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吐く息が白い。
夜族の方が人間より温度耐性はあるが、それは行動可能な範囲が広いだけだ。自身も熱量を持っているし、暑さ寒さを感じない訳ではない。
こんなに寒いのに、何でこいつは平気なのだろう。
耳長とは、そんなにしぶとい生き物だったのだろうか。ああ、でも、何とかほど死に汚いと言うし……。
実際は精霊が自主的にガードしているのだろうが、その気遣いを周囲に見せて欲しい。え?原因が言うなということですかそうですか。
だから全く思い当たんねぇっつってんだろうが!
「俺もお前が嫌いだが?わー、奇遇だなー!真似してんじゃねぇよキモい」
ぱきり。睫毛の先が凍った。
耳長も見えている筈なのに、その表情に変化はない。
荒ぶる感情を抑えているのか、それとも精霊の独断か。どちらにしても、いい傾向ではないことは確かだ。
面倒だ。大きく息を吐く。
これには流石に奴も眉を動かしたが、顔を退けることはなかった。……ああ、面倒だ。
「今すぐ精霊を止めろ」
「…………」
「お前は、自分が何をしているのかわかっているのか。ここはお前の研究院で、アカデミーで、お前はアカデミーの教授だ。だが『それがどうした』」
アカデミーは夜族や亜人にも門扉を開いている。類い稀なる才能を持つソシ・レが、教授として表舞台に立てるのもそれ故だ。
知的好奇心や実力がある者を認める。だが、それは受け入れると同義ではない。
どれだけ有能であっても、人間は、生物は、異質を拒む。寧ろ優れていれば優れている程、本能で拒否をし、排除しようと動くものだ。
ならどうする?答えは簡単、完璧になればいい。
隣に居たとしても別の世界の存在だと思われれば、異質への本能さえも霞ませる。
こちらから触れられず、向こうからも触れられることのない、完璧なカミサマ。それは、決して受け入れられている訳ではないけれど。
美貌に才能。誰もが羨む凶器で完全武装をするソシ・レ。こいつを完璧にするのは、その凶器を無意味に振り回さないという鉄壁の理性、ただ一点だ。
それさえ、時間を積み上げなければ、信じさせることもできなかった筈なのに。
ソシ・レの目を見返す。翠の目に映る自分は、何だか怒っているようにも見えた。
「どれだけ他の国より亜人に寛容であっても、サフィルスは人間の街だ。お前がすることは、エルフがすることと同じだということを忘れたのか」
流石にここまで言えば頭も冷えるだろう。こいつの理性とは、高潔な種族であるという自尊心で成り立っている。
エルフの名前を出して、精霊の暴走といった無様を晒すような奴ではない。
長い睫毛に覆われた瞼が、翠の目を覆う。小さく吐かれた息は、冷えた肌には熱いくらいだ。逃げたくとも、俺の背後は机である。
頭突きでもしてやろうか。腹筋に力を入れたところで、密かな振動が伝わった。
笑っている。声を押し殺してはいるが、唇から白い歯が覗いていた。
……正直、呆気に取られた。こいつが笑うところなんて久しぶりに見た。いや、人を小馬鹿にする様はよく見るが。
すっかりタイミングを逃がしてしまった。暫くそのままで居ると、満足したのか笑いからくる振動が止まる。
そして開かれた瞳は。
「ふざけるな」
冷気より冷たく俺を射抜く。
何か言おうとした筈なのに、頭が回らない。
「何をしているか、だと。決まっている、私が望むことを、だ」
目が、逸らせない。
「エルフは誇り高き種族だ。私はエルフだ。周囲に流され、他者に媚びへつらい、ただただ自身の魂を朽ちさせるのは、私が許さない。……それを貴様は」
肩を掴む手に力が篭る。
熱い。熱い。脈打つ熱が、じんわりと俺の中に入って来るようで、怖い。
認めよう。俺は怖いのだ、目の前の生き物が。
翠の目が、ついと細められた。
「私がいつ手伝えと言った。いつ助けろと言った」
「……依頼をしたのはお前だろうが」
「だが殺せとは言っていない」
だから何だ。結局殺したことに対する恨み言か?
だったら殺すなと言えば良かっただろうに。今更、何を。
「私の問いに、レミファが何と言ったか知っているか」
ぱちりぱちり。瞬きの度、下瞼に冷たい痛みが生まれる。
何故レミファさんの話になるのだろう。急な話題転換に着いていけない。
そもそもこいつは何を訊いたんだ?
「『何も見ていない』だそうだ。人間にしておくのはつくづく惜しい娘だ」
残念そうなのは内容だけ。声も、顔も、全く何も変わらない。
……『何も見ていない』か。
そうか、知らない振りをすると、ソシ・レに伝えたのか、あの小娘。
老婆だから、嫌いではないからと優しくしてやればこの仕打ちか。ぎりぎりと歯軋りをする。
こいつがこれを俺に話したということは、意味を了承した上での牽制だろう。決してあの女に手を出すな、と。
「……本当に、随分と気に入っているみたいじゃねぇか。少女趣味じゃなくて熟女好きだったのか?」
「貴様の戯れ言に付き合うつもりはない。何故殺した」
「邪魔だったから殺した。それ以外に何が、っ」
凍り付きそうな冷たさに、手に持っていたポットを落とした。高い音が響く。
恐らく破片が傷付けたのだろう。鋭い痛みが一瞬脚に生まれ、しかしすぐさま体温と共に去っていった。
「自己満足で傷付き、手を汚し、勝手に恩を押し付ける。何事か要求するなら息の根を止めてやれるのに、ただ血塗れの手を見せ付けるだけ。そうして私を共犯に仕立て上げる」
「そんなこと……!」
「だから性質が悪い。だから私は貴様が気に食わない」
挙げた抗議は、すぐさま叩き落とされた。
違う、違う。そんなつもりなんかじゃなかった。こいつの為なんかじゃない。俺が嫌だっただけだ。
エルフが術屍になるなんて、誰が想像する?
人里に現れる方が稀だが、それでもエルフが人間にも好意的に見られやすいのは、美しさだけでなく、夜族と対抗できるだけの力を持っているからだ。
正確な弓に強力な精霊術。そして何より、何があったとしても夜族に服従することのないその誇り高さ。だからこそ、人間は恐れながらも、エルフに憧れる。
エルフの術屍は、人間のそのエルフ像を壊すものだ。
人間を襲うエルフなど、誇り高い森の民ではなく、ただの夜族でしかない。
そしてどれだけ個々の能力が高かろうと、数が少なく、森から出たこともないエルフが、本気になった人間の数に叶う訳がない。
全を守るために一を殺す。人間も、夜族もやってることじゃないか。
腐った蜜柑は取り除かなければならない。
――頑張っている奴が、巻き添えで否定されるなんておかしいじゃないか。
ソシ・レの目に俺が映っている。見たくなくて、そこから視線を外した。
美しい声が降ってくる。
「私は貴様に何も望まない。望んだこともない」
今までも。そしてこれからも、だ。
そうか、と思った。
こいつに俺は必要ない。知ってはいたが、特に気にも留めていなかった。そうか。
ゆっくり瞼を閉じて、内心で呟く。
なら、お前はもう要らない。
三連休は気合い入れて更新します!……あ、ですが世の中にはやるやる詐欺と言うものも……。




