第21話 氷の聖女と鋼の鼓動
本日4話目
「……来たか。計算外の『不確定要素』が」
七歳のリヒトは、アステリア港に敷設された電気鉄道のプラットホームに立ち、帝国の外交使節団を乗せた特別列車を迎えていた。
先頭車両から降りてきたのは、先日の海戦で交渉に当たった将軍ではない。一人の少女だった。
リヒトより三歳ほど年上、エリザベートと同じ十歳前後だろうか。白銀の髪に、感情の起伏を一切感じさせない硝子のような瞳。彼女こそが、秘密結社の「聖女」と噂されるイゾルデ・フォン・ガリアだった。
「初めまして、アステリア侯爵。……あなたの作り上げたこの景色、とても『静か』で驚きました。……死のような静寂を感じます」
イゾルデの声には抑揚がなく、まるで録音された音声を再生しているような違和感があった。
(……この感覚、何だ。私の直感が、警報を鳴らしている。……彼女の立ち振る舞いには、人間が持つはずの『予備動作』がない。重力や慣性を無視したような、完成されすぎた機動力……。捕虜が言っていた『獣』の意味が、肌で理解できる)
リヒトは内心の戦慄を押し殺し、冷徹な外交官の仮面を被った。
「歓迎しますよ、イゾルデ殿。我が領の『静寂』は、徹底した効率化の結果です。……非合理な騒音を排除すれば、世界はこのように整理される」
「……整理、ですか。壊しがいがありそうですね」
イゾルデが微かに微笑んだ瞬間、リヒトの背筋に氷の刃を突きつけられたような殺気が走った。
だが、彼女はそれ以上の行動は起こさず、随行員と共に用意された迎賓館へと向かった。
その夜、リヒトは地下の秘密開発室に籠もっていた。
目の前には、鋳造されたばかりの合金製シリンダーと、複雑な配管が組み合わさった鉄の塊がある。
「若君、イゾルデという娘……ただ者ではありませんね。私の影たちが、彼女の気配を完全に追いきれませんでした」
マルクが、苦渋の表情で告げる。
「ああ、承知している。彼女は物理法則の限界に挑む『生物的チート』だ。……ならば、我々はそれを上回る『物理的暴力』を完成させるしかない」
リヒトは自ら点火プラグを調整し、燃料噴射装置のレバーを引いた。
「……始動しろ。アステリア式内燃機関、プロトタイプ『イグニッション―01』」
重厚なスターターの回転音が響き、次の瞬間――シリンダー内でガソリンと空気が爆発的に混合し、咆哮を上げた。
ドォォォォン……!
蒸気機関のような鈍い音ではない。高周波の振動を伴う、荒々しい鋼鉄の叫び。
内燃機関の初動確認。まだ冷却系も不完全で、数分回せば焼き付くような代物だが、それは確かに「馬」を過去のものにし、戦場を「内燃」の熱狂で塗り替える新時代の産声だった。
(……イゾルデ。君がどれほど速く動こうとも、音速を超える弾丸と、それを運ぶ鉄の馬から逃げ切れると思うな。……私の合理性は、君のような化物を殺すためにこそ研ぎ澄まされている)
リヒトは、完成したばかりの「内燃機関の図面」を金庫に納め、机の上に置かれた半導体ラジオのスイッチを入れた。
ノイズの向こうから、教国にいるセシリア(12歳)が発信している暗号放送が聞こえてくる。
『……リヒト、教国の聖堂騎士団が動いたわ。ターゲットはあなたの領地。結社の指示よ。……そちらに送られた「氷」には、絶対に触れないで』
セシリアからの警告は、すでに目前に迫っている。
「氷」とはイゾルデのことか、あるいは……。
「……触れるつもりはない。粉々に砕くだけだ」
七歳のリヒトの瞳には、電気の火花よりも鋭い殺意が宿っていた。
科学と陰謀、そして冬の嵐。アステリア領は今、建国以来最大の危機にして、最大の飛躍の刻を迎えようとしていた。
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