24
腕の中の身体は、小さく、軽い。
屈んだ体勢を戻せば簡単に持ち上がった。
離れかけた靴先が、何度も床を掻く。ぱたぱたぱた。可愛らしいこと。
「離しなさい!人間如きがっ……!」
「え、嫌」
頭も振るから目の前で動く耳に囁く。
多分、今の俺は相当愉しそうな顔をしているだろう。見えなくて良かったな、術屍。
「細い首だな」
小さな身体に見合う細い首。
俺の餓鬼みたいな手でも簡単に縊れそうである。
「それに、白い。……ふふ、は」
染み一つないそれは、真っ白だ。
白、白、白。ソシ・レも白いが、術屍はあいつ以上に白い。不自然なまでの、白。
嗤いが止まらないまま、首筋に鼻を寄せる。
「どんだけ白粉を塗りたくろうと」
化粧は濃いか薄いかくらいしかわからないので気付かなかったが、流石にこの距離ならよくわかる。
鼻の奥にこびりつくような感覚。噎せ返りそうなくらいの、饐えた臭い。
「お前の生臭さは隠せないみたいだな?」
どんなに真っ白な皮で飾り立てようとも、腐ってどろどろに溶けた中身では食指も動かない。
指を絡めたまま握り締める。
ぶちぶち、ぽっきん。
「――――っ!」
「術屍って痛覚あるのか?」
力任せに引っ張れば、意外と可愛らしい音を立てて術屍の手首が取れた。
ぼとぼとと落ちるどす黒いものは、液体というか半固体というか。……なんで革手袋忘れてきたんだろう、俺。
「こっ……!」
「はいはい、お口にチャック」
術屍の体液に濡れた掌で、口を塞ぐ。詠唱らしきものは聞こえなかったので指を落としたが、念には念を入れてだ。
もう片方の手で二の腕を掴めば、何とも言えない感触が伝わる。何だろう、熟れすぎた桃のような?
体勢が変わったので前屈みになる。少し辛い。
俺の体重が掛かった肌が沈み、けれど元に戻ることなく窪みが残る。
「ははっ、きったねぇの」
「ぼばべ……!」
「人語話せよ。……ああ、術屍には難しかったか」
首元でクスクス笑っていたら、唯一自由になる目で睨み付けてくる術屍。
はは、ソシ・レの睨みに慣れてる俺が、そんな可愛い顔に恐がる訳ないじゃーん。
「夜族なんかになるから、こういうことになる」
恨むなら自分を恨みな。
術屍だけに聞こえるように、小さく囁いた。
先程精霊術を使ったホワイトが、柱の影から出てくるのが見える。こちらを伺うレミファさんの顔も見えるが、まあ、聞こえないだろう。
「あと、そうだな。俺の名前はショー・ピール・ブラッディローズ」
「!」
「よろしく、ご同類さん。そしてごきげんよう、だ」
右手は一度外套の下に潜らせ、左手で術屍を突き飛ばす。体勢を崩しながら倒れていく術屍と目が合った。
ソシ・レのことで弄った時と同じくらい、ぎらぎらと怒りに燃える瞳。
術屍でなければ、ちょっと好みだったかな。
「お前、つきぐ」
ぱん、ぱん、ぱあん。
頭、喉、胸の三拍子。乾いた音を背景に、術屍の唇が残りの言葉を形作る。
黒ずんだ体液を吹き出しながら、小さな身体は床に叩き付けられた。
広間に静寂が落ちる。
視線の先にある術屍の身体が溶け出した。
血溜まりのように広がる体液の上に、汚れた骨と衣服だけが残る。
「あれ?」
銃を構えたまま、俺は首を傾げた。
ええと、これって、
「まさか死んだ?」
「いや、撃っただろ」
「いや、撃ったけど」
一般的な術屍は骨らしいので、急所を撃ったくらいでは殺せないかと思っていたのだが。
頭を撃ったのが良かったのか、"夜殺し"が効いたのか、判断できない。
……まあ、いいか。とりあえずまずすべきことは、
「水出せ」
「……さっきも精霊術使ったんだが?」
「俺にこの手のままで過ごせと?テメェの外套で拭いてやろうか」
「止めろ汚ぇ!」
「逃げるな!」
冗談抜きでこの状態は嫌だ。臭い、汚い、ああ嫌だ。
とりあえず手近な布で拭こうとしたら、逃げやがった。ちっ、役立たずめ。
「おーい、もういいかのー?」
あ、忘れてた。小さく手を振って、大丈夫だと伝える。
こちらに近付いてくるレミファさんに、俺も足を向けた。術者が死んで土人形は復活しないとはいえ、まだ仕掛けが残っていないとは限らない。
目の前まで来たレミファさんは、そのまま俺の横を通り過ぎる。振られた。
若干気落ちしながら後ろを着いていくと、術屍の側でしゃがむレミファさん。
何か調べているようだが、よくやるなぁ。グロくするのは得意だが、かといって見るのが好きな訳ではない。
