第2話 老人と太陽
私は歩いているうちに、いつも同じ縁側の前へ来て、いつも同じ光景に足がゆるむ。
縁側に、老人が坐っていた。
老人は太陽と話していた。話すといっても、こちらが耳を澄ませてようやく拾えるほどの、世間話である。畑のこと、風のこと、昨日の味噌汁の塩の加減。誰に向けるでもない言葉が、陽だまりの中でほどけて、また老人の口へ戻ってゆく。
太陽は返事をしない。返事をしないのに、老人はうなずく。うなずきながら、しわの深い頬をゆるめる。まるで、長い付き合いの相手がそこに坐って、黙って聞いてくれているかのようであった。私は道の端で立ち止まり、家の影の外から、その様子を見ていた。見ているうちに、太陽が老人の相手をしているのか、老人が太陽を慰めているのか、わからなくなる。
老人の言葉は、ときどき道を外れる。話の筋がほどけ、同じところを何度も回る。現実なのか妄想なのかわからなくなる。それでも太陽は、同じ明るさでそこにある。老人はその明るさに向かって、今日という日を確かめるように、何度も同じ言葉を置いた。置いては、笑った。笑いは乾いていて、しかし温かかった。
私は思った。人は、話し相手を失うと、空に向かって話し始めるのではない。空に向かって話せるほど、まだ心が残っているのだ、と。太陽は遠いのに、老人の声は近い。近い声が、遠いものへ届くと信じている、その信じ方が、幼い子の指先に似ていた。
晴れた日がつづいた。道の砂が白く乾き、影がくっきりと地面に落ちる。私はいつものように、その家の前へ来た。足がゆるみ、目が縁側へ向く。
老人がいなかった。
縁側には、坐るべき形だけが残っていた。座布団のくぼみもない。湯のみもない。老人の声がいつも引っかかっていた柱のあたりが、今日はひどく静かで、静かすぎて、耳が痛いほどであった。
太陽は、いつもより高く、いつもより澄んでいた。澄んでいるのに、どこかよそよそしい。私は道の端から一歩も入れず、ただ陽だまりを見た。昨日までそこにあった世間話の跡が、光の中に溶けて、もう掬えなかった。
老人は、太陽のところへ行ったのだろうか。
そう思うと、胸の奥が少し軽くなり、同時に、ひどく寂しくなった。行ったのだろう、という言い方は、通りがかりの勝手な慰めである。けれど慰めは、勝手でなければ成り立たない。太陽は今日も黙って照っている。黙って照るものの前では、人の生も死も、ただ明るさの中へ入ってゆく。
私は歩き出した。歩き出しても、背中に光がついて来る気がした。振り向けば、縁側は空のまま、太陽だけがそこに坐っている。
その太陽に、私は何か言わなければならないような気がした。世間話のような、どうでもいい言葉である。けれど口を開けば、私の声まで、あの家の静けさを壊してしまいそうだった。
私は結局、何も言わずに通り過ぎた。
それでも、あの縁側の空席は、しばらく私の胸の中で温かく、そして眩しく光っていた。




