60
笑う俺。笑う悪魔。
どんな言葉を使えば、どれだけ相手を傷付けられるのかをお互い考えている。
ある意味相思相愛よね、だなんて、大変不愉快な茶化しを入れてきた女は居ないのだ。止まる訳がない。
「バージニアが選んだのは幼馴染みだった筈だけどぉお?」
「ヨシュアはヨシュア、俺は俺。他の男を愛していると不機嫌になるとか、器の小さい男だな。そりゃ振られるわ」
まあ、確かに俺も嫉妬したことはあるが。
駄目よ、なんて微笑まれてなかったら、多分殺してたのではないだろうか。いや、それだと彼女が悲しむかもしれないから、"魅了"と精神感応でちょっと人格歪ませるくらいか?
非人道的と言うなかれ。それくらい、俺にとって彼女は全てだった。
俺だけに向けられていると思った笑顔が、たかだか生まれが近いだけの男に向けられた瞬間、心が凍り付きそうになったのを覚えている。
だからたくさん嫌がらせをした。バレないように気を付けてはいたが、どうせ彼女にはバレていたのだろう。
幼馴染みの男は困った顔をしながら、それでも笑っていた。何がおかしいと食ってかかったら、返ってきた言葉がこれだ。
――君を愛しているのも含めて、僕は彼女が好きだからねぇ。
あ、でも、ジニーを大切にしている君も好きだよ?とにこにこ笑いながら言われた時は、つい足が出た。
何いい子ぶってやがると軽蔑したものだが、長く付き合っていく内にマジだと気付いた。
人間としては出来損ないなくらい、綺麗な生き物だったのだ、ヨシュアという男は。だから彼女も欲しいと思ったのだろう。
「僕は、好きなものを誰かと分けるつもりはないなぁ」
悪魔の言葉に、思わず笑みが浮かんだ。
彼女が幸せそうに笑う。幼馴染みの男はそれを見て笑う。
知るかこんなバカップル。勝手にいちゃついてろ。隅っこでいじけていれば、ジニーに引っ張り出され、ヨシュアが並べた茶と茶菓子の前に連れていかれるのだ。
手製のそれはやたら美味く、黙々と食っていればお代わりが出てきて。憮然としたまま平らげる俺を、彼女は同じくらい菓子を消費しながら笑って見ていた。
それを見て諦めたのだ。
もう、いいや、と思った。
彼女がヨシュアを大切だと思うのなら、俺も大切に思おうと。彼女が愛するものは、俺が守ろうと。
だって、俺はジニーの全てを愛しているのだから。
「全てが欲しいとか、お前、ジニーのこと全くわかってなかったんだな」
そんなことできる訳がないだろう。俺の知る限り、彼女程欲張りな人間はいない。
欲しいものはそう多くはなかったかもしれないけれど、その全てを手に入れてきた女だ。そして、何より、自分のものを誰かに分けるような女でもない。
「全てが欲しい?だからお前は下僕になれねぇんだよ」
ゆっくりと左手を上げる。俺の動きに、悪魔は僅かに警戒をした。
別に攻撃をするつもりではない。まあ、お前がどう思うかは別だがな。
髪の間に指を通す。
所々引っ掛かる髪は、華やかさも面白味もない黒。
「この髪も」
閉じた瞼の上。指の腹に触れるのは、盛り上がった眼球の曲線。
その下にある血の色をした虹彩は彼女のお気に入りだ。
「この目も」
荒れた口唇をなぞる。
「この唇も」
外套の前を寛げて、シャツの襟に指を引っ掛ければ、露になる鎖骨。
そこから滑らせた指は、肋の中心から僅かにずれたところで止める。
「この心臓も」
最後に、首筋の二つの窪みに指を滑らせた。
「この痕も」
一瞬、冷えた背中。けれど笑みは崩さない。
「頭の天辺から爪の先まで。俺はあの娘の物だ。全部、全部、あの娘の物だ」
俺は下僕だ。
この身も命も、全部あの娘の物。
それが事実。それ以外なんて要らない。
「……じゃあ、何でお前は生きてるのかなぁ」
「ジニーが望んだからだ」
「嘘吐きぃ。本当は捨てられちゃったんでしょぉお?」
