十年前 シンデレラ
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第二十七話です。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。
午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
二週間後。
その日も光は入院していて、三日前からの熱がようやく下がり、ようやく部屋から出るのを許可された。
貸し出された大人用のスリッパは、ぶかぶかすぎてしょっちゅう途中で脱げる。そのたびに、けんけんしながらスリッパが取り残された場所まで戻った。
「はい、どうぞ」
時折、看護師さんやお医者さんが拾って親切に届けてくれた。
屈んで光を覗き込むその顔は皆、点滴を外してくれたあのおばさんのように、異様に完璧に笑っている。思えば日々世話を焼いてくれるお手伝いさん達でさえ──いつでも無表情な浅葱は例外だが──いつもそんな顔をしていた。
前に女の子を見かけて以来、光は中庭が気になっていた。
自分でも行ってみたくて階段を下りる。
階段では、よりスリッパを扱うのが大変だ。すぐに脱げてはまた戻ってを繰り返す。
──ああ面倒くさい。
なかなか降りられず、イライラしてきた。
そして、七回目にスリッパが脱げた時。
「ねえ、いいかげん、脱いで下りたら?」
上の方から、心底焦れた声がした。光と歳の近い、女の子の声。
えっ……?
もしかして……。
期待を胸に、振り返る。
すると──願った通り。
そこにはこの前窓の外に見かけた、あの子がいた。
女の子は、怪訝そうな顔で階段を下りてくる。
左手に光が逃がしたスリッパを持っていた。
かくいうその子は、穴の開いたぼろっちい靴を、かかとを踏んで履いている。
「はい」
女の子が光の足元にしゃがんで、浮かせた片足にスリッパをはかせてくれた。
「……シンデレラみたい」
そう、思わずつぶやくと、
「何言ってるの?」
女の子はますます訝しげに顔を顰めた。素直な子だ。
自分に対してこんなに感情をむき出しにする人は、初めてだ。
「知らない? シンデレラ」
「……知らない」
女の子は首を振った。
「うそだあ。読んだことないの? 絵本とかで」
「お父さん、そういうの買ってくれない」
そっけなく、どうでもよさそうな声。
でも光はなんとなく、本当は興味があるんじゃないかと思った。
「じゃあ、靴は?」
ぼろぼろに汚れた靴を指さす。
その時、その子が今日もまた、ぶかぶかで裾が土色のズボンを履いていることに気付いた。
女の子は再び、首を振る。
「そういうのも、買ってくれないよ」
光は目を丸くした。
「じゃあ、何なら買ってくれるの?」
「お酒」
即答だった。光は困る。
「……子どもは、お酒を飲んだらいけないよ」
恐る恐る進言した。
……この子、もしかしてフリョーなんだろうか。
女の子は、すごく嫌そうな顔をした。
「そんなの知ってるよ。ジョーシキじゃん。飲むのは、お父さんだよ」
ああ、なるほど。そういうことか。
しかし、光の頭はますますこんがらがる。
「じゃあ、君のお父さんは、君に何をくれるの?」
光は首を傾げた。
「お父さんって、何かをくれるものなの?」
すると女の子も首を傾げた。
それは意地悪ではなく、本気の問いだった。
──お父さんって、何かをくれるものなの?
──ちがうの?
だって、光のお父さんは、毎日いろんなものをくれる。
姿を見たことは数えるくらいしかないし、もう顔も覚えていない。でも、くれたものなら数えきれないほどあるし、そこそこ覚えている。今日だって、「これを読んでおとなしく」という言伝と共に、新しい本をもらった──。
「君って、変な子だ」
「君の方が」
この子と、簡単にはわかりあえない。
それでも光は、不思議なその子とまた出会えたことに歓喜していた。
女の子はぷいっと前を向いて歩きだす。
光はぶかぶかなスリッパをぽいぽい脱いで、片方ずつ両手に持ち、女の子を追いかけた。
靴下越し、床の冷たさが伝わる。
硬い床は少し痛いが、さっきよりはずっと歩きやすい。
「ねえ、今日はどうしてここに来たの?」
ずんずん階段を下りていく女の子を、懸命に追いかけながら問うた。
しかし、すげなく無視される。
「まって、まって」
声をかけるたび、女の子はますます早足になっていく。
「まってったら」
なんとか足を回転させて、ようやく、ぎゅ、と女の子の服の裾をつかんだ。
女の子が振り返る。
やっと、こちらを見てくれた――。
「何」
ぎろり。
すごく、迷惑そうに。
そんな目で誰かに見られるのは初めてだ。
怖い。なんでそんなに怒ってるの。もっとお話したいだけなのに。どうしよう。えっと、ええっと、仲良くなるには……。
――あ。
そういえば、こないだ読んだ絵本では、くまさんと仲良くなりたいうさぎさんが、ビスケットを持っておうちに遊びに行っていた。
──これだっ!
慌てて寝間着のポケットを探る。
たしか、昨日お手伝いさんにもらったクッキーがこの辺に――。
かさり。
「あった!」
ビニールの感触が手に当たって、それを揚々と引っ張り出した。
まじまじと検品する。
うん、潰れていなくてよかった。
両手でお行儀よく女の子に差し出した。
「これ、食べる?」
「え? ……でも」
女の子は、まんまるな目でクッキーを物珍しそうに見つめて、それから急いで目をそらして、それでもまたちらりとクッキーを見て、そうしてまたすぐにそらした。
かわいくて、光はちょっと笑った。
「何」
女の子がまた、光を睨む。
でも今回は、さっきほど怖くない。
「うぅん、えいっ」
ちょっとだけ硬い包みを破いてから、女の子にもう一度差し出した。
「どうぞ」
女の子はまたしばらく、クッキーをちらちら見て躊躇った。
「はい」
ずいっともう一歩、近づく。
「……ありがとう」
ようやく、おずおずとクッキーを受け取ってくれた。
そして、控えめに一口。
もぐもぐ、ごくん。
「……おいしい」
ぽそりと、呆気にとられたようにつぶやいた。
光の心はみるみる温かくなる。
「本当? へへっ」
こんな風に、誰かに本気で喜んでもらえたのは初めてだった。
「喜んでもらえてうれしいよ」
ユウコウの印に、にこにこ笑いかけた。
「……君じゃなくて、クッキーのテガラだから」
女の子はまた、ふいと目をそらしてしまった。
お読みくださりありがとうございました。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




