第十一話 初回討伐遠征(3)
初戦闘の余韻はあまりなかった。生き物を殺した罪悪感も相手が虫だったからか感じていない。それが良いのか悪いのかは分からないが、直ぐに動き始めることが出来た。
蜘蛛には有用な素材なんかは無いらしく、予想していた剥ぎ取りなんかは行わずに、死体を燃やしてその場を立ち去った。動物にしろ昆虫にしろ、死体は多数放置すると役病の元になるからだという。必要ない死体の焼却処分は、国法で義務付けられてもいるらしい。予想以上に衛生管理はしっかりしているようだ。
森の表層部にはあまり魔物がおらず、見かけるのは緑や土色のスライムばかり。そうして少しずつだが奥の方へと進んで来た時だった。ウオオーーーーンッと犬の遠吠えのような物が聞こえてきた。この森に犬はいないらしいから、おそらくは魔狼だろう。そう判断し、皆に武器を抜くように指示を出す。
遠吠えの聞こえた方向にジリジリと進んで行くと、やがて微かだが戦闘音が聞こえ始めた。獣の唸り声と、魔法の破裂音。恐らくは他の班が向こうで戦っているのだろう。
ここは手伝いに行くべきだろうか?ハイネの方を見ると、彼女は首を横に振った。
「初めての戦闘です。不意に横槍を入れれば、大きな隙が出来るかもしれません。救援の要請が出ていないなら、行くべきでは無いでしょう」
なるほど、と一同が頷き、俺たちはまた違う方向に進み始めた。
しばらくして俺たちは大森林の中心部近くまでやってきていた。ここまで出会った魔物は最初の蜘蛛のみ。ハイネはこれが明らかにおかしなペースであると言う。
普段ならば、ここまで来るのに何回も魔物の襲撃を受けているはずなのだそうだ。魔物の数が減少しているのか、もしくはそろって何処かへと移動しているのか。それは分からないが、何かが起きているのかもしれない。
「だけどさあ、さっき魔狼だっていたわけじゃんか。問題なんか本当に起きてるのか?」
「能登ぉ!あんた話し聞いてなさいよね!魔狼もあの蜘蛛も、特定の範囲でしか狩りをしないって言われたでしょうが!そこにいないのがまずおかしいのよ!」
ぼそりと呟いた能登に、名瀬が噛み付いた。真中さんはそれに苦笑しつつも、首を傾げる。
「でも、やっぱり変だよね。魔物が皆していなくなったのに、あの魔物たちだけいるのは」
「グルメな魔物がいるんじゃねえか?」
「能登、そんな物がいるわけ無いだろう」
蓮太郎が突っ込むが、それでも能登は止まらなかった。
「だってさあ、ここにいる魔物って狼や蜘蛛のほかだとイノシシとか鹿の魔物じゃんか。他は小さなウサギだとか、そういうのだろ?
しかもそのイノシシや鹿の魔物は結構強くて魔狼は襲わないって話じゃん。ならいなくなるのは可笑しいだろ。普通、逃げるにしても魔狼の方が先だろ?
でも、いなくなってない。なら、魔狼は襲われないってわかってるんじゃ無いか?蜘蛛は肉食獣なら食べないし。同じタイプの魔物なのか、それとも食いでのある獲物しか狙ってないのかは知らないけどな」
スラスラと話し始めた能登に、俺を含め皆が驚愕の表情を浮かべていた。名瀬なんか、物凄い顔してるし。まるで路傍の石ころが真珠に化けたかのような、そんな表情だ。
「能登くん、私あなたのこと勘違いしてたかもしれない」
真中さんが神妙そうにそう言い、三塚さんがコクコクと必死に頷く。そんな女性陣の様子に、能登が悲しそうな声を上げた。
「お前ら、俺のことどんな風に思ってたんだよ……。この前のテストなんか学年十位だったんだからな!」
「「「「「十位ぃ!?」」」」」
あり得ないだろ……、うちの偏差値は結構高いのに。普段の様子見てたら絶対考えつかないな。何時も礼儀正しいあのハイネですら意外そうな顔をしているというのに。
「ま、まあ、思わぬカミングアウトがありましたが、能登さんの推理は当たっているかもしれませんね。魔狼の上位種ならば、確かに他の魔物を狩るのは容易いでしょう」
「どうする?一旦帰るか?」
「そうですね、確証が有るわけでは無いですが、貴方達を失う可能性が少しでも有る以上、引くべきでしょう」
ハイネがそう言い、方角確認の魔法を発動した瞬間だった。先ほど聞いたそれとは比べ物にならないほど大きく、威圧感に溢れた声が辺りに鳴り響いた。
ウオオオオオーーーーーンッ!!!
