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ざあ、と虫の羽音のような音を立てて、悪魔の身体は崩れた。あとに残ったのは、何だかわからない砂粒と奇妙に捻れた角のみ。
そういえばずっと変化したままで、本性見ていなかったな。どうでもいいといえばどうでもいいが。
角を拾い上げる。生地越しでも、つるりとした表面はなかなか触り心地がいい。
悪魔の角愛好家というのも居るくらいだ。まあ、この奇妙なフォルムは芸術的と言えるのかもしれないが……わざわざ集めたがる気持ちはわからない。
代償を得るために生きる悪魔が、死んだ後、自分の一部を代償として扱われるのはどのような気持ちなのだろう。金品を得る為の、或いは職人の欲求を満たす為の、物。
吸血鬼の灰も取引はされているが、いまいち使い勝手が悪いのと、集めるのが面倒なので人気は高くない。いや、まあ、いいんですけどね。
つるつるつる。艶やかな黒は、闇夜でさえも鈍く光っているように見える。直で触ってみるかなぁ。確か毒はなかった筈である。
手袋を外して、そっと触れてみる。磁器よりも余程滑らかなそれは、ひんやりしていて、固い。形が形なので、細くなっているところはぽきっと折れそうである。
特にここの捻れた部分なんか、何故こんな形に。窪んだ部分を、爪の先でなぞる。産まれた時から捻れていたのか、成長過程で捻れていったのか。いや、そもそも連中に肉体的な成長はあるのか?
「触り方がいやらしいなぁ」
耳元で囁かれた言葉に、角を持つ手を振り抜いた。何の感触もしなかったことに舌打ちをする。掠りもしないとは、悪魔の角の癖に使えない。
いきなり人の背後に立った無礼者は、慌てもせずに少し離れた場所に着地した。
「僕等悪魔にとっては大切な物なんだから、もっと優しく扱ってくれないとぉ」
「それ聞いたら無性に折りたくなってきたな」
「相変わらずそうで何よりぃ。ご機嫌如何ぁあ?」
「いいと思うか?」
「まったくぅう?」
顔の形もくすくすと笑う声も、髪の間から生える角も覚えがある。今俺が持っているものよりも、太いし長いし変な形だしで、より禍々しい。
「久し振りに会った挨拶にしては酷くないぃい?」
「嫌いな奴に対する挨拶としては最上級だが久し振り」
「うん、久し振りぃ。五百年振りには少し足りないけどねぇ」
にこにこにこ。先程の悪魔と同じく満面の笑みだが、こちらは内から溢れ出す悪意を隠そうともしていない。
こいつ間違いなく正確悪いだろ、と確信できるので、逆に違和感がなくなる不思議。まあ、人間社会に紛れるのなら、こちらの方がいいのかもしれないが。
「つか、何。お前のそのあったま悪い喋り方は、悪魔の方言的なものな訳?皆頭悪いの?」
「なぁんか最近の若い子達に流行ってるみたいだよぉお?」
つまり、一万周辺の奴は皆この口調と。何それうざい。つかお前爺だろうが。
こいつの番号は確か……七千七百七十七番目だったか?どうせゾロ目なら六の方が似合うと思うのだが、誰にも理解されないのでもう言わない。
「で、何の用だ」
少しと言う程、二十五年は短くない。だが、五百年近くという時間からすれば略してもいいだろう。
問題はそこではなく、それだけ長い間、影も形も見せなかった奴が、何故いきなり俺の前に姿を現したか、だ。それも、別の悪魔を殺した直後に。
「さあぁあ?何だと思うぅう?」
「言う気がないなら死んでいいぞ」
「じゃあ言っちゃうぅ。ショーが泣いてたら面白いなぁって思ってぇ」
「……あ?」
泣く?俺が?
