高校一年生冬 幸福と不穏
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第十五話です。物語がここからまた動きます。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
授業が終わり、下校のチャイムが鳴った。
机の中の教科書を鞄にしまいながら、梅乃はまた、光の言葉を思い出していた。
――学校でノートを貸してもらったのに、「お礼にお茶でも」の一言も言わないなんて。
冬宮おすすめの塩バターメロンパンは、とても美味しかった。
「お礼にお茶でも」は流石に唐突だが、お礼を言うぐらいは。あわよくば、一緒に帰るぐらいは――。
斜め前、冬宮の机を仰ぎ見る。
しかし、彼女の姿はもうなかった。
嘘だ、早すぎる。
梅乃は残りの教材を慌ててバッグに詰め込み、教室を飛び出した。まだチャイムが鳴ってから二分と経っていない。急げばまだ、下駄箱にいるかもしれない。
小走りで階段を下りる。
「あっ」
途中で、左足の上履きが脱げた。しばらくギプスをしていて筋肉が落ちたせいか、上履きがぶかぶかになっていた。
だが、冬宮を追いかけるのが先だ。
上履きはひとまず見捨て、下駄箱に走った。
しかし──下駄箱にも、その先に見える正門にも、冬宮の姿はなかった。
下校のチャイムが鳴ってから三分。もう、帰ってしまったのだろうか。
思いっきり空振りした気分で肩をおとした。
すごすごと、もと来た道を引き返す。ぺた、ぺた。左足をつくたび、廊下の冷たさと硬さが靴下越しに伝わる。
なんだか情けなくなってきた。
早く上履きを回収しよう──。
「あの、これ」
不意に、階段の上の方で声がした。
その声が自分に向いている気がして、顔を上げる。
「あっ!」
そこには左足の上履きを持った、冬宮がいた。
「あの……階段に落ちてたけど」
「あっ、今取りに行こうとしてた」
慌てて階段を上る。冬宮もこちらに来てくれて、階段の中腹で落ち合った。
「ありがとう。……なんか、すいません」
梅乃は苦笑いで肩を窄めた。なにしてるんだこの人、小学生じゃあるまいし、とか思われている、絶対。
「あ、いや……。えっと、じゃあ、これ」
冬宮は小さく言いながら、梅乃の足元に上履きを置いた。梅乃はそこに、おずおずと足を入れる。
「……あ」
そこではたと、思い出した。
「ねえ、冬宮さん」
一段上にいる彼女をぱっと見上げる。
ぱちん。
真っ直ぐに、二人の目が合った。
「シンデレラって、こんな話じゃなかったっけ」
「……え?」
──まったく、せめてガラスの靴ぐらいは図太く落としていきなよね。
梅乃は本を読む子どもではなかったので、おとぎ話のたぐいはあまりよく覚えていないけれど。
でも、なんか、そうだったかも。
うん、そんな気がする。
またしても、光の言葉にごっつぁんゴール。ここまでくるとすごい。もしかして光は、ああ見えてなにか預言者的な──。
「いや、だいぶ違うよ」
「えっ」
すぱーん。日本刀で真っ二つにされた竹のような気分だった。
冬宮は控えめに、でも確かに首を振っている。……意外とはっきりした人なんだな。
綺麗に正面から斬られてしまった。
くすっ。
冬宮が、口元に手を当てて肩を揺らした。
「っ、ふふ」
つられて、梅乃も笑ってしまった。
小さな花がそっと咲いたような、やわらかい笑顔。
「塩バターメロンパン、おいしかったよ」
梅乃はすっと、自然にそう言った。
「ああ……気に入ってもらえてよかった」
冬宮も自然にはにかんでいた。
「お茶でもどう?」
「え?」
しまった。これは唐突すぎた。なにぶん、人とまともに交流したことがないもので。
冬宮はぽかんと梅乃を見ている。
「あ、いや。その……」
光に影響されすぎた。ああ、せっかくいい感じだったのに。光め。
梅乃は急いで頭を回す。
言ってしまったからには、取り敢えず何か自然な流れが必要だ。お茶に誘う何か自然な――。
あっ、例えば「私も美味しいメニューを見つけたよ」とか、どうだろう。
うん、良いんじゃないか。それが良い。
メニューは何がいいだろう。
いや、待てよ。そもそも自分は「美味しいメニュー」をそんなに知らな――。
「あ! マック!」
その時はじめて全力で、元カレありがとうと思った。
「マックの照り焼きチキン、美味しいよ。塩バターメロンパン教えてくれたからお礼っていうか、ほら、帰り道にちょうどマックあるし……えっと……どうかな?」
冬宮はまた、控えめに笑った。
「じゃあ、ご一緒したい」
安心する笑顔だった。
二人で正門を抜け、寒いねとか晴れたねとかぽつぽつ話しながら歩き、ぎこちなくマックに入った。二人とも照り焼きチキンを単品で注文した。
カウンターで出来上がるのを待つ間、微妙な沈黙が訪れる。
