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滴るような紅い薔薇  作者: ツギ
序章
3/161

3

前話後書き嘘吐きましたすみません!

 薔薇がいいわ。


 綺羅星のように輝く紅い目。

 母になった女が言った。


 この子のお祝い。


 柔らかそうで、ふにゃふにゃしていて、つついたらパンのように潰れてしまいそうで。

 美味そうだ、と素直に思う。

 産まれたばかりの小さな小さな生き物は、皺だらけで、やたらバランスが悪く、目元なんか猿みたい。

 美味そう。美味そう。でも可愛い。


「……赤子に、薔薇?金貨でも銀のスプーンでもぬいぐるみでもなく?」

「紅い薔薇が好きよ」


 いやそれは君の趣味じゃ、という言葉は呑み込む。自分がこの女に勝てたことなど一度もないのだから。

 逃げるように視線を赤子に向ければ、女のからからと笑う声が降ってくる。そんなに騒ぐと起きるぞ。


「この子だってきっと好き」


 赤子に無茶言うな。笑うのも抱き着くのも全部本能に刻まれた反射で行う生き物に、そんな感情あるわけないだろう。

 物言いたげな雰囲気に気付いたのか、今度は歌うように囁いた。


「この子は紅い薔薇を好きになる」


 だって私の子供だもの。


 それなら。

 それなら、きっと、仕方ない。

 ……あの庭に紅い薔薇は咲いていただろうか。どうせなら、滴る血よりもなお紅く、艶やかに咲く薔薇がいい。

 愛し子よ、自分は君に紅い薔薇を贈ろう。




 君の一番が紅い薔薇になるように。







 暗い森の中を男が走る。

 満月は煌々と地表を照らしているが、生い茂る木々の葉に遮られ、人間が走り続けることは困難であろう。

 事実、土から出た木の根に男は足を取られて体勢を崩した。

 向かい側の幹に身体を叩きつけられることは辛うじて避けたが、足を捻ったらしい。

 走れなくはないが、全力は出せない程度の痛み。普段なら気にしない程度の、しかし、今の状況では致命的な痛み。

 絶望に襲われる獲物に、捕食者は姿を現した。


「あら。鬼ごっこはもうよろしいの?」


 肩ほどまでの金色の巻き毛。長く濃い睫毛に覆われてるのは蒼玉(サファイア)の虹彩。

 象牙色の肌を包むのは、繊細なレースと刺繍をあしらった黒いドレスだ。大きく開いた胸にコルセットで締められた細い腰。

 絵に書いたような美女である。惜しむらくは、背景が鬱蒼とした森であるということか。

 凍りついたように女から目を離せない男を見て、女は淑やかに扇を開く。


「人間如きが私から逃げられると思って?」


 いや、女は男の視線を遮ったのではない。

 食事を前にして醜く歪む口元を、獲物から隠す為に覆ったのだ。


「た、たすっ、」

「発言を許した覚えはないわ、人間」


 男の顔に、身体に、無数の紅い線が入る。男には何が起こったのかわからなかっただろう。

 女はただ扇を振っただけ。ただそれだけで、男の皮膚は切り裂かれた。そして気付く。

 自分は今ので死んでいた。

 男は幹を背にして崩れ落ちるように座り込んだ。女はその繊手からは想像できない強さで哀れな獲物の顎を掴む。

 視線が絡む。

 ――そして囚われた。


「お前のような下賤の輩が、この私の糧となることを誇りに思いなさい」

「なんと、身に余る、光栄」


 "魅力"を掛けられた男の目に浮かぶのは恍惚。女を神とし、女に与えられるもの全てに至福を覚える狂信者。

 命じれば喜んで首を差し出す有り様に、女は愉悦の笑みを浮かべた。

 紅い口唇が晒された首筋に触れ、鋭い牙が男の皮膚を食い破る。


 金色の髪がふるりと揺れ。


「――――!」


 金色の髪ははらりと落ちた。




 獲物から一瞬で身を離し、四方八方に視線を向ける女――吸血鬼。

 なんだ、意外とできる子だったのか。


「なっ……ナイフ?」


 と思いきや、先程の動きは無意識だったらしい。自身の髪を切り落とした銀色の正体に気付くと、間の抜けた声を上げた。

 

