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薔薇園とは違い、中庭には割りと大人しめの草木が生えている。名前も知らぬ小さな花は、月明かりに照らされて仄白く浮かび上がっていた。
庭の中心にある白いテーブルには、サンドイッチや菓子の乗ったティースタンドがある。周りを囲むのは、ポットやらカップやらその他色々だ。
そこまではいいだろう。アフタヌーンティーには半日ばかり遅いが、真夜中のお茶会というのも、それなりに風情がある。
惜しむらくは……とテーブルに着く二つの人影に目を向ける。その情緒がわからない奴等の為に用意されたということか。唯一の欠点でありながら、最大の欠点である連中は、何考えてんだかわからない顔で座っていた。
一人は男だ。僅かに金を溶かした白金色の髪。邪魔にならないよう、緩く編まれて肩から流されたそれは、男にしては随分長い。
普通であれば気色悪く感じるものだが、男の端正な顔立ちと細身の身体には妙に合っている。服装なんか俺と似たようなものなのに、顔と手足の長さと雰囲気に皆騙されるのだ。くそ、妬ましい。
長い指が、流れるようにカップを置く。上げた視線は、遠くを見ているようで何も見ていない。
もう一人は、十にもならないだ子供に見えるだろう。顎の長さまでの黒髪は、くるくると巻かれて小さな顔の輪郭を飾っていた。花をモチーフにした髪飾りが、夜の闇より暗そうな黒に映える。
顔の割合から見ても大きな目玉は、男の髪よりも濃い金。長く量の多い睫毛を全部引っこ抜いたら、少しは小さく見えるだろうか。
普通にしていれば可愛いだろうに、無表情で菓子を崩し続ける様子は不気味であることこの上ない。
白金色の髪に黒目の男。黒髪に金目の少女。色合いだけなら正反対とも言える二人は、けれど、どちらも美しい。それ自体が輝いているような白い肌が、月光の下で存在感を放っている。
幻想的で、いっそ耽美とも空間を作り出しているのがこいつ等だということは認めよう。見た目だけはいいからな。見た目だけは。
俺が来ていること等わかっている筈なのに、視線の一つも向けてはこない。自分の目が据わっていくのがわかる。別に見られたい訳ではないが、ここまであからさまに無視をされるのはむかつく。
寧ろ、こいつ等放っておいて俺が帰ってやろうか。頭に浮かんだ考えを、首を振って消す。いくら何でも消極的過ぎだ。それでダメージを受けるのは奴等ではなく俺じゃないか。
はぁ……。吐き出したのは、溜め息と言うより、呻きに近い。戻りたい。今すぐオパリオスに戻って、パンでも捏ねたい。
朝飯が焼きたてパンとか幸せじゃないか。あー、でもあの家には酵母がないか。よし、明日はパンケーキだな。そっちなら卵を泡立てればいける。
しかし、現実逃避は長く続かなかった。
「いつまでもぼさっと突っ立っているな。なり損ないの半吸血鬼。お前は目上の存在に、挨拶も出来ないの?」
鈴の鳴るような声に視線を向けると、頬杖を突いた子供の姿。手に持ったフォークでこちらを招く顔に悪気はない。悪意があるだけだ。
嫌々ながらテーブルに向かう。近付く度に強まる威圧感に、心臓が悲鳴をあげそうになる。
そこらの吸血鬼相手なら、こんな状態になることはない。自慢ではないが、無駄に重ねた年齢も、積み上げてきた屍も、"夜殺し"も、どれも半吸血鬼の枠から外れている。
俺は吸血鬼より強い。それは、ただの事実だ。
なのに。
歯を食い縛る。本能が叫ぶ。逆らうな、敵わない、と。
知っている。こんな成りで、人間であればどうしようもなく出来損ないの中身を持つ連中ではあるが、こいつ等は何千年も生きている吸血鬼だ。
俺如きでは、黄昏に伸びる影すら踏むこともできない至高の存在。
