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滴るような紅い薔薇  作者: ツギ
術屍
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30


 逆さの頭を掴む。


「燃やすぞ」


 身体を捻り、叩き付けようとした瞬間、紡がれた言葉に動きを止めることになった。しかし、指の力を抜いた訳ではない。

 潰すつもりはないとはいえ、半吸血鬼の握力で締められている癖に、目の前の耳長は表情一つ変えない。変わらず俺を嘲笑う。

 ゆらゆらゆら。振動が伝わり、揺れる黒。


「……は、それが耳長のやり方か」

「なら砕けばいい」


 翠を睨む。その目玉、刳り貫いてやろうか。あ、は、いい考えかもしれない。

 一つは潰して、そうしたらもう一つを刳り貫いて。そっちはどうしよう。

 潰す?芸がない。食べる?ゲテモノ喰いの趣味はない。いいや、こいつに喰わせれば。

 菜食主義の耳長族にとって、肉を喰わせられる等、屈辱以外の何物でもないだろう。

 もしかすると、泣いてしまう?眼球がなくても泣くことはできるのだろうか。やべぇ、超、見たぁい。

 その前に。


「返せ」


 それは俺のだ。

 幅広の革のチョーカー。慣れすぎて、着けていることさえ忘れてしまうこともある。だが俺のものだ。

 お前とは比べ物にならない程に、共に在った。返せ耳長。それは。


「こんなものに何の価値がある」

「返せ」

「ただの塵だ」

「その薄汚ぇ手を離せ!」


 指に力が篭る。痛みに細められた翠は、けれど何の気晴らしにもならない。

 動いた拍子に空気が揺れた。ひやり、首筋に感じる冷気。首に。空いている手を首に当てる。

 喰い縛れば奥歯が鳴った。砕けようが知ったことか。どうせまた生えてくる。


「これが貴様に何をしてくれた」

「お前には関係ねぇ!返せ!」

「……そうだな。関係ない。貴様がこの首輪をどう思っていようと、私には関係ない」


 返せ、返せ返せ!この糞耳長が!

 チョーカーが汚れようと知ったことか!

 みしみし。軋む音が聞こえる。殺す、こいつ、こいつ、ぶっ殺す!!


「っ……女一人にいつまで縛られている」

「煩い!」

「貴様に……首輪しか残さなかった女に」

「それがどうした!俺はあの女の物だ!」

「だが結局貴様は捨てられたのではないか!」

「捨てられてない!捨てられてないぃぃぃ!!」


 俺はあの女の物だ。

 この血も、肉も、骨も、皮も。頭の天辺から爪の先まで。

 名前も心も命も、全部、全部。

 昔も、今も、これからもずっと、俺はあの女の物だ。

 あの女は、俺の――。


 腕から力が抜けた。

 苦しい。息が、できない。

 歪んだ視界。俺の意思など無視して、唇が小刻みに震える。


「……れは、……捨てられてないっ……!」


 絞り出した声は、掠れて耳障りだった。

 どうして、俺はあの娘を置いて行かなくてはいけなかったのだろう。俺はあの娘の物だったのに。

 どこまでも連れて行ってくれると言ったのに。

 自分の意思では身動き一つできないくらい、雁字搦めにされた鎖は最後の最後で外された。

 俺の背中を押した女は、俺からたくさんの大切を取り上げて、一人、歩くのを止めたのだ。


「返せ……返せぇ……!」


 俺があの娘の物である証。俺に残された唯一形を持つ絆。

 首を覆うだけなら、それである必要はない。セレネに頭を下げてまで、それを使い続けているのは。

 ……残っている。俺には残っている。

 捨てられてなんかいない。与えられたものは、ちゃんと手の届くところに、ある。

 俺は。俺は……。


 気付いた時には呼吸が戻っていた。

 荒い息を整えようと、深呼吸を繰り返す。

 その甲斐あって呼吸は落ち着いたが、酷い頭痛と耳鳴りに気付いてしまった。意識が飛びそうである。


 ソシ・レを見れば、あちらも息を乱していた。いつも感情を見せない奴にしては珍しい。

 そこまで思ったところで、自己嫌悪に沈んだ。もう関係ないのに。向こうが関係ないと言うのだから、俺にだって関係ない。


 何度か口を開いては閉じを繰り返し、意を決して声をだそうとした時。


 こんこんこん。


「入れ」

「あ?」

「失礼します。教授、何か」


 ありましたか。と言ったのはわかった。

 学生用のローブを着た娘は、青い目を見開き、魚のように口をぱくぱく開閉させている。

 そして。


「失礼しました!」


 馬の尻尾のような栗色の髪を翻し、入ってきた筈のドア向こうに消えていった。

 何だろう、この既視感は。


 目の前にはソシ・レ。お得意の無表情に、ほんの僅か愉快そうな色を混ぜたような顔をしている。愉快?

