高校一年生冬 失恋
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第七話です。第一章がこれにて完結です。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
「君と仲良くなりたかったら、おいしい食べ物を持っていけばいいんだ」
「え?」
ふふん。光は大発見のように鼻を鳴らす。その割には言ったことがくだらなくて、梅乃はまた笑った。
「なんだか、私がすごく簡単な人みたい」
「いやいや、いいことだよ。君と仲良くなりたい人にとって」
「そんな人、そうそういないよ」
「いるよ。ただ、その人がまだ食べ物を持ってこないから、君はまだその存在を知らないんだ」
「……まあ、なんでもいいや」
ちょうど、午後一時を告げるチャイムが鳴った。もうすぐ看護師が、食べ終わった食器を片付けにやってくる。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」
光が車椅子の向きを変えた。「うん、それじゃあ」梅乃が返す。光はいつも通り、仕切りになっているカーテンを開けようとして――ぴたりと止まった。
「そういえば、君は明後日が退院だよね」
「ああ……そうだね」
嫌なことを思い出してしまった。考えないようにしていたのだ。大金が手元にあるとはいえ、高校生の単身生活は一筋縄ではいかないはずだ。途端、気が重くなる。ああ、この病室は、せっかく手に入れた、ささやかな安全基地だったのに――。
くるり。先ほど向こうを向いた車椅子が、こちらに向き直った。
「君は、これからどうするの?」
「……さあ。とりあえずはホテルに泊まろうかな」
梅乃は半ば投げやりに答えた。
「一人で? 未成年は一人じゃ泊まれないだろう」
「そこは何とかごまかすよ」
「いやいや、君の見た目では無理だろう」
眉をしかめる光に、やっぱり世間知らずだ、と梅乃は思う。この汚れた世界では、金か身体を引き換えにすれば、ある程度のことは融通が利く。
「まあ、なんとかなるよ」
説明するのは面倒だし気が引けて、目をそらして曖昧に言った。
「じゃあ、僕の部屋に来なよ」
「……え?」
ぽっかーん。三度目だった。
「ここの五階。君が泊まれるように、ベッドを一つ買っておく。あ、何色がいい?」
「え、いや」
「心配しないで、普通ならまずありえないことだけど、その点僕は御曹司だから」
光は胸を張った。勢いに置いていかれる。君用の机と椅子を買おうとか、本棚もいるかなとか、生活雑貨もきっちり揃えるから気にしないでとか。光は随分先のほうで勝手に盛り上がっている。梅乃はしばらく口を半開きにしていた。
光には時々こういうところがある。こちらが物事を呑み込めていなくても、自分の意思が通らないはずないと言わんばかりに、どんどん話を進める。仮にこちらが渋っても、折れるまで徹底的に食い下がる。こういうところは確かに、『いいとこの御曹司』だった。
「……あのさ、まず、訊きたいんだけど」
「何?」
「君はどうして、そこまで私にかまうの?」
それは、この病院へ来てからずっと抱えていた疑問だった。昔少し会ったことがあるとはいえ、ここまで熱心に追いかけられる覚えはない。
「ああ、そんなことか」
光は案外さっくりうなずいた。
「じゃあ早速、君からもらった権利を使わせていただこうかな」
「え、何?」
意味ありげに、大きな深呼吸。それからわずかに潤み、輝いている双眸が、梅乃を捉える。光は言った。
「君が好きだから」
「……え?」
「君が好きなんだ」
時が、止まったのかと思った。
おふざけではないことが、瞬時に分かった。熱っぽい瞳が向けられている訳でも、欲をはらんだ何かを感じている訳でもない。ただ、光なりにまじめな思いがこもっていることは、そのまっすぐな視線から明らかだった。
ただ。
相手の本気や誠実さと、その思いに自分が応えられるかどうかは違う。
「ごめん。私にそんな気はない。まったく」
梅乃は一蹴した。こういうのは、期待させてはいけない。相手が真面目であるほど、余計に。
光は梅乃の言葉に目を丸くした。
「驚いた。君は、すごく誠実なんだね」
それは、何の悲しみもないような、いつも通りのひょうきんな調子だった。
「『私も好きよ。夢みたいだわ』とか言っておけば、僕は君になんだって貢いで、残り少ない人生のすべてを喜んでささげたかもしれないのに」
「そうなの?」
「さあ、断られた今となってはわからないけれど」
光は両手を天井にむけてわざとらしく肩をすくめた。本当に、一抹のわだかまりも感じなかった。あまりに飄々としすぎていて、梅乃のほうが訊いてしまう。
「……ねえ、本当に私が好きなの?」
「そうだね。今までで出会った誰よりも、君が幸せになったらいいと思う」
「誰よりも? ……自分よりも?」
「僕なんか問題外だよ。生い先短いんだから」
非常に反応に困ることを言われた。
「でもそうか、失恋っていうのはこんな感じなんだね。確かに、六百万円分の価値があった気がするよ」
光は一人勝手に、納得してうんうんとうなずいている。そういえば、光はやたらと失恋にこだわっていた。
――君の失恋を、六百万で僕に売ってよ。経験してみたいんだ。
「こんなので満足したの? 君、六百万円の価値を正しくわかってる?」
思わず、そう言ってしまった。光は再び目を見開いたのち、今度は心外だと言うように目を細めた。
「何を言っているんだ。僕はすごく大事なことを学んだよ」
言葉尻には確かな自信。
「僕には君を引き留めておけるだけの力がない、ということがね」
やはりあっさりとしすぎていて、腑に落ちない。ばっさり斬られても、目の前の光は、何も失ってなどいないように見えた。しかしこれ以上追及するのも不毛な気がする。梅乃は口をへの字に曲げて下手な笑いを返した。
「そうそう、そういえば」
不意に、光が思い出したように話を変えた。
「それで君は、明後日からは僕の部屋に泊まりに来てくれるんだよね?」
明日の天気を確認するように軽やかに。梅乃はまた困った。さすがにこの流れで、ぜひとも! とは言えないだろう。
「ああ、心配しないで。僕は人工心臓のか弱き少年だよ。君がけがをしている今でも、君の方が僕より力がある。第一、君が大切なんだ。君が嫌がることは誓ってしない」
光は両手を上げて、ノーファウルのポーズをとった。梅乃はしばし考える。振った相手と同室で生活するなんて、一般的には想像するだけで身震いするほど気まずい。でも、家に帰るのは嫌だし、まだけがが治りきっていないこの身体で、繁華街に出てナンパ待ちをするのも過酷だ。今一度、光をまじまじと見つめてみる。その腕や足は、骨が浮き出て頼りない。首からは相変わらず、重たそうな人工心臓。本人の言うように、こちらがマウントを取るのは簡単な気がした。
「うん、まあいいよ」
結局、梅乃はうなずいた。「振った異性と同居生活を送る」という一見最悪の選択肢が、残念ながら一番安全だった。まあ、安全でなければさっさと逃げ出せばいい。
「じゃあ、明日は味海苔を持ってくるよ」
光は満足げに言って今度こそ、カーテンの向こうに消えた。入れ替わりで、昼食の食器を下げに看護師がやってきた。今日は普段より三十分遅かった。光がいなくなるまで、恭しく外で待機していたのだろう。入院初日、どこもかしこも悲鳴を上げていた梅乃の身体を好き勝手転がして、手際よく手当てを進めた様子とは大違いだ。
なるほど、やはり光の『お坊ちゃん』力は測り知れない。梅乃はひそかに舌を巻いた。
お読みくださりありがとうございました。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




