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ドラクル・ナイトの背中が見えなくなったところで、手袋を床に叩き付けた。
思ったよりいい音を立てたことで、多少溜飲は下がったものの、おぞましさは収まらない。
気持ち悪い。手袋越しに触れられた掌が、自分の感情に従って熱を持つ。手、洗いたい。それが無理なら抉りたい。
上着の裾に擦り付ける。擦っても擦っても気持ち悪さは薄れず、その度に歯を噛み締める。先程噛み砕いた奥歯の欠片が、じゃり、と鳴った。
「……まさか、彼が来ていたとは」
顔を歪ませて睨む俺は、相当人相が悪かったのだろう。直視したヨキは一度怯むと、大丈夫か、と問い掛けてくる。
大丈夫?大丈夫とは何だ。はらわたはこれでもかという程に煮えたぎっている。
それにしても、随分含みのありそうな言葉だ。
まず間違いなく親しくないセレネやレト・ナイトにまで招待状を送り付けるような阿呆だから、多少縁のある有名処を呼ぶのはまあ、ありえるだろう。来る方も来る方だが。
だが、ヨキの声色からはそういう雰囲気は感じられない。あの男が来たこと自体ではなく、この場に居ることこそが問題だと言うような……。
上位個体との対峙で幾分血色の悪くなった顔からは、詳しいことは得られない。
「知り合いか。あいつ」
ヨキは名乗っていたので、親しくはないだろう。しかし、向こうはヨキのことを知っていた風ではあった。名付け親の名前も出ていたしな……ヨキの名付け親も同じ"守夜"だから、親しいのか?
疑問を口にすれば、ヨキは曖昧な笑みを浮かべた。曰く、自分の顔を知られていたのは、名付け親と共に居た時に会ったことがあるかららしい。
「アルフォンソ様はああいう方だから、嫌っている訳ではないんだ。ただ、ドラクル・ナイト様は」
「セレネとは違った意味で、吸血鬼らしい吸血鬼だよな」
傲慢で、人間の命など何とも思わない。セレネのそれは無関心に向いているが、あの男の場合、吸血鬼の持つ力に向いている。
吸血鬼こそ至高の種族であると、自ら体現しようとする前向きさは買おう。しかし、穿った見方をすれば、信念も執着も似たようなものだ。
語感がいいからか、前者は割りと好意的に見られる気がするが、それだって自分の正義を侵されなければ、の話だ。結局、言葉なんて使う側の主観で決められる。
何がお前の価値を正当に評価しよう、だ。男の言葉を思い出し、隠すことなく舌打ちをした。あれこそ、あの男の傲慢さを表しているじゃないか。
別に、上から目線で言われたことが不愉快であった訳ではない。いや、なくもないが、ドラクル・ナイトが"守夜"で俺よりも長く生きていることは紛れもない事実なのだ。
むかつくことはむかつくが、いつまでも根に持つようなことではない。あの程度をぽいぽい堪忍袋に放り込んでいたら、緒を結ぶ前に袋が裂けるからな。
正当な俺の価値?そんなもの、半吸血鬼であるというだけのものだろう?