お互い手持ち無沙汰に立っているだけなぶん、歩いていた先程よりそわそわする。……なんとかして、間を持たせなければ。
「あ、えっと。照り焼きチキン、食べたことある?」
「あ、うん」
――あるんかい。
すこーん。だるま落としで、腹をあっけなく抜かれただるまの気分だった。
なら、梅乃のさっきまでの「今度は自分が美味しいものを教えてあげる」スタンスはまるで的外れじゃないか。
いや、よく考えたら、マックの照り焼きチキンなんて国民的に有名だ。「美味しいよ」なんて我が物顔で連れてきてしまって、井の中の蛙すぎる。
冬宮はもらったレシートの番号に目を落して、猫背にうつむいている。
どうしよう。せっかく誘ったのに、ものすごく気まずい時間を過ごさせてしまっている気がする。
――照り焼きチキンよはやくこい。
梅乃は番号表示モニターを祈るような気持ちで見つめた。
「あのね」
「え?」
「誘ってくれて、ありがとう」
唐突に、冬宮が言った。
「久々に食べられて、嬉しい」
「……それならよかった」
空っぽの心の器にぬるま湯がゆっくり注がれるように、それだけの言葉で、梅乃はじわじわと満ち足りた気分になった。
しばらくしてやってきた照り焼きチキンを、二人席で向かい合って食べた。
平日午後三時半のマック。
四、五人でたむろして、うるさいぐらい話が盛り上がっているテーブルばかりの中、梅乃と冬宮は端の小さなテーブルで、お互いもそもそとバーガーをかじっている。
ちらりと冬宮を見ると、わずかに口角を上げ、リスのように頬を膨らませていた。
今日の昼、塩バターメロンパンもこんな風に食べていたんだろうか。
また、心が温かくなった。
梅乃もぱくりと照り焼きチキンにかぶりつく。甘じょっぱいたれが、バンズとチキンに濃厚に絡む。レタスのシャキシャキ感も良い。
――美味しい。
この味を教えてくれたのは元カレだった。昨日は見ただけで苦い気持ちになったのに、今はちゃんと、当時と同じように、幸せな味がした。
さて、もう一口――。
「ん、んぅ」
かぶりつくと、レタスが全部引っ張り出されてしまった。
「あっ」
冬宮のまんまるな目が正面でぱちくりと瞬く。
なんとか元に戻そうとしてみたり、かみちぎろうとしてみたり。必死に格闘するが、うまくいかない。結局、バーガーから全部引き出して、ウサギのように口に引き込みながら食べることになった。
梅乃は口をへの字に曲げた。
今、口の中がレタスでいっぱいなことへの無念と、これから食べるバーガーが『照り焼きチキンレタス抜き』になってしまったことへの無念。
「っ、ふふふ」
すると正面で、冬宮が前かがみになって笑いだした。胸のあたりをグーでとんとん叩いて口のなかの照り焼きチキンをごくんと飲み込んでから、
「はははっ」
耐えきれないというようにますます笑う。
初めて、声をあげて笑う冬宮を見た。
梅乃もつられて笑ってしまった。人と向かい合って笑っていると、互いの笑いが増幅器になって余計に笑いの波が押し寄せる。
二人でおなか痛いと涙を流しながら、残りの照り焼きチキンをなんとか食べた。
思いのほかすぐに食べ終わってしまって、単品にしたのは失敗だったと思った。
マックを出て、すぐそこの十字路で冬宮と手を振って別れた。
夕暮の空。夕日のオレンジ色と、やってくる夜の紺色が混じって美しい。
――普通、JKっていうのは、友達と放課後に『太っちゃ~う』って言いながらラージサイズの甘〜いタピオカを飲んだり、もはや原形を留めていないくらい盛り盛りなプリクラを財布にお札よりも多く忍ばせていたりするものだろう?
――そういうことはしなかったけど、斜め前の席の女の子と、塩バターメロンパンを食べて、マックの照り焼きチキンを食べたよ。
梅乃は空を見上げてゆったりと歩きながら、今日、光にそんな話をしたいと思った。
プルルルル
鞄の中で、携帯電話が鳴った。
梅乃は足を止める。光だろうか。
画面を見ると、知らない市外局番だった。
「もしもし」
「もしもし、若狭梅乃様の携帯でお間違いないでしょうか」
「……はい」
心臓が、不快な音を立てた。こういう電話が、いい知らせであったためしがない。
お父様が、急性アルコール中毒で、こちらの××病院に運ばれました。
もしもの可能性がありますので、できるだけ早く、病院に来ていただけないでしょうか。
――もしもの可能性。
「……死ぬかもって、ことですか?」
はい。
その返事は、実際に聞こえたのか、梅乃の幻聴だったのかわからない。
ただ、真っ白な頭で漠然と思った。
――奪われる。
父親が、では、きっとなかった。
お読みくださりありがとうございました。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