手持ち無沙汰になって周囲に視線を向けるが、危険そうなものはない。ああ、畜生。手が気持ち悪い。
「酷い手じゃの」
気持ち悪さでわきわきさせていたら、声を掛けられる。
何がわかるのかは知らないが、まあ、満足したのだろう。
「もういいのか?」
「うむ」
「なら戻ろう。ホワイト、あれ拾って来い」
「俺は犬か」
文句は言いつつも、土人形の核を回収するホワイト。無力化した核なら、持ち歩くのにも危険はない。
ギルドでも買い取りを行っているし、伝があるなら研究者に流してもいい。こういった素材は、冒険者や"夜狩り"の収入源でもある。
来た道を、今度は三人で戻る。暗い通路では手を貸してやりたいところだったが、流石にこの手では無理だ。
通用門を出ると、馬の鳴き声が出迎えた。おお、生きてた。運がいいな、馬。
「ホワイト、手を貸してやれ」
「わかっている。リッチさん、俺の手を」
「その前にいいかの?」
手を差し出すホワイトの言葉を遮り、レミファさんが俺に顔を向ける。やーい、振られてやんの。
「あっちに井戸があるんじゃ」
「よし行こう」
「おい」
「あ?」
何か言おうとしたホワイトを視線で黙らせる。水も出せねぇ奴は黙っとけ。
馬の番をホワイトに任せて、レミファさんと一緒に歩く。伸びっぱなしの雑草が足を取ろうとするが、踏みにじりながら進んだ。
井戸の回りもやはり荒れていた。しかし、井戸自体は生きているようで、清らかな水の匂いがする。
飲用はできずとも、手を洗うには充分だろう。寧ろ縄がもつかの方が心配だったのだが、そちらも何とかなった。
水を壊れかけのたらいに移す。あちこち漏れるが、傾けて使う分には問題ない。
冷たい水の中で擦り合わせれば、すぐに俺の手は見えなくなった。
「うわ汚ぇ」
「夜族も気にするんじゃな」
さあさあさあ。風が草を揺らす。
「レミファさん?」
「私は気にせんが」
「いやそうじゃなくて」
否定の言葉を続けようとして……止めた。
亀の甲より年の功。否定するだけどつぼに嵌まりそうである。
だから、これは純粋な疑問だ。
「何でそう思うんだ?」
「女の勘じゃ」
にやりと笑うレミファさん。
いやそれ質問に答えてな……もう、いいや。とりあえず手を洗おう。
汚れた水を流し、新しい水を汲む。
「何故夜族になったんじゃ?」
「俺にはわからないが、なりたくてなる奴が居ると思うか?」
「だが、あの術屍は望んでなったのじゃろう?」
多分な。声に出さずに呟く。
力のある精霊術士や、悪魔に嵌められたりすると術屍になることもあるらしいが、あくまでも、らしいの話だ。
どちらであっても、エルフがそんな状況になるとは考え難い。
「もう一ついいかの」
「答えられなくてもいいなら」
「お主は何の為に生きてるんじゃ?」
何の為に。
化け物として、人の生き血を啜り、殺し合い、それでも生きている。
何の為に?
「……殺したい男が居る」
「ほう、その男に何をされたんじゃ?」
「惚れた女を取られた」
僅かに金を溶かしたような、白金色の髪。
力強く脈打つ、血の通った白い肌。
紅い、紅い、目。
「何年経とうとも、何十年、何百年経とうとも、必ず探し出す。探し出して、殺す」
あの娘だけで良かったのに。
あの娘だけが俺の世界なのに。
手を洗っていると、押し殺したような笑い声が聞こえた。
視線を向ける。小さな身体を更に丸めて、老婆は笑っていた。
俺が見ていることに気付いた老婆は、ごほんと一つ咳払いをした。しかし目尻は下がっている。
「済まん済まん。いや、しかしお主……顔は女を取られた男なのに、言葉は女じゃのう」
「……どういう意味だ」
「靡いた女を責めるでなく、相手を責めるのは女のすることじゃ」
老婆の言葉を噛み砕いて考える。靡いた女。
……ああ、そうだ。あの女が悪い。
俺だけだと言った癖に勝手に奪われた。最後の最後で俺を裏切った。
そして俺は囚われて、あの夜から何一つ変われず、こうして彷徨っている。
それでも。
戻ってきた俺達の雰囲気が違うことに気付いたようだが、ホワイトは触れて来なかった。その程度の知能はあるようで何より。
レミファさんと荷物を馬に乗せ、奴が引き、俺が離れて後ろを歩く形だ。
まだまだ高い位置にある月は、最寄りの村に着く頃には薄くなるだろう。まずは目覚めた宿を取って、思う存分休んでからだな。
ふと立ち止まる。二人に少しずつ離される中、空を見上げた。月が明るい。
それでも。
他の生き方なんて、俺は要らない。




