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20/33

高校一年生終わり 不穏の再来

お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。


さて、第二十話です。


すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。


午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。


お楽しみいただけましたら嬉しいです。



 翌日、学校から帰った梅乃(うめの)に、(ひかる)は「おかえり」と言った。いつもならこちらを見て手を振ってくれるのに、今日は読んでいる本から顔を上げない。


「ただいま」


 梅乃の方もぶっきらぼうに答えて、自分のベッドに向かう。


 そこには何冊か、本が積まれていた。


『将来の夢を見つけられないあなたへ』

『十三歳のハローワーク』

『宇宙人と見つける仕事図鑑』

『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』


 ──ああもう。


 梅乃は天を仰いだ。積み上げられた本の上に、鞄をどしんと置いてやる。


「ねえちょっと」


 それから光に、文句の一つでも言ってやろうとした矢先──。


 プルルルル


 梅乃の携帯電話が鳴った。この前一度だけ見た、見慣れぬ市外局番。


 心臓が、不快な音を立てた。


「……もしもし」


「もしもし、私××病院の看護師をしております、○○と申します。若狭梅乃(わかさうめの)様のお電話でお間違いないでしょうか」


「……はい」


 口内が、急速に乾いていくのを感じた。


「三日後、お父様が退院されます。お迎えに来ていただくことは可能でしょうか」


「……え」


 目の前に、急にシャッターを下ろされたような気がした。


 それから、逃げ場のない脳内を荒らす情報の嵐はすさまじかった。


 梅乃がはいとかいいえとか答える前に、事務的な言葉がどんどん流れ込んでくる。


 父親は脳に障害が残り、前頭葉機能の低下で無気力状態にあること。

 一人で歩くのもやっとだということ。

 薬の服用方法説明に、家族の付き添いが必要なこと。

 日常生活にも介助が必要かもしれないこと。

 支払いや保険、医療費の助成制度についても説明があるということ。


「ご来院いただけますか?」


 それは疑問形でありながら、いいえと言える空気ではなかった。父親には、梅乃の他に連絡がつく身内がいない。


「……はい」


 荒らされ何もなくなった真っ白な頭でぼんやりと、皮肉だと思った。


 自分が入院のときには父親との連絡を押し付けられ、父親が入院の時にも父親を押し付けられる。


 血がつながっているというだけで、最後は全部、梅乃に回ってくる。


 何の準備も装備もないまま、突然肩に大きな鉛を乗せられたような気分だった。


 時間や場所をまたも一方的に告げて、電話は無情に切れた。


 ツーツー。


 機械音が鳴る携帯をもったまま、梅乃はだらんと腕を下ろした。


 父親が、退院する。


 病院から出て、帰ってくる。


 身体が、すごく重かった。


「ねえ」


 静まり返った水面にそっと石を落とすように。


 ふと、しんとした部屋に声が落ちた。


 重い首をなんとか曲げて、声のする方を振り返る。


 光が、梅乃が帰ってきてから初めて、こちらを向いていた。


「どうしたの?」


 問うてくるその声に、怒りや不機嫌は全くない。代わりに、潤んできらきら光る優しい瞳が細かく揺れていた。


 心配の目だった。


 やっぱりこの人が、自分の生命線だ。


 とすん。


 重力に負けるように、梅乃はクイーンベッドに力なく尻餅をついた。 


 ごとん。


 携帯が床に落ちる。


 ひゅっ。


 息を吸うと、いつかのような引きつれた音がする。


 ――奪われる。

 ――奪われたら、どうしよう。


 また漠然と、そう思った。()()()、では勿論ない。


「……父親が、退院する。保険証とか、色々揃えて、迎えに来いって。三日後」


 言いながら、頭が現実と切り離されたように呆然としていた。


「そうか」


 相槌を打つ、光の声は落ち着いていた。低くて、砂浜にそっと打ち寄せ沁み込んでいく、さざ波のように穏やかで。


 急激に、目に熱いものがこみあげる。


 両手で塞ぐように目元を抑えて──ぼすん。


 ふかふかのベッドに横向きに倒れこんだ。


 柔らかく、肌になじむ素材の毛布。身体を包み込んでくれるマットレス。


 ここはいつだって、優しくて、温かくて、光がいる。


 常春の草原のように、なによりも安らかな空間。


 それなのに──。


「……全部、なくなっちゃったらどうしよう」


 母親とはぐれて泣く、幼い子どもみたいな声が出た。


 ごそごそ。


 背中の後ろで、光が身をよじる音がする。


 ぎし。


 ベッドがきしむ音がして、ギュイン。


 わきに置かれた折りたたみ車椅子が、開かれる音。


 よいしょ、よいしょ。


 これは多分、光が車椅子の足置きに、片方ずつ足を乗せている声だ。


 そうしてゆっくりと、光の気配がこちらに近づいてきた。


 ぽん。


 頭に、寄り添うように何かがのった。


「……大丈夫」


 ぽん。ぽん。


 華奢だけれど、年相応に大きい、光の手だった。


 ゆったりとした、凪いだ声。


「君はここに、いつでも帰ってきていいんだよ」


 温かいものが、心の器にゆっくりと注がれていく。


 また、目に熱いものが込み上げる。


「大丈夫」


 それはどこまでも伸びやかで──。


「君の世界は、そう簡単に奪われない」


 伸びやかなのに、力強い声だ。


 ぐっと目に押し付けた手の隙間から、涙がゆっくりと、目尻を伝う。


 光は何も言わず、頭を撫で続けている。


 梅乃はただ、声を殺して泣いた。


 泣いて泣いて、頭を撫でられたまま、どうしてか、いい加減止まってよと笑いそうになるくらい泣いて――。


 そうしていつの間にか、眠りに落ちていた。



 三日後の朝。


 その日、梅乃は六時過ぎに目を覚ました。


 いつも七時に起きる光は、まだ眠っていた。


 学校へ行く荷物を持って、光の部屋を出る。


「行ってきます」


 閉めた扉を背に、つぶやいた。


 学校へ行く前に、父親を迎えに、病院へ行かなくてはいけない。


 病院へ行く前に、一度家に帰らなくてはいけない。


 エレベータの前に立つ。


 回数表示を見ながら、深呼吸。


 ――早く、必ず、帰ってこよう。


 この、常春の日常に。


 ポーン。


 エレベータ到着音が鳴り、ドアが開く。


 ぎゅっと手を握りしめる。


 背中に絡みつく不安を断ち切るように、梅乃はいつもより大きな一歩で、エレベータに乗り込んだ。



お読みくださりありがとうございました。

感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。

また次回もお目にかかれますように。

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