、より東側の大場川(境川)へと変更になり、武田家の所領が東側へと伸張していたのだ。

(更に駿河湾に面した西伊豆の那賀郡土肥郷を中心とする那賀郡北部を、武田領の飛地として割譲している)


 小田原から見て5里(約20キロメートル)も離れていない処迄もが武田領とされた事で、氏政や北条方の武将の間には、此の和睦に対して幾何いくばくかの不満が燻っている。

 しかしながら昌澄は、其の様な心底など意にも介さないかの如き仕種で、氏政が虎綱の事を褒めた事に対して礼を述べる。


「我が父、春日弾正の働きを褒めて頂き、誠に恐悦至極で御座いまする。れど我が武田と北条家は《唇亡びれば歯寒し》の故事の如く、御互いに必要な盟友で御座る。今後は弾正も両家繁栄の為に力を尽くす所存との事、何卒御見知り置き下さいませ!」


 昌澄の堂々とした口上と、信玄の小姓だった父親譲りの美貌に、多くの北条家臣が嘆息する。

 中には懸想しているのか、上気した面持ちで昌澄を見る者迄見受けられた。だが当主の氏政は、其の容姿には何の感慨も抱いていない。

 むしろ言質を取られ難い若輩の昌澄を敢えて使者に選んできた、武田方…勝頼や重臣達…の思考を読もうとしていたのだ。


「春日殿、お主に少し尋ねたき事が有る。我が北条家は此の数年の間、越後の長尾景虎(上杉弾正少弼輝虎・不識庵謙信)と盟約を結び、弟の三郎(上杉三郎景虎)を人質に出して迄武田家との戦に支援を要請致し続けた。然れど幾ら遣いを送っても《梨の礫》で、後詰の軍勢を遣わす事は遂に無かったのだ…」

何如様いかさま。其の事は左京様や父より伝え聞いておりまする」

 昌澄が氏政に相槌を打つと、氏政は武田の考えについて探りを入れ始めた。


「其れ故に、北条としては長尾と手切れ致して、武田家と再び結んだのだ。北伊豆の一部を割譲致して迄もな…。春日殿、我が義弟たる武田左京殿には、危急の際に北条に対して後詰を送る所存か?北条と長尾を戦わせて《漁夫の利》を得る魂胆では在るまいな?」


(ふぅ…、流石は関東に覇を鳴らす北条家の当主、中々に鋭い処を衝いて来る。然れど、恐らくは北条自身も《武田と上杉が相食む》事を望んでおる筈よ…、とは言え簡単に後詰を断らば、此の和睦にひびが入ろう。さて、我が若輩とはいえ、如何にして言質を与えずに躱そうかの…)

 昌澄には氏政や北条家の不満や心底が簡単に判ったが、援軍を送る等と口約束を交せば、如何なる局面で武田軍を使われるか判った物では無いのだ。

 だが後側から女性の声が響き、昌澄を遮った。黄梅院が夫に意見して、弟の勝頼を庇ったのだ。


「新九郎様…、私の弟の左京(勝頼)は、父の信玄入道とは違いまする。其の様なはかりごとはきっと致しませぬ。我等北条の御家が誠意を見せれば、必ずや応える者で御座いまする…」

 すると、人質と言うよりも客人として勝頼と交わり、現在は黄梅院の隣に座している氏信も、彼女の意見に賛同する。

「確かに黄梅院様の仰有る通りで御座いまする…。左京殿は直情に向かう気が有り、世間知らずな処も御座るが、誠意を示す相手には相応の態度で臨む人物と見定め申した。我等が誠意を示せば必ずや応えて参りましょう!」


 黄梅院や氏信からの予想外の口添えは、言葉を探っていた昌澄にとっては正に大きな援軍となった。昌澄は2人に追従する形で氏政に平伏して言上を述べる。

「…正しく黄梅院様や新三郎殿が仰有る通りで御座いまする」

「ふむ…。其方等が申すならば間違い有るまい。春日殿、万一長尾が関東に討ち入った際には宜しく頼むぞ…」

 今一つ腑に落ちないとはいえ、氏政が取り敢えずの処で議論を引くと、平伏した侭の昌澄は内心胸を撫で下ろした。

 だが氏政は昌澄に対して、新たな要求を突き付けて来た。


「話は変わるが、春日殿に頼みが有るのだ。先の長尾との盟約を交わした折、我が北条が三郎を質として送り出したのと同様に、長尾の方からも人質を預かっておる。長尾の重臣、柿崎和泉守(景家)の次男で左衛門大輔(晴家)と申す者だ。然れど長尾とは手切れ致すに至っておる。其れにあたって、此の柿崎を血祭りに上げる所存なのだが、春日殿には其の者の介錯をして貰いたいのだ」

