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高校一年生冬 部屋での生活

お読みくださりありがとうございます。前田奈穗と申します。


さて、第十話です。こんな青春もあっていいのかもしれません。


すでに完結まで書き上げており、2026/03/20ごろ連載終了予定です。午前と午後で毎日二話ずつ更新いたします。


お楽しみいただけましたら嬉しいです。



 翌日もその次の日も、それから一週間毎日、梅乃(うめの)は欠かさず学校へ行った。梅乃にとっては快挙だが、(ひかる)は毎朝ごく普通に手を振って見送る。


 梅乃が入院しているときはあれだけしつこく絡んできたくせに、一緒の部屋で過ごし始めると、光は静かだった。


 一人で黙々と本を読んでいるのが常で──朝食夕食の時はくだらない話を山ほど投げかけてくるが──梅乃がぼうっとくつろいでいたり、スマホをいじったりしているときは、基本話しかけてこない。


 まるでお母さんのようだった。ご飯の時と、帰宅して台所を通る時には話をするけれど、それ以外はただ、互いに気配を感じているだけ。


 ──今日は何があった?

 ──友達はできた?

 ──宿題はしているの?

 ──次のテストはいつ?


 質問の内容も、お母さんみたいだった。


「今日の授業はどうだった?」


 梅乃が部屋に帰ると、「おかえり」のあと、光は決まってそう訊いた。


「相変わらずわけがわからないよ」


 梅乃はいつも、そう答える。


「ノートを見せてみて。……ああ、生物か」


「楽しさがまるで分らない」


「そう? 自分の体にも同じ細胞が入っているだろう」


「出てくる単語が全部、意味わからない」


「それは君が長く休んでいたからだよ。ほら、欠席分のノートをだして。きっとみるみるわかるようになるから」


「えぇ」


「僕も見たい。ほら、写真」


 それでもたまに、光は兄弟みたいだった。『一緒に冒険に出かけよう』と虫取り網を持って部屋をノックするような、陽気な兄弟。


『コラーゲンを食べることはお肌にいい。この主張は正しいか?』


 それがこの日の課題だった。


 世間的にみんないいって言うし、いいんじゃないの? 梅乃はそう思うのに、この課題では生物学的に評価しなくてはいけないらしい。……面倒くさい。


 しぶしぶ手を付けてみようにも、数か月分の授業内容が抜けているうえ、クラスメイトに写真に撮らせてもらったノートは、いざ見てみると盛大な丸文字。読みづらさの極致だった。それも黒板を最低限書き写しただけで、先生の板書が読み取れなかった箇所は不自然な空欄になっている。


 解読は困難を極めた。


「もういいよ」


 梅乃は早々に匙を投げた。こんなの、どうせわからない。


 しかし光は、梅乃が放り出したノートの写真を取り上げ、かじりつくように見つめる。


「いいや、ここが正念場だ」


 本当に、変わった人だ。しばらく無言で写真とにらめっこし、書いてある言葉をぶつぶつ反芻し、それから突然、梅乃の鞄に手を突っ込んで教科書やら問題集やらを引っ張り出した。それらを一心不乱にぱらぱらめくり、また一人でなにやらぶつぶつ唱え始める。


 梅乃は、光のキングサイズのベッドの端に腰掛け、ぼんやりその様子を眺めた。なんだか生き生きとして、楽しそう。


 そうして数十分がたった頃。


「ああ、なるほど。わかったよ」


 光が机に這うように丸めていた背を伸ばし、ふうっと息をついて天井を仰いだ。それから、


「もっとこっち」


 梅乃に向かって自分の隣をぽんぽん叩く。促されるままそばに寄り、梅乃も一緒に丸文字ノートをのぞき込んだ。


「ここで、消化酵素について説明しているだろう。この、へんてこりんな場所に伸びている矢印は、本当は『分解』に伸びるはずだったんじゃないかな? 先生の矢印がややこしくて、写し間違えたんだ」


