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赤い。
この男を初めて見た者が抱く第一印象は、大体それだろう。
上着もズボンも黒を主としており、腰に差した剣の鞘も黒。全体を見れば黒の方が多い。
ただそれ以上に目に付くのは、燃えるような赤毛。
顔自体は整っている癖に、格好良さより人相の悪さを際立たせる吊り気味の目も、赤。
こちらを睨む乱入者の手には、黒い筒状の武器――スプリング式空気銃だ。以前に見たときよりも銃身が短くなっている。強度と構造を見直したか。
武器・兵器開発は特化していないからとはいえ、大陸で最高の頭脳と最先端を争う技術力を持ったこの街でも開発段階である空気銃。それを所持する男は、勿論只者であるわけがない。
銃を構える男。固まるフィーネ嬢。
俺は溜め息を吐いた。状況的にも雰囲気的にも、このままここで続けることはできないだろう。本当に、いいところで邪魔しやがって。
「フィーネ嬢。済まないが場所を移し」
内心の苛立ちを抑えつつフィーネ嬢に声を掛けた瞬間、夜族の直感に引っ掛かるものがあった。石の壁にぶつかることも気にせず、全力で身を引く。そして。
俺が見たのは、先程まで俺が居た場所を思いっきり蹴りあげるフィーネ嬢の膝。
フィーネ嬢は崩れた体勢を背中側の壁で支え、言葉にならない悲鳴を上げた。そしてそのまま、唖然とする俺達には目もくれず、乱入者の横を通って表通りへと走り去っていった。
耳は赤かった。
…………。
「…………逃げられた」
ぼそり、と呟けばあからさまに肩を跳ねさせた男。一応、自分がしたことの自覚はあるらしい。許すつもりは更々ないが。
俺と男の視線が交差する。息を詰め、ぎりぎりまで神経を研ぎ澄まし……ふと目線を上げる。と同時に距離を詰めた。
釣られて上を見た男が視線を戻した時には、既に腰を落としている俺を見失ったらしい。脚を払えば簡単に体勢を崩した。
立て直す前に頭を掴む。そんな状態でも、こちらに銃口を向けようとしたことは褒めてやってもいい。吸血鬼の膂力で手首を握れば簡単に落としたが。
「馬鹿な餓鬼には仕置きが必要か」
抗議の声を挙げようとする気配を感じたので、掴んだ頭を傍の壁に叩きつけた。
黙らせるだけのつもりだったが軽い脳震盪を起こしたらしい。抵抗もなくなったので結果的には良しとしよう。
空気銃をベルトに挟み、頭を掴んだまま路地の奥まで引き摺る。また邪魔が入るのは御免だ。
研究院と研究院の合間にできた空間は、人気どころか日の光も殆ど差さない。まさしく、人には知られたくないことをするためにあるような場所だ。
男を適当に転がし、ぺちぺちと頬を叩く。
小さな呻き声。ゆっくり上げられた瞼から焦点の合わない瞳が覗く。何度か瞬きを繰り返し、その赤い目に意思が戻って来たのを確認して俺は跳んだ。
舌打ちをする男の手には小さなナイフ。隠し持っていたものだろう。だが銀製の武器でなければ大した傷にはならない。
男もそう判断したのか、脇目も振らずに路地へと走り出した。なるほど、確かにこの狭さでは立ち合いは避けたいだろう。だが逃がすか。
慌てず騒がず膝裏を蹴り飛ばす。がくりと膝を折った男の顎を掴み、首を仰け反らせた。上下逆、無理矢理合わせた目に映るのは捕食者の姿。
「そう何度も何度も逃がすかよ」
ふくらはぎを踏み、奪ったナイフを喉仏に突き付ければ、哀れ獲物は動けなくなった。
なあ、と耳元で囁く。女性を口説くときのように甘く、優しく。
「知ってたか。さっきの彼女、アカデミーの研究生なんだ」
「そっ、れが……」
「民俗学民族研究室夜族研究専攻」
言葉の意味を考えるように呟いていた男は、暫くしてぴたりと口を閉じる。
はは、気付いたか。
「研究テーマは吸血鬼の吸血行為による被吸血者の心身における影響とかなんとか……まあ、そんな感じのだったか?」
「…………」
「普通だったら資料集めと吸血被害者への取材で十分だよなぁ。でも普通ならわざわざアカデミーの専門過程に進まないよなぁ」
男の目が泳ぎ始めた。
「大声を上げれば通りに聞こえる路地裏、考察及び逃走の為の魅力抜き。気付いていなかったかもしれないが、彼女、銀細工の十字架持ってたんだぜ」
十字架は別に怖くないが、銀は灼けるから嫌だ。痛いのが好きな奴の気がしれない。
「ええと……それは……つまり…………」
「合意だ。完全にな」
どこかの誰かさんのせいで、彼女の論文穴空くかもな。可哀想に。
これ見よがしに溜め息を吐けば、男の額に汗が一筋流れる。
最後に、俺は冷たい眼差しと声音で問いかけた。
「で、ホワイト。俺に何か言うことは?」
乱入者……"夜狩り"クリム・ホワイトは盛大に顔を引き攣らせた。