「何とっ!」


 《手切れした相手の人質》を殺す事は別段珍しい事では無い。とはいえ、昌澄には其れを態々(わざわざ)新たな同盟相手にさせる意図が判らなかった。

 だが、不意に正澄の脳裏に氏政が意図している事が閃いた。

(そうか!我に《上杉の人質》を斬らせた上で、わざと内外に其の事実を漏らして、上杉家の…不識庵(謙信)の怒りの矛先を武田方へと向ける算段に相違無い!)

 氏政の考えには気付いたとはいえ、返答の可否に関わらず武田家にとっては何れも不利な内容にしかならず、昌澄は思わず答に窮してしまった。

 其処に再び黄梅院が、夫のみならず居並ぶ北条家の重臣達を見渡しながら意見を述べる。


「御待ち下さいませ。仮に上杉家からの人質を斬って溜飲を下げたと致しましても、無駄に殺生を重ねるのみで何の益も生み出しませぬ。此処は寧ろ柿崎殿を無事な侭で越後に返すのが上策では、と思案致しまする…」

「於梅っ!何を申すかっ!女子おなごには戦のことわりは何も判らぬのだ!女子は黙って従っておれば善い!」

 黄梅院から一度ならず二度迄も意見された氏政は、声を荒げて彼女の発言を叱り付ける。

 だが北条家の長老格で氏信・長順の実父である幻庵宗哲が、黄梅院の意見に賛意を示した。


「拙僧も同様に愚考致す。此処は敢えて柿崎を無事に越後に戻すが善かろうと思う。未だに越後に残って何時戻されるか判らぬ三郎(上杉景虎)の為にも成るし、万一再び越後と結び直す事にならば、其の者を返した事が後々活きてこよう…」

 北条家の生き字引である幻庵の意見には多くの一族・重臣が賛意を示した。

 中でも、北条家随一の名将で《地黄八幡》と呼ばれる玉縄城主・北条上総介綱成と、重臣中最大の所領を持ち《筆頭家老》とも言える立場の松田尾張守憲秀の2人が賛同すると、他の者達も次第に己の意見を翻していく。

 氏政自身も冷静に考えると、今後の外交の選択肢を残す意味でも、黄梅院の意見を諒とせざるを得ない、と判断した。


「…善かろう。柿崎は五体無事に越後に戻してやる事に致そう。憲秀、後で柿崎に知らせてやれ。春日殿、後の子細は板岡部江雪斎と詰めるが善いぞ」

「承知致し申した。細かな点は、是非とも江雪斎殿と話をさせて頂きまする」

 昌澄の返答に首肯して会見が終わると、氏政は立ち上がって近習や側近達と共に、大広間を退室して己自身の私室へと向かう。

 其処に、大広間から氏政を追い掛けて来た黄梅院が氏政に礼を述べて来た。


「新九…御本城様、私の拙い考えを聞いて下さって、誠に有り難う御座いまする。其れに3年前に弟の左京(勝頼)に託して、私に励ましの文を届けて下さった事、本当に嬉しゅう御座いました!彼の文の御陰で、私は病を打ち払えたのです!」

「気に致すで無い。儂等は夫婦めおとじゃ、以前同様に新九郎で構わぬ。於梅、彼の時は本当に済まなんだ…。甲斐から善くぞ無事に戻って来てくれたな。儂だけでは無く、子供達や妹等も於梅の帰りを首を長くして待ち望んで居ったのだ。早く元気な顔を見せてやるが善い…」

