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違和感のある脚で床を蹴る。
迎え撃とうとする悪魔の顔は、赤黒く焼け焦げていた。所々が引き攣り、水疱ができている皮膚は、整った顔を台無しにしている。ざまぁ。
伸びる手に握られているのは、俺のナイフだ。あんだけデカい手でよく持つことができるよな、等と思いはするが、感心している場合でもない。向けられた刃に怯みそうになる精神を押さえ付けて、強く踏み込む。
大きな手は、支えに使うのも簡単だ。無駄にある筋力が災いし、悪魔の腕は俺の体重にびくともしない。着いた手を曲げて、飛び上がる。
まあ、宙に浮いたら普通は狙い撃ちなんだろうけどな。視線の先にある紅に、思わず口角を上げる。――お前に、余所見をする余裕があるのか?
気付いた時にはもう遅い。炎の矢は、悪魔の背面より放たれた。
「……っ!」
そんな状況でも、しかし身を捻ったのは流石と言ってやろう。しかし、幾本かの矢の内、ナイフでも散らしきれなかった一本は腕を掠り、一本は脇腹に刺さった。
苦痛に歪む悪魔の顔は火傷と相まって、歴史に出てくる憤怒の悪魔、とはこんな感じなのだろうかと思わせる面である。
とはいえ、このまま落ちれば先程と同じ状況になるのは目に見えている。それどころか、ソシ・レの精霊術が来るとわかっているのだ。盾に使われかねない。ならどうする?
結論。こうする。傷付けた指先から溢れる血が、俺の手の中で形を変えた。逆手に持った"夜殺し"を、悪魔の脳天にぶっ刺すつもりで下に向ける。
ナイフで"夜殺し"の刃先を反らし、そこから半身をずらして躱した悪魔に、ソシ・レの精霊術が発動した。膝周辺を覆う形の氷塊に、悪魔の動きが鈍る。
だからといって、俺が手加減してやる理由もない。順手に持ち変えた"夜殺し"で、悪魔の胸を狙う。ぎちり。ナイフと"夜殺し"が噛み合う音。
「馬鹿の一つ覚えは使わないのぉお?」
「脳筋みたいに、接近戦ばっか挑んでくる奴が居るからな」
それお前だろぉ、なんて言われたが失敬な。そもそもお前が……あれ?そういや、突っ込んだのは俺か?
……い、いや!遠距離武器を持ってるのに敢えて接近戦を挑むとか格好いいじゃないか!頭使ってる感じで!
自分に言い訳をしつつ、手に持った短剣――"夜殺し"を振り回す。
"夜の血"とは、吸血鬼がそれぞれに持つ、自身の一部であり、命。
名前が表す通り血なので、武器の形にして使いやすくするのが一般的だ。それは、いつか扇を持った女吸血鬼と戦った時にでも説明したかもしれない。
正確に言うと武器、というか、自分の使いやすい形だな。槍とか斧とか、東国出身の奴には刀にしている奴も居たが、くそ格好良かった。特に居合い。真似をしたいと思ったこともあるが、俺の場合自分の手を切りそうなので自重した。
元々が自分の血なので"夜殺し"の能力こそ発動しないようにはできるが、物質として顕現している為、指とかは普通に切れる。
"夜の血"を能力として使った時点で、それはもう自身の血と全く同じものではないのだ。操ることはできる、だが、それまでと同じように自分の体内を巡ることはない。
だからこそ、無駄な力の消耗を抑える為に武器として使うのだ。。
で、まあ、そういった武器や、扇みたいな装飾品?生活雑貨や、俺の銃のように存在しない筈の武器があることから、"夜の血"の形に、制限がないことはわかるだろう。
基本的には使いやすい形ではあるが、普段使いとは別の形にすることもできる。それで、今回俺は短剣の形にしているのである。
普段使う銃は、威力、射程共々優秀である。しかしあの武器の一番の利点は、相手にどんな攻撃だかわからせない点である。俺の知っている限り、初見で銃と気付いた人間はホワイトだけだ。まあ、あの頃は実物を持ってはいなかったが。
飛び道具と言えば弓矢、暗器、ブーメラン辺りしか思い付かない連中が、見慣れぬ物体に警戒しているところを正面から撃つのが一番楽、というか効率的だ。
だがまあ、聖女やこいつのように、銃と言うものを知っている相手には、あまり効果がないのも事実である。そして知っている数少ない連中は、狙いを付けさせないだけの身体能力もある。
自分で言うのもあれだが、狙いを付けさせない、追撃に注意するの二点だけ気を付けていれば、俺の腕程度簡単に無力化できるのだ。
それに比べて短剣なら、適当に振り回していても当たればいいし、実体があるので防御もできる。
