高校一年生初春 花冠
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第十八話です。少しだけ、二人の過去が垣間見えます。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
次の日は休日だった。
起きたのは、二人とも十時ごろだった。
光のほうが少しだけ早く起きたようで、梅乃が目をこすりながら起き上がると、光は「やあやあ、おそよう」と片手をあげた。梅乃も「おそよう」と片手をあげ返した。
数十秒後。
「えっと……なに?」
起き抜けでぼうっとしている梅乃を、きらきらした視線がじいっと見つめ続けている。なぜか、光の顔はいつもに増してニコニコだった。
梅乃の問を待ってましたとばかりに光は答える。
「ねえ、今日はすがすがしい晴天だね。こんな日は中庭に行ってみないかい?」
しかしそれは、まったく魅力的でない提案だった。
季節は二月下旬。暖かくなってきたとはいえ、気温はまだ安定しない。一応携帯で確認してみる。今日の最高気温は……五度。
――ありえん。
梅乃はベッドわきで充電していた携帯を、そのまま光のほうに見せた。
光はそれをまじまじと見てから、ふっと鼻で笑う。
「しょせんは、百葉箱の中の温度だ。ほら、窓の外を見て。太陽がまぶしいだろう?」
梅乃は光の指先、窓外に輝く真っ白い太陽を、胡散臭そうな目で見やった。……五度は五度である。
すると、見るからに乗り気でない梅乃に気がついたのか、光はじとりと横目でこちらを睨んだ。
「あのねえ。僕は本来アウトドアなんだ。それでも君の勉強が軌道に乗るまでは、血の滲む思いで我慢していたんだよ。そうして僕の我慢は実を結んだ。それなのに、僕のこの気持ちをどうしてくれるんだ」
光はさも「自分が正しいです」という顔で抑揚たっぷりに主張する。
梅乃はため息をついた。
こういう時、光は譲らない。根が生粋の甘やかされ坊ちゃんなのだ。相手がいいよと言うまでねちねち抗議し続ける。
「……じゃあ、朝ごはんを食べ終わったらね」
梅乃はしぶしぶうなずいた。
「うおお! いいの? いいの?」
そしてこういう時、ものすごく大げさに喜ぶのも光の特徴だ。憎めないお坊ちゃんでもあるのだろう。
朝ごはん――というかもはやブランチ――を食べ終わって、はやくはやくと急かす光の車椅子を押しながら、梅乃はエレベータに乗った。よく考えたら、光の車椅子を押すのはこれが初めてだった。
「君、中庭に行った記憶はある?」
光が顎をあげて下からこちらを見る。この角度からの光の顔は新鮮だった。
「いや、ない」
「そうか。残念だな」
光は飄々と言った。
ポーン。
エレベータの到着音が鳴って、一階に降りる。中庭はすぐそこだった。
梅乃が十歩くらいで一周できそうな、こじんまりした空間。
日がよく当たるし、病院の建物と塀で風がさえぎられて、思ったよりは寒くない。ただ、案外狭くて地味ではあった。
つい先週、少し気温が上がったからだろうか。土に交じって、地面にはシロツメクサがぽつぽつ咲き始めている。
そして真ん中に、ひょろりと頼りない、何かの木。
――そういえば、この木、入院中に窓から見えたな。
梅乃がぼうっと見上げていると、光が言った。
「これ、梅の木だよ」
……そうか、梅だったのか。
自分の名前に入っているせいか、なんとなく親近感がこみあげる。
くるり。
光が車椅子ごと、こちらを振り返った。そして地面を指さす。
「ねえ、こっちに咲いているのは、シロツメクサだよ」
「ああ、そっちはわかるよ」
「そうか」
光は車椅子に乗ったまま、一番近くのシロツメクサに手を伸ばす。
「ううん、よっ。……よっ」
弾みをつけて何度かトライするけれど、さすがに遠すぎて届かなかった。光は諦めて、車椅子の背にもたれてこちらを見上げる。
「ところで君、花冠の作り方はわかる?」
「ああ、うん、わかるけど」
「僕もわかるんだ」
すごく得意げに言われた。
「あ、そうなんだ。……えっと、作る?」
「うん、作ろう」
梅乃は、光の代わりに地面にしゃがみ、咲いているシロツメクサを手折って、光に渡していく。
……あれ、そういえば。
ふいに、懐かしさが胸にこみあげた。
昔もいつだったか、こんな風にしゃがんでシロツメクサを摘み、熱心に編んだ気がする。
光は差し出されたシロツメクサを、ひとつひとつ丁寧に編んでいく。その横顔はやたら真剣で、なんだか微笑ましかった。
