デスルーラー番外編【ノエルの謎】
「ねぇ、ノエルさんの髪ってさ、すっごく綺麗だよね!」
エスタリアへ向かう船の中で、アネモネがはしゃいだようにそう言った。
大きな目を輝かせ、「金髪っていいなぁ」と呟いている。
そう言えば、アネモネは黒髪だし、リュクサもまた黒髪だ。
色素が薄くて煌びやかな金髪というものに憧れても、おかしくはないだろう。
ちなみに、ノエルの普段の髪型は独特だ。
長い髪を三つ編みにし、左側に垂らしている。
男性らしくないなというのが、リュクサの率直な感想だった。
「ね、リュクサ?私、今すっごく見たいものがあるの!」
どうせロクなものじゃないだろうなと思いつつ、話の続きを促してみると、彼女はこう言った。
「ノエルさんの、三つ編みじゃない姿が見てみたい!」
雑誌を持つ手から力が抜け、バサッという音を立てて床に落ちた。
「リュクサは見たくない?」
「俺は見たくない」
「なんで?」
「興味がない」
わかってはいたが、「興味がない」というのは理由としてカウントされなかった。
もっとも、アネモネの計画によると、男手が絶対に必要だから、必ず協力しろということだ。
だったら、なぜさっき「リュクサは見たくない?」と聞いてきたんだと言いたいが、言葉をゴクリと飲み込んだ。
アネモネに逆らってもいいことはない。
リュクサは経験上、そのことを知っていたのである。
リュクサがアネモネから言い渡されたのは、ノエルの船室に上手く入り込む、というミッションだった。
それはノエルと友人であれば容易いが、顔を合わせても挨拶すらまともにしない仲だと少々厳しい。
もしもリュクサが友好的な性格であれば、それも可能だったかもしれないが、現実にはその逆なのだから、目も当てられない。
そんなある日のこと、なんとノエルの方からリュクサに話しかけてきた。
「今日は海が荒れていますね」
デッキから波を見つめていたら、ノエルがこんなことを呟くように言ったのだ。
これは会話を交わすチャンスなのではと鼓動が高鳴るが、邪魔をしに来たのは、なんとアネモネだった。
この計画の発案者のくせに、計画を邪魔してどうするつもりだ。
「うぇぇ…助けて、リュクサ…船酔いが酷くて」
よろよろとこちらへ向かって来るアネモネ。
だが、俺が手を貸さずに見つめていると、ノエルがすかさず彼女の方へ歩み寄る。
「医師のヴァレンティスです。薬を持っていますが、飲めそうですか?」
「え?あ、はい…あれ、ノエル…さん?」
「なぜ私の名を?」
「ええと…ちょっと有名ですから。ちょっとだけ」
すると、アネモネの話を聞いているのかいないのか、ノエルは彼女を軽々と抱き上げる。
「私の船室へ行きましょう。そこの付き添いの方もご一緒にどうぞ」
「付き添い」というのは、リュクサのことを言っているのだろうか。
問いたいが、ノエルはこちらに背中を向けて、スタスタと歩いて行ってしまっている。
彼の腕の中のアネモネは、とてもぐったりしていた。
いつもよりも、酷い船酔いだったらしく、それならそれで、もっと優しくするべきだったかと後悔した。
ノエルの部屋は一等船室にあり、室内はピカピカに磨き上げられていた。
話によると、かなりの潔癖症のようで、毎日室内を磨かずにはいられないのだそうだ。
「さぁ、アネモネさん、薬です」
ノエルはピルケースから緑色の粒を二粒だけ、アネモネの手に乗せた。
「飲めますか?」
「はい…お水、ありますか?」
アネモネがベッドの上に起き上がると、すかさずノエルが水を入れたコップを差し出す。
「あ、ありがとうございます」
薬を飲み下したアネモネは、しばしベッドに横になっていたが、やがてスヤスヤと眠ってしまった。
「典型的な船酔いです。心配いりません」
ノエルはようやくリュクサを見つめ、話しかけてきた。
「ありがとうございます。アネモネは部屋に連れて行きます…」
