高校一年生冬 リア充
お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。
さて、第十二話です。変な題名ですね。
すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。
お楽しみいただけましたら嬉しいです。
この生活が始まって一か月ほど。
その頃になると毎日の特訓が実を結び、梅乃は学校の授業も難なく理解できるようになっていた。
「行ってきます」
いつものように部屋の引き戸を開ける。
その日は珍しく、梅乃が部屋を出るタイミングで光がトイレに行っていた。
しんとした部屋に、梅乃の声がわずかに反響する。
思わず室内を振り返った。
本とベッドと机しかない、自分の家よりも広い部屋。
「行ってきます」
梅乃はもう一度、小さくつぶやいた。
口にすることが、すっかり当たり前になっていた。
──行ってきます。
──行ってらっしゃい。
──おかえり。
──ただいま。
──いただきます。
──ごちそうさま。
ここに来る前は、縁のなかった言葉たち。
たかが一か月、されど一か月。適応とは恐ろしい。
不思議な気分で学校に向かった。
放課後、「ただいま」と部屋に帰ると、光は「おかえり」と共に、「はあぁ」とやたらわざとらしいため息をついた。
「え、なに?」
「僕は悲しいよ」
光は眉を下げ、目元に大仰に手を当てて俯く。
「君はさ、リア充にあこがれはないの?」
「……え、なに?」
まるで予想しなかった問いに、梅乃は目を丸くした。
「普通JKっていうのは、友達と放課後に『太っちゃ~う』って言いながらラージサイズの甘〜いタピオカを飲んだり、もはや原形を留めていないくらい盛り盛りなプリクラを、財布にお札よりも多く忍ばせていたりするものだろう? ……そういうものに、憧れはないの?」
話しぶりからして、光も『リア充』には思うところがありそうだった。梅乃も生来そういうものとは無縁な生活をしてきたので、興味がない。
首を傾げていると、光は顔をしかめた。
「鈍いなあ。君、やっぱり自分や周りに関心がないんだね。そういうものに惹かれないJKはJKじゃないよ」
散々な言いようだ。今度は梅乃が顔をしかめる。
しかし、光は絶対に己が正しいんだと言わんばかりに言い募る。
「君は動かない生活に慣れすぎている。よくないよ。君だっていつベッドの花になるかわからないんだ。悪いことは言わないから、明日は夕方五時までたっぷり遊んできなさい。金なら出す」
いやいや。梅乃は呆れた。金ならある。光からもらった六百万が、充分すぎるほど。入院費用で少なからず減ったとはいえ、未だ余りある。
だが、そういう問題ではないのだ。単純に、気乗りがしない。
「……遊ぶ相手がいないから」
とりあえず、適当にまっとうな言い訳をしてみた。
「いるだろう。クラスメイトだけでも四十人」
「みんな忙しいよ」
高校一年生終盤。とっくに仲良しグループが固定されている中、長らく消息不明だった不思議ちゃん梅乃と、放課後を共に過ごしたい人などいない。
……自分で言っておきながらちょっと悲しくなった。光め。
「放課後、教室にたむろっている人間のひとりやふたりいるだろう。声をかけてみたらいいじゃない。君が目もくれず颯爽と帰るのが悪いんだ」
それでも光はさらに食い下がり、腕を組んでぶすくれる。
「チャイムと同時に教室を出ていくもんだから、君は今頃、裏で『シンデレラ』とか呼ばれているに違いないよ。はあぁ。まったく、せめてガラスの靴ぐらいは図太く落としていきなよね」
「……」
どうやら『シンデレラ』にも思うところがあるらしいことは分かった。しかし、分からない──どうして光が、梅乃の学校生活にまで口を出すのか。
梅乃が学校でどう過ごそうが、光には関係ない。光自身に迷惑などこれっぽっちも――あ。
そこで、はっとした。
重要なことを見落としていた。
「わかった。じゃあ、明日からは五時になってからここに帰るよ」
急遽主張を変えた。
今更気が付いたのだ。
光はこれまで、この部屋にずっと一人で暮らしてきた。四六時中他人に部屋にいられては、落ち着かないに決まっているじゃないか。
