第5話:財務卿の誤算と鉄の同盟
本日4話目
「……ハンス。今月のキャッシュフローの推移を見ろ。塩の純度向上による単価上昇と、羊毛加工の分業化によるリードタイムの短縮。この相乗効果で、領内の現金保有高は先月の三割増だ」
王都とアステリア領を頻繁に行き来しているリヒトは、王都の子爵邸で領地から届いた報告書を、ハンスと二人で確認していた。
アステリア・ホワイトと、アステリア・シルクの売上は、この3ヶ月で順調に伸びていた。
アステリア領内では、リヒトの考案した「簡易舗装路」が主要な村々を結び、計算塾を卒業した若者たちが現場のマネジメントを担い始めている。もはや「没落」という単語は、僅か3ヶ月で不釣合いな古語となりつつあった。
だが、急激な成長は「寄生虫」を呼び寄せる。
王宮の一室。金細工の施された豪華な執務室で、財務卿バルトロメウス伯爵は、目の前に座る五歳の幼児を値踏みするように見つめた。
「リヒト・フォン・アステリア。君の領地の『中興』は王都でも噂だ。だが、過ぎた富は毒になる。王国は、アステリア領の特産品に対し、新たに三十パーセントの『特別通行税』を課すことを決定した」
バルトロメウスは、蛇のような薄笑いを浮かべながら書類を突きつけた。彼は王家の金庫番であり、既得権益を守るために新興勢力を叩き潰すことで知られている。
「……三十パーセント、ですか。バルトロメウス閣下、それは『計算』した上での数字ですか?」
「何だと?」
リヒトは感情を排した声で、持参した別の書類を机に広げた。
「閣下。現在、我が領の製品は王都の衣食住の質を底上げしています。ここに三十パーセントの税を乗せれば、販売価格は跳ね上がり、需要は急減する。結果として、王都の商人の利益が減り、彼らが納める税も激減します。私の試算では、王国の総税収は、現状より年間で金貨二千枚ほど『マイナス』になりますが?」
「……子供が、マクロ経済の真似事か。減る分は他から取ればいいだけの話だ」
「他、とは? 貧困層からですか? 購買力を奪えば市場は死にます。……閣下、あなたは『黄金の卵を産む鶏』の腹を今すぐ割って、中身が空っぽであることに絶望したいという、極めて非合理な願望をお持ちのようだ」
リヒトの瞳が冷たく光る。
「もしこの税案を強行するなら、私は明日からアステリア領の全製品の出荷を停止し、全在庫を隣国へ横流しします。王都の物流を麻痺させた責任、あなたが取れるのですか?」
バルトロメウスは絶句した。目の前の幼児が語っているのは、感情的な反抗ではなく、冷徹な「市場の論理」だった。
「……今日は、顔見せ程度にしておきましょう。閣下の『暗算能力』が向上することを期待しています」
リヒトは一礼もせず、部屋を後にした。
次に向かったのは、メルクリウス侯爵邸だ。
当主のメルクリウス侯爵は、先ほどの財務卿とは対照的に、リヒトを興味深げに迎えた。
「……して、私との交渉は何かな? 私はバルトロメウスほど安くはないぞ」
「閣下。私はあなたに『投資』の機会を提案しに来ました。……これをご覧ください。我が領で開発中の『新型織機』の独占製造権です」
リヒトが差し出したのは、蒸気機関こそないが、人力と水力を極限まで効率化した複雑な図面だった。
「これを侯爵領の工房で生産し、王国全土に売り出します。利益は折半です。……ただし、条件があります。閣下の持つ『王立物流ギルド』の議決権を、私に貸していただきたい」
「物流の支配か。……面白い。だが、五歳の子供にそれだけの重責が担えるかな?」
「年齢を理由に機会損失を出すのは、一流の商人のすることではありません。……それとも、お隣のご令嬢の方が、話が早いでしょうか?」
リヒトが視線を向けた先には、優雅な所作でティーカップに口を付けているセシリアがいた。彼女は自身の名前が出ると、勝ち気な笑みを浮かべた。
「父様。このリヒトという子は、私と同じ……いえ、私以上に『鉄』の匂いがするわ。この話、メルクリウス家が乗るべきよ」
「セシリア。お前がそこまで言うなら、やってみるべきだな。分かった、セシリアに任せた。」
リヒトは、セシリアに向き直った。
「セシリア様。共同事業の第一弾として、王都に『アステリア・メルクリウス百貨院』を設立しましょう。あなたがマネジメントを担当し、私が商品供給と物流を担う。……どうです?退屈な社交界よりは、数字を動かす方が刺激的でしょう?」
「……いいわ。その挑戦、受けて立つわ。リヒト、あなたを私の『最高の駒』にしてあげる」
「駒、ではなく『パートナー』と呼んでいただきたいものですね」
リヒトはセシリアと握手を交わした。 小さな五歳児の手と、少し大きな十歳の少女の手。 それは、魔法のないこの世界で、伝統的な貴族社会を「資本の力」で塗り替えていく、鉄の同盟が結ばれた瞬間だった。
「ハンス。次の予定は?」
「……王弟派の有力者との会食です。」
リヒトの歩みは、王都の石畳を力強く叩き、次なる効率化の舞台へと向かっていった。
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