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"夜殺し"の乾いた音が響く。
馬鹿の一つ覚えと言われようが、俺の手の内で最も殺傷力が高いのがこれだ。だからこそ、悪魔も触れようとはしない。
身を翻した悪魔。それを視認しつつ、"夜殺し"を落とした俺は距離を詰める。
こちらを迎撃しようと、悪魔は前腕から先の形を変えた。人間の頭等すっぽり覆ってしまいそうな大きさの手は、指先に向かって鋭く尖っている。部分的に変化を解いたのか。
胴体に突き立てようとしたナイフの刃を掴まれた。力を入れて引くと動きはしたが、指を切り落とせない。
意外と悪魔の皮膚って硬いんだな。普段、撃つかボコるかしかしないから気付かなかった。……なら。
ナイフを手放す。悪魔が手の中に残ったナイフを持ち直す前に、顎を狙って拳を突き上げた。
しかしその拳は、上向きながら上体を引かれた為、顎先を掠めただけだ。空いている手で悪魔の腕を掴み、それを支えに脚を振り上げる。
恥骨を砕くつもりだった脚は、包み込むように膝を捕まれたことで止められた。舌打ち。
「あっぶなぁ……!」
「え、何その顔。ちょー楽しい」
にやにや笑いが引き攣るのを見て、心の隅にある他人の不幸を見ると昂る部分が何か反応した。
もしかして、悪魔にも金的って効くのか?しかし、嫌がらせにはいいかもしれないが、その度に靴を新調するのも勿体ない。やる時は一発で再起不能になるくらい完全に潰そう。
下の話で気付いてしまったのがあれだが、吸血鬼と悪魔は結構似ているのかもしれない。
どちらも自然発生――親が居ないと言う意味で――するし、同族を作ることもできるし、他種族と子を為すこともできる。
まあ、遺伝する性質的には悪魔の方が優性であるようだが。というか、これに関しては吸血鬼が最弱なので、正直比べる方が間違いか。
それは置いておくとして、この状況をどうするべきか。脚を掴まれている以上、距離が取れない。距離が取れないとなると、筋力差で優劣が着いてくる。
そこらの吸血鬼なら押し負けることはないが、こいつ結構いい歳の男悪魔だしな。"尊き血"になってたかだか二桁、肉体に至ってはぎりぎり成人の俺の体格では、分が悪いかもしれない。
「手癖も足癖も悪いとか、お前はどこの野猿ぅう?」
「イエローモンキーなめんな!……って、あ、ちょっ、何しやがる……!」
砕かんばかりに力を籠められた膝が、みしみしと悲鳴を上げる。こんな状況なら俺だって同じことをするが、自分がやられるとむかつく。
関節を潰されると再生が遅いのだ。多分、下手に仕様可能な細胞が残っているせいで、肉体がどう再生していいかわからなくなる為だろう。
胴体に近い側からすっぱり切り落とした寧ろ早い、という訳のわからない状況になるのだ。もっともそれには大量の生気を消費するので、足りないと溜まるまでは完全に生えてはこないが。
その点に関しては、新月とは言えど俺には問題ない。普段使えない貯蓄だけなら、千年単位で生きている奴にも劣らないからだ。
ただ、こういうガチンコ勝負をしている場合は潰されること自体が問題なのだ。動きを封じられる。痛みに判断が鈍る。
使えない脚をそのままにしておくのも、落とした脚が生えるのを待つのも、余裕があってこそだ。なら悪魔がその暇をくれるか?そんなことをする奴なら、そもそもこんなことになってない。
勿論、こんなことを考えている間にも外そうとは努力している。が、いまいちそれが結果に結び付いていない。
胴体を狙おうにも、膝を引かれればもう片方の足を滑らせないようにするのに手一杯だし、そんな体勢で手を外そうとしても、力が入らない。
そして大人しく待っている筈もない悪魔は、手の中で回したナイフを思い付いたようにこちらに向けてくる。人の物勝手に使ってんじゃねぇ!目と鼻の前にある切っ先をどうにか押し留め、歯軋りをする。
「え、何その顔ぉお?ちょー楽しいぃ」
「滅べ!」
みし、めき。いよいよ不吉な音を立て出した膝に、背筋が粟立った。
ぱちん。
特に、何か考えた末での訳ではなかった。
だが、とにかく悪魔と距離を離した方がいいとは思ったのだ、何故か。
身体の力を抜けば、上体が倒れる。不審には思ったようだが、悪魔は掴んだ膝を離さなかったので、膝で支えられるような不恰好な形になった。
負荷のかかった関節がごぎりと鳴り、耐え難い程の痛みが走る。
そして。
「な、ぁ……!?」
悪魔の顔先に浮かんだ火球が爆ぜた。
流石に今度は離れざるを得なかったらしい。支えを失った俺の身体は床に落ちる。
その衝撃が脚に伝わり、正直悶絶したいくらい痛かったのだが、どうにか身体を転がせて頭を上げる。だが痛ぇえええ!!ごろんごろんしてる間に膝ぶつけまくった痛ぇえええ!!
