幼馴染の関係性
登場人物は北海道住みと言う設定ですが、生憎道民ではないため不可解な言葉を喋っているかもしれません。御理解頂けると幸いです。
幼馴染なんて酷く面倒臭いものだ。幼い頃は当たり前のように一緒にいたのに、歳を追う毎にくだらない感情が増えていく。それは真理子も啓士も同じで、学校へ行くと出来るクラスメイトも同じだった。幼稚園の頃から家が近いということで一緒だった啓士と真理子に特別な感情なんて無かったのだ。それなのに、一緒に学校へ行けば「あの二人ラブラブだ!」と囃し立てられて二人の間に気まずさが横たわる。中学の時、偶然部活動帰りの啓士とばったり会い、昔話に花を咲かせながら一緒に帰宅したことがあった。普段は下校時刻と同時にそそくさと帰宅していたのだけれど、その日は所属する吹奏楽部内のミーティングが長引いたのだった。あの日の夕焼けはこの極寒の地北海道の初冬とは思えないほどに暖かいもので、真理子は啓士と一緒に話せるだけで幸せだった。
しかし、次の日学校へ行くとメールや黒板の落書きのからかいの嵐だった。その揶揄の標的は「啓士が真理子と一緒に帰宅した」という昨日の出来事だ。周囲の好奇の視線に呆然としていた真理子が立ち尽くす教室に、当時は違うクラスだった啓士が怒りで顔を赤くしながら飛び込んで来た。その横顔が耳まで真っ赤だったのを、真理子は今でも良く覚えている。乱暴に扉を引き開けた啓士はクラス中の視線を集めていることも構わず、黒板の落書きを乱暴に消すと大声で言い放った。
「俺がこんなブスと付き合うかよ!!」
それだけ言い残し自分のクラスへと戻る啓士はちらりともこちらを見ようとはせず、後には騒然とした室内と朝日に舞い立つ白墨の粉が異様に眩しかったのを、良く覚えている。
そう、幼い頃は別に啓士のことなんて好きじゃなかった。毎日一緒にどろんこになって泥遊びをして、日が暮れるまでボールを追いかけて、近所の雑木林で木登りしたり、家と家の隙間に潜り込んでフェンスを飛び越えたりして、性別なんて関係なく遊んでいた。たまに遊びに行くと、笑う顔とツボが良く似た綺麗なお母さんがいて今でも少し話したりするお兄さんがいたりした。お兄さんの友達と一緒になって当時はまだ珍しかったプレイステーションで遊んだりもした。
そう、そんな変わることの無かった二人の友情に性別の概念を与え、歪ませ変えてしまったのは周囲の目だ。
もしも真理子が転校生だったり、そうでなくても中学、高校になってから啓士と出会ったただの女の子だったら。きっと、啓士がサッカー部で一生懸命にボールを追いかける姿に惹かれて行ったんだろう。クラスの中では落ち着いた部類にいて、時々眼鏡をかけて読書をしている姿なんかも見かける。サッカーに打ち込む躍動的な姿と、読書も嗜む温恭な横顔、時折見せるお茶目なノリの照れ笑い。そんな啓士の全てに魅せられて、自然と女友達なんかからも応援されて、それに背を押されて告白して、もしかしたら付き合っていたかも、しれない。
「あ、でもブスだからだめか………」
幼い頃から一緒にいるというだけでクラスメイトから啓士の幼い頃の話をしてとせがまれたり、家が近いんだからラブレターを渡してと頼まれたり、その癖少しでも啓士が気になる仕草を見せれば昔のことを蒸し返して笑い話にされる。幼い頃から一緒にいるのはデメリットしかない。
思い描くだけのマイナス思考を溜息と共に吐き出すと、目の前でお弁当をつついていた親友が顔を上げた。どうやら先ほどの呟きは言葉になっていたらしい。
「真理子、言うほどブスじゃないしょ。事実告白されてるんだし。ちゃんと返事したー?」