『月狂い』、『子供狩り』、『血塗れの薔薇』、あるいは"尊き血"。それら全ては、後から付け足されただけの、単なる付属品に過ぎない。
俺は半吸血鬼だ、間違いなく。それ以上もそれ以下もない。
けれど。
吸血鬼達に視線を向ける。また一人、半吸血鬼が群れの中心に引き込まれた。先程の女より激しく抵抗する姿を見た吸血鬼達の嗤い声。俺に突っ掛かってきた奴も混ざっている。
恐怖と絶望に引き攣る顔。それが、一瞬、酷く憎々しげに歪められたのは……恐らく、その先に俺が居たからだろう。けれど、それもすぐに吸血鬼達に隠された。
……俺は半吸血鬼。部屋の隅で怯え、震え、吸血鬼から身を縮こまらせる彼等もまた、半吸血鬼。
俺と、彼等に何の違いがあるのだろう。同じ半吸血鬼なのに。吸血鬼に尊厳も何もかも奪われた同士なのに。
狂気に心躍らせる化け物共は、けして俺と目を合わせない。
「ヨキ」
「どうしたんだい」
「俺、帰る」
「……うん、その方がいいと思う。主催者には僕から伝えておくよ」
今は食事に夢中みたいだからね。そう呟くヨキの視線の先には、"夜狩り"の死体を掴む真っ赤なドレスとルージュが目に痛い女が居た。
最初に挨拶をしに行った時には、俺への侮蔑を隠しもしなかった澄まし顔が、喜悦に歪んでいる。口紅、よれてるぞ。それとも血か。
刳り貫いた眼球を、恍惚の表情で呑み込む姿に、口の中に苦いものが広がった。
死体愛好のみならず、人肉嗜好まであるとか……随分悪食な淑女も居るものだ。全世界の淑女に謝れ。
……とりあえず、本物の淑女には挨拶しないとな。
「アンジェラ、ラジー。俺もう帰」
「ショー!どうなさったのですか」
「うん?ええと」
「おい、お前すげぇ格好になってんぞ」
「あ?格好?」
今日の俺の姿は、いつもよりも気合いが入っている。いや、一番頑張ったのはミケなのだが、普段しない格好で耐えている俺も褒められて然るべきだと思う。
基本的な服装はあまり変わらないし、素材は寧ろいい。しかし、デザインが見栄え重視なので、ちょこちょこ使われている装飾品や、袖や胸元のフリルがうざい。
中でも一際邪魔なスカーフを、隙間に指を突っ込んで緩める。息苦しさが和らぎ、大きく息を吐いた。
スカーフは形が上手く作れないので、外さないようにしているのだが、もう帰るつもりならいいだろう……あ。
スカーフにべったり付着している血液を見て、自分の身体を見下ろした。あー……うん。これは、酷い。
「大丈夫だよ、アンジェラ。返り血だ」
「まあ……本当にお怪我はありませんの?」
「俺が君に嘘を吐いたことがあるかい?」
「悪気がなく嘘吐くことは結構あ――っ!」
そう言って笑えば、アンジェラも安心したように息を吐いた。取り乱しました、とはにかむ姿もまた可愛い。ささくれだった心が、癒される。
そこに、空気を読めない髭が余計なことをほざこうとしてさあ大変。奴の爪先に体重を乗せて踵を落とした。はは、どうしたラズベリーちゃん。急に黙っちゃってぇ。
「お、ま、え、は……!」
「どうされたのですか?ラジー」
「……何でもない」
人のことを言えない奴め。
それぞれ別れの挨拶を交わし、俺達は翼を拡げた。
ラジーとアンジェラも、途中まで一緒である。どちらも、あのような場で楽しめるようなタイプではないし、変に目覚められても困る。元々俺が条件だったのもあって、二人の強制退場に支障はなかった。
折角外出られたのだから、とラジーが文句の一つや二つ言うかと思ったのだが、こちらも随分大人しいこと。流石に、状況は弁えているらしい。
二人と別れてからは、人目も気にせず、気儘に飛んでいた。方角はオパリオスへ。
これだけ台無しになっていたら、どれだけミケがスーパーメイドであっても完全復活は難しいだろう。それなら、わざわざ屋敷に戻らずともいいだろう。
次に行った時に、蝙蝠達の説教が待っているのかもしれないが……まあ、何年か寄らなければ、そのうち忘れるだろう。
それよりも。
