第十九話 一人騎士団(※アルフ視点)
王都襲撃予想日。王都へと集結した軍勢は総勢五千人。そのうちの千五百ほとの兵士がこの平原に立っている。誰もが魔族もの戦いを生き抜いた強者達だ。その騎士達が整然と隊列を組んで佇む様子は、いつ見ても心を沸かせるものがある。
隣に立つ少年を見やると、その瞳はただ眼前の敵へと向けられていた。白銀の軍勢と睨み合う夥しい数の魔物。そしてその奥には100人近い数の魔族が控えている。
「遂に来ましたね」
ふと勇者殿がそう呟いた。その瞳は酷く凪いでいて、そこに恐怖も興奮も見ることはできない。
「手筈は分かっているな?」
「ええ、いってらっしゃい!」
「ああ、征ってくる」
勇者殿が頷いたのを確認し、そのまま落下した。
近衛騎士団長たる証の紅のマントをはためかせ、両軍の丁度中間に降り立つ。落下の直前に重力を逆転させる魔法を使用し、落下速度を殺して軟着陸する。
地に着いた膝をゆっくりと伸ばし、魔物共に威圧するかのように仁王立ちする。今から使う魔法は私が編み出したオリジナルの魔法。誰に真似されても、使いこなせるのは私のみ。全幅の信頼を預ける、私の強さの象徴。また、これは全軍への鼓舞の意味も持つ。圧倒的な力で、味方に勇気を持たせる。
抜刀し、胸の前で剣を構える。そして、両軍の緊張が臨界点に触れた瞬間、私は自分のみが使いこなせる魔法を詠唱した。
『その身は大地。流れる血潮は大海を宿し、その剣は大気をも切り裂く。
ーーーそれは人に非ず。
ーーーそれは獣に非ず。
ーーーそれは樹木に非ず。
我が信奉する強さの顕現なり。我が歩む騎士道の発起なり。
我が愛する兵達よ。剣を取れ。盾を取れ。ただ眼前の敵を討ち滅ぼせ』
一呼吸を置き、最後の一節を唱える。
『ーーー立ち上がれ、《騎士団》よ』
私の中の魔力がごっそりと抜け、大地を波うたせる。あたり一面から愛する数百近い鎧兜が立ち上がる。大地と同じ土色の、刀身のない剣をもつ騎士達が。
私の持つ肩書きは三つ。この国での役職である《オーリンズ騎士国近衛騎士団長》。各国の騎士のランク付けによる《特位騎士》。そして、戯れに付けられた二つ名ーーー《一人騎士団》。
土色の騎士達は、痺れを切らして襲い掛かってきた魔物を鎧袖一触に斬り伏せる。その動きは無機質で合理的。どんな体躯の魔物が来ても恐れず牽制し、足止め、そして集団で群がってその大気を圧縮して作られた剣で切り裂いてゆく。
それを傍目で見ながら、『響け』と呟く。そして大きく息を吸い込み、咆哮をあげる。
「全軍、続けぇええええっ!!!」
『うおおおおおおおおおおおっ!!!!!』
銀の騎士達が雄叫びを上げながら平原を掛ける。銀と土の騎士達は混じり合い、次々と襲い来る魔物達を屠ってゆく。多くは危なげなく。稀にある銀の騎士の窮地は土の騎士がその身を呈して打破し、先へ、先へと進んで行く。
私も大地を疾走しながら目に付いた魔物をすれ違いざまに斬り捨てる。先に進めば魔族達がいる。奴らは仲間が死ぬことを何よりも恐れている。そのことを幾度もの戦闘の中で私たちは学んでいた。故に、私達の目標は魔族を倒すこと。ただそれのみ。半数でも倒すことができれば奴らは引くだろう。
だから、今は殲滅できなくてもいい。あの子達にはまだまだ時間がいるのだ。その時間を稼ぐためにも、素早く奴らを撃退しなくては。
「はあああっ!『風よ』!!」
剣に風を纏わせ、気合一閃。一太刀の元に大型の魔物を真っ二つにする。その後ろから飛び出してきた狼を返す刃で切り裂きながら走り続ける。
「前へ!前へ!!」
蛇を、オークを、ゴブリンを、猪を、触手を。阻む全てを切り捨て、前へ!