「ふうん」


「するとアミノ酸は、『ペプチド(ジペプチド・トリペプチド)に分解される』となるだろう。それで、この矢印は『小腸』に向いている。端にあるこの、ムーミンのニョロニョロの周りをスライムが浮いているみたいな絵は、きっと小腸にペプチドが吸収されるという絵だったんだ。君のクラスメイトの絵は凄まじくお粗末だけれど」


「ふうん」


 ……ちょっと何を言っているのかわからない。


 形ばかり広げた自分の真っさらなノートの上、梅乃はシャーペンをぷらぷらさせながら、気の抜けた相槌を打った。


 すると光が、ぷくうとアニメみたいに頬を膨らませる。


「ふうんふうんって。僕がこんなに画期的な解明をしたのに」


「ああ、ええっと、どうもありがとう」


 取り敢えず会釈しておいた。「ふふん」光は満足げに鼻を鳴らす。簡単な人だ。


「さあさあ、じゃあ、早く書き留めてよ、僕の偉大な発見を」


 光が上機嫌に、梅乃の真っ白なノートをとんとん叩く。


 梅乃は仕方なく、『胃や小腸:消化酵素(ペプシン、トリプシンなど)……』と写真を見ながら写し始めた。


 光は横で満足そうにうなずいて、時折こちらを覗き込んでは、ああここは丸で囲っておきなよとか、ここにこんな一言を書き加えたらいいよとか、過保護ながらも大変的確な指示を出した。


 おかげでなんとなく、光の言っていたことがわかってくる。


「つまり……こういうことか」


『タンパク質は、消化によって体内で分解され、アミノ酸や小さなペプチドになる。それらが小腸から吸収され、体内で必要に応じて再びタンパク質として合成される。だから、肌のコラーゲンを増やそうとしてコラーゲンを大量に摂取しても、それらは一度体内で分解された後、体のさまざまな場所で材料として使われることになり、再び皮膚のコラーゲンとして合成されるとは限らない』


 課題シートに答えをしたためながら、梅乃は驚いていた。


 こんなにまともな文章を書いたのは、高校生になって初めてだ。


 中学の時、家に帰りたくなくて図書館に通い詰めるあまりがり勉になっていた感覚が、何となくよみがえった。


 もともと奨学金を取るレベルなので、校内での相対的な基礎学力は低くない。そして勉強という行為自体も、わかりはじめたら実は、嫌いじゃないのかもしれない。問題が解決できたという成功体験が、梅乃を前向きにする。


 すると隣で光がまた、うんうんと満足そうにうなずいた。


「やっぱり君は、頭がいいや。数か月の欠席なんて、君にかかれば一週間で巻き返せるよ」


「いや、さすがにそれはどうかな」


 答えながら梅乃は、早くも満更でもなくなってきていた。自分も大概、簡単だ。光はさらに押す。


「いいや、できる。だって語学系は基本的に、知識の積み上げが要らないから、数か月分抜けていても問題ないだろう。それに君は理解力が高い。君のノートは、この暗号爆誕的な魔の丸文字ノートと比べても、はるかに的確にまとまっている」


 ……せっかくご厚意で撮らせてくれたのに、随分好き勝手言ってくれるじゃないか。だが梅乃も、乗せられて気持ちがめくるめく上向いていく。


「追い込みが必要な教科は全部じゃない、片手で数えられるくらいだ。君なら朝飯前だね」


 自信満々に言い切られた頃にはもう、梅乃も、あれ、私いけるかも……なんて本気でやる気が湧いていた。


「さあ、他の科目のノートも出してごらん」


 光が両手でぽんぽんと机を叩く。新しいおもちゃを催促する子どものように。


 ノートや教科書相手にそんな反応をする光がおかしい。


 でも、梅乃もつられてわくわくしてしまうから憎い。


 鞄から数学ノートを取り出した。



お読みくださりありがとうございました。

感想、評価などいただけましたら大変嬉しいです。

また次回もお目にかかれますように。

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