意味がわからない。泣くようなことなんてここ数十年……ついこの間あったか。あれは耳長が悪い。
思い出したらむかむかしてきた。あいつ、帰ったら覚え……いや、小人を迎えに行かなければいいか。耳長にとっては、それが何よりのダメージになる筈だ。ひひひ
「お前何言ってんの?」
「あれぇえ?僕の思い違いかなぁあ?」
首を傾げる悪魔には、無邪気という言葉程似合わないものはないだろう。言葉こそ疑問を装っているが、本気でそう思っている訳ではないのが明白である。
「用がないなら失せ」
「あの娘、ミナっていうんだっけぇえ?」
続けようとした言葉は、悪魔に遮られた。
珍しいこともあるもんだな。こいつが人間の名前を覚えているなんて。この悪魔について詳しい訳ではないので、それこそ思い違いかもしれないが。
……それより、聞かなかった振りはできないんだろうな。
「……何でミナを知っている」
俺の問いに、目の前の男はにぃと口の端を吊り上げた。それは、まさしく悪魔の笑み。
「似てると思わないぃい?」
「似てない」
ミナの髪は薄い金だ。
目の色だって紅くない。
「歳もあれくらいだったよねぇえ?」
「二つも違う」
人間の二年だ。
夜族の感覚で捉える方がおかしい。
「お前は『また』助けられなかったんだろぉお?」
「……まだ死んでない」
「本当にぃい?」
そんなこと、俺が知るか。できることはやった。それでも、簡単に死ぬのが人間だ。簡単に死ぬのが生き物だ。
深く息を吐く。
吐いて、吐いて、吸って、
"夜殺し"の引き金を引いた。
「お前はすぐそれだよねぇ」
「煩ぇ」
「図星を指されたからって、怒らないでよぉ」
慌てもせずに身を翻した悪魔は、その顔に変わらぬ笑みを浮かべている。けらけらけら。
俺は構えていた"夜殺し"を下ろした。それを見た悪魔は、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうしたのぉお?」
「よく考えてみた」
「へぇえ?何か思い付いたぁあ?」
「とりあえず言いたいことはこれだな――嫉妬うぜぇ」
ぱちり、と悪魔は一つ瞬いた。表情は変わらない。だが、俺はその様子に口の端を上げる。
「俺とジニーの問題だ。部外者に用はねぇよ」
「……護りきれなかった下僕が言う台詞じゃないよねぇえ?」
「なら、無関係なお前は何も言えないな」
「……役立たずの下僕の癖にねぇえ?」
「下僕にすらなれなかった悪魔よりはマシさ」
目と目が合う。変化で変えられたその色は、前に見た時とは随分様変わりをしていた。髪も同じく、である。
だがまあ、そんなことはどうでもいい。興味がない。今の俺がしたいことは唯一つ。
「可哀想な悪魔」
俺は嗤いを隠しもせずに、猫撫で声を出した。悪魔の頬が僅かに引き攣ったのが確認できて、凄く嬉しい。凄く愉しい。
「……何だってぇえ?」
「だって、そうだろう。お前はこんなにも彼女を愛していたのに、彼女はお前を愛したことなんてなかった」
「……煩いなぁあ?」
「図星指されたからって怒るなよ」
けらけらけら。嗤う俺。まだ口端を上げたままの悪魔は、けれど目が笑っていない。
「可哀想な悪魔。名前も貰えず、愛も貰えず。自身は愛を捧げ、心を縛り付けられた。嗚呼、何て可哀想なのだろう」
「お前に憐れまれる理由はないなぁあ?」「ふうん?なら謝ってやるよ。悪かったな」
この悪魔は、俺が嫌いだ。
そして俺も、この悪魔が嫌いだ。
どれくらいかと言えば、まあ、何だ。殺してやりたいくらいに?
表情筋を総動員して、俺はにっこりと笑った。
「ジニーは俺を愛していたから、お前は要らなかったんだろうな」
ははっ、化けの皮剥がれてきてんぞ、悪魔。




