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「用は済んだ。戻るぞ」
「え?」
物思いに沈んでいたからか、ソシ・レの言葉に意識を引き戻される。
長い人生の中で、思い出せることはあまり多くない。それこそ、脳裏に焼き付くような印象的な人間、出来事に関係すること以外忘れてしまう。それも、思い出せないくらい、深い深い記憶の奥底に。
きっと。ソシ・レの顔を見返す。きっと、こいつのこともその内忘れてしまうのだろう。
生きている間は覚えているだろう。死んでからも、百年くらいは覚えているかもしれない。
それがやがて、声を忘れて、顔を忘れて、名前も忘れて、思い出も忘れて。やたら綺麗で性格の悪い耳長族とだけ記憶に残るのだろう。そんなもの、耳長族のデフォルトである。こいつだけの特徴ではない。
ジニーだけが俺の世界だった。ジニーだけでいい。その気持ちは嘘ではなく、今でもそうだ。
囚われているだけなのはわかっている。縛られているだけなのも。でも、それでよかった。何にもないより、その方がずっと。
俺はジニーから存在を貰った。ジニーから産まれたようなものだ。だから。
……まるで言い訳のように紡ぐ言葉こそ、俺が弱くなっている証拠なのだろう。だから、聖女どころか人間の"夜狩り"なんぞにも遅れを取りかけた。
かつて、化け物等皆死んでしまえと、呪詛のように吐き出した。そしてそれだけの力もあった。昔の方が、腹は満ちていたが、けれどそれだけが理由ではない。
頭を振る。自分でやっておいて何だが、伸びた髪が頬を叩いてうざい。本気でそろそろ切ろう。
考えるのはやめよう。今日は、本当にもう駄目だ。いつなら大丈夫という訳でもないが、どんどん思考が流れて戻れなくなっている。
「呆けてた。悪い、何だっけ」
「……戻るぞ」
「戻る?でもここを空けていいのか?」
悪魔は……と続けようとした俺に、ソシ・レは嫌そうに眉を顰めて溜め息を吐いた。感じ悪いな。
「先程のパスワードで、これまでアクセスできなかったプログラムが開けた。施設内での認証ユーザーの記録を検索、映像装置とも照合した結果、悪魔は既に施設から脱出している」
触ったことのないプログラムでそんだけできるとか、こいつマジですげぇのな。そして嫌な顔をした理由がわかった。
何百年も開こうとしてきたものが、隠す気あんのかわからないパスワードで簡単に開くとか。基本、合理的なら私情を挟まない奴である筈なので、相当夜族のやりたい放題にはうんざりしているとみた。マジでサーセン。
「ちなみにログ……あー、記録が改竄された形跡は?」
「見た限りでは。そもそも、あの悪魔がそこまでするかどうか疑問だがな」
「うん?」
いや、やるだろ。俺達を呼び出して隔離ついでに施設ごと吹っ飛ばそうとした奴だぞ。
コードまで変える念の入りようだ。これだけ手の込んだ真似をして、できない、ならまだしも、しない、という選択肢があるとは思えないが。
「本気で自爆させるつもりなら、全ての隔壁を下ろせば良かった筈。それなのに、行く手を塞ぐ為の隔壁が下ろされていたのは、ダクトを通ってもこの部屋に間に合う場所だ」
「……ええと、あの悪魔が馬鹿だったからとかではなく?」
「そこの操作盤も、壊されていれば打つ手がなかった。勿論、衝撃を与えることによって自爆機能が中断される可能性もあるが」
「あー、うん。多分、それならそれで仕方ないと思う奴だわ……」
「極めつけはこれだ」
ソシ・レの指先が滑ると、画面に映像が映し出された。
施設内の通路らしいそこには、悪魔が一人悠々と歩く姿が見える。その姿が一番大きくなった時、悪魔の顔がこちら――正確にはカメラだろう――を向いた。
悪魔は首を傾け気味に微笑み、
お、
つ、
か、
れ、
さ、
まぁ。
「殴りたい」
「やるなら本人にしろ。画面に当たるな」
ひらひらと手を振りながらフレームアウトをする様子に、気付くと拳に力が入っていた。その様子を見たソシ・レに釘を刺されたが、俺にだってそれくらいの分別はある。多分。
「今回、悪魔と教会の連中が使用したユーザー名のアクセス権を取り消した。無理に侵入しようとすれば、防衛システムが働く」
もっとも、他にも知られている可能性も捨てきれない以上、どこまで効果があるかはわからんが。
そう言って息を吐くソシ・レ。うーん、かなりお疲れの様子。
完璧ではないかもしれないが、現時点で打てる手段は打っていると思うぞ。お前は良くやってるさ。伸ばした手で頭を撫でる。
「な」
血で固まっている部分もあるが、それ以外は絹のような触り心地である。ここまで来ると、つるつるとかさらさらとかっていうレベルじゃねぇ。例えるなら……とろとろ?いや、粘体生物じゃないのだから、この例えはないか。
滑らかな質感を楽しんでいる俺の手を、ソシ・レの手が叩き落とす。結構強めだった。
「何をする」
「それはこちらの台詞だ。気色悪い」
「ひっでー。頑張った坊やにいい子いい子して……あ、調子乗りましたすいません」
ぴきぱきという涼やかな音と共に伝わってくる冷気。流石にやり過ぎたようなので、ここは素直に謝るとしよう。
折角命を拾ったのに、これが原因でシェルターから出られずに死ぬとか阿呆すぎる。
とりあえず、他にすることがないならもう戻ろう。パセリも回収しないといけないしな。
昇降装置は使えるのだろうか、とそちらに身体を向けると、頭に衝撃。一瞬総毛立ち、けれどこの場でこんなことができる奴が一人しかいないことに思い当たる。
「何だよ。気持ち悪い」
「貴様がしたことだろう」
「したけど。でも俺お前より年上なんですけど」
年下に頭撫でられる等、他人に触られているという以上に微妙である。正直振り払いたいが、先に手を出したのが自分なので多少は我慢する。
ジニーなら別に気にしなかったんだけどなー、と呟くと、頭に掛かる力が強くなった。何故!?
「俺の頭触って楽しいか?」
「触り心地は悪い」
「うん、お前の髪と比べんな」
顔を上向けば、手の位置がずれたのか舌打ちが聞こえた。いやだからお前。内心突っ込みを入れつつ、金糸に覆われた仏頂面を見上げる。
聖女に切られたのか、所々短くなっている髪は無惨だ。美形はどんな格好でも似合うものだが、日常生活を送るに相応しい髪型ではない。
「お前、これ切り揃えたら大分短くなんじゃね」
「たかだか髪だ」
「勿体ねぇじゃん。短いのも似合ってたけどな」
初めて会った時は短かった。といってもおかっぱくらいか?結構パセリの髪型に近かった。
凛とした女の子みたいで可愛かったなー。首とか背中とか男っぽくなっている今でも、意外に似合うのではないだろうか。
「…………」
「うん、やっぱ俺もそろそろ切ろう」
「……貴様は、伸ばせ」
「あ?」
「その方が」
似合う。
触れた手が頭を押す。それによって顔が前を向き、視界からソシ・レが消える。振り向こうとしたが、手が頭を抑えている為に動かし辛い。
一体何なんだ。疑問が頭をよぎる。……ああ、でも。
「ジニーにもそう言われたなぁ」
短いのも好きだと言われたし、伸ばせとも言われなかったから、適当にしていたが。
でも伸びてくると、あの娘が髪を弄ってくれるのは楽しかった。
思い出して笑みが溢れた。後を追って指が食い込んできたのには納得いかない。




