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扉を叩く音がした。
目を擦り、さて返事をしようかと息を吸ったところで、扉が開かれる。……ノックの意味ねぇ。
「起き……ていたのか」
「ああ」
縺れた髪を梳かしながら答える。掌が首に触れた感触に……血の気が引く音が聞こえた。
辺りを見回し、ベッド脇の棚の上に目的のものがあることに気付く。震える指が慣れ親しんだ表面に触れて、ようやく一息吐くことができた。
いそいそとチョーカーを首に巻いて吸血鬼に向き直ると、何故か明後日の方向を向いている。
何かあるのか?視線の先と思われる方を見たが、特に面白そうなものはない。これはあれか、見えちゃいけないものが見える的なやつか。
そう考えると、何だか寒気がしてきた気がする。シーツを肩までぐるぐると巻いた。もし幽霊なんてものが居たとして、何の防御にもならないだろうが……まあ、気分的なものである。
「……具合はどうだ?」
「腹が減った」
呆れたように溜め息を吐く吸血鬼。身体中痛いが、それを言ったところでどうにもならない。なら、解決法を提示した方が建設的だろう。
……もしかして、幽霊の影響を聞いたんじゃないよな?違うよな?
「ええと……ミド?」
「デニス・ブルームアカシアの"夜の子"、ミルドット・ブルームアカシアだ」
学長が言っていた名前を思い出した俺に、顰め面になった吸血鬼が答えた。ミルドットなのにミド……完全に嫌がらせ入ってんな。
性質が入っていないので、やはり元人間の吸血鬼だったらしい。割りと穏やかなのは、"夜の父"も元人間だからか。
……名乗られたからには、名乗らなくてはいけないんだろうな。
大きく息を吐く。ゆっくり吸って口を開き……息が漏れた。
「はあ……セレネ・ピュア・ホワイトリリーの眷属、ショー・ピール・ブラッディローズだ」
「知っているが」
「なら名乗んじゃねぇよ!」
うがー!と頭を抱えようとして、全身に走る痛みに撃沈した。
いや、俺が本名を知らないから名乗ったというのはわかっている。わかってはいるが、こんな真面目に名乗らなくてもいいだろうよ……。
恨みを籠めてミド――こんな奴ミドで十分だ――を睨めば、困ったように眉を下げた。
「……そんなに嫌なのか」
「無理矢理半吸血鬼にされて喜ぶ奴がいるか?」
「夜の親が"純粋なる吸血鬼"でも?」
「そういう問題じゃねぇ」
"純粋なる吸血鬼"だろうが"守夜"だろうが"月僕"だろうが元人間だろうが、合意がないなら同じだ。許せる訳がない。
俺をセレネに裏切られたのだ。向こうからすればやりたいようにやっただけで、裏切った意識はないだろう。だが、俺は裏切られたと思っている。
瞼を下ろす。いくら恩人とはいえ、世の中にはやっていいことと悪いことがある。嫌いだ、あんな奴。
考えるとむかむかしてきたので、話を変える。
「ソシ・レは」
すぐにでも訊きたくて、けれど、聞きたくなかったことだ。もし……もし嫌なことを聞いてしまったら、俺はどうすればいいのだろう。
落ち込む俺に、吸血鬼ミドは何でもないことのように言った。
「命は繋いだ。後は意識が回復し次第だな」
「………………そっか」
何か言おうとは思ったが、結局言えたのはそれだけだった。
でも、そうか。生きているのか。……良かった。
くち。安心したからか、くしゃみが出た。鼻水が垂れそうになり、ず、とすする。行儀は悪いが、ちり紙がないのだから仕方ない。
「俺の服は?」
「あ、ああ。酷かったから処分したらしい」
「らしいって」
「お前の手当ては、奴の学生がやったからな。確か名前はレミファ」
「あいつか……!」
俺が夜族である以上、ある程度口の固い奴でなければいけないとはいえ、よりにもよってあの老婆とは。あいつの生き方は嫌いではないが、ソシ・レにチクった時点で俺の評価は急降下である。
どうせなら、若くて美味そうな女にしてくれれば……と思ったが、奴のところの学生には、その条件に当て嵌まる地雷娘がいることに気付いた。もう考えるのは止めよう。
「一応着替えは持ってきた。私の物で悪いが」
「いや、助かる。ありがとな」