ただ、まだ冬と春の境目。シロツメクサは十個も咲いていない。
結局花冠は、心もとない腕輪くらいのサイズにしかならなかった。
「できた!」
それでも光は、小さなその花冠を、満足そうに太陽に掲げた。
冠の輪を通って差し込む太陽のまぶしさに、光が目をすがめる。
「まぶしいなあ」
にっと歯を見せて笑う、その顔は、太陽の光すら跳ね返してしまいそうだった。
それから今度はこちらに花冠を掲げて、輪っか越し、梅乃と目を合わせて笑う。
「どう? うまくできただろう」
「うん、うまい」
決してお世辞ではなかった。少ない花で輪っかを作るのは、結構難しい。
「じゃあ、はい」
光は作ったそれを、ポンと梅乃の手の上に乗せた。
「君にあげる」
「えっ、いいの? ……ありがとう」
下手に動かしたらほどけてしまいそうで、梅乃は両手に載せたまま、じっと眺めた。
人から贈り物をもらったことは、意外とこれまでなかったかもしれない。
「人にあげるものだと思うと、緊張したな」
光は落ち着かなさそうに手を開いたり閉じたりしている。
「本当に、うまいよ」
梅乃が再びうなずくと、へへっと嬉しそうに光は笑った。梅乃もその顔を見て、もっと満たされた気持ちになる。
至上の王冠だった。
「……君が教えてくれたんだ」
「え?」
「シロツメクサの花冠」
手に載るそれを見つめ、光はすっと目を細めた。
「ここで、君が僕につくってくれた。十年前、君が六歳のころ」
「え、っと」
――そうだっけ?
もう一度、目を凝らす。
丁寧に編まれた美しい冠。
そこから連想される記憶を、懸命に引っ張り出そうとするけれど……思い出せない。
なんだか申し訳ないような、気まずいような。
しかし梅乃が俯くと、光は笑った。
「覚えていなくて当然だよ」
本当に、なんのわだかまりもないみたいに。
「僕は、知ってのとおり病院でいつも一人だ。外の誰かに会うことなんてまずないから、君をよく覚えていたんだ。普通、小さい頃の一瞬の出来事なんて、すぐに忘れてしまうよ」
……それはそう、なのかもしれないけれど。
「こんなことを言うと不謹慎だけど、正直、あの頃の僕はいつも、君が今日病院に運ばれてこないかなって願っていた」
光は、いたずらを白状する子どものように、眉を下げて打ち明けた。
そこでふと、思い出す。
ああ、そうか。
そういえば――。
「君が私のベッドを覗きに来たことは、なんとなく覚えてるよ。君、いつも私を真夜中に揺さぶり起こしたでしょう」
目を細めて、いたずらを咎めるように光を見る。
「ああ、ごめん」
光はちょっと目を逸らして、ぽりぽり頬を掻いた。
「許してよ。僕は昔、なかなかお転婆な子どもだったんだ」
思わず笑ってしまう。
「それは今もだけどね」
「おっと、痛いところを衝かれた」
光も笑った。
「ねえ、あのさ――」
不意に光は、これまでと違う、わずかに硬い声を出した。
その瞳が、太陽を受けて輝きながら、真っ直ぐにこちらを向いている。
「あの頃、君が好きだった。今も、君が好きだよ」
時が、止まったのかと思った。
決して、熱っぽい目線を向けられているわけではない。
それは常春の草原のように、どこまでも爽やかで、穏やかで。
場違いにも今、実感した。
――そうか。あの部屋の、あの空気はすべて、光がつくっているんだ。
太陽を跳ね返せるほどの眩しさで、光は笑っている。
「だから君が、幸せになったらいいと思う」
それは決して無邪気じゃない。目を細め、ただひたむきに、相手を思いやる笑み。
僕にはこの病院が世界のすべてで、君という存在が世界の大部分だ。
でも君はいつか近い将来、もっと広い世界を見たらいい。
僕には到底手が届かないような、すごく広い世界を。
僕は、君がすごく好きなんだ。
その笑う顔に胸が鳴る。すごく、きれいだと思った。
「君は忘れていい。こんな小さな箱での出来事は忘れてしまうぐらい、幸せになったらいい」
するりと光の手が伸びて、梅乃の右手首に触れた。
優しくつかみ、親指で、そっと確かめるように手首の内側を撫でる。
まるで、そこにあるものを知っているよと、労わるように――。
「幸せになってほしい。心から」
光は繰り返した。
静かに握られた手首。
両手に載った、小さなシロツメクサの花冠。
光がくれるものはすべて、常春の優しさを持っている。
お読みくださりありがとうございました。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




