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「遅かったねぇえ?」
にこにこと。悪魔は笑いながら言う。
屋敷の玄関から出た俺の目に飛び込んできたのは、曇天の下に一人佇む悪魔の姿だった。
「ミナは死んじゃったぁあ?」
契約を結んでいる相手の生死くらいならわかる癖に。白々しい。
表情だけを見れば、無邪気に何の他意もなくただ気になったから訊いただけ、とも取れるのだろう。表情だけならな。
だがその形は紛い物だ。作った形、望んだ形。それを構成するものが悪意であるなら、どれだけ取り繕ったところで、隠しきれるものではない。
こちらの神経を逆撫でして、自分のペースに持っていこうとする。ひたすら甘い言葉を囁くのと同じく、悪魔の常套手段の一つだ。
「さあな。さっきまでは生きてたが、今もそうかは知らん」
「冷たいんだねぇえ?」
「自分を殺そうとした相手には普通だと思うが?」
「その割には、随分と優しいんじゃないぃい?」
僕を追わずに、何してたのかなぁあ?
答えはわかっているだろうに、敢えて言葉を重ねる悪魔。何をしていた、だと?そんなこと、俺が聞きたい。
行動として自分が取ったのは治療だ。それをした理由についても、おおよそ見当が付いている。
そして、その時もそう思ったし、今思い返しても、やはり俺が追わない理由にはならないと思うのだ。
本当に、何であんなことをしたのかがわからない。
ただ、似てただけじゃないか。
「でも、まだ生きていてくれて嬉しいなぁ。いくら代償なら美味しく食べれるとはいえ、生きてる内の方が美味しいもんねぇえ?」
寝言は寝てから言え。少なくとも、殺そうとした奴が言う台詞ではない。……まあ、気持ちは何となく想像できるが。
つまり、ミナのこと等どうでもいいのだ。そこにあるなら喰うが、手間暇掛けてまで喰いたいとは思わない。認めるのは不愉快だが、俺にもそういう部分がある。
この悪魔は、ミナが好きだった訳ではない。獲物も捧げる都合のいい餌が居たから契約を結んで、そのまま来た。
手を貸してやりたい訳でも、名前を乞いたい訳でもなかった。ミナの魅力が足りないと言えばそこまでだが……見る目がないな。
この悪魔も、ミナも。
「なら、テメェの喰い分残らないように喰ってくるかな」
「えぇえ?あとちょっとなのに酷いぃ」
「ちょっと?」
「夜が明けたら僕のだからねぇ」
一瞬、思考が止まった。
……そうか。ミナにとって今夜は最後のチャンスだったのか。仇を討つにしても、悪魔を殺すにしても、どちらにしても最後の新月。
そこで死んだとしても、どうせ元々奪われる筈の命だ。何も失うもの等ない。
「君達が組んだら、大変そうだったからねぇ」
それはどうだろうか。
確かにミナは……多少、迷っていたようにも見えた。だからといって、俺と組んで悪魔を殺したかと言えばそうとも言えない。
ずっと探してきた。やっと見つけたと思った。でも人違いかもしれない、なんて割り切れるだろうか。最悪、悪魔と二人掛かりで襲われる可能性もあった筈だ。
……割り切れる、訳がない。だが、ほんの少しだけ道を誤ることもあったのかもしれない。俺が足を止めてしまったように。
ミナが死角になっていたとはいえ、あれだけ近くまで来られて気付かなかったのは、新月のせいだけとは言えない。
冷静ではなかったからだ。そしてそれはAランク"夜狩り"二人にも当て嵌まる。目の前の『夜族』に意識を向けていたから気付けなかった。
……何だ。簡単なことじゃないか。
唇に牙を立てる。
溢れ出る血は口唇を伝い、滴り落ちて。
地面を濡らす前に、俺の左手に落ちた。
「?それは何」
ぱぁん。
見なれぬ物体に、しかし何かを感じ取ったのか身を翻す悪魔。自身の居た場所を通り過ぎる物体を、その人外の動体視力で見送る。
阿呆だな。俺を前に余所見をするなんて。
「!」
振り向こうとする悪魔の襟首を掴み、引き寄せる。体勢を崩した悪魔の鼻先と鼻が触れる瞬間。
無防備な腹に膝を叩き込んだ。
「っ、は……!」
「汚ぇ」
腹から折れた悪魔の口から、血混じりの体液が吐き出される。外套の上からとはいえ、気分は良くない。足を着けたところで掴んだ右手を外し、手の甲で悪魔の頬を打つ。みしり。
吹っ飛ばした身体を追い、前髪を掴んで目を合わさせる。
割りと本気で殴ったからか、顎から頬骨に掛けて、面白い感じに歪んでいる。こうなると美形も台無しだな。はは。
顔半分が整っている分、異様に見える。まるで化け物みたいだ。だが、先程までに比べれば余程似合いだな?