「誰になんと言われようとブスはブスだから仕方ない…。返事はキッパリNO! それと、その話はもうしないで」
「えー、したっけ、同じ吹奏楽部の武島君でしょ? いいじゃん、確かにイケメン!って感じじゃあないけど優しいし…何かと人気ある感じよね」
溜息混じりにミートボールを突きながら、真理子は親友へと視線を向ける。誰に好かれたところで、一番好かれたい人に嫌われているんじゃ仕方ない。
そう、余計な感情のせいで。啓士が男で、真理子が女だったから。
平凡に毎日疲れ果てるまで一緒に馬鹿笑いして駆けっこして「また明日」と別れたあの日が無くなった。変わりに手に入れたのは望みもしなかった恋心と、昔馴染みを失ったという虚無感のみ。
「好きな人なんていないもん」
「もったいなー! 高校生活最後のクリスマス一人ぼっちかい!」
「良いのー、流行の女子会で騒ぐさ!!」
「切なっ!」
漫才みたいなノリで返せば、話題はクリスマスへと移り変わる。
幼い頃は、母親がちょっとしたケーキを作ってくれて、啓士や友達を呼んでうちでクリスマスパーティーをしたこともあった。思えば新年だって一緒にいたし、バレンタインも何の行事か良く分かってないけどとりあえずお菓子をあげる行事なんだと思って手作りをあげていた。
いつの間にか、クリスマスは女友達と過ごして年越しは家族として、バレンタインはちょっと憧れてた運動部の先輩にあげたり友チョコを贈ったりするようになった。いつの間にか、呼吸をするのと同じように、当たり前のように傍にいた啓士の存在がすっぽりと抜けて、別の、変わりの誰かが我が物顔をして入り込んでいる。
最初から。最初から、啓士と一緒にいた時間が嘘だったかのように。
「ね、年越しは一緒にしてくれるんでしょ?」
「もちろんー。宮野君、新年は野球部で初詣した後顧問の自宅で餅つきらしいからさ。久々にフリーなあたしを堪能したまえ、真理子君!」
「了解ー!」
恋心を抱いたのがいつだったのかは分からない。
ただ、ちょっとキザな言い方をすれば潜在的に恋をしていたのかもしれない。まだ新興住宅地だった土地に、ほぼ同時期で越して来たのが啓士の家族と真理子の家族だ。暫くは毎日変わっていく周辺の民家を見ながら大きなトラックの轟音にすら顔を合わせて笑って遊んでいた啓士と真理子の二人に、少しずつ同い年の子供が増えて行った。
だから、何も身近な異性が啓士だけだった訳ではない。もっと言えば、啓士のお兄さんは真理子と啓士よりも五つも年上で、小学校の時から地元のサッカークラブに所属していて、その姿はとってもカッコ良かった。ゲームだって上手くて、手先が器用で何故かお裁縫も得意だった。皆で遊んでいて、転んで立てなくなりその場で泣きじゃくるだけだった真理子を、ただ見守ることしか出来なかった啓士に比べてその大きな背中に背負って家まで送り届けてくれたことだってあった。
こうして考えれば、年上の啓士の兄だったり、他のクラスメイトだったり。何も恋をする相手は啓士だけではなかったはずなのだ。それなのに、今、心の中で震える恋心はいつでも啓士の面影を思い描き涙に濡れている。
「………」
親友と駅で別れると、そこから自宅まではバスか徒歩しかない。生憎バスは二十分待ちと言う、歩いた方が早く着くという現状を突きつけて来るので溜息混じりに肩にかけた鞄をかけ直した。
小学校、中学、高校。ここまで啓士とはずっと一緒の進路を辿って来た。勿論、高校は偶然一緒になっただけだが、何と無く噂で聞いていた進路先が同じ高校だった時嬉しさのあまり少しにやけてしまったこともあった。今思えば懐かしいもので、流石に大学までは一緒にならないだろうと諦めている。
