悉:雌伏之刻〜長安の帰還〜
久し振りの次話の投稿ですが、本編というより番外編の完結みたいな内容です。宜しく御願い致します。
駿河・清水湊。駿河湾の西側に面し、海に向かって右手から伸びる三保半島を天然の防波堤とする此の湊は、江尻津とも呼ばれ飛鳥時代から約1千年の歴史を有する東海道屈指の港湾である。
清水湊は此の百年の間、駿府を拠点とする今川家一門の支配下に在って駿府の外港として機能していた。
しかし、永禄11年(1568年)に始まった甲斐武田家による駿河侵攻により、今川家は実質的な滅亡を迎えた。
そして武田家は翌永禄12年(1569年)12月迄に駿府周辺を平定し、清水湊は支配者を替えながらも再び駿府の外港として機能し始めたのだ。
そして、時は武田の駿府平定から2ヶ月程経過した永禄13年(1570年)2月15日、二十四節期で言う《春分》の頃の事である。
三保半島の先端に建てられた清水湊の見張り櫓では、湊の内側だけでは無く湾の東側を拠点とする北条家・伊豆海賊衆の攻撃にも備えている。
その性格上、此の櫓は昨年末新設された《武田海賊衆》の管理下に置かれていた。
その櫓上の見張り担当の水夫は南西から進んで来る船団を見つけた。
「おい、ありゃ何処の船だ?」
「判らんが、取り敢えず湊の御頭に伝えりゃ間違い有るめぇ」
そう言いながら清水湊を預かる留守居役に伝令を走らせて呼びに行かせる。
暫くすると、清水湊の留守居役を任せられた岡部木工左衛門が馬に乗って櫓に駆け付けて来た。
彼は武田海賊衆の旗頭である岡部忠兵衛貞綱の一族で、昨年貞綱と共に武田家に帰順して久能山城籠城にも参加した豪の者で在る。
木工左衛門は櫓の最上部迄自ら登ると船団の方に目を凝らした。
「関船(中型戦闘艦)と廻船(輸送船)だな。あの旗は間違い無い!忠兵衛様と権大夫(伊丹康直)殿が戻られた!儂は江尻城の山県様にお知らせする故、お主達は湊に駆けて入港を伝えて参れ!」
木工左衛門は櫓から降りながら矢継ぎ早に指示を出すと、江尻城に駐留中の山県三郎兵衛尉昌景の元へ馬を走らせたのだった。
その江尻城には昌景だけでは無く、丁度武田家の陣代の武田左京大夫勝頼が駿府から訪れていた。
《武田海賊衆》の立ち上げや清水湊の港湾整備の陣頭指揮を執る為である。
駿府占領後、旧今川館に入城した勝頼はその城名を《駿府城》に改めて駿河での活動拠点と位置付けた。
そして、北条家が実効支配する駿河東部(河東地方)以外の駿河国衆や地侍に対して、駿府に年末迄に参集為るべく高札を掲げた。
此れに応じた者は所領安堵や替地を認め、更には所領が無い地侍や国衆の次男や三男等を、棒給制の徒士武者として採用した。
そして年明けと共に、駿府周辺で再編成を完了した武田軍の駿河遠征部隊が未だ抵抗する者を排除する為に動き出したのだ。
最初の目標と為ったのは、大原肥前守資良・三浦右衛門佐義鎮親子が今川旧臣の残党を率いて立て籠もる花沢城であった。
勝頼は自らの出陣を望んだが、真田一徳斎幸綱・内藤修理亮昌秀・馬場美濃守信春等の宿老達から《駿河の武田領国化を優先させるべきだ》と強く説得された為に駿府から動かなかった。
代わりに山県昌景が指揮を執り、年明けの1月4日から攻め懸かった。
その中で、初鹿野伝右衛門尉昌次ら足軽大将衆と名和無理介重行ら浪人衆が対立する等の問題が発生して一時膠着したが、検使(軍監)の三枝勘解由左衛門尉昌貞や曽根右近助昌世の活躍により、26日に落城した。
因みに資良親子は遠江高天神城の小笠原与八郎氏助を頼って落ち延びたが、徳川家康の内命を受けた氏助によって謀殺されてしまう。
その後、昌景率いる軍勢は今川残党の長谷川紀伊守正長が立て籠もる徳之一色城を包囲し、此れを開城に追い込んだ。
徳之一色城は駿河から見た場合、大井川を越えて遠江に進出するにも、逆に遠江からの敵勢を防御するにも拠点足り得る地に位置していた。
そこで勝頼は、落城直後の徳之一色城に馬場信春を派遣して《武田流築城術》の縄張りに従って改修を開始した。
改修後は城名を《田中城》と改め、板垣左京亮信安を城代としている。(2年後城主に就任)
また、駿河経営の中心地として駿府城の改修の必要性が発生してきた。
興津横山城を預かる穴山左衛門大夫信君は、
「駿河経営の拠点は興津横山を改修して使えば良い」
と主張した。
しかし今後、駿河だけでは無く東海道沿いに進出していく考えから、交通・物流の要衝である駿府を抑える必要が発生するのだ。
勝頼は南側の久能山城の改修を中断して駿府城に築城の人夫を集めた。
そして、今川時代に比べて華麗さに欠けるものの、信春が改修を監督する事で、より実用的で防御力に優れた城に生まれ変わる事に為る。
勝頼は此等の手配を終えると、先ず内藤昌秀を上野方面の警戒の為に派遣した。
また、西駿河各地の城を選別を行った。武田家が活用する城は馬場信春が《武田流築城術》で縄張りし直して、馬出を備える等の改築を行う一方、無主の不必要な城に関しては破壊(城割とも言う)の上で廃城していった。
此等の作業監督の続きを信春に一任すると、勝頼や軍師の真田幸綱等は山県昌景が駐屯する江尻城に移動して来たのだった。
清水湊から、《紀伊に派遣した海賊衆》が帰還するとの報告を受けた時、勝頼は幸綱や昌景等と今後の方針を話し合っていた。
「おおっ、岡部忠兵衛達が紀伊から戻って来たのか!全ての船が無事に戻って来たのか?」