礼を言う俺に、ミドは目を丸くした。ソシ・レと似ていると思ったが、ミドの表情はよく変わる。それに、あいつよりコミュニケーション能力は高そうだ。
ミドはベッド脇に服を置くと、すぐに離れた。下に居る、と言ってそのまま部屋を出ていく背中を、やや呆然とした気持ちで見送る。
え、もしかして俺臭い?すん、と肩のにおいを嗅いだが、薬のにおいが強すぎてよくわからん。だが臭うのなら、シャワーを浴びてからの方がいいのでは。
とはいえ、このまま部屋を出たら、それはそれで変態である。俺は痛む身体に鞭打ち、シャツに腕を通した。
「あ、ショー!」
「……大丈夫か?」
階段を下りると、見知った顔が集まっていた。
俺に気付いたパセリが、テーブルの上から駆け寄ろうとする。落ちる前にそれを捕まえたのはホワイトだ。
ホワイトの向かい側に座る学長。ミドは……居ないな。茶でも淹れているのか?と思って、流石にそれはないかと首を振る。元人間とはいえ、人間に茶を吸血鬼……画的にどうだろう。
ソファに近付き、背凭れを挟んだ赤毛の後ろに立つ。眉を下げてこちらを見るその頬に手を当て、顔を寄せようとして……手を離した。
人一人分開けてホワイトの隣に腰を下ろす。自分で思っている以上に消耗していたらしい。柔らかなクッションに、背中が背凭れに沈む。
かといって、こちらを心配そうに見ている小人を放置する訳にもいかないか。手を伸ばして、ホワイトの手から小人を受け取る。視線を合わせれば、にぱりと笑みが広がった。
「心配掛けたか」
「すっごくね!でも無事ならいいよ」
えへへ、と笑う小人に、こちらもつられる。当たり前のように示される好意は、面映ゆい。基本的には疑ってかかるのだが、これだけ能天気な顔をされると疑う方が馬鹿らしくなる。
「助かった。……ありがとな」
パセリも、ホワイトも。
小さく呟いた言葉は、けれど、この距離では聞き逃すことはなかったらしい。目も口も丸くした二人を見て、俺は心底自分の言葉を後悔した。
何か話を変えるものは……と視線を巡らせるが、向かい側の学長くらいしかネタになるものがない。しかし、孫でも見るかのように微笑んでいる様子を見ると、この状況を変えようとはしないだろう。くそう。
とりあえず、限りなく気配を殺して触れられないようにしよう。唇を結んでむっつりしていると、盆を持ったミドが出てきた。
「何をしているんだ」
「おお、ミド。すまないね」
「ミルドットです」
訂正をしながらもカップを置く辺り、人がいいというか何というか。人間性は素晴らしいが、お前に夜族としての誇りはないのか。
次々にカップが置かれていく中、最後に俺の前に置かれたのは、緑色の瓶だった。中身も色が着いているらしく、外から見ると黒く見える。
「なぁに、それ?」
「血だが」
興味深そうに見詰めるパセリだが、ミドが返した言葉に表情が凍り付く。
俺はというと、ある程度予想できていたのでそこまで衝撃はない。まあ、不快感に眉を寄せるのは勘弁して貰いたいが。
瓶入り血液の利点等殆どない。体内から出た時点で、生気は失われていくし酸化するしで不味くなるのだ。
一応、詰めてからの時間が短ければ生気も残るし、血の味もするので、全く意味がない訳でもない。
ないが、その量を瓶に詰めるには、結局血を流さなくてはいけないのだ。それなら初めから吸った方が、腹も膨れるし美味い。
そこをあえて瓶詰めにするということは、狩りに出ない、もしくは出られない時の食事にする為に他ならない。
そこまでして血を飲もうとする吸血鬼の浅ましさが、俺は、嫌いだ。
「……それをどうやって手に入れた」
表情を消して問い掛けるホワイト。"夜狩り"としては上出来だが、空気を読めとは思う。
堂々と喧嘩を売られたミドは、馬鹿にしたように腕を組む。その顔、すげー耳長っぽいぞ。
「正当な手続きを踏んだ上で買い取っている」
「表に出ないルートの何が正当だ」
「十分な対価を渡している。不測の事態に備えての保証もしている。リスクも説明し、同意を得た上での提供だ。何の問題が?」
"夜狩り"と吸血鬼の間にばちばちと火花が散っている。喧嘩するなら余所でやれ。
溜め息を吐いて一気に煽る。鼻を抜ける不味さに、テーブルに突っ伏したのは言うまでもない。




