第3話 白い黄金と強欲な隣人
本日2話目です。
「報告しろ、ハンス。この白い結晶の純度は?」
アステリア領、再興された海岸塩田。
五歳のリヒトは、出来立ての塩を指で掬い、じっと見つめた。
背後では、スラムから雇われた労働者たちが、かつての「呪いの地」で活気ある声を上げている。
「若君、信じられません! 従来のルガード領産の塩に含まれていた苦味がほとんどありません。王都の高級料亭でもこれほどの品質は……」
「当然だ。再結晶化の工程を三段階に分けたからな。不純物を削れば価値は上がる。これを『アステリア・ホワイト』と命名し、既存の市場価格の二倍で売り出す」
ハンスは目を剥いた。「二倍!? 若君、それでは誰も買いませんぞ!」
「逆だ。高く売るからこそ、『これは特別だ』という認識が生まれる。富裕層は安さを求めていない。希少性を求めているんだ」
リヒトの合理的な市場戦略は、即座に結果を出した。
だが、利益が生まれれば、当然そこに群がる「害虫」が現れる。
「アステリア子爵家代行、リヒト・フォン・アステリア様とお見受けする。……ずいぶんと可愛らしい代行だ」
城の応接間に現れたのは、隣領の支配者、ルガード子爵の使者であるヴォルフという男だった。彼はリヒトの背丈を見て鼻で笑い、高圧的な態度で羊皮紙を突きつけた。
「我が主、ルガード子爵閣下からの通告だ。アステリア領での塩の生産は、過去の王令に抵触する恐れがある。即刻停止し、生産設備を我が領へ譲渡せよ。さもなくば、物流ルートを封鎖し、貴領を干殺しにする」
傍らに控えるバドが怒りに肩を震わせたが、リヒトは表情一つ変えず、優雅に温かいミルクを啜った。
「王令、か。……ヴォルフ殿。その王令の番号と発行年月日を言ってみろ」
「は? ……そんなもの、いちいち覚えているわけが……」
「百三十年前の『塩専売制限令』のことなら、あれは五十年前の飢饉の際に、現国王の祖父によって事実上廃止されている。嘘をつくならもう少し勉強してから来い。時間の無駄だ」
リヒトは空になったカップを置いた。
「それから、物流ルートの封鎖だと? やってみるがいい。我が領は現在、羊毛の加工事業を成功させ、王都の商業ギルドと直接契約を結ぼうとしている。ルガード領が道を塞げば、損をするのは王都の商人たちだ。彼らのロビー活動による圧力を、貴殿の主は耐えられるかな?」
「なっ……なぜ子供がギルドの力学を……!」
「私は数字で話をしている。……ヴォルフ殿。閣下に伝えろ。これ以上の嫌がらせを続けるなら、私はルガード領内の塩の流通を、圧倒的な品質と低価格で完全に破壊する。これは宣戦布告ではなく、単なる市場予測だ」
ヴォルフは顔を真っ青にして退散していった。
外交問題に一区切りをつけたリヒトは、休む間もなく次の工程に着手した。
「領内近代化」――。
「バド。この図面通りに道路を舗装しろ。ただの土ではない。石灰と砂利を混ぜた『簡易舗装』だ」
「若、そんなことに人手を使うより、剣の稽古の方が……」
「馬鹿か。物流の速度が10%上がれば、領内の総生産(GDP)はそれ以上に跳ね上がる。剣を振って飯が食えるのは一部の特権階級だけだ。私は領民全員に効率的な『稼ぎ方』を教えているんだ」
さらにリヒトは、城下町の一角に「アステリア計算塾」を設立した。
教育対象は、読み書きもできない子供たち。
「いいか、お前たち。神に祈っても腹は膨れない。だが、算術ができれば、商人に騙されることはなくなる。私の下で働きたいなら、最低限の複式簿記をマスターしろ。成績優秀者には、肉入りのスープを支給する」
リヒトの徹底的な「実利主義」による統治は、当初こそ反発を招いたが、目に見えて生活が豊かになっていくにつれ、領民たちの視線は「気味の悪い神童」から「救世の若君」へと変わりつつあった。
一方、その様子を遠目で見つめる男がいた。
リヒトの父、カスパールだ。彼は相変わらず詩集を片手に、最近ではリヒトに支給された「お小遣い」の範囲内で安ワインを嗜んでいる。
「……ハンス。リヒトは、本当に私の子なのかな? ああも合理的だと、私の詩的な感性がどこへ行ったのか不思議でならないよ」
「閣下。若君は、閣下が詠む詩の舞台となるこの領地を、誰よりも守ろうとしているのでしょう。……そのやり方が、少々……いえ、かなり悪魔的なだけで」
カスパールはふっと笑い、ワインを煽った。
「まあ、いいさ。私にできるのは、彼が作ったこの静かな環境で、最高の詩を完成させることくらいだからね」
リヒトは執務室で、王国の全図を広げていた。
国内情勢は、王位継承権を巡る王妃派と王弟派の対立で揺れている。
「……政治の混乱は、ビジネスのチャンスだ。アステリア領を独立した経済圏に押し上げる。そのためには、まずは王都への『投資』が必要だな」
五歳の小さな支配者の思考は、すでに一領地の再興を超え、王国全体の構造改革へと向かい始めていた。
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