近習の金丸惣三から報告を受けた勝頼は、思わず身を乗り出して船の無事を心配する。
未だに今川旧臣を集めたのみの《武田海賊衆》に取っては、船や水夫の損失は海上戦力の磨滅に直接繋がるのだ。
「いえ、詳しくは分かりませぬが、出航時に比べて関船が3艘程足りぬそうで御座いまする。1艘は伊勢尾鷲の向井伊兵衛(政勝)殿の船ですから、都合2艘が帰投致しておらぬ様で御座いまする」
惣三からの返答で一同が青くなってしまった。武田海賊衆は現在、中型戦闘艦《関船》と小型戦闘艦《小早》を合わせてもたった17艘しか保有して居ないのだ。
その中でも主力艦の関船が2艘も喪われたとなると、計画を根本的に変更する必要が生じるのだ。
「何とした事だ!関船2艘と言えば百を越える水夫が乗って居った筈だ!只でさえ武田の者達は儂も含めて海に疎い者ばかりなのだ。水夫がそんなに減っては一大事では無いか!」
勝頼はそう言うと直ぐに立ち上がって、幸綱や昌景に命じる。
「一徳斎、昌景、先ずは湊に向かうぞ。船が湊に入って来るならば出迎えて、船の事を聞かねば為らぬからな。惣三、勘蔵(山本勘助の嫡男)、直ちに馬を曳けい!」
此の指示と共に、勝頼達一行は江尻城から騎乗して清水湊に向かったのだった。
清水湊に到着した勝頼一行は、岡部木工左衛門の案内で、湊の波止場に向かった。
そこでは既に関船と共に入港した廻船(民間から借り上げた輸送船)から、艀を使って次々と荷物が波止場に降ろされていく。
そしてその中心に、頭身が小さいが巨きな頭部に見合うだけの知嚢が詰まってそうな1人の武士が降ろした荷物を入念に検査していた。
「藤十郎!土屋藤十郎では無いか!随分と久しいな。遂に畿内から戻って来たか!」
勝頼にそう呼び掛けられた武士…畿内及び紀伊に派遣されていた武田家の家臣・土屋藤十郎長安は、勝頼に対して片膝を付いて礼を施した。
「勝頼様、土屋藤十郎長安、只今を以て武田領国に戻って参りました!勝頼様には御機嫌麗しう御座いまする!」
「うむ、良くぞ無事に帰投致した。先ずは仕事を果たすが良い。しかる後に岡部忠兵衛等と共に屋敷に来るが良かろう。儂は先に水夫達や廻船の商人達を労う事に致す」
「承知仕りました」
勝頼一行は長安に言い残すと、紀伊迄遠征した関船の水夫や廻船を使って荷物を運んだ商人達を先に労った。勿論、水夫達から2艘の関船が欠けている事情を聞き出すのも忘れていない。
そんな勝頼達を荷物の物陰から観察する派手な武芸者然の大男が眺めていた。
暫くして、清水湊に新築された屋敷に長安と2人の海賊大将が参上したのは夕刻近くに為ってからだった。
「皆の者、此度の夫々(それぞれ)の働き誠に御苦労であった。先ずは岡部忠兵衛貞綱、及び伊丹権大夫康直」
「ははっ!此度は誠に申し訳御座いませぬ!」
「今後の武田家に取って貴重な関船を2艘も沈める失態を致してしまい申した…」
開口一番、2人は関船を喪失した事を勝頼に陳謝した。今川家ならば戦場ならいざ知らず、輸送任務での船の喪失等は良くても降格ものだからである。
「その件は致し方無い。向井伊兵衛(政勝)に案内を頼んだとはいえ、初めての南海だったのだ。それに沈んだ関船からは殆どの水夫を助けて、僚船や廻船に乗せたと言うでは無いか。水夫達は偉く感じ入っておったぞ」
勝頼のその言葉を聞いて、2人は安堵の表情を浮かべる。そこで勝頼が更に言葉を掛けて来た。
「此度の任務で改めて御前達の実力を認め、夫々を武田海賊衆の旗頭(大将)と副将に任ずる!それに伴い、貞綱は《豊前守》、康直は《大隅守》の受領名を名乗る事を認める」
「ははっ、有り難き幸せに存じまする」
2人の返事を聞いて満足した勝頼は、貞綱に別件の話も語り掛け始めた。
「うむ、それと貞綱には一人娘が居ろう。そこで婿養子として隣に居る金丸惣三を遣わそう。此の者の兄は土屋右衛門尉(昌続)にあたる。因って貞綱は今後、武田家臣の名跡である《土屋》姓を名乗る事を相許す事に致す」
「重ね重ねの御厚情、感謝致しまする。惣三殿、此れからは某の事を養父と呼んで下され」
「はっ、此の惣三を実の子と思い、是非御鞭撻頂きとう御座いまする。今後共宜しく御願い致しまする」
貞綱と惣三が親子の挨拶を交わすのを見た勝頼は、2人の海賊大将に向かって新たな命令を下す。
「うむ、ならば貞綱、康直。此よりは此の湊に於いて替わりの関船の建造を始めよ。但しどうせ造るならば、今迄得た戦訓を全て盛り込んだ《他国より優れた関船》を造るが良い。2艘建造致せば、それを元に同じ様な関船や小早を造る事も容易に為るであろう」
つまり勝頼は、今回の関船の補充を利用して、最新型の関船や小早を量産しようと言うのだ。
「成程、それは名案で御座いますな」
そう言って康直は素直に喜んだが、貞綱は少し考えた後に問題点を述べてきた。
「しかしながら2つ程拙い点が御座いまする。先ず船手となる人が足りませぬ。もう一つは此の清水湊で御座る。此のままでは必ずや手狭と成りましょう」
問題点を聞いた勝頼達は、視線を交わし合った。そして頷いた幸綱が代表して説明を行う。
「先ず人材についてだが今川家に仕えていた足軽や小者の中から、海に慣れた者を海賊衆に編入致しまする。また、武田家に既に仕える者達からも希望者を募る予定で御座る。但し船を操る者や采配する者は此れより育てるより他は御座いませぬ。後は他国の海賊大将達をその船団ごと調略を仕掛け誘降を促すつもりで御座る」
