104
「……邪魔をしている。用が住んだらすぐに出ていくから安心しろ」
セレネは瞬きをした。じっと俺を見る目からは、何を考えているのか全くわからない。ソシ・レのような冷たい視線ではなく、ただただ透明な目だ。
何か言おうとしたのか開いた口は、結局、言葉を紡がないままそのまま閉じられる。かと思えば、また傾げられる首。何なんだ一体。
「……何で、レトが馬鹿共に付き合わなくちゃいけないんだか」
馬鹿餓鬼、と呼び掛けられた言葉に視線を戻す。誰が見ても間違いなく餓鬼と判断される奴に餓鬼と言われたくない。少なくとも俺は、その言葉を口に出さない程度には大人である。態度には出すが。
頬杖を突く。フォークで俺を差す。全くもって無作法極まりない。……化け物に人間の作法を説く方が愚かかもしれない。
「お前はただ、義務的に、簡潔に、馬鹿は馬鹿らしくレトの訊いたことだけに答えろ。反論も拒否も必要ない」
それくらい、頭の足りない半吸血鬼にもできるだろう?
愛らしい顔を歪ませて、滴りそうな程の悪意を乗せて、子供の姿をした吸血鬼は、ぷくりとした桃色の唇を開いた。
「お前、夜会に行くつもり?」
「誰が」
来たくもない屋敷に来たそもそもの理由を出され、即答する。……うん?何でこいつが知っているんだ?反射的に返してしまったが、不自然ではある。
一応こいつ等は友人らしいので、セレネが話したのだろうか。しかし、"月僕"なんぞに興味がないのはこちらも同じ筈。話題に上るとは思えないが……。
眉を寄せる俺に、レト・ナイトは畳み掛けるように言う。
「夜会には出ないな?」
「当た」
り前と続く筈の言葉は、近付いてくる気配に呑み込んだ。屋敷の壁に切り取られた空を見上げる。
奇妙に欠けている月。それは、間に異物があるからだ。蝙蝠のような、しかし大きさは比べ物にならない翼が、月の光を遮る。
……つか、あれって。その影の正体に気付き、肩の力を抜く。
規格外吸血鬼が二人も居て、敵襲等あるとは思っていないが、そいつ等に何かされることはある。というか、存在が既に有害だ。そんな場所に、生け贄が自分から来るというのなら、ウェルカム。心の底から歓迎しよう。
勢いよく降りた影が、中庭の草木を揺らし、夜の静寂を破った。腕を組んで迎える俺の頬を、風に煽られた髪が叩く。
乱入者の姿を凝視するレト・ナイトに、気にした様子もないセレネ。いや、お前は少しは気にしろ。
枝は折れたし、地面も抉れている。これを直すのはメイドと蝙蝠なんだぞ。情緒のない主人にも誠実に仕える連中は、下僕の鑑である。……主人は全く気付いてないだろうがな。
話ができなくされる前に一言文句を言ってやろう、と乱入者に近付く。
「おい、ラジー。この庭どうしてくれ……えっ、何それプレイ中?」
「人を被虐趣味みたいに言うな!」
「じゃあ何だよその鎖」
男の身体には、大小様々な鎖が巻き付いている。平然としているところから銀ではないだろう。
よく見ると、腕や足には手枷の残りらしき鉄輪も嵌まっていた。ファッションというには、いくら何でも斬新すぎる。
何だよ、とは言ったが、大体想像はつくがな。というより、殆ど屋敷から出られないこいつに、こんなことができる奴なんて一人しかいない。
そして、その一人と言えば。がたっと椅子の倒れる音に、目を動かした。
大輪の花が咲いている。
そうとしか言えないくらいの、満面の笑み。今にも溶け出しそうな程に潤んだ瞳。白くふわふわとした頬を紅潮させ、うっすらと開いた唇も紅い。
この顔を見たら、少女趣味のない紳士でさえも魅了されるのではないだろうか。本性を知っている俺でさえ……まあ、何だ、可愛いと思ったことは認めよう、うん。
少女の顔をした吸血鬼が、ブーツに包まれた足を踏み出す。それを見たラジーの顔が引き攣るのを見た俺は、腕を組んだまま、呆れ混じりの溜め息を吐いた。
やばいと思うのなら、初めから大人しくしていればいいものを。中途半端に反抗をするからこうなる。
焦げ茶の髪に目。背は高く、横幅も身長に比例してそれなり。無精髭に頬の傷と、人相の悪い男は、何を隠そう元破落戸である。
……訂正、別に隠してはいない。割りと忘れられているだけだ。そりゃこれを見ればそうなるわな。
見た目だけなら美少女のレト・ナイトに本気で構える男を見ながら、記憶を辿る。
ラジーが吸血鬼にされたのは、確か三十五才の時だ。その為、この二人が並ぶと、まんま親子に……見えないか。
外見年齢だけならまだしも、これだけ顔の造作が違うのだ。良くて良家の子女とその護衛。普通に見たら営利目的の誘拐犯だしなあ。もしくは、母親がすげぇ美人という希望的観測を込めれば何とか……。
そんな二人に、一体どんな関係があるかと言えば。
「レトの」
薔薇色の唇から漏れた声には、これでもかという程に甘さが含まれている。気のせいだとわかってはいるが、レト・ナイトの周囲の空気が桃色に見えた。
今すぐこの場から離れたい。このままここに居たら、きっと砂とか吐くんじゃないだろうか。
吐き気のその原因の足取りが軽くなる。笑顔で走り寄る様は、恋する乙女だ。まるで、一枚の絵のように美しい光景。しかし、それを楽しむ感性を持った夜族等、ここには居ない。ミケ達ならあるいは……この状況を見る前に気絶しそうだな。
何はともあれ、回れ右をしようとした男の足を払う。見事に体勢を崩した男がこちらを振り向く前に背中を蹴れば、勢いで倒れまいと足が出た。
結果。ラジーは、自分から吸血鬼の元に向かう形になった。その先には、鳥のように腕を広げる吸血鬼。
「愛しい」
うわあ、ちょーうれしそー。
流石に、ここまでどろどろに崩れた顔を可愛いとは思えないわ。その痛々しさに視線を外す。
恐らくぶつかったと思われる軽い音が聞こえ――、
「ラズベリーちゃんー!!!」
「その呼び方を止めろおおおおおお!!!」
髭面の男――ラズベリー・スイートスイートピーの叫びが夜空に響いた。
とりあえず、煩ぇ。