わかっている。でも呑まれるな。こいつ等にとっては俺は雑草以下だ。普通にしていれば気にも留めない。手を汚し、抜く為の労力を掛けるだけの価値なんて、俺にはない。
気付かれない訳はないだろうが、長く、静かに息を吐く。相手との距離は然程もない。
さあ、唇を吊り上げろ、ショー・ピール・ブラッディローズ。お前は『月狂い』の半吸血鬼だろう。
笑え。嗤え。化け物共に付け入る隙を与えるな。
芝居がかった仕草で、一礼をする。
「ご挨拶が遅れたことは謝罪致しましょう。月無き夜に生まれし、夜の守り手たるレト・ナイト・イエローナルキッサス。ご機嫌麗しゅう?」
「蝙蝠の方が余程上手くやるぞ」
ひくり、と笑みを浮かべたままの頬が動いた。我慢しろ俺。ここで崩したら、よりむかつく言動が来るに決まっている。
レト・ナイトは、そんな俺を鼻で笑う。顔は相変わらずつまらなそうなまま、脚を組んだ。
細かなフリルが何段にも重ねられているキュロット。そこから伸びる足は、細く白い。背中側だけが奇妙に伸びた上着と合わせていると、変わった形のワンピースにでも見えるのだろう。
成る程、不思議な美少女と騙される気持ちはわかる。実際は、少女どころか女ですらないが。
レト・ナイト・イエローナルキッサス。性質が表すように、"純粋なる吸血鬼"の次に少ない"守夜の吸血鬼"だ。
見た目はまるっきり美少女であるが、正真正銘の男、それも最低でも三千才超えの超ジジイである。吸血鬼の見た目と年齢は比例しないので、こういうことは良くあるのだ。いや、なんちゃって女装は別に多くはないが。
ちなみに、以前"守夜"と"月僕"の力の差を赤子の首で例えた奴でもある。つか、こいつならガチで捻っていても納得できるんだが。
他人等どうでもいい。吸血鬼としては極々普通の性質である。
長生きするような奴イコール吸血鬼っぽい奴なので、この男も例に漏れずその傾向が強い。……だが、これまた吸血鬼の習性に則って、たった一つに対する執着心も強い。いっそ病的と言い直してもいい。
執着された側がどうなったかを知っている身としては、涙とわげふごふっ、が禁じ得ない。全く、吸血鬼という奴は本当に酷いことをするな!
俺とレト・ナイトが不穏な雰囲気を作り出している中、ぽけーっとどこかを見ている男に視線を向ける。テメェの客だろうが、ホストが放置してんじゃねぇぞ。
視線に気付いたのか、漸くこちらを見る男。光さえも吸い込まれそうな闇色の瞳と目が合う。くらり、頭から甘露をぶちまけられたかと錯覚する程の、こう、こ――。
「止めろ」
無意識が免罪符になると思うな。止められる以上、止めないのであれば、それはお前の責任だ。
他の奴に同じことをするのは構わない。だが、俺にするのであれば、決して容赦はしない。
すぐにでも融かされてしまいそうな意識を、唇を噛むことで繋ぎ止める。立ち上る血のにおいも、舌先に感じる味も、今の頭では耐え難い誘惑になる。――ああ、なんて、気持ち悪い。
ぱちりぱちり。男は、長い睫毛を何度か合わせた。その時には、男の持つ力の片鱗は抑え込まれており、心なしか空気が軽くなった気さえする。
今日何度目になるのかわからない溜め息を吐き出す。いつもより熱を帯びたその息に、眉を寄せていると、男の指が伸びてきた。
「触るな」
本気で払えば、行き場を失った手は主の許に戻る。傷付けた唇に意識を集中して、さっさと傷を塞いだ。
ああ、と上がる声。また男に意識を向けると、俺を見ながら小首を傾げていた。いい歳をして何やってんだこいつは。でも違和感がない辺り恐ろしい。
今度は何だ、と身構えながら男の様子を伺う。薄く、けれど形の良い唇の隙間から、牙が見えた。
「お帰り、晶」
ああ、どこかにある柔らかい部分がまた抉られた。
どうすることもできない傷に、俺は、今日、一番深い溜め息を吐いた。
自らが殺した子供の名前を、何の衒いもなく紡ぐセレネは、やはり化け物だ。