「成程、得心致し申した。では湊の件は如何相成りますかな?」
貞綱の次なる質問には昌景が回答する。
「その件に関しては、巴川の河口を利用した現在の湊では手狭になる故に、河口南側の海岸沿い、三保の砂州に守られた処に新たな戦船用の湊(軍港)を拡張致す所存だ。また、遠江との国境で或る大井川の河口の艮に位置する焼津や用宗の湊も拡張致して、関船や小早等を置ける様に致す」
「ふむ、その普請には誰を当てる心積もりで御座るか?」
今度は康直が質問を加えてきたが、昌景には予想通りであった為澱み無く返答をする。
「普請は地元である駿河の国衆だけでは無く、武田の領国各地から人夫を呼び寄せて行う。我が甲斐には海は無いが、釜無川沿いに堤を築いた経験がある故、駿河の職人から指導を仰げば湊普請も上手くいこう」
「成程…。しかしながら、そこ迄行うとならば随分と費えが掛かるのでは?誠に失礼ながら、御当家の懐具合では戦の最中にその様な大規模な普請を一度には行えないのでは?」
港湾整備や軍船の生産に大金が掛かる事を理解している貞綱が、武田家の財政面への不安を口にした。
確かに豊かでは無い甲斐を基盤とする武田家は、数多くの外征を重ねて大きくなってきた。
だが逆に言えば、その外征を支える為に多くの種類の徴税が行われた。甲信の民は重税を忍んで武田家を支えてきたのだ。
そこに駿河での城普請・湊普請・海賊衆の創設である。此のまま往けば武田家の財政が破綻する可能性が確実に増大するのだ。
「うむ、貞綱達が懸念致す件は儂も理解致しておる。だからこそ、その打開策を見つける為にこそ、藤十郎を畿内に派遣致したのだ。如かして、その結果は如何相成ったのだ?」
勝頼からそう話を振られた長安は、自信に充ち満ちた目付きをしながら断言する。
「勿論で御座いまする!その目処が立ったからこそ、はるばる畿内から帰還致したので御座る。金山の件と鉄砲の件、何れも道筋を付けて御座いますぞ!」
長安の話は暫しの休憩を挟んで聞く事に為った。勝頼や重臣達は勿論の事だが、土屋貞綱・伊丹康直も引き続き部屋に残って居る。
「では、皆様方が御揃いに為られたので、先ずは金山の件について説明致しまする。先ずは武田家が現在保有する金山は、甲斐の黒川・竜喰・丹波山・御座石、信濃の金鶏・長尾等が御座る。まぁ河内領の湯之奥・早川・十島や郡内の大月・秋山等の各金山は穴山殿や小山田殿が采配される山ですし、数から外して宜しかろうと存ずる」
そう言う長安の発言を聞いて、昌景が駿河の状況を補足する。
「それに加えて駿河には麓金山(富士金山)と安倍金山がある。安倍金山の辺りは御料地(直轄領)としたが、麓金山の辺りを穴山殿が色気を出しておるので、未だに保留致しておる」
麓金山の件を聞いた長安は語気を強くして勝頼達に訴えた。
「それは誠に上手く有りませぬ!麓金山は黒川金山全体に匹敵する旧今川最大の金山、是が非でも御料地と致すべきで御座いまするぞ!」
「成程…。為らば信君には替地を与えて、麓金山や今川からの楽市令を続行致しておる富士大宮を含めて、富士郡は全域御料地と致す様に取り計ろう」
勝頼の返答を聞くと、長安は感慨深い表情を浮かべて礼を述べた。更に《楽市令》は堺滞在中に長安自身が書状で訴えた物で或る為、感慨も一入であった。
「某の発言を御聞き入れ下され有り難う御座いまする。また、既に楽市令迄実施為さって居られるとは…」
「うむ、己自身で最初調べた時には益が少ない様に思えたが、長安の書状を読んで思い直したのだ。何よりも近江六角が始めて、既に織田や今川もが行っておる施策、益が無ければ後の大名達は続くまい」
勝頼の返答に長安ばかりでは無く、幸綱や昌景も頷き賛意を表した。一段落すると、長安が話を戻して金山の説明の続きを語り始めた。
「では金山の説明に戻りまする。現在、此等の金山では《灰吹法》と呼ばれる鉛を使った製錬法が行われておりまする。此の方法を取り入れてから産出量は大いに増しましたが、含み(含有率)が少ない時は取り出せぬ故に、まだまだ無駄に捨てる部分が多く御座いまする」
長安は、金山の基本的な説明を事細かに進めていく。勝頼や重臣だけでは無く貞綱や康直にも納得して貰う為である。
「そこで某が此度会得して参った南蛮渡来の製錬法は、水銀を用いる《水銀流し》と呼ばれる方法で御座る。要は鍍金(金メッキ)と同様の原理で御座る。金銀を水銀に溶かし込み《アマルガム》と南蛮人が呼ぶ物を造りまする。金銀は水銀に直ぐにくっつくので、如何に含みが少のうしても、その中の僅かな金銀を無駄無く取り出す事が出来まする。後はその中から水銀を飛ばして金銀を取り出す寸法で御座る」
一同は長安の説明を聞いても朧気にしか理解出来ない。が、その中でも或る程度は理解した幸綱が確認の質問をする。
「つまり藤十郎よ。掘り方は従来通りで、その後の石と金銀の分別が、より細かく、より正確に、より手早く出来る訳だな?」
「一徳斎殿、正しくその通りで御座る!但し難点としては、その際に欠かせぬ水銀が入手が難しい事で御座る。そこで、水銀だけではなく辰砂(硫化水銀鉱石)を集めて水銀を自家製錬致す所存。その為に紀伊高野山に金山衆を派遣致し、代わりに当地で産出致した辰砂を武田家が優先的に安価で買い上げまする」
「成程!その為の此度の紀伊への我等《武田海賊衆》の派遣だったのですな!」