それも、かなり近い。音は左側から聞こえてきた。皆一斉に武器を抜く。今度はハイネもその双剣を抜き放ち、しっかりと構えている。
「基本はさっきと同じ!俺は前に出るからハイネは救援信号を上げたあと後衛を守れ!」
そして、それらはやってきた。セントバーナードほどの大きさのある魔狼の群れ。その中で一際目立つ個体がいる。遠目でも5メートルを超える巨体を悠々と示しながら、こたらへと歩いてくるソイツ。その前足の横には爪が発達したのだろう大きなブレードがあり、額には長く鋭い角が生えていた。明らかに魔狼という種を超えていた。
「気をつけてください!リトルフェンリルです!」
ハイネが鬼気迫った様子で叫ぶ。その魔物がどれだけ強いのかは分からないが、少なくともハイネが必死になっても勝てない可能性のある相手なのだろう。声音からそれだけは判断出来た。
そして、開幕の砲が放たれる。真中さんが一メートル越えの火球を生み出し、それを魔狼の群れへと放ったのだ。赤々と燃えるその球は、魔物の群れに突っ込むと大きく爆発を起こして数体を黒焦げにする。
そこへ能登と廉太郎が突っ込んで行く。
「はああああっ!!」
裂帛の気合と共に剣を振るい、廉太郎は何体もの魔狼を一度に空いてしていた。能登も名瀬と共に魔狼を少しずつ、しかし確実に削って行く。しかし、余りの数に攻勢に出ることは出来ていない。それを横目に見つつ、目の前までやってきたそれを見上げる。
リトルフェンリルは俺を見下ろし、俺は両手の大双剣に魔力を込めて睨み返す。
「身体強化」
それだけを口にし、双剣を構える。一瞬、周囲の音が消えたような気がした。恐れも、緊張も、感じてはいない。ただ、本能がこいつを殺さないと生き残れないと訴えていた。闘争本能だけが胸に燃え、魔力が沸騰するかのごとく滾って行く。
その一瞬の均衡が過ぎ去り、最初に動いたのは向こうだった。その右足を前方に突き出しながら一気に突進してくる。俺は上半身を低くして、血を這うように駆ける。迫るブレードを左手で捌き、その懐に潜り込んだ瞬間に右の大剣を全力で切り上げる。ゾンッと音を立てて白銀の体毛を切り裂くも、後脚だけで上に飛んだリトルフェンリルの肉には届かない。
リトルフェンリルは数メートル離れたところに着地すると、再び油断なくブレードを構える。その姿に隙は無い。しかも先ほどとは違いその周囲に霧のような物が渦巻いている。よく見てみればそれが細かな氷の粒子だというのがわかる。だが、それが俺には煮えたぎったマグマのようにすら感じられた。
魔力の直接操作。魔法という技術を持たない魔物が魔法を使う方法だ。自身の魔力を最も近い形質の存在として具現化して操るのだ。魔力保持量が高く、その操作に長けた魔物のみが使用できる。つまり敵はそれほどの相手だということだ。
ーーーだが、そんなことは知ったことか!!
