高校一年生冬 友人
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第十三話です。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
「そんなに一人が好きなの?」
しょげた声が盛り上がったシーツの山から聞こえたのは、翌朝、朝食の時間になってからだった。
仲直りしたいとわかりやすく声に出ているのに、それでもいじけていることは訴えるように、毛布は頭まで被ったまま。
ちぐはぐさがおかしくて、梅乃は笑った。
やっぱり光は憎めない。
その日の朝食、机に置かれたのは、白ご飯と豆腐の味噌汁、かれいの塩焼き、小松菜の卵とじだった。相変わらず質素で、梅乃は迷わずあかりを召喚した。
「いただきます」
ご飯を一口。
まろやかなたらこは、やっぱり食全体を彩る。
たらこご飯を咀嚼しながら、考える。
――そんなに一人が好きなの?
ごくん。ご飯を飲み込んで、水を一口。
それから長く、息を吐いた。
そうか、私は──。
「一人が好き、というか。私はまだ、友達を作る余裕がないのかもしれない」
ゆっくりと、考えの輪郭をたどるように口に出した。
発した言葉が、すとんと自分の胸に落ちる。
「どうして?」
はす向かいの白い山が、もぞもぞと小さく動いた。
梅乃はもう一度、考える。
「……自分のことで、いっぱいいっぱいなのかな」
――自分のけがに気づかずに立ち上がろうとしたり、検査のことを覚えていなかったり。
――そんな君が、本当に誰かを好きになったの?
光は以前、そんな事を言った。
広いこの部屋を見渡してみる。
側には、ふかふかで肌触りの良いベッド。はす向かいにはもう一つベッドがあって、光がいる。他には梅乃が今座っている椅子と、机と、大きな本棚。
がちゃがちゃしていなくて、静かで、ゆったりと時間が流れて、温かい。
ここは、常春の草原のように優しい空間。
ご飯と睡眠が気持ちを穏やかにすること。
退屈なときには動いた方がいいこと。
案外、勉強が好きなこと。
今、ようやく少しずつ、自分がわかってきた。
「……ごめん」
くぐもる声が聞こえた。
光が、おずおずと布団から顔を出す。
ばつが悪そうに目をそらしている様子は、喧嘩後の子どもみたいだ。
「……君を思い通りに動かしたかったわけじゃないんだよ」
光は背を丸くして、しゅんとうなだれた。
いじらしいって、こういうことかもしれない。
梅乃はまた笑った。
「そんな風には思ってないよ」
「……ごめんね」
なんだかやけにしおらしいから、
「ほら君も、はやく朝ご飯食べなよ。冷めちゃうよ」
梅乃は大股で歩いていって、しばらく放っておかれている光の白ご飯に、どっさりあかりをかけてやった。
「あぁあぁ、なんてことを。これじゃあご飯にたらこじゃなくて、たらこにご飯になっちゃうよ」
光は慌てて手をぱたつかせながら、わけのわからない文句を言った。
どうやらすっかり調子が戻ったようだ。
「行ってらっしゃい」
朝食が終わると、いつも通り、ひょうきんな光が笑顔で手を振った。
「行ってきます」
梅乃はきちんと答えて扉を閉めた。
そして扉を背に、ほうっと息をついた。
仲直り……というほどでもないけれど。
光が笑っていた。
それだけで、踏み出す足は随分と軽かった。
学校についた時、下駄箱でクラスメイトとかち合った。
「おはよう」
「おはよう」
いつもする挨拶が、その日は少し緊張した。
学校に来れば毎日見かけるし、たまには今日のように言葉を交わすその子。
でも、上履きにマジックでニコちゃんマークを描いていることも、鞄にダッフィーの大きなストラップをつけていることも、下駄箱に手をかけている、その指先がトップコートでつややかにコーティングされていることも、梅乃は今日、ぜんぶ初めて知った。
「爪、きれいだね」
「えっ」
クラスメイトは急に話しかけられたことに驚いたようで、
「そうかな?」