ようやく己の今回の任務の一端に話が及んで、貞綱が納得の声を上げた。その横では康直も大きく頷いている。
「その通り。その積み出し港として、紀伊の乾(北西)の端、雑賀十ヶ郷の加太湊及び友ヶ島を武田家が整備致しまする。此の湊は堺から清水湊の間の中継ぎとしても使う事が出来まする」
「成程、堺との繋ぎを持てば水銀や辰砂だけでは無く鉄砲や玉薬の入手にも役に立つな」
ようやく納得してきた昌景も賛意を表しながら頷いている。
「勿論で御座る。まぁ鉄砲は別件で話すと致しても、堺の豪商で一流の茶人の一人でもある薩摩屋の主人・山上宗二殿の協力で、水銀・辰砂・玉薬の材料である硝石等の貴重な品々を、堺や種子島から加太湊等を経由して此の清水湊に陸揚げ致しまする」
長安が畿内で築いた通商路を聞いていた勝頼が先を急かす様に質問する。此れだけの事をして前と同じ金産出量では費用対効果で大きく損じるからだ。
「水銀の確保はそれで良い。しかし問題は金が今迄と比べて如何程多く取れる様に為るのだ?」
「はっ、金山衆が同じ手間を掛けて、灰吹法の使い手が水銀流しを使うた場合、少なく見積もって倍、多ければ数倍以上は産出量が増えましょう。此れはその金山の含みの量にも拠りまするが、含みが少なく手間が掛かった金山程、大きな効果が期待出来ましょう」
長安は周りの反応を確かめながら更に言葉を続けていく。
「更には灰吹法で廃棄した鏈からも残った金を取り出せまする。勿論、その際に再び出た鉛は武田家以外の金山に売るも良し、鉄砲の玉を造るも良し…で御座いまする」
此れを聞いた一同は興奮した顔付きに為っていた。
「少なくとも今の倍だと!誠にそうで在らば、我が武田家の収入は大きく増える。父上の頃よりの借財を帳消しに出来るし、城や湊・船の普請に回す金も確保出来るな!…だが、流石に大量の鉄砲の資金に致すにはまだまだ不足では無いか?向こう側も値を吊り上げて来ようしな」
勝頼も最初は他の者と同様に興奮した面持ちであったが、必要な物を羅列していくと明らかに金山収入が倍に為った位では大量の鉄砲を購入する迄は資金が回らないと悟り、最後には冷静に意見を述べた。
「しかし勝頼様、我が武田家の威光を以て致せば、堺の豪商達も商いで御座る、鉄砲を売るのを否とは申しますまい」
そう言って勝頼の心配を払拭しようとした昌景に、長安は否定的な見解を述べた。
「いえ、勝頼様の御心配の通りで御座る。堺の鉄砲は半ば織田弾正殿が抑えて御座る。武田家が以前購入先としていた近江国友も同様。戦も近い故に雑賀や根来からも多くは購入出来ますまい。此れよりは、多くても1回の取引で5挺位が関の山で御座ろう」
「そうか…やはりな。だが長安よ。儂は2つ目の任務に《鉄砲の確保》を命じておった筈だ。しかし現状は、10月に堺から送って来た50挺と、此度雑賀荘から持ち帰った100挺、都合150挺しか確保致しておらぬ。しかも此れから、鉄砲の入手が益々困難に陥る為らば、儂が与えた任を果たした事には為らぬぞ。如何に致す所存なのだ?」
勝頼は長安に対して鉄砲の確保の為に行う策を此の場で提示する様に求めた。
しかし詰問調の言葉に比べて、その顔は微笑みを浮かべている。《長安ならば必ず施策の準備を既に済ませている筈だ》と考えているのだ。
勿論、既に雑賀荘で策を練り上げて来た長安は、その為に打った対策を公表していく。
「はっ、その為に雑賀十ヶ郷より鉄砲の撃ち手・鉄砲鍛冶を借り受けて参り申した。但し期間は1年間のみ。その間に領国内から刀鍛冶師や野鍛冶をかき集め、彼等を鉄砲鍛冶師に育て上げまする。勝頼様には金山衆と共に鍛冶師を集めて頂く様に、書状を出しておりましたが…」
「無論だ。府中鍛冶町の斎木助三郎を始めとした刀剣鍛冶師や、若神子鍛冶等の村鍛冶師や野鍛冶師を領国各地から集めてある。他に府中細工町の鞘師職人の祢津宮内丞一門を始めとして、鞘師・細工師・象嵌師等の武具職人も集めてある。部品等を作れるだろうと思ってな」
勝頼の返答を聞いて、己の予想以上に必要な技術者を集めていると理解した長安は、改めて勝頼に礼を述べた。
「成程。確かに鍛冶師のみで無く、部品等の製作は他の職人の方が得手かも知れませぬな。御考慮感謝致しまする」
「うむ、それと現在、武田領内の地侍の子弟や駿河で採用した徒士武者や浪人衆、そして武川衆・津金衆・御嶽衆・九一色衆・西湖衆等の《甲斐一騎合衆》の中から、鉄砲撃ちの素質が有る者を掻き集めておる。此等の者に教練を施した上で、筒衆(鉄砲隊)を増強していく所存だ」
勝頼が述べた内容は、長安が鉄砲製作・量産が成功した暁に提案しようと考えていた事であった。
因みに一騎合衆とは国境付近の地域武士団であり、国境警備の傍らで武田軍の一翼を担っているのだ。
「成程、既に其処迄手配為さって居られたとは…。某は此度、雑賀から優秀な鉄砲撃ちも50名程借り受けて参り申した。是非とも彼等に鉄砲撃ちの極意を伝授して貰いましょう」
「ほう、藤十郎の方も手際が良いな。では勝頼様、此の件は全て藤十郎に差配させまするか?」
話を聞いていた昌景も、長安の用意周到さに感心した。此処迄準備を尽くしたのだから、普通ならばそのまま長安が責任者に為るのだが、勝頼はあっさりと否定した。
「いや、長安には新設致す《武田家金山奉行》に就いて貰わねば為らぬのだ。鉄砲の生産や筒衆の再編成等は夫々(それぞれ)別の者を責任者に据えるつもりだ」