「いえ、ここに寝かせておいて結構ですよ。起きて治っていなかったら困りますしね」
そして、ノエルはスーツケースを開き、何やら荷物を漁り始めた。
何をしているのかと聞けば、彼はこれから長いバスタイムを楽しむのだそうだ。
「え、風呂に一時間半も入るんですか?」
男にしては長風呂、いや、人間にしてはかなりの長風呂だと言えるだろう。
「いけませんか?」
「いえ…じゃあ、彼女は連れて帰ります」
「起きた時、船酔いが残っていたら厄介だと言ったでしょう?そこに寝かせておいてください」
この人は、起きた時にアネモネが悪さをするかもしれないとは、考えないのだろうか。
「考えます。ただ、それは盗むべきものがあれば、の話です」
「ないんですか?」
「ありませんね。私の宝は金銭ではありませんし」
そう言って、バスルームに消えて行くノエル。
リュクサはアネモネだけを残して行ってしまうわけにも行かず、仕方なくベッドの下に座り込む。
ノエルの入浴時間は、まさかとは思っていたが、本当に一時間半きっかりだった。
リュクサもアネモネにつられてウトウトしていたのだが、バタン──、という音がしたので慌てて体を起こす。
「ッ!?」
そこにいたのは、とんでもなく美しい男性だった。
三つ編みを解いた、腰に届く金髪は真っすぐかつ艶やかで、メガネを取ったことで、彼の素顔がよく見える。
薄茶色の瞳に、高い鼻梁と薄い唇のバランスが絶妙で、映画のワンシーンから現実世界に足を踏み出してきたかのようなルックスだ。
「あなたは、特別ですからね」
「は…何が特別なんです?」
「口が堅そうです。この姿を見ても、あなたなら騒がないと信じていました」
そう言うと、ノエルは鏡の前で金髪をまとめて左側に三つ編みにし、メガネをかけてこちらを見つめてきた。
「あの姿をうっかり見せてしまうと、周囲が騒がしくなるのです」
「はあ」
まあ、そうかもしれないなと、リュクサは素直にうなずいた。
「ですが、それは不本意極まりない」
「なぜ…でしょうか?」
「私は顔だけの医師ではないからです」
ノエルという男性は、素顔で歩いているととにかく人目を惹くのだそうだ。
まあ、あれだけの美形であれば、当然だろう。
だから普段は髪を編み、メガネをかけて顔面の露出を控えているのだそうだ。
「別に視力が悪いわけではありません」
「モテるって、大変なことなんですね?」
「ええ…そうですね。特に…」
その後、どう続くのかと思ったら、彼はこんなことを言ってきた。
「男性ばかりにモテるので、心底参ります」
翌日──。
結局、あれからアネモネはノエルの部屋で一泊してしまった。
もちろん、リュクサもだ。
固い床の上で寝ていたので、体中が軋むように痛い。
「あーあ、ノエルさんの髪解いたバージョン、どうやって見ようかな」
そんなアネモネに、リュクサはポツリと一言言う。
「ノエルさんはやめておけ」
「ええ、なんでぇ?」
「あの人、男専門だぞ」
この言葉を最後に、アネモネは二度とノエルについて語らなくなった。
数年後──。
よくよく聞けば、ノエルはアネモネの態度の変化に気づいていたという。
だが、当時の彼は女にモテるのもまた面倒だと思い、敢えて無言を貫いていた。
「ノエル、今度はインテリ専属医と使用人の間で呼ばれているな?」
ノエルはリュクサの専属医となり、今となっては気の置けない友人である。
「迷惑千万ですね。私のことは放っておいてくださって構いません」
「わかった、執事にそう伝える」
「ああ、それと?」
ノエルはメガネの真ん中を指で押し上げた。
「何だ?」
「夜更かしは体に毒ですので、決してしないように、いいですね?」
「耳にタコができているんだが?」
「あなたに放置されては困ります。何かあったら、必ず私に言うこと」
リュクサは苦笑しつつ頷いた。
自分だけが特別なのかもしれないと思うと、少しくすぐったかった。
(了)