「キョウ!」
ぷるんと頭上のキョウが震える。それと同時、1m台の魔法陣が空中に十数個現れた。先ほど言った魔力の直接操作。それによってキョウは空中に直接魔法陣を描くという方法で魔法を使っていた。これが出来るのは人に飼
われ、魔法陣を描けるほどの魔力操作能力のあるスライムのみである。そういう意味で、キョウは特別だ。
何故なら、キョウは二十個近い魔法を同時に放てるのだ。俺が詠唱する間にキョウは十倍近い攻撃を繰り出せる。しかもスライムは人とは違って魔力の瞬間放出量なんてものは無い。それゆえの馬鹿げた火力なのだ。
俺が近接で攻撃し、キョウがオールレンジで制圧する。これが今の俺たちの基本戦法だ。相手が魔法を使うなら、物量で押しつぶせばいい。使う暇すら与えず、有利な土俵で戦い続けるのだ。そしてそれは遺憾なく効果を発揮した。
空中の魔法陣から色取り取りの砲弾が放たれ、リトルフェンリルに向かって降り注ぐ。第一掃射が終わり次第、俺から補給された魔力によって次々と魔法陣が空に浮かんでは、その威力を見せつける。度重なる砲撃に土煙が舞い、一旦はリトルフェンリルを覆い隠す。しかし、奴は煙の中から飛び出し、一気に俺へと向かってきた。しかしそれは俺も予想済みのことだった。
「うおおおっ!!」
リトルフェンリルの突進を横に飛ぶことで避け、すれ違いざまに剣戟をくれてやる。だがそれも左のブレードが跳ね上がり弾かれた。
体勢を立て直し、俺と奴は再び近距離でにらみ合う。次に動いたのは同時だった。
「ーーーッシ!!」
一息に二連の斬撃を繰り出し、迫り来る二本のブレードを弾く。現実にその一撃が岩をも砕く俺の大剣と膂力も、5mもの巨体の獣の攻撃は弾くのが精一杯である。数センチ、数ミリ単位で躱し、弾く刃の応酬の中、俺たちはお互いの一撃が必殺の威力を持つことは分かっていた。
俺も、リトルフェンリルも、相手に一撃でもいれることが出来れば勝利出来る。だが、均衡するその斬撃の嵐二つは、その隙を生み出すには足りない。俺は余りの迫力に後退しそうになる足に力を込め、腰を深く入れた。ここで下がればどうにもならない。勝機を逃す訳にはいかない。
ギィンッ!ギィンッ!と甲高い音が連鎖して行く。
十合、二十合と剣戟を交わすうち、俺の頬には自然と笑みが浮かんでいた。楽しい。このギリギリの戦いを、拮抗した戦闘というものを、俺は心底楽しんでいた。今は数瞬ごとに腕に走るしびれすら心地いい。
だがそれにも終わりは訪れる。目の端に、ごく小さな魔法陣が浮かぶのを見た。俺は左の大剣を振り上げ、右の大剣を持つ手に力を込めた。大きな一撃を放つための、タメの一瞬。瞬きほどの時間だったが、それは奴にとって十分すぎる隙だったのだろう。リトルフェンリルがそのブレードを叩きつけようとするのがスローモージョンのように見える。
刃は俺の体に近づき、近づき、近づきーーー
ーーーたった一発の弾丸によって弾かれた。
「はあああああああーーーーーーっ!!!!」
全力の咆哮を上げ、力をためきった両腕から全身全霊をかけた剣閃が解き放たれる。
横の斬撃がその両足を切り飛ばし、縦の斬撃がその首の横から腹部までを大きく切り裂いた。真紅の華が宙に咲き誇り、力を失った白銀の巨体が地面へと崩れ落ちていく。
どさっと音を立てて地面に倒れこんだ巨狼に視線を向けると、その息が途絶えようとしているところだった。その様子に気が緩んだ瞬間だった。
ーーーーッ!!
空気が漏れるようなその咆哮と共に舞い散った血液が、音を立てて凍り始めたのだ。大いに血に濡れた左腕と大剣が凍り付いてゆく。血色の氷に覆われた左腕は、余りの低温さ故か感覚が全くなくなっていた。
最後まで戦った魔狼の長も、それっきり呼吸を止めた。今度こそ間違いなく勝利だ。そんな興奮も氷に包まれた腕も置いて、素早く辺りを見回して戦況の確認を行う。
魔狼達はすでにほとんど片付いていた。辺りには夥しい数の死体が転がり、残った魔狼達も長が倒されたことを知って逃走を始めている。どうやら俺の出る幕は無いらしい。そうと分かった瞬間、腰から力が抜けその場にへたり込んでしまう。カランと音を立てて大剣が手から転がり落ちる。
「つばさ君っ!」
「おお、三塚さんか。さっきはサンキュー……」
「そ、そんなことより腕が!!」
走り寄ってきたのは三塚さんだった。極度の集中の反動か、ぼやけた意識の中で、彼女が必死に俺の腕を何とかしようとしてくれているのを感じていた。ああ、チクショウ。メガネ可愛いなあ……。そんな、そんな益体もなくいことを思った。