勝頼は財政面の強化を重視する為に、鉄砲生産と鉄砲隊の再編を長安以外の人物に任せる事を表明した。
「長安が言った通り、金の産出量が倍に増えた程度では、武田家とその軍勢が天下の群雄達と伍して行くのは非常に困難だ。金山の増産、海賊衆の増強、駿河の経営、そして筒衆の増強、全てが噛み合ってこそ初めて我が武田家とその軍勢が天下への階に足を掛ける事が出来るのだ!」
勝頼は一旦言葉を途切ると、長安だけで無く貞綱と康直をも見渡しながら言葉を続ける。
「その為にも、長安には先ず金山の増産に全力を傾けて貰う!勿論、貞綱と康直には海賊衆の増強に努めて貰うぞ!その《甲州金》と《武田菱を掲げた大船団》、そして《数千の筒衆》を以て、此の武田家を大八洲(日本)最強の武家に伸し上げる!そして天下一統を果たして、父上を征夷大将軍とする新たな幕府を開闢致すのだ!者共、良いな!」
勝頼の迸る様な決意表明を聞いた貞綱と康直は、まるで雷霆に打ち据えられた様に平伏した。
しかし長安は自信家らしい笑みを浮かべている。勝頼の掲げた目標は正に長安が目指す路線と合致しているのだ。
「ははっ、金山奉行の任、謹んで承りまする!そして、何時の日か必ずや武田菱の旗印を京畿に靡かせましょうぞ!」
「おおっ!」
「うむっ!正に藤十郎の申す通りだ!」
長安の発言を聞いた重臣や近習等の他の者達も、武田軍の上洛する様を想像して思わず色めき立った。
だが、そんな彼等の耳に部屋の外側から男の笑い声が聞こえて来た。
「ああっはっはっは!…」
惣三と勘蔵が急いで立ち上がって襖を開くと、そこには武芸者然とした一人の大男が立っていた。
「いやぁ、見事見事!藤十郎殿も御陣代殿も見事な啖呵で御座るなぁ!しかしながら、他の数多はいざ知らず、織田弾正忠信長は誠に手強う御座るぞ。如何様に致される御所存で御座るかな?藤十郎殿、忠兵衛殿、間に失礼するぞ」
そう言いながら、ズカズカと部屋の中に入って来たその武芸者は、長安と貞綱の間に座り込んで胡座をかいた。
「お主、何者だ!陣代様に対して無礼で在ろう!事と次第に拠っては容赦せぬぞ!」
惣三がその失礼な武芸者を排除しようと詰め寄るが、勝頼は惣三を制して此の男に語り掛ける。
「惣三、此の者は藤十郎達と知己の様だ。此のままで別に構わぬぞ。儂は武田勝頼だ。此の武田家で法性院信玄公の陣代として采配して居る。貴殿は名は何と申すのだ?」
そう訪ねられた男は居住いを正して返答する。背筋を伸ばすと、長安達よりも遥かに大きいのが判る。
「拙者は紀伊雑賀・十ヶ郷の一角、平井の地侍の次男坊で平井重秀と申す。此度、土屋藤十郎殿から武田家が鉄砲使いを集めて居ると聞き、仕官しに参った」
敢えて郷の地名《平井》を名乗った重秀…十ヶ郷の領主・鈴木左太夫重意の次男で、前の雑賀衆十ヶ郷鉄砲頭の鈴木孫一重秀…が発した《鉄砲使い》という言葉に勝頼は反応した。
「ほう、平井殿は鉄砲撃ちで御座るか!して、腕前は如何程かな?」
「腕前は人並以上は有ると自負が御座る。他に玉薬の調合や鉄砲の運用も学んでおり申す」
「それは正に我が武田家が求めておる人材だ!…平井殿、どうで在ろう?貴殿さえ良ければ武田家に仕えて貰うて、武田家の鉄砲撃ちを鍛えて貰いたいが、如何で御座ろうか?」
勝頼の言葉を聞いて他の者達は騒然と為った。いきなり乗り込んだ素性が知れぬ者の仕官を即断で認めようというのだ。彼等の反応は至極当然な物と言えた。
しかし勝頼も計算無しで飛び付いた訳では無い。長安に対して、重秀の腕前と素性を質問する。
「藤十郎、わざわざお主が駿河迄連れ帰ったのだ。生半可な腕前では有るまい?」
「はっ、此の者の鉄砲の腕前は1町半離れた敵の頭を10匁筒で打ち抜き申す。しかも外れ弾は一つも有りませなんだ。それに孫一殿は…」
長安の説明を聞いていた幸綱が突如として声を上げた。
「孫一殿?藤十郎、其の御人の名は孫一殿と言うのか?」
「左様で御座いまする。此れなるは十ヶ郷棟梁・鈴木左太夫殿の御次男、孫一重秀殿で御座いまする」
長安が重秀が氏素性を紹介すると、幸綱と昌景は感嘆の声を上げた。《雑賀の孫市》の異名は永く甲斐の国政を務めた2人の耳にも届いているのだ。(但し、彼等が情報として知っている孫市は先代(今の左太夫)の事である)
だが、昨年迄は御親類衆の一城主で、尚且つ半年謹慎していた勝頼は、その名前に覚えが無かった。
「一徳斎、残念ながら儂は判らぬのだが…そんなに有名なのか?」
「勝頼様、《雑賀の孫市》と申さば百発百中を誇る凄腕の鉄砲撃ちとして名が甲斐に迄知れ渡っておりまするぞ」
そんな主従の会話を聞いていた重秀は、ふと勝頼に質問を投げ掛ける。
「御陣代殿が誠に我が素性を知らなかった為らば、何故に拙者の仕官を簡単に認めようと致したので御座るか?」
「何故とは…。長安が命懸けで畿内を旅して来たのは想像に難くない。そんな長安が連れ帰った雑賀の鉄砲使いならば、先ず間違い有るまいと思案致した。もしも何事か有らば、儂が責を負えば良いのだからな」
その発言を聞いた長安は、勝頼の成長の一端を垣間見た気がして感動に震えていた。
(己の判断と苦労は間違えでは無かった。一昨年の《地黄八幡》(北条綱成)からの敗北とその後半年間に及ぶ謹慎、そして陣代としてのあらゆる経験を糧にして、勝頼様は《我が主君》《武田の棟梁》に相応しい御方に成長為さっているのだ!)
