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殺そうとしておいて、こんなことを頼めた義理でないことはわかっている。
でも。
「お願い……ショー……」
私は、この手で仇を討ちたいのよ……!
息も絶え絶え、文字通り必死に言葉を紡ぐミナに、俺は何を言えばいいのだろう。
本当に、俺に頼むようなことではない。殺そうとした相手に命乞いなど、何とも恥知らずで、みっともなくて、唾棄すべき行為か。
これがあの剣を構えて微笑む美しかった女なのか。こんなに無様で、こんなに弱い女が。
目の前が真っ赤になるようなそんな感覚。かあっと胸の奥から込み上げるものがある。
叫び出してしまいたい。色々なものをぐちゃぐちゃに壊したい。行き場のない想いを、どうにかしたい。
「お前は、"夜狩り"だろう」
屠るべき悪魔に手を出した。悪魔に餌を与え続けた。そして悪魔を使って、仲間である筈の"夜狩り"を殺そうとした。
俺の場合は、半吸血鬼であるし、仇だと思っていたのであれば、仕方ないと言える部分もあるだろう。だが、お前は人間も巻き込んだ。
ホワイトを殺す気はなくとも、"尊き血"とわかっている半吸血鬼――それも歴史に名を残すような大量殺人者、だ――との戦闘に、何の準備もさせずに連れてくる等、死ねと言っているようなものだ。
ミナは確かに迷っていた。しかし、それは俺がミナの思う『仇の吸血鬼』とは違うだろう行動を取っていたからであって、敵意を露にしていれば容赦なく殺しにきていただろう。
その際、ミナにホワイトの気遣う余裕はあっただろうか。最悪、俺と付き合いがあることを理由に、敵と見なしてもおかしくなかったのではないだろうか。
どれにせよ、"夜狩り"としては致命的なまでに最低な行動を取ってきている。復讐に囚われた頭では、"夜狩り"である前に人間であった、ということだろうか。
それでも。
「ミナ」
「……そう、よ……私は、"夜狩り"……!」
夜族から力なき人間を守る者……!
ちゃんとそれがわかっているのなら、いい。
俺を誘い出す為であったとしても、あの時の美しく強い瞳は、嘘ではないと思うのだ。
目を瞑って。小さく、けれどゆっくり息を吐いた。これから自分がすべきことはわかっている。
大丈夫、五百年も生きているのだ。こんなこと、何度だってしてきた。どちらかと言えば、得意な方なんじゃないかな。
比べる対象が酷すぎて、まともさが際立っているが、俺も夜族。聖人君子ではない。
ミナの冷たい頬を撫でる。二十も曲がり角を過ぎている筈なのに、滑らかな肌だ。毛穴が殆ど目立たない。
その下の首も、きっと唇を押し付けたら凄く気持ちいいのだろう。薄い皮膚の下にある血管は、いつだって強く脈打って、俺の食欲を刺激するのだ。
「ごめんね、ミナ」
謝罪の言葉を耳に吹き込み、表情を変えるミナと目を合わせる。
何か言おうと震える唇に指を当て、俺は笑った。
「無理」
そんなに見開くと、目玉が取れてしまうんじゃないかな。
なんて軽口は流石に口にせず、俺は笑う。そうだ笑え。今が奇跡みたいなもので、どうせこの女もすぐに冷たくなってしまうのだから。
「例えば、今ここで君が夜族になったとして?生まれたばかりの、それこそ赤子のように無力な夜族だ。餌を得るにも人間はホワイト一人。返り討ちに合ってすぐに灰になる」
金の髪を指に絡める。くるくるくる。艶やかなそれは、少し指を離すとすぐに解けてしまった。それが、俺なんかに捕まらないわよ、と言われているようで、少々寂しい。
「そして、目の前で仲間を夜族にして自分を襲わせた俺を、ホワイトが許すと思うか?綺麗さっぱり狩られて、後に残るのは灰だけ?はは、面白いな」
笑え笑え。少しでも気を抜けば、早口になりそうな舌を気力で捩じ伏せろ。
俺は夜族。人間は餌。
人間は、俺の腹と頭を満足させる為の食糧に過ぎない。そうだろう?
「結局、君は俺を殺したいんだろう?だからそんなことが言える」
「……しは……」
「"夜狩り"は」
唇を吊り上げろ。
「"夜狩り"のまま死ねば?」
そう言って俺は嗤う。
これが五百年を生きた夜族の笑みだ。
ミナの目の中に映る俺は、自分でも惚れ惚れするくらい残酷な顔をしていた。はは、まるで獲物を嬲るケダモノみたい。
「ブラッディローズ……!」
肩を掴まれて、そのまま振り向かせられた。胸倉を引かれて、腰が浮く。締め上げる手は男の物だ。赤い目が近い。
綺麗だな、と思う。この男の目は、憤怒に染まってぎらぎら輝いている時程美しいのだ。かなり、好ましい。うっかり見惚れて、気紛れを起こしたくらいには。
「なら、ミナを夜族にしろと?」
シャツを掴む力が緩んだ。綺麗ではない目は見たくない。
この男だって"夜狩り"なのだ。ちゃんとわかっている。馴れ合っている現状の方がおかしい。
"夜狩り"と"夜狩り"と夜族。この場で居てはならないのは俺。だが、この場で一番余裕があるのも俺。残念だったな、人間共。なんて。
息の漏れるような笑い声。
振り向いた先には、白い顔の女。血の気の失せた唇は、弧を描いている。死への恐怖におかしくなったのだろうか。
震える唇が動く。
「……なた……て……」
嘘が吐けないのね。
その笑みを見て、もう本当にどうしていいかわからなくなった。
「嫌だ」
「……めん……さ…」
「いかないで」
「、ショー」
ぎゅうと手を握っても、冷たいそれは全然温まらない。俺の手は子供の手。正しく歳を重ねてきた手を覆うには、足りない。
死ぬのは、怖いだろう。
俺も怖かった。暗い暗い闇の底。薄まる意識の中で、はっと鮮明になる時がある。そしてその時、世界の広さを知るのだ。ままならない自分の無力さを、どうすることもできない死を実感するのだ。
もう二度とあんなのはごめんだ。だから、俺はもう、あのまま終わりたかったのに。
何も言えず、ただ手を握るだけの俺。何をしているんだろう。こんなこと、したい訳ではないのに。
手の中の指先が、僅かに動いた。
震えとは違う。俺の掌を押すような、弱い動きだ。何だろう。何が伝えたいんだ。
ミナを見れば、笑っている。変わらない笑み。……もしかして。
これは、握り返そうと、しているのだろうか。
「……ぁり……と……ね……」
あ。この女、酷ぇ。




