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高校一年生冬 奇怪な提案

お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。


さて、第四話です。お話が動き始めます。


すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。


お楽しみいただけましたら嬉しいです。



 検査から帰り、相変わらず軋む身体をなんとか再びベッドの上に戻した。


 脳震盪もあったので、起き上がるとき、余計に頭が重だるい。ベッドに身体を預け、ぼうっと天井を見上げた。


 ――あと数日は、ここで静かに寝ていられる。


 自然とそう考えて、ふと、昨日別れた彼氏のことが頭に浮かんだ。



 彼は、荒れ狂う父親のせいで毎日眠ることすらままならなかった梅乃(うめの)に、差し出された安全地帯だった。


 カーテンもついていない、狭くて小汚い下宿部屋。そこで昼前までだらだら寝て、彼氏が買ってきたカップ麺やハンバーガーを布団の中で食べ、ユーチューブを見た。途中でうたた寝して、その辺に転がっているおやつを食べて、また寝る。


 床に散らばる洋服やスナック菓子でほとんど足の踏み場もないような場所だったけれど、夜中に叩き起こされることはないし、瓶が割れる音や怒声に耳を塞ぐ必要もない。これ以上ない安らぎだった。


 彼氏はよく、マックの照り焼きチキンを二人分買ってきた。梅乃はもともとフィッシュフィレオ派だったが、彼は「照り焼きチキンしか勝たん」と譲らなかった。渋々食べてみたら想像を超えておいしくて、すぐに文句はなくなった。


 別れた今となってはもう、苦くて食べられないだろう――。



 シャッ。


「どーもー」


 感傷的になっているところに、急に間の抜けた声が割り込んできた。


「検査お疲れさま。どうだった?」


 (ひかる)だった。


「疲れました」


 梅乃は憮然と答え、「今は気力がないのでどうぞ放っておいてください」と言外に滲ませた。実際、とても疲れている。


「あれ、結構面倒くさいよね。僕も嫌い。ところでさあ」


 梅乃の拒絶は虚しいほどにあっさりはねのけられた。


「君、今回はどうしてけがをしたの? まだ訊いていなかった」


「おかまいなく」


 今度はもっとわかりやすく切り捨てた。放っておいてほしい。


「えー。満足したら帰るからさあ、ちょっと付き合ってよ。僕、毎日病院にいて暇なんだよ」


 ――知ったことではありませんが?


 梅乃は無視することに決めた。寝ますオーラを全開にして目を瞑る。


 しばらくして目を開けてみた。うきうき顔の光と目が合った。もう一度、目をつぶる。しばらくして目を開けてみた――状況は変わらない。もう一度目をつぶる――。


 八回繰り返し、梅乃はとうとう大きな抗議のため息をついて言った。


「……階段から、落ちました」


 しぶとすぎて、もう「帰ってください」と言うのも面倒だった。さっさと満足してもらおう。


「どうして?」


「……足を踏み外して」


「君はよく足を踏み外すんだね。昔も同じ理由で、両足に包帯を巻いていた」


「そうですね」


 そう、だっけ。正直よく覚えていないが、まあ、ありそうなことだ。痛む体に鞭打って、梅乃は寝返りを打ち、光に背中を向けた。本日数度目の「帰ってください」の意思表明だ。


「あれ、僕はこっちだよ。こっちこっち」


 すると、気の抜けた声とともに光がベッドの端をポンポン叩いた。……わかっているに決まっておろう。


「もう来ないでください」


 ついに拒絶全開の声を出した。


「また来るね」


 返ってきたのは、浜辺にそっと広がり引いていくさざ波のように、優しい声だった。思わずむっとすることを忘れた。


 しばらくして、光の気配が消えた。


 梅乃はひとりため息をつく。


 視線の先、窓の外にはまた、ひょろりと頼りない木が見える。



 次の日は、まずい朝ご飯を食べている最中に、光がやってきた。


「どーもー」


 車椅子に行儀よく揃っている光の脚。その膝の上には、ゆかり、あかり、かおり。


「僕レベルになると、白米でもまあまあいけるんだけど、やっぱり病人食初心者にはこういうのが必要だろう? ゆかりはもちろんのことながら、あかりとかおりにも僕はこれまで随分世話になった」


 どや顔で差し出されたのは、昔ながらのふりかけだった。ゆかり、あかり、かおり。順に、しそご飯用ふりかけ、ピリ辛たらこ、青じそふりかけ。


「まあ試してみてよ」


 光は返事を待たず、机にポンとそれらを置いた。


 正直、ありがたかった。今日の献立は白ご飯、鯖の味噌煮、豆腐とわかめの味噌汁、ほうれん草のお浸し。どれも減塩薄味で、生臭かったり青臭かったり。ちょうど、こんなおかずじゃご飯も進まないと思っていたところだ。


 初めて光の好感度が少し上がった。


「ありがとう、ございます」


 へへっ、と光は思いのほか嬉しそうに笑った。歯を見せ、目尻を下げて笑う様子は純粋に人懐っこくて、病院で独り、長く過ごしている人とは思えない。


「僕は鯖って、苦手だったんだけど、今は鮭のやらかい皮のほうが苦手」


 梅乃の皿に手つかずで残っている鯖の味噌煮を覗きながら、光が言った。梅乃はどちらも苦手だ。持っていたご飯茶碗をお盆の上に戻して、そろそろと机に置かれたあかりの袋を開けた。