一方で幸綱や昌景は、勝頼が何も考えが無い訳では無かった事に安堵していた。
そんな彼等の真ん中に座する重秀が勝頼の言葉を聞いて哄笑した。
「あは、あっはっはっ…、いやぁ面白い!気に入り申した!武田勝頼様、改めて御願い致しまする!拙者を家臣団の末席に御加え頂きとう御座いまする!」
一頻り哄笑した重秀は改めて居住いを正すと、上座の勝頼に対して仕官を願い出た。
「勿論だ。…為らば敢えて名を呼ばせて貰おう。重秀には我が領地で或る信濃高遠の地の中から所領を授ける。また、鉄砲に付いては明日2人駿府から人を呼び寄せる。其の者達と相談致した上で、共に参った十ヶ郷の鉄砲使いや鉄砲鍛冶師と共に、武田の者達を鍛え上げて貰うぞ!」
「はっ!御任せ下され!此の孫一の力で武田家を東国一の、いや扶桑第一の鉄砲の国にしてみせましょうぞ!」
重秀の言葉に満足の笑みを浮かべた勝頼は、惣三と勘蔵に命じて歓迎の宴会の準備を命じる。
「うむ、では惣三に勘蔵よ。今宵は紀伊からの帰還と重秀の仕官を祝って宴を致す様に手配致せ。それと湊と船の水夫や雑賀からの客人にも酒肴を付け届けよ」
「はっ!承知仕りました!」
…此の夜、清水湊と江尻城では、まるで祭りの如き無礼講の宴会が其処畏で開かれた。彼等は深更に及ぶ迄酒肴を楽しみながら、戻って来た仲間達の祝福と帰らぬ者への鎮魂を想うのだった。
翌日、江尻城には大井川沿いの前線から2人の武将が召し出された。彼等は騎馬で東海道を東進して江尻城に入城したのだ。
1人は既に武田軍の筒衆頭(鉄砲隊長)を務めている譜代家老衆の甘利郷左衛門尉信康。
もう1人は前諏訪郡代で足軽大将衆として第2次駿河侵攻戦に参加して、そのまま駿河に駐留していた長坂筑後守虎房である。
長坂筑後守虎房は、騎馬40騎・足軽45人持ちの足軽大将衆。信虎・信玄の2代に仕えてきた。 武田家の初代諏訪郡代・板垣駿河守信方の相備衆として上原城に在城。その戦死後は第3代の郡代に就任している。
郡代退任後は木曽・伊那等の主に南信濃の地を代官として渡り歩き、其の地の統治を立て直してきており、地方行政の手腕に定評が有った。
一方では、任地が近い故に勝頼と親しく、勝頼の高遠統治にも力を貸している。
現在は勝頼の陣代就任に伴い、高遠城将として統治を行う傍ら、今回駿河迄出陣して来たのだ。
また、嫡男の五郎左衛門尉昌国(源五郎)は現在《法性院様申次衆》の1人として信玄の側で活躍している。
しかしながら虎房は当年58歳とはいえ、未だに家督を譲らずに現役武将として活動しているのだ。
「勝頼様にあらせられましては、御機嫌麗しう御座いまする。此度の御用件は如何なる物で御座いましょうや?」
虎房が勝頼に対して、必要以上に遜った挨拶を交わし、畏まって平伏した。随分前から勝頼支持を公言してきたので、此れを期に武田家の中心で有る躑躅ヶ崎館に戻る事が出来るのでは、との期待が有るのだ。
(地方回りでは此れ以上の出世は望めぬ!此の機会に何としてでも甲斐の奉行職を確保せねば歳からして儂に先は無いぞ!)