「ーーーーーッ!?」
不意に、上空に魔法陣が描かれていくのが目に入る。十や二重ではきかない、大小入り混じった100近い攻撃魔法の数々。それらが一斉に解き放たれる。炎や光の束、そして竜巻が私達に降り注ぐ。
ゴゴゴゴゴと大気が唸り、衝撃で大地が揺れる。戦場のあちらこちらから悲鳴が上がり、空へと光の欠片が柱となって立ち昇ってゆく。魔族が人を殺した時だけに見られるその現象は、その真実に反してとても美しい。数百に及ぶ光の柱が空へと登っていく様は、兵士たちに絶望を与える。
そして、トドメとばかりに空に極大の魔法陣が描かれてゆく。その直径だけで、あの魔法が解き放たれれば、この戦いがそれだけで終幕することを容易く想像できた。何人もの騎士達が恐怖や絶望からその膝を地面に付ける。
そうして皆の心を折った魔法陣は完成し、その全てを解き放つ。ゆっくりと降下するそれは、恐ろしいまでに巨大な炎の塊。まだ距離があるはずなのに、その余波のみで肌がチリチリと焼けていく。太陽が落ちてきたとでも言わんばかりの魔法に、今度こそ全軍の士気が消えかかったその時ーーー
ーーーその太陽を遥かに超える大きさの魔法陣が一瞬で構築された。
魔法陣は光を放つと、薄緑色のシールドへと変じた。その範囲は戦域全てを覆い、落下する太陽の侵攻を完全にシャットアウトしていた。あまりに壮大な光景に数秒の間ほうけてしまったが、すぐさま全軍に向けて声を発する。
「今だっ!!勇者様の加護は我らにある!!魔族ごときに破れはしないっ!!」
『……うおおおおおおおおおおっ!!!』
一拍の間を置いて全軍から絶叫が巻き起こり、兵士たちが目を輝かせて戦場を駆ける。希望は、絶望の中でこそ映えるもの。恐るべき脅威を目の前で打ち消した所業は、兵士たちの士気をこれでもかと押し上げたのだ。
今回、勇者殿に任せたのはただ一つ。効果的な場面で、最も有効な魔法を全力で使用すること。酷く曖昧な指示ではあるが、彼はその役目を見事に果たしてくれた。そして、その一打を終え次第、彼自身がこの戦場へとやって来る。
遥か上空に張られた結界がーーー解ける。
彼は先程私がしたように、しかしそれより遥かに優雅に着地を決め、敵軍を睥睨する。
「アルフさん、行きましょう」
「ああ。背中は任せていいかな?」
「勿論です」
そう言って勇者殿はニコリと笑い、私の背に向かい剣を振るう。グゲアッと奇妙な断末魔を残し、私の背後から忍び寄っていた魔物が倒れる。
「この件、つばさとよくやったなぁ」
「ふむ、勇者殿。敵が来たぞ」
「上等です。後悔させてやります」
まるで悪役のセリフだと二人で声を上げて笑い、同時に駆け出す。迫る敵の尽くは敵にも満たない雑魚ばかり。腕の一振りで数匹が吹き飛び、剣の一閃で十匹近い数が血の華を咲かせる。先程以上のスピードで魔族へと迫ってゆく。
厚い厚い魔物の壁を越え、漸く開けた場所に出る。そこには魔族が十数人立っていた。奴らは一様に灰の髪色を持ち、右目が青く、左目が赤い。更にその額からは一本の短い角が生えている。まるで英雄と勇者の特徴を半分ずつ受け継ぐかのような姿。しかし、それはこの世界にとって歪なものだ。
獣人族の髪色や毛並みは魔力の色に依存する。故に、色が混ざるということなどあり得ない。瞳もその傾向が強い。エルフたちは皆一様に金の髪と翠の瞳を持ち、ドワーフ達は銀の髪と土色の瞳を持つ。これは変わらぬ摂理だ。
ごく稀に獣人族にグラデーションのような色合いの髪を持つ者もいるが、魔族のようなハッキリと別れるような色はしていない。しかも魔族はどのような獣にも似てはいない。似ているとするなら、猿人族自体に、だ。そんな彼らはやはりこの世界では歪な存在に感じられる。
「勝敗は決した!これ以上の戦闘は無意味である。降伏しろ!!」
既に魔物の軍は敗走寸前。そして私と勇者殿が魔族の元へとたどり着いたことで、この戦の勝敗はほぼ決した。いくら魔族が強力な魔法を扱えたとしても、先ほどのあの巨大な魔法はかなり堪えたはずだ。これ以上は継戦する意味がない。徒らに死者を増やす結果となるだろう。
しかし、彼らは首を横に降る。
「何故だ!これ以上戦う必要が何処にあるっ!?」
「僕達は、ここで引くわけにはいかないんです。勇者と英雄を魔王様の所に連れて行かなければならない。僕達の宿願。それを果たすためにも」
その言葉に、いやそれ以前に魔族が言葉を返してきたという事実に驚愕する。今まで彼らと対話をしたという話など聞いたことが無かった。そして、それ以上に気になることが一つ。
「宿願?貴様らの目的は世界の征服ではないのか?」
「それは目標へと至る通過点に過ぎません。僕達は……」
「スーゼン、それ以上は話し過ぎだ。今はそれを伝えるべき時ではない」
スーゼンと呼ばれた少年魔族は悲しそうに俯き、数度首を振る。
「ロレンツ、分かってる。……分かってるよ」
スーゼンは顔を上げてこちらを向く。そして、ポツリと呟いた。その一言は怒号と悲鳴が満ちる戦場で、嫌によく響いた。
「父さん、会えて嬉しかった」
とう、さん?思考が一瞬停止する。私は妻を持ったこともない。娼婦を抱いても、娼婦には避妊の魔法がかけられているため子供はできない。だとすれば、彼は一体?
しかし、そんな混乱した頭でもスーゼンの発する悍しいまでの魔力の脅威を感じることはできた。それと同時、全力で地面を蹴ってその場を離れる。横を見ると勇者殿も付いてきていた。彼は油断なく前方を見つめ、その時を待つ。
『その身は大地。流れる血潮は大海を宿し、その剣は大気をも切り裂く。
ーーーそれは人に非ず。
ーーーそれは獣に非ず。
ーーーそれは樹木に非ず。
彼が信奉する強さの顕現なり。彼が歩む騎士道の発起なり。
我が愛する兵達よ。剣を取れ。盾を取れ。ただ眼前の敵を討ち滅ぼせ。
ーーー立ち上がれ、《騎士団》よ』
ドクン、と地面が脈打つのを感じる。その魔法は私が使用した時の数倍の範囲を覆っている。魔族達、その後方にソレは立ち上がる。私の魔法と全く同じ。土色の甲冑に風の刀身を持つ剣。千人近い騎士がその身を起こす。彼らは一様に剣を空へと向け、整然と隊列を組む。
スーゼンは空に向けた右手を、
ーーー私たちに向けて振り下ろした。
そして、真の絶望の幕が上がる。