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「倒した、のか……?」
呆然と呟くホワイト。
それはそうだ。相手が"尊き血"であれば、こんな簡単に殺せる訳がない。
しかし、俺の感覚は言っている。この屋敷にはもう吸血鬼は居ない。居るのは、どれだけ力があろうとも所詮は人間の混血だけだ。
目の前には灰。それも、一瞬前まで人型を取っていたのは、俺も確認している。ミナの言う『彼』の情報が正しければ、この灰が"尊き血"の吸血鬼に他ならない。
「ええ、殺したわ」
剣を納めて、髪を掻き上げる。先程の様子と比べて、随分冷静になっている。仇を討てたからか。
それにしては喜びもないようだが、まあ、実感がないのかもしれない。それくらい、あまりにもあっさりとした幕引きである。
「……ミナ」
「ショー、さっきはごめんなさい」
「……それは、いい。怪我は?」
ミナは笑いながら腕を広げた。何はともあれ、怪我がないならいい。まずは。
灰の側に跪く。風のない地下室では、灰はほぼ崩れた時のままだ。
こうなってしまえば、何の情報も得られない。ほんの僅かに残った生気は、"尊き血"にしては少な過ぎる気もするが、確実とは言えない。
いつもの癖で溜め息を吐き掛け……慌てて止めた。密閉された空間で舞い散らせるのは勘弁である。
「弟はね。五年前に殺されたの」
振り向けば、ミナはどこか遠いところを見ていた。
感情のない声が続ける。
「小さい頃に両親を失って、ずっと二人きりで生きてきたわ。私が"夜狩り"になって、あの子もいつか私みたいな"夜狩り"になるって言ってた」
仲がいい、で済ませてはいけない話なんだろうな。
どれくらいの年齢かは知らないが、二人きりと言うことは親戚等にも頼れなかったのだろう。
そして"夜狩り"になったということは……金の為か信念の為か、どちらにしても、普通の生き方はできなかったに違いない。
「弟が殺された時、私は仕事で居なかったの。帰ってきたら弟は居なくて、必死で探したわ。探して、探して……見付けたのは蒼白い弟の遺体で。首には吸血痕が残っていた」
「…………そっか」
「情報を集めたわ。けれど、どれも確実なものとは言えなかった。それでも、探して、吸血鬼を屠って……そして彼に出会った」
俺は眉を潜めた。また『彼』だ。
ミナがここまで信じるのには何か理由があるのだろうが、一体何だ。
……もしかしたら、という予想はある。しかし相手は吸血鬼でないにしても、"夜狩り"のミナとは相容れない筈だ。いくら復讐に目が曇らされたとしても。
「彼が教えてくれたの。弟を殺したのは"尊き血"で、昔、大事件を引き起こした犯人。そして――」
ミナは俺に近付くと、灰を覗き込むように上体を屈めた。釣られた俺も、灰に視線を向ける。
「――首に吸血痕のある半吸血鬼」
しゅるり、と。
首が、晒され、た。
振り返って手を伸ばしたが、既に相手は後ろに跳んでいた。飛び掛かろうとした俺に、銀剣の刃先が向けられる。
その視線は間違いなく、俺の首筋にある吸血痕に向けられている。
「…………返せ」
「ええ。これが欲しい訳ではないもの」
投げられたチョーカーを、慌てて掴む。つい右手を出してしまい、手袋に滲んだ血が着いたことに舌打ちをする。
それでも俺の元に戻ってきた……俺の気持ちに正直な心臓は、早鐘を打つのを止める。
「吸血痕のある半吸血鬼なんて普通有り得ないわよね。半吸血鬼は、血を吸われなかったから、半吸血鬼になる筈なのに」
「……なら、吸血痕のある俺は、半吸血鬼じゃないってことじゃないのか。それとも、吸血鬼に見えるとでも?」
大丈夫、ここにある。チョーカーを握り締めれば、少し落ち着いた。
ミナの言葉は続く。
「ショー。その手、どうしたの?階段を下りていた時は、怪我なんてなかったわよね」
「転んだ、って言ったら?」
「あら?純銀が当たった部分を削いだのだと思っていたわ」
ごめんねさいね、と言うミナの口端を上がっている。俺の言葉を全く信じていないということはわかった。
……ということは、階段で転んだのは偶然ではなく故意だったということか。故意であるということは、あの時点では既に俺が夜族であると確信していたと。