焦っている虎房に比べて信康の方は随分と落ち着いていた。既に筒衆頭としての実績が十分に有る為である。
「勝頼様。此度は畿内から土屋藤十郎殿が帰還した件と我等が呼ばれたのとは関わりが有るので御座るか?」
勝頼は鉄砲の重要性を理解してくれている。恐らくは船団が持ち帰った鉄砲の配備の件で招集された、と考えていたのだ。
其故に、今回の勝頼が話し始めた内容は2人の予想した内容を遥かに超越していた。
「うむ、今回お主達には或る特別な任務を成し遂げて貰う。此の成否に拠っては武田家の存亡の帰趨さえ左右する程の任だ。それ故に先ずは概要のみ説明致す。その上で一度のみ此の任に就くか否かを聞く事に致す」
そう言って、勝頼は別室に待機させていた長安と重秀を2人に紹介する。
その後、武田家で一から鉄砲を製造して、織田・徳川以上の鉄砲隊を作り上げる計画を大まかに説明していく。
暫くして、勝頼は4人に予定している役割分担を説明した。
「長安には金山奉行の職に就いて貰う。鉄砲の製造、人材の確保、玉薬の調達等、此の計画に必要な一切の資金を賄って貰う。勿論、その為に必要な水銀の確保に付いては一任致す」
「畏まりました。此の長安に御任せあれ」
「重秀には先ずは十ヶ郷の者達を統率して、雑賀流の鉄砲の製造・運用の一切を伝授して貰う。鉄砲の製造が軌道に乗った時点で筒衆頭の1人として働いて貰うぞ」
「承知致した!津田流火術の使い手の1人として、此の大任を見事成し遂げてみせましょうぞ!」
予め内容を理解していた2人の反応に、勝頼は満足そうに頷く。
しかし残る2人に夫々の任務内容を伝える前に、信康が勝頼に対して平伏した。その顔には部屋に現れた時とは全く違い、焦燥感と並々為らぬ覚悟が窺い知れた。
「勝頼様と鈴木殿に是が非でも御願いが御座る!某を鈴木殿の弟子にして頂きたい!某の我流の火術では、此れからの戦には通用致さぬは必定!是非とも某にも津田流火術の奥義神髄を御伝授して頂きたい!何卒、何卒此の通りで御座る!」
信康は、畿内での鉄砲戦術に精通した重秀を目の前に現れた事により、我流では無い正式な火術を極めて己の力量を高める必要性を感じたのだ。
勝頼はやや困惑した表情を浮かべながら重秀に対して質問してみる。
「うぅむ…、譜代家老の信康が弟子入りを望むとは前代未聞だが…。当人同士が良ければ儂に否やは無い。重秀、お主は如何に致す所存なのだ?」
「はっ!その様な立場の武士が恥を忍んで頼んでおるので御座ろう。此れで断れば孫一の《男》が廃りまする!郷左(信康)殿、此方こそ宜しく頼みまする!鉄砲の頭が務まる者は多ければ多い程良いですからな!」
重秀の言葉を聞いた信康は満面に喜色を浮かべて、重秀の手を取りながら礼を述べた。
「鈴木殿、誠に忝い!宜しく御頼み申す!」
「うむ、為らば信康は一刻も早く《津田流火術》の神髄を極めて貰わねば為らぬ。重秀も是非とも鍛えてやってくれ。勿論、筒衆頭の一角を信康に占めて貰うぞ」
信康と重秀は勝頼からの命令を受けると、同時に平伏しながら言上を述べる。
「はっ!某の我儘を許して頂いた勝頼様の御厚情に応えるべく、全身全霊を賭して極めてみせまする!」
「此の孫一、必ずや郷左殿を一廉の火術の使い手にしてみせまするぞ!」
2人の反応を見て、信康の方は大丈夫だと判断した勝頼は、次は虎房に任務の内容を説明していく。
「虎房には、鉄砲製造の差配を内密に行って貰う。秘密に設ける工房の住居の普請から、鍛冶場の普請、職人達の差配等、鉄砲の製造に関わる事全般を采配致すのだ。勿論明かす時が来る迄機密を守る事も任の一部に為る」
勝頼からそう言われた虎房は、暗澹たる思いに駆られた。そんな秘密工場ならば目立たぬ地に置くしか無い。
更には任務の内容を口外出来ないとすれば、出世の糸口にも為らないかも知れないのだ。
だが虎房には勝頼に逆らって迄断る気概を持つ事は出来なかった。
そこで引き受ける代わりに、5年前の義信謀反騒動の影響で未だに家督を譲れていない嫡男の昌国への救済を願い出た。
「…畏まりました。謹んで其の任を御引き受け致しまする。ただ出来得る為らば、我が嫡男の源五郎に長坂家の家督と受領名等を譲る事を許して頂く存じ上げまする」
「うむ、あの一件から5年、昌国は既に法性院様申次役に就いて居る。家督の継承にはもう否やは有るまい。此の年末を以て、虎房の隠居と昌国への長坂家の家督及び其の軍役、そして《筑後守》の受領名を名乗る事を相許す。但し家督を譲った後もお主が此の職に留まるならば、其の間は隠居料と別に堪忍分として扶持米と甲州金を給する事に致そう」
勝頼の発言を聞いた虎房は、
(致し方有るまい。此処は気持ちを切り替えて職務に励む事が、再び甲斐に返り咲く道筋だ!)
と己に言い聞かせて御礼を述べる。
「御厚情誠に痛み入りまする。此の虎房、全身全霊を傾けて職務を完遂してみせまする」
「期待しておるぞ。では先ずは決めておきたい事が有る。其の工房を何処に作るが良いか、だ。他国の者だけでは無く、関わり無き武田の者にも知られず、鉄砲の製造に安心して打ち込める場所は何処が良いと考える?4名の中に良き案を持つ者は居るか?」
勝頼からそう聞かれた長安、重秀、信康、虎房の4人は暫く考え込んでしまった。
「余り国境に近いと敵に襲われてしまうし、街道から離れ過ぎた山奥だとやはり不便が生じますしな」
長安の考えに重秀も納得して言葉を繋ぐ。
「確かに。それだと海沿いも危ない。敵の大名が海賊を放てば一巻の終わりだ」
「では富士の北側の九一色に広がる森は如何で御座ろうか?彼の地ならば機密を守るのが非常に容易ではと思案致すが?」
信康が1つの具体的候補を上げる。後に《青木ヶ原樹海》と呼ばれる土地であり、確かに機密保持が行い易い場所で或る。
しかし、此の一見すると魅力的とも思える案には長安が強く反対した。
「それはいけませぬ。彼の森が有る九一色は、富士の向かい側が北条の占拠する河東の地で御座います。北条勢が長駆致さば危のう御座いますぞ」
「ふむ、確かに藤十郎殿が言われる通りだ。ならば此の案は取り下げましょうぞ」
長安は直ぐに折れてくれた信康に黙礼をしながら安堵の表情を浮かべた。
此の場では明かさなかったが、頭の中では別の勢力を警戒していたのだ。
(九一色は穴山左太夫(信君)が差配する河内領からも、小山田左兵衛(信茂)の郡内からも近過ぎる!勝頼様に対して返り忠(謀反)でも起こされたら最初に狙われるでは無いか!)