諦めている、と言えばこの恋心にももう諦めが付いている。それをいつから心の中で育てていたのかは定かではないけれど、叶わない恋であることだけは自覚すると同時に思い知った。そう、中学の時の啓士の言葉。それだけで充分だった。
思えば、それまでは何となくギクシャクしていたものの玄関を出たところで鉢合わせれば会話くらいはしたし、メールアドレスも当然のように知っていたからテスト前には範囲を聞くメールが来たりしていたのだ。それがぱったり無くなり、クラスメイトの目が無い状況下で鉢合わせても気まずそうに視線を逸らし足早に擦違ってしまうのは、一重にあの言葉に落ち着くのだろう。
幼い頃は幼馴染の容姿なんて気にしなかった。そう、真理子がそうであったように啓士も性別を超えた友情を真理子に感じてくれていたのだ。それが、少しずつ周りの目により芽生え、そして気付いたのだろう。自身の幼馴染は一緒にいるとからかいのネタにされるような不細工であることに。そして、そんな幼馴染と一緒にいるところを見られるのも、関わるのも、顔を見るのも嫌だと思うようになったのだ。
「可愛くなりたいなあ…」
立ち並ぶ店のショウウィンドウに僅かに橙色に染まりながら映る自分の顔を見つめて本日何度目かの溜息を吐いた。もしかしたら、あの日のあの言葉が告げられるよりも前から、啓士は真理子のことをそう思っていたのかもしれない。それでも、昔からの付合いがあって中々言い出せなくて困っていたのだろうか。考えれば考えるほど申し訳なくて、いつまでも幼馴染の鞘にしがみ付く自分が恥ずかしく思えた。
そんな真理子とは反対に、啓士はとてもカッコ良かった。思い出せば近所でもおばちゃんからの人気も高かったし、後輩の女の子からも慕われていた。中学を卒業する頃にはぐんと身長も伸びたし、お兄さんとは別の高校へと進んだため校内でも指折りに入るサッカーの上手さを誇った。そんな啓士がモテないはずが無く、何度か彼女がいるという話も聞いたことがある。
こつん、と足元の小石を蹴り飛ばして、駅と自宅の丁度中間にある川に架かる橋へと差し掛かった。
それでも、不細工にも不細工なりにモテ期があるらしい。初めての彼氏が出来た時はドキドキしたりもしたが、それが一時の高揚感であることや学生の言う「愛してる」に何も重みも無いことを悟ってしまうとそう易々と恋愛をする気にはなれなかった。それに、今まで付き合った人には悪いけれど、いつだって心の奥底には啓士がいた。
「………真理子?」
「わ、啓士……くん」
「うっわ、他人行儀ー」
「あは、は…。なんか久しぶりで、上手く喋れないんだわ…」
「なにそれ」
こつんと蹴った小石の音か、偶然か。
前を歩いていた知らない人は知らない人ではなく、今の今まで想っていた啓士だったのだ。驚きのあまり言葉を失うのも仕方が無いと思って欲しい。慌てて笑みを引っ付けて、数歩前で立ち止まる啓士の横に並んだ。それだけ。それだけなのに左胸の鼓動が馬鹿みたいに跳ね上がり、橙に染まる河原の反射でも誤魔化せないほどに頬に熱が集まり赤くなっているのが分かる。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。今までこうして隣に並んで歩くことなんて当たり前だったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。こんな気紛れの幸せなんて惨めになるだけだ。切なくなるだけだ。神様は、どうしてこんなにも真理子に意地悪なのだろう。
「なぁ、真理子」
「うん?」
「………告白されたんしょ?」
「ああ…、まあ、ね。私なんかに告白って、物好きだよね」
そういう啓士は、今、誰かと付き合ってるの?