 そうして、気付く。


「違っ、誤解……!」

「もう居ないぞ」

「他人事みたいに言ってんじゃねぇ!」


 誰のせいだ誰の!と叫べば、煩かったのか眉を顰めて身を退く耳長。

 腹筋を使って起き上がれば、今度は邪魔をされなかった。床に足が着いたところで、奴に向き直り、手を出す。


「返せ」


 耳長は小さく鼻を鳴らした後、チョーカーを俺の手に落とした。

 それまでが嘘のように、あっさりと返されたので、暫く固まってしまった。意識が戻ると共に、慌ててチョーカーを巻く。

 慣れた圧迫感に、ようやく人心地が付いた。つまならそうにこちらを見る翠の目に気付く。


「何だよ」

「別に」

「気色悪ぃ」

「貴様の存在がか」


 可愛くない。全く可愛くない。

 昔は可愛かったのに、どこをどう間違えたのだろう。訂正、こいつの見た目以外が可愛かったことなど一度もない。


「どうすんだよ、あれ」

「私の知ったことではない」

「んな訳」

「気になると言うのなら、記憶操作でもしてこい」


 一度も二度も対して変わらん。

 頬杖を突いたまま紡がれた言葉に、一瞬動きが止まる。思わず顔を凝視してしまったが、耳長の表情は変わらない。


「……気付いていたのか」

「馬鹿にするのも大概にしろ。私が何十年アカデミーに居ると思っている」

「ええと、」

「下世話な噂の一つや二つ、捌くのには慣れている。貴様が手出しをしなくとも、自分の身くらい自分で守れる」


 目と目が合う。綺麗な顔に二つの翠玉。

 それが綺麗なのはきっと、この顔に埋まっているからなのだろう。取り出したら、途端に色褪せてしまいそうな、この翠だけの宝石箱。


「貴様は、いつまでも私を子供扱いしたいようだがな」

「……こんなデカい子供が居てたまるか。態度とか身長とか態度とか」

「貴様の戯れ言を聞く程、暇ではない。用を済ませたら失せろ」


 後ろを向いて何かをやったかと思えば、顔に向かって金貨が二枚飛んでくる。

 反射的に掴んだから良いものの、混ぜ物がされているとはいえ金は金。ずっしりと重く、当たれば痛い。そもそも金を投げるな!


 金を投げた耳長は、もう用事は済んだとばかりに何か書類を捲り始めた。いや、確かに報酬の受け取りに来たが。用件は済んだが。

 望まずとも客人がいるというのにこの態度はどうなのか。しかし、それを言えば何倍にも毒を含ませて返ってくることが予想できるので、自重する。

 何だかもやもやしつつ、俺はソシ・レの待機室を出た。




 その後、例の如く人気のないところで悶えていた女子学生を、"魅力"と"精神感応"を最大限に活用して口を封じた。

 その時のやり取りに関しては思い出したくない。妄想に付き合うのはもう嫌だ。


 あれ、脅しではなかったよな。

 宿への帰り道を歩きながら、そう思った。

 冷静になって考えれば、あれが他人の大切なものを、意味なく壊す訳がないのだ。いくらいつもと様子が違ったとしても。


 それに比べて、俺は本気だった。完全に頭に血が昇っていた。

 殺していい的なことを言っていたが、多分、もう少しあの状況が続いていたら、本当に頭を割っていただろう。

 きっと、殺されたら殺されたで自業自得だと思ったんだろうな、あれは。


 そんなことがあったのに……なんか、最後普通だったな。あれでは、いつもと同じみたいじゃないか。

 口が飛んで、気を悪くしたまま別れて。何年か何十年かしたらふらっと立ち寄って、同じことをする。ここ八十年程のお約束である。

 だが、あいつには俺は要らなくて、俺にもあいつは要らない。俺達の関係は。


 ぱちぱち。ああ、そうか。

 何も変わってはいない。最初からそうだった。


 必要だから一緒に居たんじゃない。居なければ居ないで誰でも良かった。かといって誰かが必要な訳でもなかった。

 偶々、俺とあいつの命が、交わることが多かっただけの話だ。

 それを好んでいた訳ではない。しかし嫌っていた訳でもない。

 その偶然を当たり前のものだと許容していただけだ。

 そしてそれは、これからも続くのだろう。




 俺かあいつか、どちらかが死ぬまで。






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