「そもそも拾われたこともない奴にはわかんねぇよ」
左手で、自らの頬を包む。見せ付けるように幾度か撫でれば、弓形でこそあるが、不穏な光を宿す悪魔の目。
どうだ、羨ましいだろう。妬ましいだろう。この頬もジニーの物。撫でる手もジニーの物。自慰のようなそれにも、平静ではいられないくらいに。
ふふ、ふふふ。いいな、その顔。ざまあみろ。
笑い声が殺せないくらい、いい気分だ。
「俺はあの娘の下僕、あの娘の物。けれどお前は一生そのままだ。名もなき悪魔、可哀想な悪魔」
歌うように嗤う。
わかっているんだろう?お前の欲しいものは、全部俺が持っている。だからお前は俺が嫌いで嫌いで仕方がない。だが、そんなものは無駄だと何故気付かないのか。
お前が俺を嫌いだろうと、ジニーは俺を愛している。俺をどうにかしたところで、俺への愛がお前に向かう訳でもない。
あーあーあー、何て可哀想な悪魔。いつまでも未練たらしく後を追い掛けるのではなく、余所に視線でも移せばいいのに。まあ、俺の主人が魅力的なのは認めるが。
だからといって、こいつの口からジニーの名前が出されるのはむかつく。彼女はその程度で減らされることも汚されることもないような娘だが、俺が、嫌なのだ。狭量とか言う奴は叩く。
俺のジニー。
俺の主人。
胸中で呟けば、ふわりと暖かいものが広がるような、そんな感覚。それだけで幸せになれそうなくらいに、愛しさが溢れる。
ジニーのことを思い出す度、俺の心は生き生きと動き出す。普段は悲しいことが多いが、こんなにたくさんの幸せが溢れるのはジニーのことだけだ。
愛しい、愛しい、俺のジニー。
愛しい、愛しい、俺の主人。
だからブラッディローズを殺さなければ。その前に、いい加減こいつの顔は見飽きた。目新しさがあったのも最初だけだ。
さて、どうしてくれようか。とりあえず口を開こうとした俺の耳に届いたのは、
悪魔の笑声。
俯いた顔は、黒髪に遮られてよく見えない。笑っているのは確かだが、どうせ碌でもない顔でもしているのだろう。
呆れつつも、悪魔の次の行動に気を向ける。"夜殺し"をもう一度形作り、息の根止める準備はオーケー。
「決めてるよぉ。名前ぇ」
悪魔が顔を上げた。子供が悪戯を考えている、と言うには邪悪すぎる表情だ。何を企んでいる。
「悪魔は、自分で名前を付けないんじゃなかったのか?それとも何、もう誰でもいい訳?」
「いやぁあ?奪うつもりぃ」
「……それはいいのか」
いまいち違いがわからない。代償とそうでないか?いや、それなら上手くいくかはわからずとも悪魔同士で……ああ違う、そもそも悪魔だから駄目で……。
でも大事なものの筈なのに、他人のでいいのか。悪魔の理屈はわからん。
「ショー」
「何」
「違うよぉ」
突然名前を呼ばれたので返事をしたら、首を振られた。
否定をする悪魔は笑顔だ。……嫌な予感がするのは気のせいか?
「僕の名前かっこ予定ぃ」
「……へぇ」
にこにこにこ。ちょー嬉しそうである。尻尾があるならぶんぶん振ってそうな……そういや、悪魔って尻尾ないのか?こいつが隠しているだけなのだろうか。
若干現実逃避であることは認めよう。
「……今更だが、お前その頭と目玉どうしたの」
最後にあった時、つまりは五百年近く前。こいつは先程の悪魔みたいな見た目をしていた。巻き毛ではなかったが。
服装と相まって、どこぞの貴族みたいな外見だったのが、今や正反対だ。
かといって、造詣が変わっている訳ではない。高い鼻も切れ長の目も、細身の肉体も変わっていない。変わったのは色彩だけだ。
白い肌は薄く黄み混じりに、輝く金髪は夜闇のような艶やかな黒に。
そして、長い睫毛に覆われた虹彩は――。
「名前に合わせて変えてみたんだぁ。どぉお?似合うぅう?」
血のように紅い目が、緩やかに形を変えた。