梅乃の言葉を聞くや否や、光の顔はぱあっと明るくなった。
「そうそう! その意気だよ。リア充してきなさい」
我が子の成長を菩薩然として見守る母親のように、光はゆったりとした微笑みを携えてうなずく。そしてどこからともなく金一封を取り出し、梅乃に握らせた。
「糸目をつけず楽しんでおいで」
……お坊ちゃんは、たまに恐ろしい。
翌日、梅乃は夕方五時まできちんと時間を潰してから部屋に帰った。
「やあやあ、おかえりぃ!」
「ただいま」
光はいつも以上に上機嫌に梅乃を出迎えた。
「今日はどうだった? どこで誰と遊んだの?」
「ああ、高校近くにあるマック……の隣のカフェで勉強してたよ」
「へえ、カフェ?」
うん、と梅乃は頷く。
最初はマックに行くつもりだったが、店前に辿り着いてみると、でかでかと『照り焼きチキンフィレオ』の看板が掲げられていた。いみじくも、ここ最近思い出すことのなかった「照り焼きチキンしか勝たん」元カレの顔が思い浮かび、梅乃は隣にある割高のカフェにコースチェンジした。
まだ好きとか、傷が癒えないとか、そういうことではない。「元カレと食べたなあ」と真っ先に思い浮かんでしまう、変な苦さが嫌なのだ。ああ、思い出すとまた、妙に気まずい気分がやってくる。……余計な質問をしよって、光め。
「そうか、カフェで勉強か。いいねえ、青春だねえ」
梅乃の八つ当たり的感情はいざ知らず、光はしみじみと一人頷いている。それから目を輝かせ、にょきっとこちらに首を伸ばした。
「それで、誰と?」
「あ、いや、ひとりで」
「え、なんて? 誰とだって?」
「いや、だから、ひとりで」
「……え?」
「……え?」
光はみるみる目を吊り上げて不機嫌になった。
「待ってよ。僕は君に、リア充してきなさいって言っただろう? どうしてひとりでカフェなんかに行くんだ。だったら少しでも早く帰ってきて、僕とお話してくれたらよかったのに。君、ひょっとして僕が邪魔だったの?」
「……えぇ?」
頭の中にはてなマークがぽこぽこ浮かぶ。予想とは真逆の反応をされた。
唖然とする梅乃をよそに、光はまったくもうと頬を膨らませた。
「君ってば本当に。……とにかく明日は、一人くらいには話しかけてよね。頼むよ」
「え、どうして?」
梅乃は首を傾げた。
光の言わんとするところがわからない。
すると、光がむすっとしたまま口を開いた。
「君はいつも腰が重いじゃないか。失恋から立ち直る本は読まず嫌い、学校にも行きたがらない、その上ノートを貸してもらったのに『お礼にお茶でも』の一言も言わない。これじゃあ車椅子の僕の方がよっぽど身軽だ」
散々な言いようだ。今度は梅乃がむすっとした。
「……君には関係ないじゃない」
「関係ないよ。でも、もったいないと思うんだ。今、せっかく動けるのに動かないのは。君はすごく魅力的な人なのに、誰もそれを知らないじゃないか」
「よくわからない。……そもそも、私の事を魅力的だと思うのは君ぐらいだよ」
「ほら、そうやってすぐ卑屈になる」
光は拗ねた子どものように、毛布を頭まで引き上げてしまった。
梅乃はため息をついた。総合すると、梅乃を心配しているのだろう。でも、こういう時の光は本当に、蝶よ花よと育てられたお坊ちゃんだ。こちらに他の気持ちや言い分があっても、むきになって自分の望みを主張する。
梅乃は、お花畑なクイーンベッドに雑に鞄を放った。
せっかく今、心地良いのだから、このままでいいじゃないか。
反発するように、そう思った。
静かで安全なこの場所が、だんだんと梅乃の日常になりつつある。安全なだけでなく、充実もしている。人生初めてのことだった。
この状況が確実に守られてさえくれれば、それ以上に世界を広げることなど求めない。
はす向かいのベッドでは、毛布が無言の抗議といわんばかりにこんもり盛り上がっている。
――今日はどうだった?
いつもはもっと話が弾んで、二人でたくさん笑うのに。
その日はたったこれだけで、会話が終わってしまった。
お読みくださりありがとうございました。
感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。
また次回もお目にかかれますように。