それでも、自分が大事にしているものを褒められて、嬉しそうに笑った。
こんな風に、自分から誰かに話しかけたのはいつぶりだろう。
誰かの持ち物に興味を持ったのは、足先や指先まで目に入ったのは、いつぶりだろう。
――君を思い通りに動かしたかったわけじゃないんだよ。
しゅんとうなだれた、今朝の光を思い出す。
いつも「学校はどうだった?」と目を輝かせて問うてくる、梅乃が話し出すと、実際に経験した自分よりも遥かに楽しそうに話を聞く──そんな光が好きだ。
少しくらい、光の言うことを聞こうと思った。
学校は、思っていた何倍も情報が多い場所だった。
授業中に三十八回「つまるところ」と言う先生。
隣の席の秋本は、いつも目を開けたまま寝ている。たまにいびきをかいているから、結局居眠りを隠せていなかった。
斜め前に座る冬宮は、数学の授業中、熱心にノートに向かっていると思ったら、黒板を写しているんじゃなくて絵を描いていた。
どんな絵を描いているんだろう。もっと見たくて机から身を乗り出すと、
「若狭、まじめだな」
鋭い目付きで先生に当てられた。
逆隣に座る榎は、ペン回しをする癖がある。何回もかたかた音を立ててペンを落とすから、うるさいと現代文の先生に怒られて、それでも無意識にまたやって、今度はぎろりと睨まれていた。榎はとうとう肩をすくめてペンを置いた。
自分はこれまで本当に、何も見ていなかったんだ。
新世界に来たような気分だった。
昼休み。購買パンを買うために列に並ぶと、ちょうど自分の前に、気になっていた絵描きの冬宮が並んでいた。
冬宮のほうも梅乃に気が付いて、ぺこりと会釈する。
手には赤いがま口財布、ノート、カッターで削ったらしい4Bの黒鉛筆。
やっぱり、絵を描くのが好きなんだ。
おとなしく肩を丸めて俯いている様に、話しかけていいのか少し迷って、
「冬宮さん……だよね? よくここで買うの?」
思い切って話しかけた。
冬宮は――話しかけられるとは思わなかったのだろう――わずかに肩を揺らしてから、うん、と小さくうなずいた。それから少し目をうろうろさせて、ぽそっと言う。
「……ここの塩バターメロンパン、おいしいから」
「しおばたーめろんぱん」
聞きなれない単語だった。
梅乃が買うのはいつも、あんパンや焼きそばパンのような、聞きなじみのあるものばかりだ。そもそも、購買に売っているパンをきちんと全部見渡したこともなかった。
そんな、前衛的ダークホースが潜んでいたとは。
「……私も買ってみようかな」
梅乃が独り言でつぶやくと、いいと思う、と律義に返事が返ってきた。梅乃の印象通り、静かだけど優しい子だ。
「……冬宮さんは、絵を描くのが好きなの?」
「ああ、うん」
答えながら、冬宮は持っていたノートをぎゅっと胸元に握った。
むくむくと、湧き出し水のように興味が湧いてくる。
やっぱり、この人が描く絵を見てみたい。
どんな絵を描くんだろう。
どうして絵が好きなんだろう。
どんなものを綺麗だと思うんだろう。
「ねえねえ、どんな絵を描くの?」
知らぬ間に前のめりになっていた。
「え? あ、えっと」
冬宮がそっと目を逸らし、そろりと半歩、後ずさる。
「あの、いろいろ……人とか」
首を少し傾げて、冬宮はそう曖昧に濁した。
……しまった、ちょっと踏み込みすぎてしまっただろうか。なにぶん、人とまともに交流したことがないもので。
「いいね。絵を描けるって、すごいなあ」
梅乃は努めて穏やかに言いながら、前のめっていた姿勢をなるべく自然に元に戻した。
「ううん、そんなことないよ」
冬宮はぶるぶると小さくかぶりを振った。
ノートはまだ大事に胸元に握られている。
――いつか、見せてもらえないかなあ。
自然とそう思った。それは夕凪のような、優しい気持ちだった。
お読みくださりありがとうございました。
本日は夜もう一話上がります。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