「はいっ!有り難う御座いまする!」

 黄梅院は氏政に深々と一礼すると、軽やかな足取りで我が子や義妹達が暮らす居館の奥へと歩を進めて行く。

 其の後姿を見送りながら、氏政は近習達に部屋に戻る様に命じて、直ぐ後ろに控えていた大道寺駿河守政繁のみを伴って、本丸内の中庭に脚を踏み入れた。


 大道寺駿河守政繁は、伊勢宗瑞の駿河下向に付き従い、北条家の草創当時より支え続ける《御由緒家》の1つである大道寺家の現当主である。

 北武蔵を抑える要衝の川越城を預り、精鋭の《川越衆》を率いる一方で川越の町を発展させており、更には鎌倉代官等も歴任して軍・政両面に力を発揮しているのだ。

 政繁は氏政にとっては腹心の1人とも言える重臣であった。


 周りに人影が見当たらないのを確かめながら、2人は低い声色で会話を進める。

「ふぅ、諏訪の四郎殿(勝頼)に越後の矛先を引き受けて貰う予定であったが、致し方有るまい。政繁、早い内に遣いを立てて後詰を送る様に催促致せ」

「御意で御座いまする。しかし言質を与えぬ為に若輩者を遣わすとは、武田四郎もとんだ食わせ物ですな…」

「…3年前の河東富士川に於いて、孫九郎(綱成)の叔父御を相手に、無様な采配を見せておったが、昨年は駿東の深沢城を貴奴に落とされておるのだ。多少為りとも成長致したと見える…。とは言え妾腹の出自故か、儀礼の何たるかを知らぬのは相変わらずの様だな…。まぁ於梅を無事に返してくれた事で諒とするか…」

 氏政と政繁は人払いした中庭という環境に安心したのか、2人して口角を吊り上げながら勝頼を嘲笑する。


「御本城様、まぁ良いでは御座いませぬか。時機が来たらば、武田にも存分に踊って貰うと致しましょうぞ。其れと御本城様、此度の和睦で小田原と国境が余りにも近く為り過ぎで御座る。此の際、小田原城と城下町の改修を改めて進めては如何で御座いましょうか?」

「ふむ、例の《総構え》の件か…、然れど彼の件は、余りに膨大な費えが掛かる故に、暫くは築造致さずに《関東制覇》を成し遂げる事を優先させるべし、と評定が既に決しておるではないか…」

「武田との境目が黄瀬川だった頃為らば、其れでも宜しゅう御座いました。然れど、今は箱根の尾根迄が武田領…正に喉元に刃を突き付けられたも同然で御座いまする。《総構え》は謂わば鎧を仕立て直す様な物。今から築いておかねば、武田が再び旗を翻してからでは手遅れと成りまするぞ…」

「うむぅ…」


 政繁から危機感を煽られた氏政としても、武田家に無条件の信頼を寄せている訳では無い。

 寧ろ、陣代として甲斐を率いる勝頼という人物に対する警戒の念…と言うより、何を為出来しでかすか判らない漠然たる恐れの方が遥かに勝っていたのだ。


「…しかり政繁の申す通りだ。…費えが掛かるのは此の際致し方無いやも知れぬな。武田や長尾の軍勢が再び襲って来ても、数年は籠城出来る大城郭に造り替えねばなるまい。負役は各衆にも割り当て、先ずは急ぎ縄張りを致して、堀切と土居だけでも築いておくと致そう。堀切と土居さえ築いておけば、櫓や門、馬出しを後から築いたとしても、既に縄張りを張った城内の修築と申せば、武田も強く抗議を出来まい…。憲秀等《小田原衆》の者共と今一度合議を致さねば為らぬな…」

「はっ!御意で御座いまする。総構えが成れば小田原城は益々《金城湯池》の異名が相応しい不落の王城と為りまするな!」


 空濠や土塀を先に築く事で、総構えの築造を既成事実化しようという氏政の考えに、政繁は喜色を浮かべて追従の言葉を並べる。

 2人の脳裏には、総構えを備えた小田原城に籠城する北条勢が、武田や上杉の大軍勢を三度打ち破る幻影が鮮明に写し出されていた。


 とはいえ此の2人の密談を契機に、一度はついえた《総構え》の計画は、突如として議論の俎上に乗る事に為り、遂には前倒しして築造される採断が下った。

 勿論、其の建設の為に小田原のみならず北条の領国一円に新たな《租税》と《賦役》が掛けられ、正に突貫工事で巨大な空堀と土塀が築かれていく。

 工事が進むに連れて、小田原城の防御力は次第に堅固となっていくのだが、反比例して北条家の財政は次第に逼迫の度を増していく事になるのだった。


 黄梅院は氏政に礼を述べた後、先ずは姑…氏政の実母である瑞渓院に挨拶する為に其の居室を訪ねた。

 氏康の正妻である瑞渓院は今川氏親の娘…即ち今回の和睦で北条家から追放された今川上総介氏真の叔母にあたる。

 しかしながら、10代に渡って今川家が治めてきた駿河・遠江を捨てて小田原に逃げ出して来た挙句、現在は三河の徳川家の世話に為っている氏真に対して、瑞渓院は甥とはいえ既に愛想を尽かしていた。