「……誰だッ!」


 我に返ったのか、眦を吊り上げて吸血鬼が叫ぶ。

 特に隠れ続ける理由もないので俺は姿を現した。それを吸血鬼は警戒した目で見……何かに気付いたように目を瞠った。


「……お前、半吸血鬼ね」


 心底穢らわしいと言いたげな眼差しに、俺は肩を竦めるだけで答えた。

 生まれつきの吸血鬼に紅目は居らず。また、半吸血鬼の虹彩は例外なく紅い。

 まあ、元々紅い目をしたものが吸血鬼になることもあるので誤魔化すこともできなくはないが、これまた隠す必要もないので別にいい。


「これは私の獲物よ。お前の主人は一体どういう躾をしているのかしら」


 相手が格下と確信したからか、先程の余裕が戻って来たらしい。忌々しいという感情を隠しもしないところがいっそ見事とも言える。まあ気持ちはわからなくもないが。


 吸血鬼は自らの血液を与えることで、相手を吸血鬼化させることができる。

 その際、吸血鬼か半吸血鬼かを分けるのは、吸血行為の有無。つまり、吸血したことがある者に血を与えれば吸血鬼に、そうでない者に血を与えれば半吸血鬼になる、ということだ。


 これに関しては知り合いの本の虫と議論したことがある。まあ最終的な結論は、水と油と石鹸みたいなもの、ということで落ち着いた。奴はこの表現が気に入らなかったようだが。

 吸血を行うことで、血液から相手の情報を手に入れると同時に吸血鬼の生気に慣れさせる。

 自身の血液に相手の情報を取り入れることで、その血は相手に適合するようになる。

 逆に、吸血が行わなければ夜族と人間、異なる性質の二つが上手く混ざり合うこともなく反発し……吸血鬼のなり損ない、半吸血鬼となる。


 半吸血鬼は吸血鬼より元々の存在に近い分、同じ環境の吸血鬼よりはどうしても劣る。

 それでも敢えて半吸血鬼を作るとき、その用途は下僕。

 その為、殆どの吸血鬼にとって半吸血鬼とは奴隷であり、替えの利く道具。ぎりぎり同族だと思うか思わないか、といったところか。

 この吸血鬼も、半吸血鬼に嫌悪を感じるタイプらしい。

 ……あまり、いい予感はしない。


「奴隷一匹管理できない主なんて、たかが知れているでしょうけどね」


 こちらを見下す吸血鬼に、嫌な予感は大きくなっていく。

 掌にじっとりと滲む汗は、手袋に吸い込まれた。


「私の夜の父君はね、お前の主人などと違って特別なの」


 夜の父とは、文字通り夜族としての父である。血を与えた吸血鬼が男なら夜の父、女なら夜の母と呼ばれる。

 そんなことより。誰か、誰か止めてくれ。頭の中に響く警鐘。

 この先は聞いてはいけない、体が動かない。

 しかし俺の願いは虚しく、女は口唇を吊り上げて高らかに言葉を紡いだ。


「三日月の夜に産まれた"月僕の吸血鬼(ナイトメア)"!生まれながらの吸血鬼!元人間などとは比べようもない程尊いお方よ!」


 鳥肌が立った。

 嘘だと、嘘だと言って欲しい。


「あの方ならいつか吸血鬼を、いいえ、夜族を統べることだってできるわ。お前はそんな吸血鬼の夜の子である私の髪を切り落としたの。それがどういうことだかわかる?」


 もう、耐えられなかった。

 興味本意で手を出していい相手ではなかったのだ。


「今更頭を垂れても無駄よ。精々あの世で主が来るのを待っていることね」


 森に吸血鬼は嗤い声が響く。

 それを聞き、俺は。




 ドン引きしていた。




 何だ、この、典型的な吸血鬼は。

 自分が何を言っているのかわかっているのか。いくら何でも酷すぎる。

 口の端が引き攣るのを止められない。そんな俺に気付きもせず、吸血鬼は高笑いを続ける。ついでに未だに呆けたおっさん。

 



 どうしよう。帰りたい。






次話は……次話こそは必ず……!

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