そう尋ねたい言葉を押し退けて自虐がしゃしゃり出る。こんなことを言いたい訳じゃない。それでも、言葉が見つからないのだ。今、どうして啓士は声をかけて来たのだろうか。誰かに見られても良いのだろうか。彼女がいるのなら、その彼女に申し訳ない。色んな憶測が飛び交い、そのどれもが正解を導き出せず沈んで行く。
「そんなこと無いと思うけどな」
「………え?」
「俺、真理子のこと好きだぜ」
「ええ?!」
「何驚いてるべや。幼馴染嫌いになる訳ないだろ?」
「あ、ああそうだね、うん、それなら私も啓士のこと好きだしね。うん、そうだよね、うんうん」
きょとんとする啓士に、思わず手を泳がせてなんでもない、と場を取り繕った。ふうん、と小さく唸った啓士が前を向いて歩き出したのを見守ってほっと息を吐く。こんな風に並んで帰宅するのは、きっと中学の部活動帰り以来だ。その翌日に傷付くことになった訳だが、それ以来下校時刻を少し遅らせていたのは秘密だ。もしまたばったりと下校を共にすることが出来たら、誤解を与えるようなことしてごめんなさい、と謝るつもりでいたのだ。結局、その機会が訪れる前にその小さな決意すら忘れていたのだけれど。
「あのさ」
「あ?」
「………中学の時、一緒に下校して、学年中にからかわれたこと、あったっしょ?」
「ああ、そんなこともあった気がする」
「あの時、ごめんね。私馬鹿だからさ。啓士が私のことどう思ってたのかも知らないでいたんだ」
「………」
「だからさ」
「ちょっと待てよ、何それ、俺の気持ちって…」
少し、啓士の声が怒っていたような気がした。けれど、その横顔を見ようと視線を右に向けて、それが制服の胸ポケットだったことに驚く。昔は真理子の方が背が高くて、どうしても自慢したいことがあると階段を二段上って身長を嵩増ししていた啓士が、今ではもう、こうして顔を上げないと見つめられない。
その衝撃に捉われていたから、反応が遅れた。こういう鈍いところも嫌われる理由なんだろうとぼんやりと思った。
「やっぱ啓士だわ! 久しぶり!」
「大屋。………おう」
「何、彼女? 昔っから啓士はモテたもんなー」
「そんなことねーよ」
後ろから声をかけてきたその人が誰か、直ぐには分からなかった。けれど啓士が口にしたその名前で、背が高く髪を金色に染めた男が小、中学校と通して啓士が仲の良かった大屋と言う男だと言うことに気付く。大屋は真理子達とは違う高校へ進んだので、こうして顔を合わせるのは随分久しぶりだ。だが、今、そんな悠長なことを考えている場合ではない。大屋は高校が別れたおかげで、真理子が啓士の幼馴染の道玄坂真理子であることに気付いていないのだ。つまり真理子は今ここで大屋に気付かれて、昔のことを掘り返され啓士に迷惑をかけるという最悪な事態を避けなければいけないのである。
ゆっくりと沈み行く太陽が眩しくて、その水面を見るようにして俯き、早くこの時間が過ぎれば良いのにと願った。啓士の歯切れの悪い返答も、きっと不細工な幼馴染と一緒にいるところを勘付かれたくなかったからだ。また、同じ事を繰り返している。あの時散々後悔したのに、また啓士を辱めるような場面に追い込んでしまっている。
傍にいるだけで迷惑がかかる。大好きな人だから、何を言われてもどう思われてても構わないけど、これ以上迷惑はかけたくない。
「先、行くね」
「あ、おい、…っ真理子!!」
「真理子…?」
逃げるように駆け出した。
啓士の声は背中を追いかけて来たけれど、気配が追いかけて来ることは無かった。涙が溢れ出す滲んだ視界で必死に走って、家へと急ぐ。馬鹿、馬鹿だ。啓士は馬鹿だ。自分なんて放って置けば良かったのに。さっきだって名前なんて呼ぶから、きっと大屋には気付かれてしまった。一緒にいたのが、幼馴染の道玄坂真理子であることを。