 彼女にとっては、兄の義元が尾張桶狭間で討ち取られ、《女大名》と迄恐れられた母の寿桂尼が死去した時点で、今川家の命脈は尽きたも同然であった。

 其れ故か、今川家の滅ぼした一方の当事者…武田信玄・勝頼親子の親族である黄梅院に対しても、必要以上に理不尽な物言いも無く、淡々と帰還を祝し御互いに挨拶を交し合った。


 だが瑞渓院が御付きの者に人を呼びに行かせると、暫くしてから数人の女性が居室に入ってきた。

 彼女達は部屋の下座に一列に控えたが、黄梅院に対する全ての視線が、好奇心と敵愾心を相半ばに孕んでいる。

 瑞渓院は其の女性達を、黄梅院に紹介した後でおもむろにこう告げ始めた。


「南殿(黄梅院の別称)、此の者達は、貴女が小田原を留守にしていた間に新九郎(氏政)が手を付けて側室にした者です。一家を率いる者が何時迄も空閨を託つ訳には参りませぬ。私自身にも以前降り懸かった事、辛さは判ります。ですが此れも戦国の世の習い、南殿も認めてくれますね?」

 《同情を込めた質問》と言うよりも、《承諾の返答の強要》と呼ぶのが相応しい口調で尋ねる。

 既に髪を下ろし仏門に入った黄梅院には、還俗して氏政と再び子供を成す為らば兎に角、氏政が側室を侍らせる事を拒む事等出来る訳が無い。

 小田原を離れて3年、此の様な状況も既に覚悟している。

 今は3年前の離縁を理由に放逐されずに正妻として再び遇される事で、良しとするしか選択肢は無かった。


「いえ、否やは御座いませぬ。新九郎様が御決めになられた事で御座います。皆様方、至らぬ処も御座いますでしょうが、何卒宜しく御願い致しまする…」

 黄梅院が深々と一礼すると、対抗心を露にしていた側室達も慌てて挨拶をする。

 瑞渓院も、此の黄梅院の返答に満足の呈で頷くのだった。


 瑞渓院や氏政の側室達と別れた黄梅院は、己に宛行あてがわれた居室へと向かう。

 其処は甲斐に戻される前に住んでいた本丸南御殿とは違い、氏政の私室とは別棟に用意されている。

 今の己の立場を改めて感じて多少気落ちしそうに為った其の刹那、居室から元気な童達の声が響き渡る。


「母上っ!御帰り為さいませ!母上の御帰還を御待ち致して居りました!」

「母様、御帰りなさいませ!弟達と今か今かと御待ち致して居りました!」

「母上様、御帰りなさいませ!」

「…国王!美芳!国増!其れに菊王、十三、少三も…姉弟仲良く健勝に過ごしてましたか?」

『はいっ!』


 部屋の中で出迎えてくれたのは、氏政と黄梅院の間に生まれていた子供達である。

 長女の美芳、次男(長男は早世している)で世継ぎとなる国王丸以下、3年離れていた間に随分と大きく成長している。

 我が子達が健やかに育ってくれた嬉しさと、可愛い盛りに他国で暮らさねばならなかった悲しみとで、黄梅院の眼から涙が滲んで来る。

 すると其処にもう1人、黄梅院も見知った少女が部屋に入って来た。既に其の瞳からは喜びの涙が溢れ出している。


「義姉上様、善くぞ御無事で…御帰りなさいまし…。か、かつらは、また御目に掛かる日を一日千秋の想いで御待ち致して居りました…」

「桂殿…。随分と心配を掛けました…。でも貴女も暫く見ぬ間に随分と女子らしくなられた様ですね」


 桂と名乗る此の少女は、前当主の氏康と側室の松田殿(松田憲秀の娘)の間に生まれた姫で、氏康の6女にあたる。

 名前の由来は、高木の桂の樹からでは無く、遠く唐の国に生えていると言われる《桂花》…即ち木犀もくせいの樹から名付けられた。

(因に此の時点では未だ渡来していない)

