第38話 パクス・アステリアと神の眼
アステリア共和国の誕生に伴い、特権を奪われた元貴族たちの一部は、地下に潜り反旗を翻す機会を窺っていた。旧王都の廃墟に近い地下貯蔵庫で、彼らは古めかしい蝋燭を灯し、リヒトの暗殺を誓い合う。
「……若造め。どれほど強力な武器を持とうと、寝首を掻けば終わる話だ。……我ら一族の誇りを取り戻すのだ」
だが、その低く響く声は、壁に埋め込まれた針穴ほどのマイクを通り、アステリア情報局のデータセンターへリアルタイムで送信されていた。
(……非効率な老害どもだ。情報の秘匿性が担保されていない場所で謀議を行うなど、セキュリティ意識が低すぎる)
大統領府の執務室で、リヒトは端末に表示される波形を見つめ、無造作に「排除」のボタンを押した。
数分後、地下貯蔵庫には特殊部隊が突入し、爆音と共に反乱の火種は一瞬で鎮火した。彼らがその後どこへ送られ、どのような「再教育」を受けたのかを語る者は、もう誰もいない。
深夜、アステリア領の秘密射場から、ガスタービンとロケット燃料を組み合わせた多段式ロケットが轟音と共に夜空へ突き刺さった。
「若君、第一衛星『ラザフォード初号機』、低軌道への投入に成功。……全世界の電波傍受、および高解像度撮影の準備が整いました」
ヨハンの震える声が通信機から漏れる。
リヒトはモニターを見つめた。そこには、雲の隙間から覗くこの世界の「輪郭」が映し出されていた。
(……これで、この惑星に私の知らない秘密はなくなった。……神の眼を手に入れたのだ。……敵の軍隊の移動、資源の埋蔵量、天候の推移。……全てが私のデスクトップ上で管理される『リソース』に変わる)
前世の知識という「答え」を知っているリヒトが、一国の富をつぎ込み、数万人規模の人海戦術で開発を強行した結果だ。本来なら五百年を要する文明の歩みを、彼はわずか十年足らずで駆け抜けたのである。
アステリア要塞の深部では、ついに「プロメテウス(原子力)」が実用化されていた。
だが、リヒトはそのエネルギーを民間に開放するつもりはなかった。
「……カイル。原子力は、原子力潜水艦、航空母艦、および長距離弾道ミサイルの動力源、そして軍用予備電源のみに限定する。……一般家庭への配電は、引き続き火力と水力を主力とせよ」
「若君? これを全土に開放すれば、エネルギーコストは限りなくゼロに近づくのでは?」
「コストの問題ではない。……管理の問題だ」
リヒトは冷たく断じた。
(……原子力という究極の力は、テロや災害が発生した際、人間の管理能力を容易に越える。……軍隊という完全な階級社会と規律の下でなければ、この猛獣は飼い慣らせない。……無秩序な民衆にこれを持たせるのは、子供に手榴弾を持たせるようなものだ)
リヒトは、平和のために「情報の独占」と「エネルギーの制約」を敷いた。それは彼が考える、最も安全で持続可能な経営方針だった。
数日後、リヒトはかつての母校、ラザフォード学園を訪れた。
といっても、もはや「生徒」としてではない。国家元首としての公式訪問だ。
彼は校長室で、退学届をテーブルに置いた。
「……勉学、および学園でのモラトリアムは、本日をもって終了とします。……私が学ぶべきことは、もはや教科書の中にはありません」
廊下に出ると、かつてのクラスメイトたちが、遠巻きに畏怖と羨望の眼差しを向けてくる。
エドワードは敬礼し、ソフィアは寂しげに微笑み、フレイヤとシオンは、もはや逆らえない「世界の主」を前に、ただ深く頭を下げた。
リヒトは校門を出る際、一度だけ振り返った。
(……十一歳。……この若さで、私は世界を掌中に収めた。……友達を作ることはできなかったが、代わりに誰も傷つかなくて済む『完璧な檻』を作った)
彼は迎えの黒塗りの公用車に乗り込み、執務室へと戻る。
目指すのは、戦争という名の非効率が完全に消滅した、恒久的な平和。
全人類がアステリアという巨大な歯車の一部となり、衣食住に困ることなく、管理された幸福の中で生きる世界。
「……さあ、始めよう。……世界全体の『最適化』だ」
車窓の外、アステリアの摩天楼が放つ眩い光が、リヒトの瞳に吸い込まれていく。
十一歳の初代大統領、リヒト・フォン・アステリア。
彼の歩みは、もはや誰にも止められない。
――第2章「学園編」 完――
高評価とブックマークをよろしくお願いします。
コメントへの返信はしないと思います。




