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「気持ち悪ぃ……」
ねっとりと絡み付きながら喉を落ちていく血液に、胃がむかむかする。何か逆に消耗してる気がするんだが。
吸血鬼ミドを睨んでいるホワイトのカップを奪い、飲み干した。いきなり喧嘩売っていたから口どころか手も着いていない筈。つか、美味いな、この紅茶。
茶葉か入れ方か。お代わりが欲しいがポットが見付からない。キッチンにあるのだろうか。
未練がましく唇を着けていると、学長と目が合う。
「ミドのお茶は美味いだろう?」
「瓶詰めよりこっちの方が良かった」
「流石に生物は用意できなくてね。……ああ、でも鶏ならまだ絞める前のが居ただろうか」
穏やかな顔には、裏などなさそうである。しかし、そうなると善意ということになるが……。
僅かに回復はしたが、あんなのでは全然足りない。そして何より不味い。舌の肥えている俺としては、そちらのダメージの方が大きかった。
……食用のなら、いいかなー。餌が穀物なら、喰えない程生臭いって訳でもないだろうし……いや、でも吸血鬼としてどうよ?
葛藤する俺の耳に、学長の言葉が届く。
「吸血衝動はあるのかね?」
「……ない、とは言えないが。まあ、我慢できない程でもない」
吸血衝動は、体内の生気量は勿論だが、精神に左右され安い。つまり、ある程度は理性で押さえられるのだ。
それに、腹は減っているが、元々生気量は多いのだ。治りにくいとは言え、時間を掛ければ自然治癒しない訳でもない。痛みを無視できるならば、無理に治すよりは自然治癒に任せた方が消耗は少ないしな。
だが、痛いしだるいし何より美味いものが喰いたいから、そのうち狩りには出るか。でも、魅了や精神感応の効果が落ちるから……結局、回復してからじゃないと動けないのか。
まだ吸血鬼とやり合っている横顔に視線を向ける。固い肉に覆われた首には、傷一つない。当たり前だ。あれに関しては俺は上手い。
息を吐く。せめて、あの時吸っていたのがミナだったらなぁ。どうでもいい時には前に出て、いざという時に非常食にならないとは、使えない赤毛だ。
ミナ。可哀想な娘。
あれだけ美人なら、言い寄る男だって多かったのではないか。結婚や出産を女性の幸せと押し付ける気はないが、新しい家族を作ることだってできただろうに。
復讐に囚われて、夜族に弄ばれて、そして死んだ。とても、とても、可哀想だ。
復讐なんて――。
……止めよう。詮無いことだ。
心なんてものは、器である肉を巻き添えにして勝手に動く。例えその先に崖があったとしても、そんなことはお構いなしだ。
止まらない心を、止めたくないと思うのもまた心。
儘ならない気持ちも、息と共に吐き出せたらいいのに。
「で?ここ、どこだよ」
「私の家だよ。年寄りだけの家だが、君達が来てくれて賑やかになった」
いやはや、やはり若者が居ると家も生き生きとするものだね。
楽しそうだな爺さん。ここは、ツッコむべきなのだろうか。俺の方が年寄りだよ。
あそこで僅かに赤毛より余裕のありそうな吸血鬼も、学長よりは上なのではないだろうか。
赤毛が二十一で小人が……ええと、七?この場の年齢を平均すれば、一人辺りの年齢は軽く人間の白骨を超えるだろう。平均年齢を押し上げている俺が言うのもあれだが。
「ソシ・レも、今はここに居る」
「…………意識は、ないんだよな」
「そうだね。だが、彼なら戻ってくると信じているよ。ああ見えて負けず嫌いだから」
思わず目を見張り……次の瞬間には吹き出していた。穏やかに細まる目に浮かぶのは、信頼だ。成る程、あの耳長のことを良くわかっている。
まるで、神話に出てくる神様のように美しいあの生き物は、負けず嫌いで、とても生き意地が張っているのだ。
人間達に囲まれても、疲労困憊であろうとも、自分より明らかに強い夜族にだって喧嘩を売る子供だ。その性格が、百年かそこらで変わる訳がない。
「恩師?」
「初めて会った頃は、駆け出しの助教授だったなぁ。彼の才能と出自を持て余した教授に押し付けられてね」
「実はあんた嫌われていただろ」
「学長も天才と言われていたからな」
赤毛とのバトルにけりが着いたのか、話に入ってくる吸血鬼。赤毛はというと、小人に慰められていた。え?何事?
吸血鬼は座らず、学長の横に立ったまま続ける。
「八才でアカデミーの研究院に入り、十の時に作った精霊避けが、現在でもこの大陸で使われている最も効果の高い精霊避けだ。幾つかの王国でも正式に採用されている」
「爺さんの凄さに感心すればいいのか、技術の進歩のなさに呆れればいいのかわからん」
「爺さん言うな。十四才でアカデミーを卒業、それと同時に助教授として正式にアカデミー職員となる等、異例のことだったのだぞ」
「とりあえず、年下の先公は嫌だ」
先生だろ?東国なら、先を生きると書いて先生だろ?こういうのは実力主義とはいえ、十代で年下に教わるのは精神的にきつくないか?社会人になってからの、年下の上司とはまた違うだろ。
「いやぁ、あの頃は大変だった。研究だけなら得意だったが、人を教えるのは私も初めてでね。よくミドにも怒られたものだよ」
「ミルドットです」
「え?お前いつから居んの?」
「ミドとソシ・レは同期なんだよ」
「せんっ……学長!」
顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開閉している姿は、正に残念な美形である。夜族が人間に手玉に取られんなよなー、と自分ことは棚に上げて思う。まあ、それでもいいと思っているからこの関係になったのだろうが。
つか、お前も押し付けられた荷物側じゃねぇか。あ、でもまだ吸血鬼になっていない可能性もあるのか。
その疑問を投げると、吸血鬼は遠い目をした。
「……いや、その頃はデニスと喧嘩して」
「家出かよ。餓鬼か」
「吸血鬼になってからは十八年も経ってない!そもそもお前に言われる筋合いはないぞ"尊き血"!」
「俺のは家出じゃねぇ!」
テーブルに手を着いて身を乗り出す。身体を寄せる吸血鬼の顔も近付いた。綺麗な顔は眼福ではあるが、時と場合と性別に寄る。俺式裁判による判決、有罪。
睨み合う俺達。赤毛が呆れたように言った。
「何やってんだこいつら」
お前が言うな。