 桂花は古来、月から地上に伝えられた仙木とも言われ、《月の中に存在する崇高な理想》を表すとされる。

 其の為、明初の詩人・高啓の『題桂花美人』を始めとして、唐の国の多くの詩人達が月に想いを馳せて、桂花を題に漢詩を詠んでいるのだ。

 勿論、氏康も高啓の詩や桂花の意味を伝え聞いており、月に思いを馳せて此の名前を付けていて、《名は体を表す》かの様に可憐な少女に成長していた。

 そんな桂姫は、生さぬ仲である義母の瑞渓院よりも、越後に赴いた兄の三郎(上杉景虎)や義姉の黄梅院に懐いているのだった。


「義姉上様…。私は新九郎兄様から《もう暫くしたら北条の御家の為に嫁がねばならない》と言われました…。私は御相手の事を思うと、不安でならないのです。義姉上様は北条に御輿入れ為さった時は如何で御座いましたか?」

 黄梅院の居室で、桂姫や我が子達や水入らずの刻を過ごしていると、突如として桂姫が此の様に尋ねて来た。

「桂殿、仮令たとえ不安だったとしても、武家の女子に生を受けたからには何時かは御家の為に嫁がねば為りませぬ。然れど、貴女は未だ嫁ぐのは早いでしょう…。寧ろ、美芳の方が嫁ぐ方が先でしょうに…。桂殿、貴女は齢は幾つに為りましたか?」

「母上、桂はそれがしの2つ下で今年で9つで御座います。ですが相も変わらず国増丸や菊王丸と、鬼事(現代でいう鬼ごっこ)等して駆け回って居りまする」

「あっ!国王丸様!義姉上様に申さなくて良いじゃ無いですか!」

 国王丸から日頃の行動を暴露されて、桂姫は頬を膨れさせながら恥ずかしがる。


「国王、其の様にからかう物では在りませんよ。でも9つですか…。確かに今直ぐは早いでしょうけど、4・5年の内には輿入れ致す事に成るでしょうね。美芳、桂殿が嫁がれる御相手は何処の御方です?」

 国王丸をたしなめながら、黄梅院は子供達の中で一番年長の美芳に、桂姫の婚儀の相手を確かめてみる。

「はい、母様の御実家、甲斐武田家の陣代を就いておられる諏訪の四郎様だそうです。何でも此度の盟約に北条の者が武田家の四郎殿に嫁ぐ事が定めてあるそうで…。母様は其の殿方を御存じですか?」

「まぁ!勝頼殿ですか?とても善く知ってますよ。勝頼殿は我が父、法性院信玄の4男にあたる方…即ち私の母違いの弟に当たる御方です。とても御優しい心の方で、私自身甲斐に居た間に大変御世話になりましたよ」


 桂姫は黄梅院の話を聞きながら、少し顔色を曇らせている。其れ迄に自分なりに得ていた情報と少しずれていたからだ。

「でも桂は、松田の御祖父様(尾張守憲秀)から、3年前には富士の麓で玉縄の上総様(北条綱成)に大負けしたと御聞きしました。他にも家督を奪ったり、小田原にも攻め込んで来たり、駿河や今川の領地等を掠め取ったり、義姉上様や新三郎様(氏信)を捕らえたりした鬼の様な大男だとも仰有って居りましたが…」


 桂姫は、母方の祖父にあたる松田憲秀から婚儀が決まる前から、色々と勝頼の話を聞いていた。

 但し敵方だった頃の話であり、内容も多少歪曲していた為に、氏政から婚儀の相手を聞いた時には《鬼の総大将》に嫁がされる様に感じて不安にさいなまれていたのだ。


「勝頼殿は其処迄怖い方では在りませんよ。多少御甘い処も有りますが、心根が優しい立派な御方ですよ。…私で良ければ勝頼殿や武田家の事を色々と御教えして差し上げましょうか?」