自宅の屋根が見えてきて、息切れと共にその場で足を止めた。性急な呼吸を繰り返しながら嗚咽を零すなんて恥ずかしいにも程があるのだけど、そうせざるを得なかった。涙の止め方を忘れてしまったかのように頬を流れる涙は止まらず足元に幾つも黒い斑点を作る。しゃくり上げながら、久々に走った疲労でフラフラしながら門に手を掛けたところで、後ろに気配が重なる。涙で滲んだ視界が、逆光で良く見えないくせに誰がそこにいるのかを正確に見極める。軽く肩で息をするだけの啓士がそこにいて、馬鹿みたいに涙が溢れる。
「何で先に行くの」
「…だって、私といたら困るでしょ」
「そんなことねぇよ! 大体、さっきから何なんだよ。勝手に自己完結して、そういうの俺嫌いなんだよ!」
「嫌いならほっといてよ、迷惑なんでしょ」
「放っておけるかよ、今日、俺がどんだけ勇気出して声かけたかもしらないで!!」
しんと静まり返る住宅街に、真理子のしゃくり上げる声が小さく響いた。
驚きで涙は止まってしまった。それでも嗚咽だけは後を引くのか止まらなくて、流した涙で引きつる頬のままばつが悪そうな啓士の顔を見上げた。少し恥ずかしそうな、でも怒っているような。そんな複雑な表情の啓士に、真理子は言葉を続ける。
「………どういうこと?」
「俺は…昔っから、お前のこと迷惑なんて思ったこと一度も無い」
「嘘。中学の時、学校中の噂になって、困ってたじゃない! 私みたいなブスが幼馴染で嫌なんでしょ? だからそれ以来メールもしてくれないし、話もしてくれないし、たまに会っても、直ぐに、視線、逸らすじゃない…!!」
何年も我慢できた。だから、これからもずっと我慢できると思ってた。それなのに、こんなに呆気なく言葉にしてしまうとは思わなかった。引いていた涙がまた溢れ出し、目を見開いたまま口を開かない啓士に言ってしまったという後悔が募る。もう二度と、話すことも出来ないかもしれない。そう思うと悲しくて、どうして我慢できなかったのかと後悔ばかりが募る。
「…真理子、そんなこと気にしてたのか?」
「そんなことじゃない…。そんなことじゃないんだよ、ばか…!」
「………俺、そんなに真理子のこと、避けてた?」
「………」
言葉から感情が伝わってこない。顔を上げることができなくて、小さく鼻を啜りながら頷いた。途端に大きな溜息が聞こえ、今まで少し汚れた啓士のスニーカーしか映らなかった視界に、茶色の髪をした啓士の頭が映る。その場にしゃがみ込んだ啓士は乱暴に髪をかしがしとかくと少し泣き出しそうな目で、真理子を見上げた。
どき、と左胸が震える。
「俺さあ、小学校ん時からずっと、同じクラスの時は真理子のこと見てたべや」
「………」
「それに、サッカーだって真理子がいつも図書室の窓から見ててくれるの知ってたから頑張れたんだわ」
「………」
「したっけ、真理子が図書委員の奴と付き合うから、本読んだりしてたさ」
「……え、」
「いつだって、真理子ばっかり見てた」
啓士は言葉にするごとに頬が赤くなり、耳までもが赤くなる頃には膝に額を当て、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。告げられた言葉は、そんな啓士の様子を見れば誰がみても本当のことで、真理子は足元の啓士を見下ろして何度も瞬きを繰り返した。初めて彼氏が出来たのは高校に入って直ぐのことで、あの事件が起きてから暫く経ってのことだ。
つまり、それは。
「それは、その」
「真理子は知らないだろうし、そうして来たのは俺だけどさ。そこまで勘違いされてると流石に俺でも凹むべさ」
「だって、中学でからかわれた時、ブスとは付き合わないって言ったじゃん!」