晒された喉に"夜殺し"を突き付ける。
「これは俺の武器だ。つまり、お前を殺せる道具だな」
"夜殺し"を通して喉が動きが伝わる。
「助けてぇ……」
「何故?」
ことり、と首を傾げてみせれば、悪魔の顔が引き攣った。それとも笑っているのだろうか?正直、歪み過ぎてどちらだかわからない。
「なっ、ぁ……だっ、だって、訊きたいことがあるんじゃ」
「でも教えるつもりはないんだろ?」
「言うっ!言うっ!言いたい!言わせてぇっ!」
お願い……!なんて、危機迫ったような叫びを上げられても信用できない。騙すのは悪魔の常套手段。寧ろ生き方だ。
屠られるのを待つ獲物の真似をしたところで、憐れだと思うことはない。面白いと思うことはあってもな。
慈悲を乞うように見詰める悪魔を、冷たく見返す。
俺は何も求めない。大した代償でなかったとも、お前と契約を結ぶことはない。
目を逸らさないまま何も言わない俺に、悪魔は震える唇を開いた。
「……君は、ミナの仇を知りたいんだよねぇえ?でもミナは君が仇だって言ったんじゃないのかなぁあ?」
そうだ、少なくともミナは俺が仇だと思っていた筈だ。表に出るような奴で、"尊き血"の半吸血鬼は少ない。そして何より吸血痕だ。
吸血鬼は愛するものを吸血鬼にする。どうでもいいものが半吸血鬼だ。だがいくらどうでもいいものとはいえ、他人に喰われた痕が残る奴隷等、気分が良くない。
他人の名前が書かれた玩具を手に入れるようなものだ。吸血鬼化してしまえば、その名前を二度と消せない。だから、普通は痕のない者を選ぶのだ。
大体の吸血鬼は吸血痕なんて消さない。痕がないということは、まだ誰かに喰われたことのない初物という認識でほぼ間違いないのだ。元々なければ、奴隷如きの痕を、わざわざ自分で消すという手間もないしな。
喰われていてもなお、それを欲しいと思うのであれば。そこまで愛していて吸血痕を残すことも、ましてや半吸血鬼にする訳がないだろう。
それでも残っているということは、そんなことも考え付かない阿呆か、はたまた他人の痕に興奮する変態か……どちらにせよ、そんな主人を持った半吸血鬼が長生きできるわけがない。
主人から逃れられるだけの力がなければな。
「そうか」
「そうだよぉお?君は酷いよねぇえ?」
「言いたいことはそれだけか」
"夜殺し"を揺らす。この程度で発射されるようなものではないのだが、銃の仕組みを知らない悪魔にはそれがわからなかったのだろう。慌てて口を開く。
「ぼっ、僕は!君が仇だなんて言ってないよぉお!?」
「は、信用できない」
「君は仇じゃないのに言える訳ないじゃないかぁ!」
言った。
俺は仇ではないと。
正直、本当に俺がミナの弟を殺した犯人ではない、と自信があった訳ではない。俺には前科があるのだ。"月狂い"に夜族の意思は関係ない。
「君は、か」
「あーもー!わかったよ!『血塗れの薔薇』、『月狂い』と呼ばれた半吸血鬼、ショー・ピール・ブラッディローズは僕の知っている限り全てのクインシー・マリーを殺していない!これでいいんだろぉお!?」
ヤケクソ気味に声を張り上げる悪魔。別にそこまで言えとは思っていなかったが、本人が言いたいのならそれでいいのだろう。
そうか。俺は仇ではないのか。なら、ミナの最後の夜には。
何の意味も、なかったんだな。
「最初の質問だ、悪魔」
銃口を喉に押し付ける。
苦痛にか眉を潜めたが、仮にも悪魔。この程度で話せなくなるほど、軟弱な生き物でもあるまい。
「俺の知っているミナ・マリーの弟、クインシー・マリーを殺した奴の名前は?」
「……君も知っている人だよぉ」
自分の置かれている状況がわからない筈がないのに、悪魔の目が、口が、俺を嗤う。
「"尊き血"で、昔、大事件を引き起こした犯人。そして、首に吸血痕のある半吸血鬼――」
「――『血塗れの薔薇』、ジグガフ・ピール・ブラッディローズさぁ」
殺す。