片膝を着くと言うより折った方を抱え込む、と言った形である方が正しい状況で、悪魔の様子を窺う。
離れた場所に居る悪魔の表情は、不気味な手に隠されてよくわからない。それでも、手の隙間からある方向を向いているのはわかる。
多少掠れていても、それもまた美しい声。
「しぶとい赤目だな」
喧嘩売ってんのかテメェ。ここで悪魔と言うのならまだ可愛げもあるのに、赤目と言う当たりに奴の性格の悪さが光る。ちなみに、変化も含めればこの場に赤目は二人居る。イコール俺と悪魔。
「……二対一とか狡くないぃい?」
「私をそれと纏めるな。アカデミー職員として、侵入者を排除するだけだ」
耳長が火の精霊術まで使用するのは珍しい。水の精霊に好かれているので、火の精霊術はあまり得意ではないのだ。とはいっても、水の精霊術に比べたらの話で、普通の精霊術士の本気くらいは使えるそうだが。
傷は塞いだが、万全とは言えない。普通であれば得意な属性を使った方が簡単であるし消耗も少ないのだろうが、相手が夜族であれば話は別だ。
顔を焼かれた悪魔が、いまだ顔を押さえているのがいい例だ。擦り傷なら、多少肉まで削げていようとも簡単に治るが、火傷はそういかない。
あれを綺麗に治すには、まず皮膚を剥がないとなー。必要であれば肉も少し取った方が確実である。……つか。
「俺共々思いっきり殺す気だったな、お前」
はい、ここで問題です。
俺と悪魔はかなり密着していました。互いの行動で身動きが取れません。火球は悪魔の顔の前で爆発しました。俺も悪魔も夜族です。つまり?
答えは言うまでもない。
ジト目で見詰める俺に、耳長は鼻を鳴らす。
「得手ではないからといって、普段使わないのは間違いだったな。夜族共を仕留め損なった」
「仕留めるって言った!こいつ今仕留めるって言った!」
しかもご丁寧に共まで付けて。さっきまでちょっと可愛かったのに何だよお前!
頭打って性格丸くなったんじゃないのかよ!と叫べば、返ってくるのは塵を見るような視線だ。通常運転である。
「常々、赤目とは汚らわしい血の色だと思っていたが。その紛い物等、不愉快極まりない」
「……へぇえ?じゃあ、どうするのぉお?」
悪魔の言葉に答えず、耳長は……何だよ。何でこっち見るんだよ。しかも何だその溜め息は。滅茶苦茶馬鹿にされている気がするぞ!
「いつまで蹲っているつもりだ。働け」
「命令すんな」
しかも働けってお前。俺はアカデミーとは何の関係もないってわかってんのか。
膝に手を当てながら立ち上がる。意識して生気を集めた膝は、ある程度の立ち合いはできても万全ではない。
脚に関しては大きな怪我もなかった先程であの様だったのだから、痛みはあっても顔しか怪我をしていない悪魔と一対一なんて馬鹿げている。
ならば二対一?そんな訳がない。
さあ。
一対一対一で始めようじゃないか。角の生えた奴ばかり狙われたとしても、運がなかったと諦めな。