長安は未だに勝頼に忠誠を誓おうとしない信君や信茂、そして御親類衆が多く存在する甲斐に工房を拓くべきでは無い、と考えているのだった。
「筑後殿(虎房)、先程から殆ど発言をされて居られぬが、場所の選定は元々お主の管轄で御座ろう。何かしら良き考えは御座らぬのか?」
信康から突然話を振られて慌てた虎房は、苦し紛れに1つの地名を明かした。
「えっ?あ、では高遠辺りは如何で御座いましょうか?」
「何?高遠だと?高遠城の側には杖突街道や秋葉道(秋葉街道)が通っておるのだ。とても秘密には出来まい」
昨年迄は高遠城主だった勝頼が否定的に意見を述べる。
《杖突街道》は諏訪から杖突峠を越えて高遠迄通じる街道で、《秋葉道》は高遠から分杭峠・地蔵峠・青崩峠を越えて遠江秋葉山迄通じる街道である。
共に古来から諏訪と東海方面を結ぶ重要な街道の1つであり、信玄率いる武田軍の伊那侵攻や秋山伯耆守虎繁の遠江侵入にも此等の街道が使用されていた。
「すまぬが高遠の位置が判らぬ故、地図を見せて貰うぞ。…ふむ、成程。筑後殿が言われる高遠は武田領の真ん中に御座るな。街道が有る故に警固が難しいが、何の道も無い所では材料や鉄砲の出入りが難しかろう。此の高遠の辺りは使えぬかな?要は他の代物に仕立てておけば良いのだからな」
重秀が虎房の思い付きに意外にも興味を示すと、長安も高遠案を検討し始めた。
「他の代物か…。ならば、諏訪郡には金鶏金山が有る故に、其の山向こうの高遠側に金山を採掘致す、との話を流そうか。確か杖突街道から東側に山を一つ越えた辺りは高遠から山中に分け入る道が小川沿いに有ったと思うが…」
「確かに御座いまする。其の小道は高遠から艮(北東)に伸びて居りますが、獣道でも通らぬ限りは諏訪側に抜けられませぬ」
南信濃を長年渡り歩いた虎房が周辺の地形を即答すると、勝頼達も興味を示し出した。
「ほう、ならばその辺りに金山の開発と偽って鉄砲の鍛冶場町を作り上げれば良いのか」
「はい、但し此処では金山の開発には失敗した、と噂を流す事に為りまする。金山が有るとなれば商人や遊女等が集まり兼ねませぬからな」
「そして、山の出入口の高遠は勝頼様の御料地(直轄領)と致し、関所を設ければ良いので御座いまする。更に念を押すなら近辺の山中には透破を放って警固の任に就ければ万全で御座いましょう」
次第に長安や虎房が高遠案に肉付けを行い、より明確な提案になっていく。
そして遂に、勝頼が高遠案に同意して計画を発動する事に為ったのだった。
「良し、先ずは小屋を掛けて鍛冶場を開き、鉄砲を作り始めねばな。高遠からの奥地に隠しの鉄砲町の建設を了承致す。直ちに人員を引き連れて、現地で普請と訓練を始めてくれ。先程も言うたが、此度の成果が正に武田の浮沈に直結するのだ。必ずや成功に導いてくれ!」
『御意!!』
4人は一斉に勝頼に平伏して、各々が其の心中で此の計画の成功を誓ったのだった。
その翌日には江尻城や清水湊、そして駿河各地からは多くの者が一斉に姿を消した。
此の計画の為に集められた徒士武者・専従の足軽・鍛冶師・武具職人、そして雑賀荘から派遣された鉄砲使いや鉄砲鍛冶達である。
更には甘利信康配下の筒衆の大半も再編成の名目で姿を消してしまった。
彼等は夫々(それぞれ)が別の道を通り、信濃伊那郡の要衝・高遠に向かう。
そして、長坂虎房が普請奉行を務めて、東高遠の山中に瞬く間に秘密の鉄砲鍛冶場と訓練所、そして多くの硝石蔵と寝泊まりする小屋が建設されたのだ。
その秘密の鍛冶町に集められた者達は、その外界からは遮断された土地に於いて、己の技量の向上に全力を傾けていった。
斎木助三郎等の刀剣鍛冶師や若神子鍛冶等の鍛冶師達は、雑賀荘から来た鉄砲鍛冶師に弟子入りして其の業を身に着けていく。
祢津宮内丞を始めとした鞘師・細工師・象嵌師等の武具職人達は、同じく鉄砲の大量生産時に絶対に必要に為る台締金・発条を使った火縄挟・台木(銃床)・雨覆等の絡繰りの製作を覚えていく。
勿論、鉄砲撃ちとして集められた者達には、雑賀衆から選抜された凄腕の鉄砲遣い達によって、連日の様に射撃・整備技術・玉薬(火薬)の調合管理等を叩き込まれた。
領国各地から集められた鉄砲足軽や徒士武者達は、挫けそうになりながらも歯を食い縛って猛特訓についていった。
彼等の正に《不眠不休》の努力によって、武田家の新型鉄砲と其れを操る鉄砲隊が小規模ながらも誕生するのは、此の翌年の事である。
しかし此の新型鉄砲隊が、武田家が戦国の動乱から抜け出し勝ち上がる原動力に成長出来るか否かは、未だに誰も判らなかった。
ただ彼等は其の時が訪れる事を信じて《牙》を研ぎ続けるのだ。
此の話で、武田家が鉄砲隊を作るお膳立てが整った感じになります。(未だに織田には歯が立ちませんが)まだまだ先が長い上に毎回長文ですが、次回も読んで頂ければ幸いです。