「はぁ?! おまっ、マジ、はあァ?! そんなの嘘に決まってんだろ! 真理子がブスなら世の中どうなんだよ!!」
「それ以来余所余所しいし、っ私、ずっと嫌われてるんだと思ってた、のに、だからっ、彼氏作ったりして忘れようとしてたの、に、可愛くなろうとして、啓士が付き合ってた人の真似して髪伸ばしたり、同じ化粧品使ってみたりしたっけ、駄目だったから、ずっと冷たかったから、わたし、」
ついさっき、口をついて出た言葉を後悔したばかりなのにまた同じことを繰り返している。こんな頭の悪い奴だから嫌われるのだ。こうやって必死に取り繕う啓士の言葉の意味も分からなくて、ただただ頬を涙が伝った。嫌われてはいないらしい。その事実だけで長年凍りついていた心の深いところが溶けて行って、溶けた水が目から溢れ出すのが止まらない。
「なあ、真理子。今から言うこと、真剣に聞いて」
「………うん」
「俺、お前が好きだよ。いつからとかわかんねーけど、気が付いたら好きになってた。兄貴に優しくされるたびに嬉しそうにする真理子が嫌で、俺といるときにだけ笑って欲しいって思った時に気付いたんだ。もう、十年越しの片想い」
「………、啓士」
「……それってさ、俺のこと、好きだって受け取って良いわけ?」
ゆっくりと立ち上がって、やっぱり見下ろしてくる啓士の瞳。いつの間にかそれが当たり前になっている。
「………私のこと、嫌いじゃないの?」
「嫌いじゃない」
「ブスでもいいの?」
「あ、あれはその、アレだろ! 言葉のあやだ! つーか俺本当にそんなこと言ったか?!」
「言ったもん!」
「んな昔のこと覚えてねぇよ…。………でも、傷付けて、ごめん。けど俺、あの時すっげえ恥ずかしかったことは、良く覚えてる」
「え?」
「今まで一緒にいるのが当たり前だったのに、一緒にいるだけでからかわれて。なんか、俺が真理子を好きだって言うのが可笑しいことなのかと思って、すげぇ混乱して、でも、恥ずかしくて訳わかんなかったんだ」
下ろされたままだった啓士の拳がぎゅっと握り込まれる。指先が白くなり小さく震えるその手に触れる勇気は無い。でも、そっと見つめてくる瞳を見つめ返す勇気は持てた。
「ねえ、啓士」
「………うん」
「また、一緒にいるのが当たり前だった頃に戻れる?」
「多分もう戻れない。一緒にいてくれなきゃ、ヤだ。お前が、その、好きだから」
「うん、私も、小さい頃からずっと好きだったよ」
はにかむ啓士の笑顔に、涙が溢れる。どうしてこんなに遠回りしなきゃいけなかったのか分からない。だけど、一つだけハッキリと言えることがある。
「幼馴染って面倒臭いね」
「全くだ…。あー、俺らしくねー!!」
「啓士はいつだってそんなんだよ」
「は? ちげーし。もっと俺クールだし。…あー、俺きっと母さんにからかわれるわ…」
「何それどういうこと?」
「うるっせー! 真理子が鈍感だから悪いんだバカ!」
「はぁ?! あんたが奥手で余計なことしか言わないのがいけないんでしょ?!」
響き渡る痴話喧嘩は閑静な住宅地に響き渡る。
自宅の真前で恥ずかしい口喧嘩をしている自覚はある。けれど、泣いたり笑ったりと忙しく感情が目まぐるしく変化したせいで麻痺しているのかあまり焦燥感が沸かない。このまま帰宅すれば真理子も啓士も家族に揶揄られるのは避けられないだろう。それをお互いどこかで分かっている。
それでも新しいこの関係の予感は少しくすぐったくて暖かくて、引いていたはずの涙が溢れそうになる。もう二度とあの懐かしくて幸せな幼馴染と言う関係には戻れないけれど、今はただの幼馴染だった昔とは違う。何気ない会話の中に見つめ合う瞬間があって、それを互いに嬉しいと思えて、照れ隠しのために小突き合う。
きっと幼馴染と言う関係は、人よりも少しだけ深く分かり合える関係の名前なのだ。
(2012.01.02)