「吸血痕もそうだけど、"尊き血"の半吸血鬼が居るなんて驚いたわ。でも、あなたが喰らってきた数を考えれば納得もできる。ショー、あなた、『子供狩り』でしょう」
"子供狩り"とは、五百年前に起こった、十八年間にも及ぶ吸血鬼による大量吸血事件の総称だ。
被害者の殆どが子供であったこと、十八年という、子供が成人になる期間の間続いたことが名称の由来である。
その被害は大陸全土に及び、被害者は一万を越えた。
一般的には、吸血鬼の大量虐殺と言われているが……。
「まさかたった一体の、それも半吸血鬼が引き起こしていたなんて、ね」
俺は、細く、長く、息を吐いた。
何も言うことはない。事実だ。全て。
勿論、ただの半吸血鬼にそんなことができる訳がない。虐殺を可能としたのは、"月狂い"だ。
夜族は月に影響を受ける。特に満月の夜は、程度の差はあれ、全ての夜族が活発になり、気分が高揚する。
そんな満月の夜に、極々稀に"月狂い"と呼ばれる……病気、なのだろうか。症状を発症することがある。
"月狂い"を発症すると、満月の夜に夜族が受ける影響を更に強くしたような症状が現れる。具体的には、満月の夜以上に生気が活発化し、理性を失った精神は本能のままに行動するのだ。
全ての制限が外れ、常に全力で動くのだ。その分、生気の消耗も激しい。それでも"月狂い"にかかった夜族は、必要以上に獲物を襲うので、どんどん強くなる。
"月狂い"についてわかっていることは少ない。
満月が原因なのに、発症するかどうかはその時にならないとわからないこと。発症は満月と決まっているのに、満月が終わっても症状が続くこと。そして終わらせる方法は死だけだと言われている。
本当は治療法もあるのかもしれない。しかし、"月狂い"にかかった夜族は、人間にとっても夜族にとっても害でしかない。
派手に動く"月狂い"は、狩られてあまり長生きできないのが一般的だ。
俺の場合は……運が悪かったのだろう。"月狂い"になったのも、俺自身は半吸血鬼とは言え、"純粋なる吸血鬼"セレネから血を与えられたことも。
"月狂い"にかかっていたこと等、言い訳にもならない。言い訳するつもりもない。
狂っていた頃のことはあまり覚えていないが……確かに、世界はきらきらしていて、ふわふわしていて。とても……そう、とてもいい気持ちだったのだ。
外にあるのは血塗れの現実でも、俺にとっては優しい夢だったのだ。俺だけに優しい夢。
ここまでバレているのなら、もう誤魔化すこともできないだろう。
精神感応も使えない。本人が確信している以上、俺程度の精神感応では、かかったとしてもすぐに解けてしまう。
パセリを連れてくれば良かったか。邪魔になるからとソシ・レの元に置いてきた小人を思い浮かべる。
あの騒がしさに、思いっきり顔を顰めた耳長は見物だった。きっと奴の天敵になると思ったのだ。勿論、この間の嫌がらせである。
しかし、浮かんだ考えは、すぐに消した。ミナにとって、弟のことは自身の根幹に近いと思われる。それを無理矢理歪めさせれば……精神が崩壊する。
「……何で、吸血痕があるんだ。半吸血鬼だろ」
この場にそぐわないホワイトの言葉に、ちらりと視線を向ける。
ホワイトの疑問に答えたのは、俺ではなくミナだ。
「吸血した吸血鬼と、血を与えた吸血鬼が別なら有り得るわ。でも、他の吸血鬼の所有印を残したまま眷属にするなんて、あなたの主人は変わっているのね」
前半はホワイトに、後半は俺に。ミナの言葉に、俺は心の中で同意した。全くだ。
あんな変わり者の――ある意味で本当の吸血鬼は他に見たことがない。
何故、セレネは俺を半吸血鬼にしたのだろう。……どうせ、あいつのことだ。特に意味はないのだろう。
あの頃の屋敷には蝙蝠の半吸血鬼しか居なかったから、手のある使用人が居た方が便利だったとか、きっとそんな理由だ。ちょうど、必要な出来事があったし。
それが俺だったのも、偶々目の前に居たからだろう。俺である必要なんてなかった。俺でなくてはいけない理由もなかった。
けれどそんなことで、俺は化け物にされたのだ。そして狂った。
終わらない筈の月を終わらせてくれたのは、唯一人。