戦闘が完全に終了し、他の皆も寄ってきた頃にようやく意識がはっきりしてきた。三塚さんのお陰でなんとか氷は溶けたものの、相変わらず感覚は無い。暫くは安静にしていた方がいいかもしれないな。
「つばさ様、大丈夫ですか?」
「ん、まあなんとかな。これ以外は一撃も貰わなかったし」
未だ真っ青な肌色の左腕を掲げて見せる。ハイネはそれでも酷く心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでくる。
「この度は本当に有難うございました。私では恐らく足止めで精一杯でしたしょう」
「気にすんなって。皆も怪我ねえか?」
「皆無事だ」
ああ、なら体張ったかいもあったな。他の皆だとまず打ち合えなかっただろうし。馬鹿みたいに身体能力上げてて正解だった……。
「援軍の方はどうなってる?」
「救難信号は打ち上げましたが、まだ到着していません。間も無くやってくるとは思いますが」
「まあ、いいか。元凶と思しき魔物は倒した訳だから」
「ええ。つばさ様の腕のこともあります。体力の回復と援軍の到着を待ちましょう」
ああ、と頷いて地面に寝転がる。ひんやりとした土が肌に気持ちいい。ヤバイ、眠っちまいそうだ……。
「にしてもすげええな、コイツ。何て言う魔物なんでしたっけ?」
「リトルフェンリルです。かなり強力な魔物なんですよ。歳を経たリトルフェンリルは神獣に至るとまで言われてますから」
「私達の世界だとフェンリルって神を食い殺した巨狼なんだよ?」
「さっすが春ちゃん!かっしこ〜い!」
「こんなものを倒すとは、つばさも本当に化け物じみてきたな」
「あの勇輝の永遠のライバルだからねぇ!」
などと皆がリトルフェンリルを見てはしゃいでいるのが分かる。おいおい、周囲の警戒は怠るなよな……。そう思って声をかけようとした所に三塚さんが顔を覗き込んでくる。
「つばさ君、眠たいの?」
「……ああ、少し気が解れてさ。意識持ってかれそうだ」
「え、えと、その、ここ使う?」
そう言うと、三塚さんは俺の頭のすぐ横に腰掛ける。そうして顔を真っ赤にして自分の膝をポンポンと叩いた。
「えっと、いいのか?」
思わずドキりとして聞き返すと、三塚さんはそっと頷いた。何だろうな、このシチュエーション。普段は勇輝のポジションだろうが。まあ、これが頑張ったご褒美なら悪くない、な。うん、悪くない。
「じゃあ、よ、よろしくお願いします……」
「う、うん。……どうぞ」
少しだけ頭を持ち上げ、三塚さんの方へと身体の向きをズラす。そして、ジーンズのような生地のズボンに包まれたその太ももに頭を乗せた。
ヤバいヤバいヤバい、硬めの生地の上からでも三塚さんの太ももの柔らかさが十分に分かる。しかも仰向けで寝てるため、こちらを見る三塚さんとバッチリ目が合う。見つめ合うこと数秒、ようやく三塚さんが口を開く。
「ど、どうかな?」
「か、感想ですか!?え、ええと、柔らかくて癒されます」
動揺した声で返すと、三塚さんは思わずと言った様に吹き出した。
「ふふっ、なんで敬語なの?」
「い、いや緊張しちまってさ。いつも勇輝がやってるのとかは見てたんだけど、これをなんでもない様に出来る彼奴はやっぱおかしいわ」
クスクスと俺の言葉に笑う三塚さんは、見惚れるくらい可愛かった。やっぱり美人が笑うと破壊力があるな、と妙に冷静に行われる思考の端に、何かが引っ掛かった。何かを忘れている様な気がするのだ。
今ここどこだっけ?ってか、皆が周りにいるじゃねえか!?
弾かれた様に辺りを見回すと、他の全員が一箇所に集まってニヤニヤしながらこちらを見ている。名瀬と能登なんて、完全に面白いものを見る目だ。真中さんは若干頬を染めながらもこちらをじっと見つめている。ハイネと廉太郎はそれを苦笑しつつも楽しそうに笑っていた。
廉太郎、お前もか……。
「つばさ君?」
「い、いや、なんでも無い」
そう言って誤魔化し、皆を意識して思考から除外する。何と無く目を合うのも恥ずかしいので、目を閉じて身体を包む倦怠感に身を任せる。ふと、優しく頭を撫でられた。その心地良さに意識が徐々に飲まれそうになって、そしてその数秒後、俺は再び剣を握り締めることになる。
その日、いつもと違う静けさを湛えた大森林にてーーー
静かに
しかして確実に
ーーー戦争の狼煙があがった。
三話ごとの同時更新はここまでになります。
明日から今の章が終わるまでは毎日17時に一話ずつ更新して行きます。