「本当ですか?私も実際の諏訪の四郎様の事をもっと知りたかったのです。とても嬉しゅう御座いまする!」

 黄梅院の申出に桂姫は瞳を輝かせて歓迎する。

 だが、その横では国王丸を始めとする黄梅院の息子達が、桂姫に負けて為らぬとばかりに騒ぎ立てた。

「桂殿ばかり狡う御座る!母上の話は某も御聞きしとう御座いまする!甲斐の信玄公や四郎殿の話を御聞かせ下さいませ!」

「母様、私も聞きとう御座います。差障りが無ければ私や弟達も同席して良ろしいですか?」

「母上様!某も交ぜて下され!仲間外れは嫌で御座います!」


 我が子達の賑やかさに顔を綻ばせながら、駄々を捏ねる我が子達に言い聞かせる。

「判りました。甲斐の話を其方達にも聞かせてあげますからね。其の代わり、きちんと勉学や武芸を怠らずに励むんですよ。美芳と桂殿にも、武家の子女の嗜みについて、私も一緒に教えて差し上げます。2人共に北条家の姫君として、相応しい立ち振る舞いをしなくてはなりませんよ!」

『はいっ!』


(此の子達が将来の北条家を率いていく…。武田家とも御互いに影響を与え合っていくに相違無い。然すれば、此の子達にも《甲相一和》の大切さを教えていかなければ…。北条と武田…新九郎様と勝頼殿を再び争わせない為に、私は生を繋いだのだから!)

 子供達の溌剌はつらつとした返事を聞きながら、黄梅院は心中に秘めた決意…《甲相一和の恒久化》を成し遂げる事を己に言い聞かせるのだった。


 此の後黄梅院は、北条・武田両家の同盟を強固な物にするべく主張して、北条家の一族・重臣に訴え掛けていく。

 最初は《差し出がましい尼御前》として白眼視されたが、静かに粘り強く主張し続けた。

 すると彼女に賛同した北条氏信・長順兄弟や、2人の父で北条家の長老たる幻庵宗哲、重臣の垪和伊予守氏続等が協力者となり、次第に彼女の主張に耳を傾ける者が増えていった。


 更には黄梅院自身も、仏典のみならず有りとあらゆる書物を読み耽り、真綿に水を吸わせるかの様に其の知識を吸収した。

 中でも、義父・氏康が蒐集して遺した数多くの書物と、師と仰いで教えを請うた幻庵宗哲からの薫陶により、黄梅院の中に眠る《信玄の娘》の才能が大きく花開いていく。


 其の一方で黄梅院は、己の子供達と義妹・桂姫の教育にも力を注いでいる。

 自らが主張する《甲相一和》についても、子供達に話して聞かせるのみでは無く、自らの力で考えさせた上で其の意義を理解させていったのだ。


 後に、嫡男国王丸は元服して《北条新九郎氏直》と名乗り、国増丸も《源五郎》と仮名を改め、武蔵屈指の名家である太田家に婿入りする。

 3人の弟…菊王・十三・少三も元服後に《十郎氏房》《七郎直重》《少三郎直定》と名乗りを改める。

 彼等5人は母の薫陶により、才能を擂り潰す事無く大きく成長して北条家を支えていくのだ。

 そして彼等は武田家と共に、織田家の大軍勢と渡り合う事になる。


 また、長女の美芳姫は下総佐倉の千葉介邦胤に嫁ぎ、下総の安定に寄与していく。

 一方、黄梅院から最も影響を受けた義妹・桂姫は、此の数年後、予定通りに武田勝頼に嫁ぐ事になる。

 そして、難局を乗り越えるべく奮闘する夫を、陰に陽に支え続けていく。

 後に武田勝頼継室として、後に俗名の一字を取って《桂林院》の法名で呼ばれる人物である…。


 夫の氏政を支え、子供達や義妹を教え導き、一族家臣の間でも慕われた黄梅院は、次第に《親武田派》のみならず、北条家全体の後見人的な存在へと成長していく。

 3年前、病床の死の淵から弟・勝頼が呼び戻した事が、正に彼女に新たな《生命》を与えたのだった。


 後に黄梅院は、東国の人々から《尼将軍・北条政子の再来》《北条の国母》と褒め讃えられる事に成る。

 そして北条家の精神的な柱として、北条一族や家臣団、傘下の国衆からの、歴代当主に匹敵する程の尊崇を受ける事になるのだ。


今回、女性の俗名や子供達の幼名がさっぱり判りませんでした。結局、判らない人に関しては、それぞれの法名や仮名から字を頂いて名付けさせて貰いました。さて、次回は西上野に話が移る予定です。相変わらず遅筆で乱文ですが、次回も是非読んで頂ければ嬉しく思います。

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