勿論、欠点もあるが。銃に比べればリーチが短い。"夜の血"とはいえ、生気を含まない物質に対しての攻撃力はそれなり。そして何より、俺自身の剣の腕が極々普通である、ということか。
それでも、刃物を持っている相手に対して無手で挑むよりはマシだろう。それに、相手が夜族なら、ただの刃物以上に意味を持つ。
「ほら、頑張りな。掠ったらどうなるのかわかってんだろ?」
「性格、悪い……ぃ……っ!」
はは、テメェに言われる筋合いねぇぞ悪魔。あと顔を近付けんな。臭いが移るだろ。
打ち合いでできた一瞬の隙。ナイフを傷付けることのできなかった"夜殺し"は、簡単に悪魔の腕に食い込んだ。
からり、と悪魔の手からナイフが落ちる。そのまま切り落とそうとしたところ、悪魔の身体が離れた。中途半端に取れた腕は、不自然に揺れている。
"夜殺し"相手に無手なら正しい判断だと言えよう。だが、と思う。それは俺が一人の時ならな。
離れた悪魔を、また炎の矢が狙う。着地したばかりの悪魔には躱せない。散らす為の道具もない。致命傷を避けたとしても、今度は逃がさない。
「――――!」
直撃する筈であった炎は、悪魔の千切れ掛けた前腕を炭にして消えた。
殺った、とそう思っていた。油断していたつもりはない。だが、行動は確かに遅れたのだろう。
その間に悪魔は自身の腕を二の腕から引き千切り、顔の面を剥いだ。俺が距離を詰めたのと、悪魔が脇腹の肉を掴み取ったのはほぼ同時。伸ばした"夜殺し"は空気を鳴らし、何の手応えもない。
しかし、俺は確かに見た。
「へっ……び……!?」
その細く長い身体をくねらせ、黒い鱗に紅い目をした蛇が床に落ちた。
はっとして足を動かしたが、踏み損ねた体はするりと抜け出る。這いずると言うには速すぎる動きで、蛇はどんどん出口へ向かっていく。
"夜殺し"を下ろして蛇を追った。刃先と床が擦れる音。逃がすか……!
あと少しでその尾の先を捉えられる。と、それまで不規則ながらも出口に向かっていた蛇がこちらに戻る。
くねくねと刃を躱し、蹴り飛ばそうとした脚に蛇が絡み付いた。見た目より遥かに重いそれを、振り落とせない。
腿、腰、腹、胸。そして首まで登った蛇が、骨を砕こうと締め上げてくる。間一髪手を挟むことが出来たが――。
「……っ……ぃ……」
骨が軋むのはまだいける。血管も確保できている。が、息が、できない。"夜殺し"を持ち上げようにも、覚束ない手元では自滅しそうである。
あ、やばい。視界が点滅してきた。胸の奥が熱い。頭が回らな……ええと、今、何を、考え、て。
「ショウ!」
衝撃と、僅かに戻った呼吸。無意識でも力を発揮したのは、正に生存本能というものだろう。"夜殺し"を放した手で、蛇の体を引き剥がす。
「……れっ……」
床に落ちた蛇に、氷の礫が幾つも降り注いでいるのを見たのは一瞬だ。酸素を取り入れようと大量に吸い込んだ空気に噎せる。
真っ暗になった視界に、耳のすぐ裏で鳴っているような大きさの鼓動が煩い。本来なら吸って吐くのが呼吸である筈なのに、吸った分を咳き込んで吐いている。そして、失った分を吸って……悪循環。息が整わない。
蛇は、悪魔はどこだ。まさかあんな"変化"もできるとは。質量はどこへ行った。いや、あの異常な重さからすれば密度が高くなったのか。
纏まらない頭でも、余所事を考えたことで意識が逸れたのか、呼吸は戻った。頭痛に眉を顰めながら辺りを見回すが、悪魔の姿は見当たらない。
「……やったの、か?」
「逃げられた」
感情の籠らない声が、簡潔に答えた。
"変化"していようと、悪魔が死ねば角が残る。それに思い当たらなかったとか、どんだけ役立たずになってるんだ俺の頭。
傍らに居るソシ・レの手が汚れている。びっしりと付いた細かな傷は、恐らく蛇の鱗で切ったもの。
「……助かった」
傷一つ一つは深いものではなさそうだが、これだけあれば痛いだろう。本当は謝った方がいいのかもしれない。怪我も、逃げられたことも、俺がヘマをしたのが原因だ。
何となくソシ・レの顔が見れない。何も言えず視線を落とす俺に、先程よりもほんの少しだけ柔らかい気がする声が耳に届く。
「……これで借りは返した」
ソシ・レに視線を移したところ、聖女達の様子を見詰めていた。完全に忘れていたが、まだ決着していないのか向こう。だからこそ、こっちはこっちでやり合えていたことは置いておく。
ぱちりぱちり。瞬きをして……思い浮かんだことに、肩の力が抜ける。
とりあえず、手を治すか。気付いた耳長に血塗れの手で額を押さえつけられながら、舌を這わせた。
素直じゃねぇの。