「おっ、お目が高いね。あかりはいいぞ」


 光が横から茶々を入れてきた。何を選んでいても光は同じことを言う気がする。一瞥をくれただけで無視した。


 結論、あかりは確かにいい仕事をした。味が薄い上に、梅乃が食べ渋っていたせいですでに冷たくなった鯖の味噌煮も、このあと程よくしょっぱくまろやかなたらこご飯が待っていると思うと食べられる。減塩の味噌汁も、ご飯にきちんと味が付いていることで、ちょうど良い塩気に思える。


 もくもくと箸を進める梅乃を、光はニコニコ見ていた。ばつが悪くて、梅乃は光と逆側に少し、身体の向きを変えた。


「ところでさ、君はどうして階段から足を踏み外したの?」


 えっ。


 急に懐に切り込まれた。怪訝を顔全体で表現しながら、それでもおいしいたらこご飯は無視できず、箸は着々と進める。


「どうして?」


 光は再び問うて首を傾げた。


 それは不躾でありながら、新鮮だった。哀れみも好奇心もない。ただそこに問いがあるから訊いている。そのせいか、急になんだとは思うけれど、不快ではなかった。……まあ、いいだろう。あかりの仕事ぶりに免じて、梅乃は重い口を開いた。


「彼氏に振られて、家に帰ったら落ちました」


 最小限の説明で済ませると、光は意外そうな顔をした。


「ということは、失恋? 失恋が原因で、君は階段から落ちたの?」


 ……なるほど。これは説明の仕方が悪かった。しかしわざわざ説明し直すほどのことでもない。面倒くさいし、何より、自分の家庭環境をさして親しくもない人にぶちまけて、下手な同情を買うのは嫌いだ。だったらまだ、青春期特有の、どこにでもある若気の至りとして苦笑いされたい。


「……まあ」


「じゃあ、その彼氏……元カレか。は、すごく大切な人だったの? ショックのあまり、階段からうっかり落ちてしまうほどに?」


「そうですね」


 そう言われると、全然そうでもなかった。ただ、安らげるあの場所を失って、虚無感があるのは事実だ。好きだったのだろう、それなりに。


「意外だな」


 ――はい?


 あなたが私の何を知っているんですか? たらこご飯が口に入っていなければ、間違いなく言っていた。たった数回、幼少期に会っただけでここまで詮索するなんて、病人というのはよほど暇らしい。


「僕はすごく暇なんだ」


 奇しくも意見が一致した。


「暇が高じて、僕は目に入るものは顕微鏡かというくらいよく見ているんだけれど。……ねえ、君は本当に、階段から落ちるほどに手ひどい失恋をしたの?」


「余計なお世話です」


「でも、余計なお世話もいい方に転ぶと、白米をたらこご飯にする」


 光は、梅乃が左手に持つご飯茶碗を指さした。痛いところを突かれた。光がやってきたときには、白米は茶碗一杯まるまる残っていたのに、もう残すところあと一口。確かにふりかけは、目からうろこの逸品だった。


 ……だがしかし。勘違いしないでいただきたい。これはあくまであかりの業績であって、あくまで膝にのせて運んできただけの光が、あかりのおいしさまで自分の手柄のように誇るのはいかがか。


「じゃあ、元カレの誕生日はいつ?」


「……はい?」


 またまた思わぬ方向から弾が飛んできた。今度はなんだ。梅乃はまた眉をしかめる。しかし少しして、そういえば、知らないと気付いた。いや、一度くらいはどこかで聞いたけれど、忘れているのかもしれない。


「それから、彼の大学名と、学部学科は?」


「……」


「バイト先やサークルの名前、仲いい人たちの名前は?」


「……」


 どれも、知らなかった。そして、知らなかったということも、今の今まで知らなかった。呆然とする梅乃に、光は言う。


「昨日も君は、自分のけがに気付かず立ち上がろうとしたり、検査のことを覚えていなかったり。君は自分にも他人にも、まるで関心がないみたいだ。……そんな君が、本当に誰かを好きになったの?」


 光が背を丸めて、梅乃の顔を下からのぞき込む。梅乃はかろうじて目をそらす。予期せず、まるで自覚のなかった核心を突かれた。


「いや待てよ、待て待て。それもこれも、失恋のせいという見方もできるな」


 ――え?


「そうだよな、失恋だもんなあ。本で読んだことしかないけれど、あれはやっぱり、それほど尊いものなんだ」


 なるほど、うんうん。


 ぽっかーん、と口を開けている梅乃をよそに、光はひとり腕を組んで、気づけばしみじみうなずいていた。……完全に置いて行かれた。呆然のあと、息つく間もなく唖然としているところ、光はまっすぐに梅乃のほうを向き、背筋を伸ばす。


「あのさ、急で悪いんだけど、そんな稀有な経験をした君に相談があるんだ」

 


 君のその失恋、買わせてくれないかな。六百万で――。





お読みくださりありがとうございました。

感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。

また次回もお目にかかれますように。

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