寒い。当たり前だ。空高く、それもかなりの速度で飛んでいれば、身体だって冷えるだろう。熱いスープを啜りたい。柔らかく暖かなベッドでもいい。この寒さを忘れさせるものなら、何だって。
風を切る音に混ざる心音は激しいのに、指先はどんどん冷えていく。つまりあれか、俺に流れる血自体が冷たいということか。自分で想像した考えに、笑いを噛み殺した。
どうしてお前だけが。
聞こえたふりをした言葉に、返すべき正解があるというのなら。
それはきっと、世界は俺に優しいからだ。
何度死にかけたって、俺の望まない形で生かし続けるくらいにはな。
「ふ、ふふ……っふ、は……!」
殺しきれなかった笑いを漏らしながら夜を一人飛ぶ俺を、人はなんと言うのだろうか。
目を見開き、指を差して。ああ、化け物が飛んでいる、なんて言われたら。
きっと、俺はもっともっと冷たくなるのだ。
ほんの僅か、琴線に引っ掛かった感覚に視線を巡らした。鬱蒼とした森の中に、針の穴のような小さな光が見え、首を傾げる。
どうしようか。どうしよう。一人問答を繰り返し、けれど心の赴くままに、翼をはためかせる。
ぱちりぱちり、と薪の爆ぜる音が聞こえる程近付くと、傍らで目を瞑る男の姿を捉えた。野宿であれば、動物避けとして火を絶やさないようにするのは冒険者の鉄則である。……もっとも、ここまで近付かれて気付かないようでは意味もないが。
というか、マジで何でこの距離で気付かない?実は眠ってるんじゃなくて死んでいるのだろうか。重力に従って俯く顔を、下から覗き込む。
唇から漏れる呼気からは、焼かれた獣のにおいがした。火の周りには掘り返された土と、そこから覗く尖った骨。成る程、今夜のディナーは新鮮な肉ってね。
睫毛が長い。女にきゃーきゃー言われそうなくっきりとした顔立ち。なのに、好みを分ける目付きの悪さは、柔らかく緩んだ表情筋で誤魔化されていた。
どうしよう。どうしようか。また一人問答を繰り返し……やはり心の赴くまま、首根っこを掴んで手近な木に突き飛ばした。
「……っ!」
「遅ぇ」
剣に伸びた手を捻り上げ、胴体を幹に叩き付ける。肺が圧迫されたことにより咳き込む身体は、多少煩わしいが……まあ、なんとかなるだろう。
しっかり唇を押し付けて狙いを定め、少しだけ引いて牙を向く。寝起きだからか、掠れ気味の声は、いつもより高かった。
「な、あっ……お、おまっ……ブラッディ」
「声出すな顔見せんな暴れんな。……それが出来ないなら」
酷い目に合わすぞ。血の匂いがする言葉を、耳元で囁く。声音だけなら優しく聞こえるように。生温い息に、目の前の赤毛男は身を震わせた。
拘束の為に回した腕の中で固まった身体は、熱い。餓鬼は眠いと熱くなると言うしな。熱い。熱い。でも、今はこれくらいの熱が丁度いい。欲を言うなら、もう少し柔らかい肉がいいけどな。
「なん……いきなり……」
「……当てられたんだよ」
「……あ……?」
「もう黙れ」
理性が切れるから。今度は心だけで呟いて、片手を赤毛の口元にやった。汚した覚えはあるが、相手がホワイトなので気にしないことにする。
……当てられた。あの、異様で、狂った場所に。冷たくて、冷たくて、どんなに心が冷えきったとしても、身体は正直なのだ。
今日喰われたのも、助けを求めたのも、灰と散ったのも。全部全部、半吸血鬼(俺)だったのに。
俺は、どうしようもなく化け物だ。
それで選んだ獲物がこれとか、一体どういうことなのだろう。確かに生気はあるし、腐りきったおっさん共に比べればマシとはいえど、同年代と比べたら遥かに不味い血の持ち主だというのに
……周りに人が居なかったのだから仕方ない、のだ。多分、きっと。そうだ、そうに違いない。言い聞かせるように呟くが、ふと赤いドレスの女が思い浮かび……崩れ落ちそうな身体を、首にしがみつくことで支える。今、どっかに蛙が居た。
込み上げてくるものは、不味い血と共に呑み込んでしまえ。
……ああ、俺も大概、悪食だ。
実は最後が、連載開始時点で一番書きたかった場面とか言えない……。




